ぼやきくっくりFC2版

主婦の時事ネタぼやきFC2版。本館はhttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/

3月11日に天皇皇后両陛下がなされた事

クリックお願いします人気blogランキングへご面倒でなければこちらも→FC2 blogランキングへ
【こちらはミラーです。コメントは本館へお願いします。TBは受け付けています(承認制。本記事と無関係な物は削除します)。
本館はこちら→http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/
読者様向け掲示板もどうぞご活用下さい(^o^)】


 産経新聞で3日間に渡ってこのような特集記事が掲載されました。

【祈り 両陛下と東日本大震災】(上)お見舞い「1人でも多く」 前に進む勇気、お与えに(4/27)
【祈り 両陛下と東日本大震災】(中)「自分で厳しく律する」国民に模範(4/28)
【祈り 両陛下と東日本大震災】(下)復興へ、ともに歩まれて(4/29)

 各地の避難所、被災地への「祈りの旅」を続けられている天皇皇后両陛下。
 災害のたびに国民の精神的支柱となってきた皇室の歴史や、側近らのエピソードを交え、そのお姿を伝えたものです。

110501-01hinan.jpg

 最終日の「(下)復興へ、ともに歩まれて」の中に、このような記述があります。

 「両陛下のご訪問は、被災者にとって何よりの薬。行政が(村民が避難生活を送った)4年5カ月かけて一生懸命がんばっても、両陛下の一言にはかなわない」。12年に島が噴火して被災した東京都三宅村の平野祐康村長は、ご訪問が被災地に与える「効果」を、最大限の言葉で表現する。

 帰島後の復興視察も含め、両陛下は公式に6回、三宅島民がいる避難所などを訪問された。村によると、非公式にも数回あり、皇后さまが御料牧場のアイスクリームを届けられたこともあった。

 13年8月、両陛下が静岡・下田に避難している三宅村の漁業者を慰問された際には、小さい子供が皇后さまに「おばあちゃん、うちにも遊びにきてね」と話しかけた。皇后さまは翌朝、その子が住んでいるアパートの玄関先にいらっしゃったという。「子供の約束まで果たしてくださった。それほどまで、被災者の気持ちをくんでくださっている」と平野村長。

 一方、阪神大震災のご訪問の際、避難所にいた男性は「励ましよりもお金がほしい」と避難所で大声で話していた別の被災男性が、陛下から声をかけられると、せきを切ったように大声で泣き出した光景が忘れられないと話す。

 ほかの被災地の町の幹部も「政治家は体育館の壇上から『がんばれ』と一言いって帰るだけ。両陛下のなさりようは全然違う」。

 太字強調の箇所を読んだ時、私は、昭和天皇の御巡幸にまつわるエピソードをいくつか思い出しました。
【当時の天皇と国民との関係については、私にも印象的な思い出がある。小学生のとき、学校の夏期合宿からの帰り、軽井沢の手前の横川駅で昭和天皇のお召列車とすれ違ったときのことだ。引率していた女性教師が、汽車の窓を開けてはいけないと注意した後に、「私は天皇陛下万歳とはいいません。そういう人間ではありません」といった。
 ところが、いざお召列車が目の前を通り、天皇陛下がこちらに手を振っておられた時、その女性教師は他の乗客たちと一緒になって「天皇陛下万歳」と叫びながら、号泣していたのである。
 後に、先生が婚約者を戦争で亡くしていたと聞いた。複雑な感情を持ちながら、それでも目の前を通るお召列車に向かって泣きながら「天皇陛下万歳」といわずにはいられなかった姿を、皇室記者になってからも、たびたび思い出した。】

<SAPIO 2009.2/11・18合併号「昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々」>[激励]足掛け8年半で3万3000キロ 2万人に声をかけられた焼け跡の中の全国巡幸/松崎敏弥>

