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支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

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★選択的夫婦別姓制度の導入を容認することを意味することになる第3次男女共同参画基本計画を、政府は年内に閣議決定する予定です(産経12/2)。12月1日の国民大集会で山谷えり子さん曰く「2週間後に閣議決定される」(YouTube動画、6分20秒辺りから)。
<参考資料>
Shionの部屋さん>12/3付:緊急拡散!夫婦別姓法が強行提出へ!
ひめのブログさん>12/3付:[夫婦別姓] 抗議先と抗議例文


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 11/16付エントリー:尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶにて、ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」を紹介しました。

 今から77年も前の1933年(昭和8年)に出版されたものですが、支那人の性質が今も昔も全く変わっていないことに気づかされます。
 今日は改めてこのタウンゼントの著書から引用していこうと思います。

 前回は尖閣問題をはじめとする対中問題を考える上で役立ちそうな箇所を引用しましたが、今回は支那人の民族性そのものを理解するために役立ちそうな箇所を引用します。
<予備知識1:時代背景>
 当時の支那大陸には、アメリカ人宣教師、民間事業家、それに領事館員や外交官等の政府役人が入国していました。もちろんヨーロッパや日本からも多数入国していました。宣教師は「可哀想」な支那人を救おうと、学校(ミッションスクール)や病院を作るなど慈善事業に尽くしましたが、その恩は全て仇で返されました。支那人は在留外国人に対し、略奪、暴行、陵辱、拷問、焼き討ち、虐殺を繰り返したのです。1927年の南京事件(1937年12月から翌年1月にかけての「南京事件」とは全く別の事件)では、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、フランス人、デンマーク人に死者・不明者が出ています。ちなみに日本人約230名が虐殺された通州事件は1937年7月発生。

<予備知識2:筆者ラルフ・タウンゼント>
 アメリカの外交官。1931年に上海副領事となり、ここで満州事変に伴う第1次上海事変に遭遇。その後福建省福州副領事に。1933年に帰国、外交官を辞しました。その後、講演や著述を旺盛に行っていますが、それは支那事変勃発後ますます硬化するアメリカの対日姿勢に対する疑問の声であり、その異議申し立ての表明でした。こうした活動の果てに、1942年、ルーズベルト政権の時代に逮捕、収監されています。


※引用文中の( )は原文ママ、〈 〉は引用者くっくりによります。
※文中にたびたび登場する「宣教師」は、現代日本の媚中派の政治家、官僚、識者、財界人などに置き換えてみると宜しいかと。

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【改革・進歩は幻】

 〈中国に〉進歩を期待する者は、まだまだ「素人」である。慈善事業家が、さも明るい未来があるかのように寄付を呼びかけ、討論会を開いている。確かに中国の「進歩」関連記事は紙上を賑わしている。国民党の出す公衆衛生、法の施行、刑務所の改善、国民の教育、農業改良などの政府刊行物だけを読んだら、簡単に騙される。さて、そのうちどれだけのものが実践されているか。要するに、これは海外向けの宣伝なのである。現に、中国人は現実が分かっているから、白けたものである。お人好しで、物を深く考えない外国人を欺くプロパガンダなのだ。多くの「物書き」はすっかり騙されているのである。

〈中略〉情報が氾濫しているが、まず中国人とはどういう人なのか理解することが問題解決の糸口となる。新聞で農民虐殺、成り上がり者による政変、内乱等を読んだら是非考えて欲しい。持って生まれた性格は変わらないのである。

 古来の中国人らしさが、今共産主義あるいは民族主義に現れていると思ってはいけない。その他の「○○主義」も同じである。いわゆる○○主義というものは中国にはない。何でも中国へ入るとカメレオンのように色を変え「中国化」してしまい、元の名前さえわからなくなってしまう。結論を言えば、「中国人は一見、○○主義のため戦っているようだが、そんなことはない」ということがおわかりいただけたと思う。

(p.38-39)

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【義和団事件と南京事件】

 1900年の夏、事件が起きた。「義和団」という狂信的秘密結社が宣教師を殺害したことに触発され、中国政府の守旧派が義和団に加勢して外国人排斥を企てたのである。包囲された北京の公使館員の救出に、連合軍が大沽から北京へ進撃した。救出軍が到着する前にドイツ使節を含む多くの外国人が惨殺された。ところが救出軍を目にしたとたん、中国側は政府軍も義和団も守備を固めるどころか、算を乱して敗走した。事変後、平時における外国人殺害という国際儀礼違反に対して賠償を課された。その7年後、アメリカは賠償金2500万ドルをアメリカ国内に学ぶ中国人学生の教育に活かした。

