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【東日本大震災-7】外国人から見た日本と日本人(28)

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※このシリーズの一覧を作ってあります。
 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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 「外国人から見た日本と日本人」。第28弾です。
 3/15付:【東日本大震災】外国人から見た日本と日本人(22)
 3/22付:【東日本大震災-2】外国人から見た日本と日本人(23)
 3/28付:【東日本大震災-3】外国人から見た日本と日本人(24)
 4/16付:【東日本大震災-4】外国人から見た日本と日本人(25)
 4/25付:【東日本大震災-5】外国人から見た日本と日本人(26)
 6/6付:【東日本大震災-6】外国人から見た日本と日本人(27)
 に引き続き、震災編パート7となります。


■米オレゴン州ユージンの日刊紙「レジスター・ガード」5月11日付 メリサ・クラブ
 1964年に日本で生まれ、16歳まで日本に住んでいたアメリカ人女性、メリサ・クラブによる記事(投稿?)

 「ガマン」と「シカタガナイ」という概念は、いま被災地で起きていることを理解するのに不可欠である。日本の子供たちは、大きなことだけではなく、日ごろのちょっとした課題に対して、1日に何回もこの言葉を口にする。アイスクリームを落としてしまったときに「シカタガナイ」と言い、宿題が難しすぎるときには「ガマン、ガマン」と口にする。

 冷静さは日本文化の中心をなす。でも決して辛辣さはない。愛情のこもった口調で言われる。

 さらに日本文化の中心的な精神は、親切さと、そこから来る安心感だ。少なくとも私にとってその精神はこの国(アメリカ)では想像できない。もちろんここユージンをはじめとして、アメリカでも多くの親切な行為を経験したが、私が日本で経験した親切はユニークであった。

 8歳のとき、私は電車を2回とバスを使って、渋谷駅を通って毎日通学していた。助けが必要なとき、いつも誰かが助けてくれた。ドアも鍵をかけたことがない。物を失くしても不思議なことに元の状態で戻ってきた。電車でくしゃみをするとティッシュがさっと渡された。傘がないときは誰かが一緒に入れてくれた。(中略)

 この危機に略奪がないことや、お互いの協力や無私無欲であることについてのいろいろな記事を読むと、私は日本人の冷静さと親切さに感銘を受けてしまう。このふたつの要素は、私がいるアメリカ社会では欠陥があるが、どんな社会のなかでもより大きな真実として存在するものである。

■米紙「ワシントン・ポスト」3月16日付【3重のカタストロフィで増える犠牲者に直撃する:尊厳、礼儀正しさ、強靱さを見せる】チコ・ハーラン記者
 日本はパラドックスの国であるが、第二次世界大戦後の最大の危機をdecorum(礼儀正しさ)で対処し、秩序をもってカオスと戦っているように見える。津波で破壊された大槌町の家の上にはフェリー・ボートが乗っかっているが、避難所では、靴は入り口できちんと脱ぎ、ゴミもリサイクル用に分別されている。略奪や犯罪のレベルが上昇している証拠はひとつもなく、日本人は長蛇の列で待ちながら冷静さを示している。

 頑固なまでの礼儀正しさとグループのコンセンサスを重んじる心も示されている。ツイッター使用者は、足止めを食らった人や家がなくなった人がおにぎりを分け合っている話を発信している。車で北に向かう人は10時間車に乗ることになるが、クラクションを鳴らす人は誰もいない。(中略)

 福島市のスーパーマーケットの支配人であるチョーナン・ヒデノリは言う。
 「みんなどういう状況かわかっているから、お互いのつらさもわかっている」
 そこでは店が開くまで、数百人の人が何時間も待っていた。
東日本大震災:インドネシア人留学生 東北大で津波研究(毎日5/29 20:16)
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 東北大災害制御研究センター津波工学研究室(仙台市青葉区)に、東日本大震災とスマトラ沖大地震(04年12月)を経験したインドネシア・スマトラ島出身の留学生、アブドル・ムハリさん(32)がいる。二つの地震は、いずれもマグニチュード9クラスで、甚大な津波被害を引き起こすなど共通点が多い。ムハリさんは、両国の震災の体験を、将来の津波防災に生かそうと研究に励んでいる。

 ムハリさんは、津波工学研究室の今村文彦教授の下で学んでいる。インドネシアでは海洋水産省職員を務め、スマトラ沖大地震の2日後から約4年間、津波ハザードマップ作成や津波警報システム導入など、津波防災に携わった。今村教授の教え子である同省の上司の勧めで東北大留学生となったのが09年。来日後2年足らずで東日本大震災に遭遇した。