110501-02shouwa1.jpg

【私は終戦の翌年に小学校に入学し、戦後教育を受けた人間である。そのため、一時期は皇室の存在自体に疑問を抱くほどリベラルな思想に染まっていた。だが、中学3年生の頃、谷口雅春氏らの著書を読んで昭和天皇のお人柄、事蹟に触れ、目から鱗が落ちるように感激した。
 〈中略〉全国を行幸されたときのエピソードにも感銘を受けた。例えば、地方によってはまともな宿泊施設がなかったため、焼け残った民間の建物や学校の教室にお泊まりになることも厭わなかった。また炭鉱では労働者が皇室制度に反対する演説をぶとうと待ち受けていたが、いざ昭和天皇がこられると、自然と万歳を唱えていた。昭和天皇の持つ、言いようのないご威光を感じたに違いない。】

<SAPIO 2009.2/11・18合併号「昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々」>[ワイド]我が心の昭和天皇 陛下の自然体のご威光を受けながら日本は驚異の復興を遂げた/平沼赳夫>

110501-04shouwa3.jpg

【(静岡県静岡市の戦災者・引揚者寮にて)
 天皇は一室ごとにお言葉をかけて回られる。
 中には「巡幸反対」を唱える共産党員もいたが、全く気にせず、等しくお言葉をかけられた。
 天皇のお帰りの際、その共産党員は御召車すれすれに顔を寄せ、叫んでいた。
 「天皇陛下、万歳!」
 大金益次郎(おおがね・ますじろう)侍従長は、その模様をこのように記している。
 「陛下の虚心な御行動の先ざきでは、我々の複雑な先入観は、常に事実として、払拭される。そこで、我々はただ日本人を見る。党派も階級も貧富も見えない。我々はただ日本人の血の叫び、魂の交流だけを感ずる。党派も貧富も階級もその障壁をなさない」】

<「昭和天皇論」第7章 昭和天皇の御巡幸/小林よしのり>

110501-03shouwa2.jpg

 昭和天皇の御巡幸は、終戦直後、塗炭の苦しみにあった国民を勇気づけるとともに、戦後日本の復興の大きなエネルギー源となりました。

 今上天皇陛下の御代となり、雲仙・普賢岳の噴火、阪神・淡路大震災、三宅島噴火、新潟県中越地震、中越沖地震などさまざまな災害における、両陛下による「平成の御巡幸」とも言うべき被災地ご訪問もまた、被災された方々に大きな勇気と力を与えてきました。

 このたびの東日本大震災では、天皇陛下はビデオメッセージという形で異例の「御言葉」を発信されました。
 被災された方々はもちろん、被災を免れた地方の国民にも、「一緒に日本を立て直そう」という一致団結の精神をもたらしました。

110501-05tokoro.jpg

 5月1日放送「たかじんのそこまで言って委員会」で、京都産業大学教授の所功さんが、両陛下についてこのようなお話を紹介されましたので、文字起こしをしておきます。

【私は今の両陛下が、まさに今回の3月11日の大震災にあたって、最も早く、最も的確に行動されたということを知り、驚きました。

 その原点は何かというと、お二人とも、陛下が昭和8年、皇后様が昭和9年のお生まれで、昭和20年の8月15日に日光へ疎開しておられた皇太子様が書かれた作文があります。

 どういうことが書いてあるかというと、今度の大戦で、陸・海の軍人もよく戦った、それから国民も一所懸命に戦った、でも敗れた、そこで、この国を本当にこれからどん底から立ち直らせていくのは自分の責任だと、自分がしっかりその困難に耐えて行かねばならんということを、書いておられるんですよ。当時まだ11歳ですよ。そういうお気持ちが、もうお小さい頃からあられたということ。

 それから皇后様は、おひとつ下ですけれども、戦時中に差し入れを受けられた物語を読まれて、そこの中に日本武尊(ヤマトタケル)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の物語が出てくると。

 ご承知の通り、東国へ遠征された時に、相模湾に入水されて、それで、夫たる日本武尊のために役立とうとされた。そのことを『子供時代の読書の思い出』というお話*1の中に引かれてですね、愛と犠牲というものが、二つのものではなくて不可分の一体のものだということを知って、非常な感銘を覚えたということを述べておられますと。