〈中略〉この事件の数年前までは一応友好的で宣戦布告をすることがなかったので、外国要人を襲い、武力紛争を起こしたことは忘れられ、中国人は「平和愛好者」との評価を取り戻した。メッキは剥がれるものである。1927年、同じような事件が南京で発生した。国民党の正式指令の下、小規模ではあるが、あの「北京の包囲と虐殺」が南京で起こったのである。この事件で殺害された者の中には英国領事館員も1人含まれていた。南京は北京上海間にあるから運良く当時米英の砲艦が近くにいて、襲撃者を打ち払い、包囲されていた人を救出した。

 ここ50年、中国で外国人の虐殺が起こるたびに「今ここにこのような蛮行は終わりを告げた。今後、中国人は平和を愛する責任のある近代国民になるのである。よって、以後、中国人に悪意を抱くことは不親切であり且つ不当である」と宣言する立派なアメリカ人が何人も出る。が、こういう立派な連中は墓穴を掘っているようなものである。無知なアメリカ人は「このような残虐行為は無教養な者やごろつき連中が繰り返している仕業だろう」と思っているが、そうではない。1900年の義和団事件と同じく、れっきとした政府高官によって何度も繰り返されているのである。

〈中略〉政府に後押しされた群集が、防御が整っていない外国人居住地を襲い女子供までも殺害したとしても特段驚くことではない。確かに1927年の事件以来、大きなことは起きていないが、上海とて安全とは言えない。というのは、外国人は一箇所にまとまっているわけではなく、国際租界やフランス租界に散らばっていて、その周りには中国人が数十万もいるからである。ということは、一旦事が起こったら直ちに一塊になれる体制でないと(南京ではそれができたので助かったのだが)、砲火から守ることはできないということだ。

 それにしても、なぜ中国人は外国人を虐殺したがるのであろうか。それは、外国人が裕福であるからである。また中国の指導層も同じで、略奪権を与えるのである。もちろん、中国軍が自国民つまり中国人を襲うことは日常茶飯事であるばかりか、殺そうと何しようとまったく平気である。外国人を狙うことはそう頻繁にあるわけではないが、やっても捕まらないと判断した時、やるのである。中国人に寛大な人が増えているから、ますます増長しているのである。

(p.43-44)

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【中国軍の強制徴用】

 荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力*1を大量に捕獲することが中国軍の「手」である。したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。捕まったらどうなるか。過酷な仕事をやらされる。食事はもらえるかどうかわからない。兵の装備がまたお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別として、食料はほとんど支給されない。したがって、行く先々で食券代わりに銃剣を振り回して糧秣を略奪する。銃を持たない苦力は食べ物を手に入れるのに実に苦労するが、兵隊は「ご奉公してよかった」と思えるぐらい腹いっぱい食える。

 強制連行した苦力の扱いは残虐で目を覆うものがある。抵抗もなにもしなくても、ただ「殴って楽しむため」、棍棒や銃で殴るのである。知り合いの領事から聞いた話だが、捕まった使用人の救出に赴いたそうである。歩行もままならぬよぼよぼの老人が、通りがかりの兵士に徴用され荷物運びを命じられ、何度棍棒で殴られても、荷物を肩に背負うことができない。兵士は面白半分、心行くまで殴ってから老人に手を貸して荷物を背負わせた。それからまた数発殴られ、よろよろ歩き出したそうである。

 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。もし「敵方」(一時的に抗争する、ならず者の集団)に捕まったら、強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺される。捕虜の圧倒的多数はこういう風に挑発された苦力である。戦闘記録にある「捕獲捕虜」とは「敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。勝者の気分次第で敗者は「虐殺」されることがごく普通である。数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、捕虜収容所が全くないということは注目に値する。捕虜の給食施設が全くないのだ。食料は施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。

 謀略、裏切りは当たり前で、いずこの軍の歩哨も捕虜の脱走を手助けするような信用の置けない者ばかりである。

(p.63-64)

*1 苦力=「クーリー」と読む。低賃金の日雇い人夫。

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【中国人の特異性と残虐性】

 長年、中国で活躍し去年(1932年)カリフォルニアで亡くなったアーサー・スミスの本によれば、長く住めば住むほどわかってくることがあるそうである。「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。