 ムハリさんは東北大研究室で強い揺れを感じながら「インドネシアのような津波が襲ってくる。でも日本は防潮堤などの備えがあり、ある程度守られるだろう」と考えた。しかし、被害の甚大さに後で驚いたという。

 震災後、放射能の影響を危惧する大使館の指示に従い、しぶしぶ帰国。しかし、約3週間後には日本に戻った。今村教授は「とても熱意がある学生。インドネシアの津波防災の代表になってもらわなければいけない人材」と評価する。

 ムハリさんは「今日本は大変な時。でもこれを乗り越え、将来に向けてどんな対策をしていくかは日本だけでなく世界の教訓になる。自分もその教訓を伝える役割を果たすため、よく見て、よく学びたい」と話した。【飯田和樹】

【台湾ブログ】九州旅行で安全確認、日本は必ず復興します!(サーチナ6/13 10:16)
 日本が好きで、年に3回程度は旅行で訪ねているという台湾人女性のChoyce(ハンドルネーム)さん。今年の5月下旬に九州を旅し、大震災の影響を懸念する台湾の人々に向かって「九州は安全! 日本は必ず復興します!」とブログで訴えている。

 夫と子ども2人、そして夫の両親と九州に行ったというChoyceさん。「まだ途中なので感想はまとめられませんが、日本を応援したい。なので日本の今の状況をつづります」と、旅行中にブログに書きこんだ。「まず言いたいことは、九州は安全だということ! 日本人は普通に生活していて恐怖感を持っていないし、ちゃんと仕事にも行っている」と述べており、台湾の人々が“日本全体に震災の影響があると思い込んでいる”ことが伝わってくる。

 続けて「でも繁華街を歩いている人は、少なく感じた」と述べたChoyceさん。「福岡の中洲、鹿児島駅前広場、熊本の商店街など、にぎやかな場所に行ってみたけれど、どこもガラガラ。日本初旅行の両親が驚いていたので、“大阪と東京は絶対ににぎやか! 2都市に比べると九州の観光客は少ない”と言ってなぐさめた」という。そしてどこに行っても、募金箱が目に入ってきたそうだ。

 また、出勤時間を早め残業を止める会社の規定ができたというニュースを見たり、節電を呼びかけるメディアの様子を見たりして、「なんとも言えない気分になった。日本には何度も来ているけれど、こんな雰囲気を感じたのは初めてだ」と心を痛めたChoyceさん。「今回私たちは、中華航空の50%オフキャンペーン料金で、日本に来た。これは日本を応援するために旅客を送ろうというキャンペーンで、なんと半額。安い料金で一家全員、日本で感動体験を味わった」と伝えた。

 旅行中、九州で台風の影響を感じ、近畿地方に地震があったことも述べているChoyceさん。「さまざまな天災はあるけれど、どんなことがあっても……日本の美しい景色や人々の笑顔はずっと残ったまま。復興の日はきっともうすぐ。私はそう信じています」とエールのことばで、ブログを締めくくった。(編集担当:饒波貴子・黄珮君)

福島第1原発:中国人留学生、日本で就職し両国の懸け橋に(毎日5/18 22:40)
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 東日本大震災で被災後、日本での就職を目指して活動する中国人留学生がいる。東北大大学院国際文化研究科修士課程2年の瀋恵芬(しんけいふん)さん(25)=仙台市青葉区。避難のためいったん帰国後、母国の家族や友人の反対を振り切って再来日した。福島第1原発事故の不安から外国人観光客が激減するなど「日本離れ」が深刻化しているが、瀋さんは「家族は心配しているけれど、日中間の懸け橋になれるように頑張りたい」と意欲を見せている。

 瀋さんは、中国中部の浙江省出身で地元の大学で日本語を専攻。日本の先進的な技術にあこがれ、留学を目指した。家族には猛反対されたが、インターネットで日本の大学に論文を直接送り自力で留学先を確保。09年春に研究生として来日し、10年度から修士課程(国際文化言語論)に入った。

 3月11日は、アルバイト先に向かう途中にJR仙台駅で揺れに襲われた。けがはなく、自宅アパートも無事だったが、近くの小学校に避難した。公衆電話から中国の実家に無事を知らせたが、母親は電話口で「よかった」と泣き崩れた。