 そういうご自身のお小さい頃からのご体験とか、そういうご覚悟というものがあって、実は3月11日にどんなことがあったかと言いますと、その日の2時頃に、皇居の勤労奉仕に行った人々が、実は、御会釈を賜ると言いますけれども、天皇皇后両陛下が、ご苦労様でしたということで、御言葉があったんですね。直ちにみんながそこで感激してお別れをされたところに震災があったと。

 で、びっくりされて、それで、これではさっき会ってきた勤労奉仕の人々どうしてるかということを言われて、直ちに侍従か何かが行きましたら、ま、とりあえず大丈夫だということになったんですが、もうしばらくしたら東京都内が全然、交通麻痺してる。

 これじゃ遠くから来てる人は帰れないだろう、ということで、両陛下がそれじゃあ何とか人々を、皇居の中に泊めることはできないかと、いうことを言われて、直ちに検討して、結局、窓明館(そうめいかん)という休憩所があるんですが、そこに数十名の方が、そこに泊めていただいたんですね。

 それだけでも異例のことなんですけども、その翌日、また心配をなさいまして、7時半頃に、皇后陛下がそのみんなの休んでる所へ来られて、それで、ま、お見舞い下さったというようなことがありました。

 こういうようなことはもう異例中の異例なんですけども、そのあと、さっきも(VTRなどで話が)出ておりますように、自分で自主停電をされるとか、色々なことありますけど、大事なことは、自分でできることを直ちにやっておられるということですね。そして困難は自ら引き受けるという、そういうお姿というものは、やはりお父様である昭和天皇、お母様である香淳皇后などから受け継がれた、ま、歴代のそういうご精神の影響もあり、それからご自身のその体験にもありますけれども、そういうものを私、見ましてですね、本当に我々今回、ま、この関西あたりは直接被災はありませんでしたけれども、あの時に自分にできることをすぐ何かやったかと言いますと、それほどできてないと。

 しかし陛下は自分でできることを直ちになさり、そして皇后様も直ちにそれを助けてなさろうとなさったということを、やはりお手本として、我々も少しでも自分にできることを、しかも短期間でなくて5年、10年かけて、一緒にやっていこうという気持ちを持ちたいものだと、つくづく思っております。】


 *1 皇后陛下は1998年(平成10年)、インドで開催された「国際児童図書評議会(IBBY)」におけるビデオによる基調講演「子供時代の読書の思い出」の中で、日本武尊と弟橘媛の物語などを引いて、御成婚以来のその胸中を語られ世界中に大反響を呼びました。

 所さんのこの話を聞き終えた桂ざこば師匠は、感動のあまり号泣しながら、「ぶっちゃけた話、私は日の丸の国旗を持ってません。さっそく買って、5月5日に鯉のぼりの隣りに差したい」と話していました。

 ついでに、テレビのこちら側では我が夫も号泣してました。
 昔は「天皇なんかいらん!」と声高に言い、私と大喧嘩までした人が、変われば変わるものです(ざこば師匠につられて「もらい泣き」してしまっただけ、という可能性もありますが(^^ゞ)。

110501-06bus.jpg

 菅首相の被災地・避難所訪問では被災者の方々からは冷ややかな反応しか返ってきませんが、天皇皇后両陛下はどこの被災地・避難所に行かれても大歓迎を受けておられます。

 それは何も、「首相は一部の人に適当に声をかけただけですぐに帰って行くが、両陛下はひざを床につけられ一人一人に言葉をかけられる」などといった、目に見えることだけが理由ではありません。

 また、歴史的に天皇や皇室が日本国民にとって有り難い存在であると理解しているから、という理由でもないと思います(もちろんそういう被災者の方も中にはおられるでしょうが)。