〈中略〉中国人の残虐性に話を戻す。いくつか例を挙げよう。例えば家族や仲間の連れがなく一人で舟に乗っていて落ちたらまず誰も助けてはくれない。元来中国人は軽率だから舟から落ちることは稀なことではない。数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあることである。

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。豚と中国人を満載したサンパン*1が岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

 ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の「精鋭軍」のお偉方も列席されていた。日本に留学した者も2、3人いた。つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者がいた。その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。飲ませてから、効果観察のため整列させた。約2時間後に死亡したそうである。

 次は、今年(1933年)中国を去る前に避難してきた宣教師から聞いた話だが、残酷すぎて我々には聞くに堪えない話である。南部の内陸地で人里離れた山岳地方の村から宣教師が数人戻ってきた。60人ほどの村が盗賊に襲われた。例の如く村の長老連中が呼び出され、金目のものをすっかり寄越せと言われた。「出し渋った」と見るや、この盗賊のお頭は聞いたこともない奇策に出た。手下に「野郎ども、かまわねえからこいつらの足をたたっ切れ。女子供も遠慮すんじゃねえ」。命令はそのまま執行された。この盗賊は同じ手であちこちの村を襲った。危険が高まったので宣教師たちは避難して来たそうである。だから「足なし一家の話」のその後は聞けなかった。人里離れた山中で何人が生き延びたか。力尽き、隣村で襲われて「餌食」となったか。それとも義足を付けて飛び跳ねているのか、知りたかったのだが。

 女にも容赦はしない。私の友人がいた村でのこと。ある時、その村の軍隊に荷物運びが緊急に必要となった。兵隊は自分では荷物運びはしない。銃剣で脅して荷物運びができそうな者を探し回る。適当な男がいなかったので、女を捕まえ棍棒でたたいて軍に組み入れた。これが民に対する「友軍」の実態である。もちろん「敵軍」の手にかかったら、ごく稀に寛大な処置をされることもあるが、これだけでは済まされない。

(p.63-66)

*1 サンパン=小舟。

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【複雑怪奇な性格と伝統】

 中国人の性格を解明する鍵として、地理、気候、食生活等あらゆる要素が挙げられている。それらが単独で、また複雑に絡み合っているといわれるが、いずれも満足できる答えは出ていない。なぜ喧嘩好きなのか。この問題はダーウィンの「進化論」でもってしても説明できない。なぜなら、彼らがいつ生まれたか誰も知らないのだから、喧嘩好きがいつ始まったか誰も知るはずがない。いつなくなるかも誰にもわからない。ただすぐにはなくならないだろうということだけは確かである。なぜなら中国人は生存競争なら誰にも負けない才能があるからである。

 中国関係関連の古い記録を見ると、中国人の性格は昔とそれほど変わっていないことがわかる。また、4000年前の中国人が書いた記録を見ても、残念ながら同じである。必要に応じて順応はしてきたが、同時に他民族とは異なる、中国人特有の抜き難い特性は変わることはなかった。

 さて、国際化する世界は国際法というものに合わせて動いているのであるが、中国人が、もしこの国際法を尊重するようになったとしたら、世界中が平和になるが、違うのである。逆に、彼らの強烈な国民性ゆえに、中国関係はギクシャクしているのである。そればかりか、中国人同士でさえも良好な関係は築かれないのである。

〈中略〉長く中国に暮らせば、中国人の性格も飲み込め、困ることもなくなるかというと、全くそんなことはない。いくら智恵をひねっても答がわからないクロスワードパズルのようなものである。一日一日、正解に近づいていくような気になる。が、誰も成功した人はいない。これからも無理であろう。もしできたとしたら、その時は外国人ではなくなり、中国人になってしまったのである。

(p.85-87)

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【西洋社会と交わるところがない】

 今日の西洋社会は、時代精神と宗教は相反するものだが、中国ではそうではない。

 我々と中国人とでは交わるところがない。交わるどころか平行して進むところさえない。だから、我々の考えが彼らの役に立つかどうかは怪しい。「中国人でも我々の考えを理解できる。できなくても、努力することぐらいはできる」と考える向きもあるかもしれない。しかし逆のことばかり起きている。何の根拠もない単なる空想である。確かに、西洋文明を取り入れることはできる。ただし物だけである。