 15日にいったん帰国したが、予想通り、家族や知人の猛烈な引き留めにあった。原発事故の影響を心配している母親からは「それでも日本に行くのなら縁を切る」ときつい言葉を浴びせられた。瀋さんは「原発事故が深刻化すれば行かない」となだめるのがやっと。それでも父親が「本当に行きたいなら、おまえ次第だ」と背中を押してくれ、4月27日に再来日した。

 日本での就職にこだわるのは、震災直後、日本人の親切さに触れたからだ。スーパーマーケットの店員が「名前を書き残してくれたら、代金は後でいい」と客に商品を渡す光景を見て、「日本人と一緒にがんばりたい、と思った」と振り返る。

 文部科学省によると、東北地方の9大学で4月20日時点、通学圏にいることが確認できた留学生は全体の約35%。しかし東北大が4月18日に同大で通学圏を出た留学生も含め926人に調査したところ、790人が出国していたが、約9割の842人は「大学に戻る」と答えるなど、留学生の間に「日本離れ」はほとんど見られないという。

 瀋さんが目指す就職先は、総合商社や通信・電子機械など、世界を舞台に活躍できる企業。「日本の技術を中国で生かし、中国の資源を日本で使う。そんな役割を果たしたい」と目を輝かせた。【福田隆】

【中国ブログ】日本の震災に見る建築品質と日本人の民度(サーチナ6/12 11:56)
 中国人ブロガーの皆縁心語さんはこのほど、自らのブログに「日本の震災に見る建築品質と日本人の民度」とする文章を掲載した。

 筆者は、東日本大震災の報道から日本の建築物の耐震性と日本人の冷静さに驚いたと述べる。マグニチュード9.0の地震に揺れながらも、崩壊せずに立ち続けるビルを見た時、「四川大地震でたちまち崩れ去った建物の様子との明らかな対比を意識せずにはいられない」と綴った。

 さらに、耐震設備にどの程度のコストがかかるものなのかは知らないがと前置きしつつも、「国民の命を考えれば、建築品質は第一に考えられるべき」だと主張した。

 また、震災に直面した日本人が見せた落ち着きは、彼らの日常的意識の持ちようと密接な関係があるとし、日本では幼稚園を始め学校教育の中でも避難訓練や災害教育は必須として設定されていると紹介。政府も地震対策を呼び掛け、国民に救急用品や非常用食料などの心構えを促していると紹介し、「大多数の国民が災害時に冷静沈着でいられる事実は、実に尊敬に値する」と称賛した。

 「大自然は次々と人類に挑みかかってくる。 悲惨な被害を目の当たりにする時、われわれはそれを恐れ自身の無力を嘆くだけでなく、もっと反省するべきことがあるのではないだろうか」と語り、筆者は中国のネット上で見つけたすばらしい言葉として、『天災の前に人類は一つ』と紹介。

 言葉の意味は、「四川大地震の際、日本をはじめとする国際社会が中国に与えてくれた深遠な啓示だ」と指摘。筆者は、日本の震災に対し、中国のネット上ではすぐに救援隊を結成しようとの声が上がったことについて、「単純な恩返しではなく、生命への敬意や人類の一体感、愛と良心に基づく行為だ。われわれは同じ人類なのだから」と結んだ。(編集担当:畠山栄)

■夕刊紙「羊城晩報」3月19日付コラム【何龍「民衆素養のビデオ教室になりうる日本地震の放送」】
 テレビで全容が明らかになるなかで、日本の地震の猛威と津波が席巻していっさいを破壊し、壊滅的な打撃を与えたさまは世界じゅうを震撼させた。

 だが、こと中国人にとってはもうひとつ、別のショックがあった。それは巨大な災害を前にしても冷静な日本人の姿であった。テレビが映し出したのは、車や船や道路をなぎ倒す津波の災害とともに、かような状況でも慌てず乱れなかった民衆であった。

 東京に住むある中国人によれば、東京は福島原発から200キロあまりしか離れていないものの、市民はまったく慌てていない様子だった。被災地である福島県や宮城県では、深刻な被害を受けた民衆がそれでも自主的に秩序の維持に努めており、取り乱す者は少ない。悪質な窃盗や略奪などの暴力事件もほとんど発生していないようだ。