 被災者の方々は、両陛下の過去から現在に至るまでのその立ち居振る舞いから、両陛下が無私無欲の存在であり、「公」の体現者であることを直感しているのです。

 所功先生のお話にあったような両陛下の細かなエピソードとかは知らなくとも、両陛下が国民の身に起きた不幸を我が事として受け止められ、その不幸を分かち合おうとなさっていることが分かるから、喜びをもってお迎えするのです。

 まさに昭和天皇の御巡幸の際に大金益次郎侍従長が記したような、「ただ日本人の血の叫び、魂の交流だけ」がそこにあり、「党派も貧富も階級もその障壁をなさない」光景が、この平成の御代にも繰り広げられているのだと、私は感じずにはおれません。

 てか、そもそもが天皇と首相では次元が全く違いますから。
 (比べるのも失礼な話ですが、いちおう書いてみます)

 天皇は「権威」。日本の古来よりの歴史と伝統に根付いた存在です。制度ではなく自然に形成されたものです(後になって「制度」が憲法や皇室典範に定められはしたものの)。何より、長年に渡って積み上げられてきた国民との「絆」があります。
 一方、首相は「権力」。議院内閣制の国家の行政府の長として、制度の中で人工的に作られたに過ぎない存在です。

 また、両陛下はご自分たちのご使命が何であるかもよく理解されています。
 が、少なくとも、今の首相の菅さんはそこのところが未だに理解できていないようです。

 仮に、今の首相が菅さんでなくてもっと人間の出来た人だったら(両陛下のように「無私無欲」でとは言わないまでも、誠実に被災地対応・原子力災害対応に当たる人だったら)、被災者の方々もそれなりに敬意を払ったかもしれません。
 が、菅さんの場合は誰が見ても私心まみれ、私欲まみれなのがバレバレですから。

110501-07inori.jpg

 2009年4月10日、両陛下はご成婚50周年(金婚式)を迎えられましたが、その時2ちゃんねるにこのような書き込みがありました。

 「天皇皇后という立場が偉いんじゃなくて、そういう立場に恥じないように生きようと努力されている姿に感動する」

 当時、私はブログでこの書き込みを紹介し、「多くの国民の両陛下に対する心情を代弁した意見ではないか」と添えました(09/4/11付:天皇皇后両陛下ご成婚50年に寄せて)。

 果たして菅さんは、首相という立場に恥じないように生きようと努力しているでしょうか?
 残念ながら私にはそのようには全く見えません。

 東日本大震災は、被災地はもとより日本国民全体にとって大変不幸な出来事ではありますが、一方で、天皇の存在の大きさについて再確認された方や、「日本に生まれて良かった」と改めて感じられた方が多いのではないでしょうか。


※拙ブログ関連エントリー
09/2/10付:戦後の昭和天皇を振り返る
11/4/2付:天皇皇后両陛下が避難所ご訪問 このような方々を戴けた日本人の幸運

東日本大震災
【募金受付まとめ】東北地方太平洋沖地震 被災地に手助けを!

このブログが面白かったらクリックして下さい→人気blogランキングへ
ご面倒でなければこちらも→FC2 blogランキングへ

megumi080328.jpeg

 アニメ「めぐみ」配信中。
 英語・中国語・韓国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!

「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURL:http://kukkuri.blog58.fc2.com/tb.php/844-6a539517
 天皇皇后両陛下は24日午後、静岡県御殿場市のハンセン病療養所を訪問された。両陛下は午後2時すぎ、国立駿河療養所に到着された。両陛下は講堂に集まった39人、1人ずつに「ずいぶんいろいろご苦労があったで...

プロフィール

くっくり

Author:くっくり
大阪在住の主婦です。
詳しいプロフィールは本館にて。

最近のコメント

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア

竹島プロジェクト
↑バナーお持ち帰り歓迎(直リンク禁止)
人気blogランキングへ
人気blogランキングへ
FC2 blogランキングへFC2 blogランキングへ

■Amazonアソシエイトについて
「ぼやきくっくり」は、amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

ブログ内検索