(p.148)

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【虐殺されても中国人をかばう宣教師】

 福州を流れる川の上流でのこと。高齢のイギリス人女宣教師が2人、追剥に捕まり「裁判され」、「帝国主義者」にされ、「残虐なる死刑」に処された。生涯を聖職者として現地住民のために捧げた2人に待っていたのは、体中を切り刻まれ、長時間悶え苦しみ殺されるという無残な最期であった。当然ながら、中国国民党「政府」は何もしなかった。政策の一環であるから、助けるわけがない。

 対照的に、こういう反外国人、反キリスト教運動がいくら起こっても民間人は別段驚かない。冷静に見ている。中国人はいつまで経っても中国人であって、いくら表で愛想を振りまこうとも、裏では何をするかわからない人間であることを重々承知しているからである。

 毎回同じことの繰り返しだ。クリスチャンに対する大々的な虐殺、略奪がしばらく鳴りを潜めると、宣教師たちは「とうとう中国人もキリスト教徒となってくれた」と喜びの声を上げる。一方、民間人は、「ちょっと待ってくれ。元の中国人にすぐ戻るよ」と。

 数十年経っても同じことの繰り返しである。民間人の方が正しく、宣教師がトンチンカンな反応をしている。例えば、反宣教暴動が勃発する数週間、もしくは数ヶ月前の宣教師の文書をめくると、「これで反布教運動は終わった。目覚めた政府に導かれ、民衆は福音に目覚めたのである。これほど素晴らしい国民はいない。素晴らしすぎて褒め称える言葉が見つからない」とまで書いてある。

〈中略〉同様の賛辞に騙され、数千人が2年後の1900年、血の海に沈んだ。「守護神」であったはずの政府が外国人撲滅運動を画策していたのである。いわゆる義和団事件である。

 この事件で宣教師はじめ外国人追放運動に可能な限りの軍事援助をしたのがあの西太后である。いつもながらそのやり口が汚い。義和団が不穏な動きを見せていたが、政府は宣教活動の「守護神」として理解を示していた。そして義和団が無防備の宣教師を虐殺し、「できる」と見ると「君子豹変」した。数百の宣教師が殺害された。宣教師だけではない。「信者」のレッテルを貼られて虐殺された中国人は4桁にもなる。

 同僚が惨殺されるのを何度も目の当たりにしながら、疑うことを止めない〈訳文ママ〉のが宣教師である。1926年になってさえも、国民党を中国人救済の最後の「盟友」と持ち上げている。おめでたい限りである。その1年後にはどうなったか。反クリスチャンの嵐が荒れ狂い、日本やフィリピンへと避難する羽目に陥ったのではないか。中国人の正体がわからないのか、知ろうとしないのか。攻撃体勢が整うまでは本心を表さない、手練手管に長けたのが中国人である。「同じ目的に向かい、手に手をとって進もうではありませんか」等と言われ、すっかりその気になるのが宣教師である。

 「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言うが、何度騙され、何度殺されても直らないのが宣教師なのだ。

 調べると、17世紀前半にもめでたい資料がある。中国政府が布教活動に協力し援助したと、小躍りしている。さて小躍りして出かけた宣教師はどうなったか。政府の許可を受けた暴漢に殺される者あり、「協力、援助」を約したはずの政府により処刑される者あり、と痛ましい最期を遂げたのである。

 どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。宣教師はこの辺のところを見逃してきた。何度死んでもわからない。

 陰で国民党が虐殺の糸を引いていることが明らかであるのにもかかわらず、毅然とした態度を示さないからますます付け上がる。これでは犯罪が減るはずがない。

(p.171-173)

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【巨額の援助を不満とする中国人】

 「適格な教師の派遣を」と言われるが、これを自虐的という。結果が現れないとすぐ「努力が足らん」と言う。しかし、すでに、少なくとも1億1千万ドルも援助し、功成り名遂げた優秀な教師を数千人も派遣している。教師を殺害し、校舎を焼き討ちする国に、である。政府が音頭をとって反米運動をする国に、である。

 演技のうまい中国人にコロッと騙されているのである。「期待していたアメリカ人に裏切られ失意のどん底に落とされた」と迫真の演技の中国人。「あぁ、期待を裏切ってしまった」と反省するアメリカ人。行商だろうが苦力だろうが主演男優、女優になれる。中国暮らしも長くなると、慣れっこになって、奴らの下心がわかるから、ガマ口だけはしっかり締め、大笑いするところである。ところがアメリカでは舞台裏の解説がないから、大方は演技とも知らずコロッと騙されるのである。