 日本を取材した記者によると、日本では物資が不足したが、商人が機に乗じて値段を吊り上げることはなかった。全国で石油が不足したが、価格は高騰しなかった。仙台のいくつかの避難所では、若者が自主的に年寄りや子供の世話をし、秩序がよく保たれていた。地震により大勢の通信手段が断たれてからも、多くの民衆が家の電話を必要な人に貸していた。冷静さと秩序は、日本政府や海外からの救援物資がスムーズに運ばれ、各種の救援・復興事業がきわめて高い効率でなされている理由である。1995年の阪神大震災の経験者によれば、当時の神戸の民衆も同じく冷静であり、大きな混乱や騒動はなかったそうだ。

 災難の突発や社会的な大事件など非常事態のときこそ、その国の民衆の素養や教養の程度がもっともはっきりする。日本のこうした民衆の素養や民族精神を目にした読者は、自国と比べた場合に自信が持てるだろうか。

 我々はいかに自信を持つべきか?経済上は我々のGDPは日本を追い越した。ひとりあたりのGDPではまだ大きな差があるが、国家の経済力という観点では全体量として中国が優位に立った。資源のうえでは島国の日本は完全に下である。頭脳明晰という点では元々中国人は他国に劣らない……ならば、巨人は彼の小粒なライバルを確実に打ち負かせるのだろうか?明らかにノーである。今回の地震によって思いがけずも、彼らと我々との素質や素養が天と地ほどの差にあることを思い知らされた。あちらでは地震の最中でも冷静で乱れず、一方で千里も離れているこちらでは塩価格の高騰やパニックが起きた……。

 四川大地震の際にはミネラルウォーターやインスタント麺の価格が10倍にも吊り上がった。このたびの地震を取材した中央テレビ局の女性記者が笑い話を披露してくれた。彼女が日本のガソリンスタンドの職員に「ガソリンを蓄えているのはなぜですか?価格高騰を待っているのですか?」と尋ねたら、彼はこう答えた。「いえいえ、災害支援用の車が使用するのに備えているのですよ!」

〈世界から被災地へ〉ロシア手話劇団 恩返し公演 11日から日本各地巡回(朝日6/10 10:45)
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 耳の不自由な人が手話で演じるモスクワ・パントマイム劇場が、11日から日本各地で公演する。収益の一部を震災の被災者に贈る。旧ソ連崩壊後の困窮時に日本のろうあ者に助けられ、今度は恩返しをする番だと張り切っている。

 役者たちが手話をしながら演じる。表情は豊かだが、声を発することはない。代わりに舞台の下で女性がせりふを読み上げる。

 演目は「チャーリーはどこだ?」。19世紀の英国を舞台にした若者の恋愛喜劇だ。

 出演者はいずれも耳が不自由。音楽に合わせて踊るときも、舞台袖から合図を送ってもらったり、振動を体で感じたりしている。

 1962年に設立された劇場は、91年のソ連崩壊で国の支援が停止。92年2月、全日本ろうあ連盟の招待で来日して各地で公演したときに、観客のろうあ者らから励まされ、カメラやテレビ、服などの支援物資を贈られた。

 このとき一行を引率し、今回も来日する支配人のニコライ・チャウシアンさん(59)は「日本人の温かさは忘れたことがない。劇団の仲間にも日頃から話していた。やっと恩返しができる」と話す。

 公演は佐賀、広島、京都、名古屋、横浜の各市で開催。問い合わせは全日本ろうあ連盟(03・3268・8847、http://www.jfd.or.jp/mpt)。(モスクワ=関根和弘)

※公演は6月18日をもって終了しました。

■英紙「ザ・タイムズ」3月17日付リチャード・ロイド・パリー(東京支局長)の記事
 私はラジオで震災のニュースやコメントを聞きながら、あちこちの壊滅した町を訪れた。東京から北に旅することは、気がおかしくなるようなスピードで展開される歴史の興奮を経験することにほかならない。

 しかし、これこそが日本の歴史のパターンである。すなわち、長い安定と沈滞の時代が短時間の事変でときどき分断されるが、その事変はバイオレントであることが多い。1860年代に西洋のプレッシャーで開国せざるを得なくなり、日本は近代化に乗り出した。それは中世から20世紀までの時期を一世代の期間で経験するほどの、エネルギッシュなものであった。

 この発展が生んだ地震は1945年に終わった。敗戦後の回復は驚くべきものだった。単に豊かな国というレベルになったのではなく、経済大国という地位にまでのし上がったのである。このことは週末に起きた災害のもっとも年長の犠牲者について、忘れてはいけないことだ。どれほど喪失が大きくても、どれほど彼らの艱難辛苦が痛ましくても、この人たちこそ太平洋戦争を生き延びた人たちなのだ。

 今回の悲劇は、国民の士気が異常なまでに低くなっているときにやってきた。絶望というよりもむしろ無気力、麻痺、憂鬱のとき、と言ったほうがいいだろう。そういうときにこの悲劇が起きた。15年間、日本経済は低迷していた。昨年は日本の多くの人にとって寒気がするほど象徴的な瞬間があった。中国が日本を追い越して、アメリカに次いで世界で第2位の金持ち国になった。(中略)

 日本は犯罪、若者の目的喪失感、教育水準の低下、中国の台頭、核保有国である北朝鮮の予測不可能性など、不安の真っただ中にいる。そして今回の打撃の影響はどうなるのか。この打撃は揺らめく日本を屈服させるだろうか。あるいは、日本はいままでと同じように対応して、この暗黒のときから団結して立ち直るだろうか。

 この判断をするのは震災後5日後の時点ではまだ無理だ。しかし、原発の危機に関する政府の対応がどうであれ、一般人が立ち直り、再びこの社会の強さを見せていることは明らかである。

 目立った略奪もない。食糧や水やガソリンが不足しているにもかかわらず、誰も口論しないし、クラクションも鳴らさない。

 日本人のもてなしの心はむしばまれていなかった。仙台では、市役所がホームレスの旅行者のための宿泊所になっていた。

 日本が地震と津波から立ち直ることにはまったく疑いがないが、さらには世界を感嘆させるペースでそうするだろう。これほどまでに地震が活発な国に、これほど多くの原発を建設したことで、日本はとてつもなく間違った判断をしたことが証明された。これからの何週間で日本はこの危機にどう対応するのか、政府はその能力を容赦なく試されることだろう。

 しかしながら、最悪の事態になって大量の放射性物質が放出され、集団脱出が起きたとしても、世界のほかの地域で起きる状態と比べると、混乱は少ないと思う。もう一度言うが、この数日、日本はその特異性を見せてくれた。わたしはこの国に住んでいることを誇りに思う。

■英紙「デイリー・メール」3月19日付【非常に宿命的な民族(A Very Fatalistic Race)】イアン・ブルマ
 著名なオランダ人とイギリス人のハーフの日本研究家で、日本でも教育を受けたことがあるイアン・ブルマの寄稿コラム

 国民性に関する理論は最大の慎重さをもって取り上げる必要がある。人間の行動というのは気候や自然環境のようなもので、特定するにはあまりにも突飛なものである。とはいえ、火山が多いところに住んでいる人は、サマーセットの丘陵やババリアの緑の草原に住んでいる人たちとはいささか異なる人生観を持っていると思ってもおかしくない。(中略)

 命がいつか消えるということはすべての人間がわかっていることだが、我々の都市が人間の命と同じくらい儚いとは思っていない。ヨーロッパ人のなかには、自分たちが作るもののなかには永久に存続するものがあるという幻想を抱く人がいるし、だから我々は大聖堂を建設し、アメリカ人は同じような考え方でシカゴやマンハッタンを作ったのである。

 日本人はそういう幻想を持ったことがない。先週起きた大災害が証明したように、日本人がそういう幻想を持つ余裕はない。日本のほとんどの部分が、地震や津波で一瞬にして壊滅してしまう可能性があるからだ。(中略)

 自然の気まぐれな恐怖が、仏教の宿命論を日本人に適したものにするのに手を貸したのかもしれない。地震や津波を止めるためにできることは何もない。差し迫った破壊を、人生にとって不可避の特徴として受け入れたほうがいい。(中略)

 その例(日本人の集団的責任の例)が、アメリカの報道でも見られた「フクシマ50」だ。事故が起きた福島原発に残ってカタストロフィを防ごうとがんばった勇敢な作業員のことだ。彼らはほとんど致命的な量の放射線を浴びている。

 この集団的責任はイニシアティブではなく、排他的な派閥意識を特徴としているが、アメリカの徹底した個人主義は、日本人には子供じみた幻想と見なされている。(中略)

 我々は日本が素早く復興すると希望せざるを得ない。自国民のために、そして他の国々のために。世界で3番目の経済大国が長く低迷していることを見る余裕は、誰にもない。悲しいのは、カタストロフィはまたどこかで再び起きるということだ。災害は約60年に一度ほどやってくるが、東京は次の大きなカタストロフィを待っている状態だ。(中略)