 呆れてものも言えないが、現地ミッションスクールの教育成果が上がらないのもアメリカ人のせいにしているようである。しかし前述したように、アメリカの一流大学に留学しても、出来が悪いのは同じである。実は、彼らに本当に必要なものは「徳育」である。これこそ中国人に欠けたものだが、簡単にできるようなものではない。

(p.180-181)

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【犠牲者は圧倒的に住民】

 〈共産党と国民党の戦いで〉もちろん、300万もの人間が戦えば(300万とは大げさだが、理論的にはいくつもの集団が集まって戦闘に参加するのだからこういう数字になる)、多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず「友軍」に奪われるからである。一つ例を挙げよう。1931年の5月、江西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。

 江西
  死者 18万6000人
  難民の死者 210万人
  焼失家屋 10万棟
 湖南
  死者 7万2000人
  焼失家屋 12万棟

 次は1932年11月の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省知事)である。

  死者 35万人
  家を失った難民 350万人
  焼失家屋 9万8000棟

 これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由はない。数字にはないが、住民を守るべき軍が逆に食料を取り上げ、飢え死にさせ、あるいは焼き討ちにする。将軍たちはこういうことは報告しないのである。共産党の支配地区には「どちらもひどいが、防衛軍より共産党がまだまし」と言う者も多い。宣教師の家族たちも「その通りだ」と言っていた。私も福建で、共産党に追われた難民が徒歩で、また小船で逃げてくるのを目撃した。大混乱だったそうだ。福建や隣の広東では大虐殺はないようである。共産党のやり方はこうである。カネのありそうな者を拷問する、羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさと逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。

(p.203-204)

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【中国に共和制などあろうはずがない】

 アイヴァン・ハーディング氏である。氏は現在、済南府にあるイギリス総領事であり、中国学の権威であると同時に、西はカシュガル、トルキスタン、東は黄海沿いの霧深い港町まで、中国全土を隈なく旅した経歴をお持ちで、生涯かけて集めた氏のお話はまことに面白い。氏は、大虐殺、飢饉、内戦、大屠殺、民衆の抑圧等、慣れっこだ。中国に幻想など抱いていないのである。

 そのハーディング氏が済南へ発つ前、我が家へお別れの挨拶がてら寄ってお茶を飲んだ。たまたまその時、上海から取り寄せた本が机にあった。タイトルは『中国共和国の20年 発展の20年』。「目を見張るほど進歩しました」と盛んに報告してくる伝道地区をいくつか巡回調査した、ある客員教授の手になる本である。壊滅状態の国、膝まで血の海に没している国に30年も尽くしたハーディング氏のご尽力に敬意を表しながら、この本を渡して「お読みになりますか?」と聞いた。すると氏は叫んでこう仰ったのである。「発展ですと!中国でか?そんな本など捨てちまえ!」

 本のタイトル「中国共和国」には皆笑ってしまった。もちろん、中国に共和制などあろうはずがない。政府と言われるものがあるにはあるが、選挙によって指導者を決めるわけではない。全くの独裁政権、崩壊寸前である。

(p.218)

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【南京虐殺に関する声明文】

 1926年、宣教師たちはこの政府が最後の盟友と持ち上げた。ところがどうであろう、数ヶ月後、その第一軍が南京を制圧した時の模様をこう述べている。

 南京虐殺に関する声明文

 南京虐殺の真相を広くアメリカ人に知ってもらわんがため、外国人の生命財産に危害を加えられた3月24日に南京に在住していた我々アメリカ人は、署名の上、ここに声明文を記す。

 この残虐行為は、上官の承認の下、制服着用の兵士によって行われた。南京在住の我々アメリカ人全員がこの目で見たのであるから断言できる。

 彼らは外国人の私邸、領事館、学校、病院、会社の事務所を略奪しただけではない。家にも学校にも火を放った。外国人と見ると老若男女構わず撃った。誤射ではない。殺意を持って撃った人殺しである。ある若いアメリカ人娘などは2発も銃弾を打ち込まれ重症を負った。アメリカ女と見ると強姦する。その他、外国人女に、言葉にできないほどの侮蔑行為を加えた。こうした事件の多くをこの目で目撃したのである。その他さまざまなことが、疑いの全く無い事実である。