 伊勢神宮は、日本と同じように永久に自己を新たにしている。あたかも自然のすべての創造物のように。

東日本大震災:英ウェストミンスター寺院で追悼式(毎日6/6 10:50)
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 【ロンドン笠原敏彦】ロンドンにある英王室ゆかりの教会ウェストミンスター寺院で5日夜、東日本大震災の追悼式が行われた。在英日本人を中心に王室関係者や各国外交官ら約1500人が出席し、震災の犠牲者らに祈りをささげた。

 礼拝を執り行った同寺院のジョン・ホール首席司祭は「犠牲者を追悼し、愛する人や家、生活の糧を失ったすべての人々のために祈りましょう」とあいさつ。林景一駐英大使が「むこの犠牲者」の碑に献花し、仏教とキリスト教の両方で祈りが行われた。また、被災地の状況説明や宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」が日本語で朗読されるなどした。

 同寺院の広報担当、ローラ・キンセイさんは「世界中の人々と同じように我々は大震災の悲劇に大きなショックを受けた。すべての犠牲者と被災者のために追悼式を行った」と説明した。同寺院は英国国教会の教会で、主要な王室行事が行われるほか、歴代の国王が埋葬されている。

 英王室からはエリザベス女王のいとこのグロスター公が出席した。

■仏紙「ル・パリジャン」3月16日付【日本は我々に冷静さの教訓を与えた】
 それは模範的な態度、人生の哲学、勇気と尊厳のモデルであった。世界じゅうの人を、とりわけ西洋人を驚かせた。混乱に満ちたなかで、日本人はストイックであり続けている。災害に遭った地域では、顔を凍らせおののかせる大いなる苦痛と不安がある。それなのに、叫びも怒りも大パニックも暴動も略奪もほぼなかった。試練を前にして、日本人は文字どおり指示を尊重した。そして称賛を勝ち取っている公民精神と相互援助精神とともに運命に従っている。

 「彼らは我々に冷静さの教訓を与えた」と、地理学者で『日本』という著書を持つ、リヨン第2大学教師のフィリップ・ペルティエは言う。やむことのないリスクは日本人の日常の一部をなしている。「彼らは集団的に、心理的に、自然災害に用意ができているのだ」。日本の文化と宗教が、不幸に接した住民の落ち着きを説明してくれるという。たくさんの神々を尊敬する仏教と神道の領域においては、(キリスト教のような一神教とは逆で)神様を悲劇の責任者とするのは問題外だ。「日本人にとってはそれが人生、物事とはそういうものだ」とフィリップ・ペルティエは断言する。

 日本では、人間は自然と一体となる。「自然は超越しているのではない。つまり上ではなく、そびえたつのではなく、人間の外部にあるのではない。内部に存在する、つまり人間とつながっているのである」と彼は説明する。彼はこの自然災害に遭った日本人の反応にほとんど驚いていないようだ。

 しかし、彼は核の危機と、とくに東京を襲っているリスクの前に、人々がどう行動するのか本当にわからないと言う。「地震や津波に対する態度が存在するぶん、よけいにわからない」。おそらく前兆があった。昨日首都圏で、スーパーに人が殺到した。住民は、核の危機が悪化して家に閉じこもらなければいけなくなることを恐れ、ストックしたかったのだ。消費者担当大臣は、店のものをごっそり買うなと呼びかけた。

デンマーク皇太子、被災地で子どもたち励ます(読売6/15 0:55)
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 デンマークのフレデリック皇太子(43)が14日、東日本大震災で津波被害を受けた宮城県東松島市を訪れ、小学校で給食を食べながら子どもたちを励まし、デンマーク企業からの義援金約2200万円を寄付した。

 皇太子は15日、都内で本紙の取材に対し「欧州では日本旅行は危ないという見方が広がっているが、危険ではないと示したかった。遊覧船から見た松島の自然は素晴らしく、東北地方にとって観光が重要だとよく分かった」と語った。

 そして福島第一原発の事故で関心が高まる自然エネルギーについて、「再生可能エネルギーのノウハウについて日本と協力する用意がある」と述べ、デンマークが推進する風力発電などでの技術協力に意欲を示した。(国際部 青木佐知子)

■ギリシャの国営放送「ET3」(テッサロニキ支部)の公式サイトに掲載された4月5日付コラム【津波のあと、菊の花は折れなかった】
 日本の社会は非常にレベルの高い民度を持っていることを、この災害によって私たちに思い出させてくれた。それは大災害のあととは思えないほどの人々のすばらしい協力体制、思いやりにあふれた行ない、驚くほどの忍耐力などだ。

 この日本人の行動のルーツは、古い時代からの深い社会とのつながりと、強い共同体意識にある。このシステムはアメリカやヨーロッパではすでに崩壊した。しかし日本ではいまだに存在している。日本人の行ないは、まるで長い期間にわたり一緒にクルーズ旅行をしている船の乗客たちのようであった。一隻の船のなかで、お互いにルールを守り、協力して、思いやりを忘れずに親切にし合う。

 それに比べて、災害時における欧米の人々の行ないは、ニューヨークのマンハッタンとスタテン島をつなぐスタテンアイランド・フェリーのようだ。人々は押し合いへし合い、喧嘩をしているあいだに向こう岸へたどり着く。乗る時間は短いし、フェリーボートを降りてしまえば二度と会うこともないから、という態度だ。

 日本人の礼儀正しい行ないは、罪と恥の文化にも起因しているのだろう。フェリーボートのなかで押し合ったり、人に迷惑をかけたりすることは恥だという発想を持っている。日本社会では悪い行ないをすると、社会から圧迫を受ける。たとえ東京のような大都市でも、隣近所なので、そのような共同体の一員としての意識がある。

 ギリシャと日本はとても近くて遠い国だ。古代ギリシャでも「イコス」(古代ギリシャ語で「家」「家族」などの意)という、「名誉ある家族」という観念があった。家族や親戚一同に関しての評判は大切で、恥ずべき行ないをする人間を出すべきではないという発想に基づいていたという。

 ハラキリ=切腹は名誉ある死、この発想は武家社会から生まれたという。ひとりが悪事を働いても、その人物が自死をして償うことによって、家族、親戚は潔白となることができる。一家に属しているという概念が強いからである。

 日本人が昔から保ってきた近隣の住民とのつながりが、いまだに生きていることにも注目したい。近所付き合いの頻度は犯罪率とも関係しているからである。徒歩15分圏内でお互いに交友関係が多い住民の住む地域と、付き合いがほぼない住民の住む地域を比べると、付き合いの多い地域の方が断然、犯罪率が低い。1950~80年代において、多くの先進国で犯罪率は大幅にアップしたが、日本だけは大幅に増えることはなかった。

 第二次世界大戦後から現在に至る道のりのなかで、多くの先進国は海外からの移民を受け入れてきた。しかし日本は移民を受け入れず、日本人だけで構成する社会を大切にしてきた。産業が発達していることもそれが可能であった理由のひとつだろう。大きな変化を選択したり、受け入れたりするのが難しい国民性だ。ギリシャを含め、多くの欧州国では、移民を受け入れてから近隣の住民との人付き合いが減って、社会全体でも見知らぬ他人と助け合っていくような共同体意識が崩壊した。

 この未曾有の大災害のあと、日本人が築き上げてきた秩序のある社会や、称賛されるべき勇敢さがさらに試されていくことになろうが、震災後数週間の行動を見ていても、本当にすばらしいと言える。これは欧州やギリシャの社会の手本にすべきものである。このような勤勉さや秩序を取り入れようとしなければ、ギリシャ社会の崩壊はさらに進むであろう。

東日本大震災:日本語学校留学生がボランティア(毎日5/27 23:01)
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 仙台市や東京都などの日本語学校に通う外国人留学生165人が27日、東日本大震災で被災した宮城県石巻市でがれき撤去や泥かきなどのボランティア活動に取り組んだ。参加者の国籍・出身地は中国、香港、韓国、米国、ポーランドなど約20カ国・地域。初めて被災地を訪れた留学生は「信じられない」と言葉を失った。

 日本語学校経営者らが世話人となり設立した「震災復興支援日本語学校協議会」がボランティアを募集した。同協議会は、被災地にまとまって入った外国人ボランティアとしては最大規模とみている。

 この日に活動した住宅街は海岸から約1キロ離れているが、高さ1.5メートルを超える津波に襲われた。震災から2カ月半が過ぎても片付けが進んでいない住宅が多く、汚泥や食品、魚などが腐ったにおいが覆う中、留学生は黙々と作業を続けた。

 がれきの中から出てきたのは名前が書かれた鍵盤ハーモニカやランドセル、クマの縫いぐるみ--。日常生活が一瞬で奪われた現実を目の前にした留学生は「本当に恐ろしい」と言葉少なに語った。