 北伐軍の兵士や中国人の友達の証言によれば、南京入場に際して命令ではないにしろ、「略奪、外国人殺害許可証」の類のものを持って南京に入場したようである。外国人の家に押し入る。金庫を開けさせる。着ているものまで剥ぎ取る。女は犯す。全て計画通りだったことは部隊の行動からして明らかである。我々の中には「隠れても見つけ出して殺してやる」と言われた者もいる。中国兵だけではなく、匿ってくれた中国人までもがそう言ったのである。

 ところが、この虐殺がピタリと止んだ。米英の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破壊行動が止んだ。これで兵士の暴虐、破壊活動は上が命令した組織的行動だったことが証明された。

 以上は嘘偽りの無い事実なのである。

 この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家*1である。これらは外国人だけでなく中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。

 我々は中国の国家目標に心底共鳴してきたし、これまで危険にさらされてはきたが、今後とも気持ちは変わらない。故に、現在、国民党政府の政策に強い影響を与える陣営を抑えねば、中国のみならず世界の行く末は安心できないものがある。

署名者

 法学博士、メソジスト派伝道師、南京大学長 A・J ボウエン
 名誉神学博士、南部長老会伝道師 P・F プライス
     同    ドナルド・W・リチャードソン
 フレンド派伝道師 W・R・ウイリアム
     同    C・A・マッティ
 南部長老派伝道師 ジョン・H・ライズナー
     同    J・C・トムソン
     同    C・スタンレー・スミス
     同    ハリー・クレモンズ・ジュニア
     同    G・W・ロース
 東京大学出納局長 L・J・オウエン
 ディサイプル教会伝道師 エドゥイン・マーク
 名誉神学博士、アメリカン監督教会伝道師 L・B・リッジリー
 アメリカン監督教会伝道師 W・P・ロバーツ
     同    J・P・マギー*2
     同    C・L・ピケンズ
     同    N・D・ギフォード・ジュニア

 これ以外にも大勢の宣教師が、「確かに今までは武器の使用には常に反対してきたが、今回ばかりは艦砲射撃のおかげで命拾いした」と述べている。

(p.302-304)

*1 首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家=この国民党の北伐軍による「南京虐殺」は、前年(1926年)のコミンテルン第七次会議での決定に基づいて指令されたもので、それは北京駐在ソ連大使館付武官にモスクワが秘密文書によって訓令したもの。秘密文書の内容は以下のとおり。
「あらゆる方法を用いて国民大衆による外人排斥をひき起こさなければならない。この目的達成のためには、各国と大衆を武力衝突させなければならない。これによって各国の干渉をひき起すことができたらば、更に方法を選ばず、それを貫徹すべきである。たとえ、略奪や多数の惨殺をもたらすものであっても構わない。大衆が欧州の軍隊と衝突した時には、その機会を決して逃してはいけない」

*2 J・P・マギー=この「南京虐殺」から10年後に起こったいわゆる「南京大虐殺」(1937年12月から翌年1月にかけての南京事件)について、東京裁判で、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に膨大な証言を行った人物。
マギーの証言に対し、ブルックス弁護人が反対尋問で「それでは只今のお話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなたご自身いくらくらいご覧になりましたか」と問うたところ、マギーは「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思いますが、ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」と回答した。

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【パール・バックの偽善】

 あのパール・バックは〈1927年の〉南京虐殺の時、南京から夫と日本へ避難し、日本で「平和ってほんとに良いものですね」と書いている。ところが去年〈1932年〉、「イェール・レヴュー」に、殺人、略奪の収まった南京に戻った時のことを、「驚いたことにみだらな落書きが一つもないではありませんか」と書いて中国人を持ち上げている。そしてこの記事に感動するアメリカ人が中国にいたのである。こいつらは、軍隊が、一斉に女と見れば犯し、外国人は見つけ次第殺し、せっせと略奪に励んでいる時、一人のんびりと壁にエロ画など描いている者がいても「変だ」と思わない連中である。パール・バックはこうも書いている。「西洋の兵に(私の家が)占領されたら、壁中みだらな落書きだらけになっていたでしょうね。中国人って素敵ですね。強くたくましく立派な人間なのですね」。