 ルーマニア出身のロイナ・ニコレッタさん(26)は「ショック。日本語、ルーマニア語でも今の気持ちを表現する言葉を知らない」。それでも気を取り直して「こんな時だからこそ日本も外国も関係なく力を合わせないと」と歯を食いしばりながら住宅内から汚泥をかき出していた。【前田洋平】

東日本大震災:母国カナダで援助金1000万円集め再来日(毎日6/4 11:21)
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 宮城県女川町でALT(外国語指導助手)をしているカナダ国籍のマイケル・ルジアさん(27)が震災後に母国に帰り、1000万円以上の援助金を集めて日本に戻った。同町には太平洋戦争で日本軍に撃墜されたカナダ人大尉を祭る碑があり、カナダと縁が深い。ルジアさんは「被災者への思いはどの国も同じ。この悲劇をきっかけに、ますます両国がつながれば」と話す。

 ◇女川のALT、ルジアさん

 ルジアさんはバンクーバー市出身。地元大学で日本語を学び、日本政府主催の国際交流事業で、08年8月に女川町に赴任。女川一中、二中、女川四小で英語を教えていた。

 地震に遭遇したのは、二中の授業を終え職員室に戻った直後。二中は離島・出島(いずしま)の中央部にあるため、津波襲来は知らなかったという。

 被害の深刻さを知ったのは翌日、救助に来た自衛隊のヘリの窓から海岸沿いを見た時だった。「屋根の上で必死に助けを求めてる人や、動かなくなった人がいた。この世のこととは信じられなかった」

 3月24日に帰国。被災地を知る数少ないカナダ人として、新聞やテレビ、ラジオなど20を超えるメディアから取材を受けた。最初の4~5社までは、震災の悲惨さがフラッシュバックし、感情が高ぶったこともあったという。それでも最後に必ず寄付金を募ると、計1000万円を超える援助金が集まった。

 女川町には、1945年8月9日に町内で日本軍に撃墜されたカナダ人、ロバート・グレー大尉の戦没記念碑がある。グレー大尉はバンクーバー市近くのネルソン市出身で、「カナダ軍最後の戦死者」として同国内で勲章も受けた。ネルソン市には、女川町から中学生が毎年短期留学するなど交流が続いている。

 日本に再び戻ったルジアさんは「両国のこれまでの交流が援助を後押ししたのかもしれない。心のこもった大切なお金なので、援助金の使い方はこれから考えたい」と話している。【川上晃弘】

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 最後に紹介したカナダの記事について。

 「宮城県女川町には、大東亜戦争で日本軍に撃墜されたカナダ人ロバート・グレー大尉(カナダ軍最後の戦死者)を祀る碑があり、カナダと縁が深い」というお話、私は初めて知りました。
 
 ネットで色々調べたところ、「カナダ人物列伝」さんにグレー大尉のエピソードと写真を、また、「ZEPHYな日々」さんにグレー大尉の慰霊碑の写真を見つけました。

 グレー大尉は地元の女川町では有名なのでしょうが、全国的にはほとんど知られていないのではないかと思います。

 なお、今回紹介したのとは別のニュース記事(三陸河北新報)によれば、4月13日には、グレー大尉の出身地であるカナダのネルソン市からも、市長のメッセージとともに救援物資が届けられたそうです。


 3・11からちょうど4ヶ月経ちました。
 被災地も梅雨明けし、暑い夏がやってきました。
 被災者の方々、特に未だ避難所生活を強いられている方々の健康面が心配です(T^T)


<<<今回の参考文献について>>>
 見出しにリンクが貼られていない記事は、全て【世界が感嘆する日本人-海外メディアが報じた大震災後のニッポン(別冊宝島編集部 編)】からの引用です。



 ……というわけで、第29弾につづく……!!


※拙ブログ関連エントリー
【一覧】外国人から見た日本と日本人

※拙ブログ関連エントリー(震災関連から抜粋)
4/2付:天皇皇后両陛下が避難所ご訪問 このような方々を戴けた日本人の幸運
4/4付:独特の災害史観を持つ日本人は何度も立ち向かい乗り越えてきた
4/23付:画像で見る東日本大震災 - 希望 -
5/2付:3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事
5/21付:-言葉の力 - PRAY FOR JAPAN&朝日新聞縮小版東日本大震災
6/18付:保守系識者諸氏が見た震災(2)

東日本大震災
【募金受付まとめ】東北地方太平洋沖地震 被災地に手助けを!

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