 中国人を絶賛するパール・バックが書いていないものがある。あの時、南京では何が起こっていたか。中国兵は笑いながらイギリス領事をその庭先で撃ち殺した。無抵抗のアメリカ人も一人、同様になぶり殺しにした。アリス・ティスデイル・ホーバート夫人邸に逃げ込んだ50人の外国人に、雨あられと弾丸を浴びせた。幸い、この50人は軍艦からの援護射撃の下、上陸してきた部隊に無事救出された。こういうことを、パール・バックは一切書いていないのである。

 我々が今現在付き合っている中国政府とはこういう政府なのである。私が縷々述べてきたことを踏まえて判断すべきではないか。中国政府が、責任のある政府として信頼できるのかどうか。近代国家としての責務を果たせる力があるのかどうか。調べる気になれば誰にでもわかることであり、新たな事実が次々に見えてくるであろう。

*1 パール・バック=アメリカの女性小説家。中国名は賽珍珠(サィ・チンシュ)。生後3ヶ月で宣教師の両親とともに中国に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。1938年にノーベル文学賞を受賞した。『大地』は中国を美化して描いており、これが国際社会に中国への幻想を持たせるきっかけとなったという評が根強くある。

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 以下はおまけの資料です。


1927年の南京事件について中共は教科書でどう教えているか

 中村粲『大東亜戦争への道』(展転社・1990年)より。

【南京事件についての『中国歴史』(中国の全日制十年制学校初中課本・人民教育出版編)の記述は次の如くだ。
 「帝国主義は中国での反動支配を守るため革命を破壊しようとした。3月24日北伐軍は南京を占領した。その日の夜、イギリス、アメリカ、日本などの帝国主義は狂ったように南京城を砲撃し、中国軍民2000人余りを死傷させた。」
 中国兵の蛮行は一行も記さず、列国は理由なく南京を砲撃したかの如く書き、また砲撃を「夜」とすることによって無差別砲撃の印象を与えようとしている。
 その上、完全無抵抗主義を貫いた我が国も砲撃に参加したと嘘を書いて日本に濡れ衣を着せ、中国側死傷者数を60倍にもふくらませて、お家芸の白髪三千丈式誇張をやってのけている。歴史偽造の好例というべきだ。】


 ソース:自由主義史観研究会>「1927年の南京事件」について考える

 ちなみにこのサイトでは、日本がこのとき砲撃しなかった理由は、いわゆる「幣原軟弱外交」のせいではなく、南京の居留民からの要請があったからだという立場をとっておられるようです。


「中国が覇権主義になれば世界人民はこれを打倒すべきである」とまで言っていたのだが…

 原料・資源問題に関する国連特別総会におけるトウ小平団長の発言(1974年4月10日)より。

【中国は社会主義国であり,また発展途上国でもある。中国は第三世界に属している。中国はいま超大国ではなく,将来も超大国にはならない。
 超大国とはなんだろうか。超大国とは,いたるところで他国にたいし,侵略,干渉,支配,転覆,収奪をおこない,世界の覇権を求めようとする帝国主義国のことである。社会主義の大国にもし資本主義が復活すれば,その国はかならず超大国に変わる。
 過去数年の間,中国でおこなわれたプロレタリア文化大革命と,いま全中国でくりひろげられている批林批孔運動は,みな資本主義復活を防ぎ,中国の社会主義祖国がいつまでも変色しないことを保障し,中国が永遠に被抑圧人民と被抑圧民族の側に立つのを保障するためである。
 もし中国が変色し,超大国になり,世界で覇を唱え,いたるところで他国をあなどり,侵略し,搾取するようなことになれば,世界人民は,中国に社会帝国主義のレッテルをはるべきであり,それを暴露し,それに反対するべきであり,また中国人民とともにこれを打倒するべきである。


 ソース:アジア経済研究所>アジア動向データベース

 まさに覇権主義の超大国となった中華人民共和国ですが、トウショウヘイさんの発言とは裏腹に、「打倒」どころか「暴露」「反対」すら許さないのが現実です。

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※拙ブログ関連エントリー(支那人に関して)
09/9/27付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
 1937年(昭和12年)、支那事変に強制徴用で駆り出された中国人青年の体験記。支那兵が自国人に掠奪や暴行を繰り返したり、便衣兵になって逃亡したりと、とにかく野蛮だったのが分かります。
10/11/16付:尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
 ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」より、尖閣問題をはじめとする対中問題を考える上で役立ちそうな箇所を引用しています。

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