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外国人から見た日本と日本人(21)

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【緊急拡散!】危険な生駒市外国人条例

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 このシリーズの一覧(人物名と国名)を作ってあります。
 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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 「外国人から見た日本と日本人」。第21弾です。
  
 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
 
ドン・ロドリゴ=スペイン人。スペイン領フィリピンの臨時総督。1609年(慶長14年)、当時スペイン領だったメキシコへの帰国途中、乗船していたサン・フランシスコ号が暴風雨に遭い、現在の千葉県御宿町の沖で難破。後に駿府城で徳川家康に謁見。
「慶長遺欧使節」より
ドン・ロドリゴの日本観について

 
 皇帝(家康)は世界の裕福な君主の一人で、その宮殿(駿府城)に蔵する金銀は数千万の価ありと伝えられ、諸都市は人口が多く清潔で秩序正しく、ヨーロッパにおいてもそれと比較すべきものを見出すことは困難である。

 江戸の市政はローマの政治と競うことができ、街路は幅広く長い直線でスペインに優り、何人も踏んだことがないほど清潔である。そこのパンは世界中で最良といっても過言ではない。風土はスペインに似ており、米、麦が多く、狩猟・漁獲物など欠けるものがなく、すべてスペインに優りその量も多い。銀の鉱脈が多く、日本人は銀の精錬技術に熟していないにもかかわらず驚くべきほど産出する。(日本国内で)採取する金もまたその質がひじょうに良く、それで貨幣を造っている。

〈中略〉もしこの野蛮人の間に、(我らの主なる)神が欠けておらず、また、(この国が)我らの国王陛下に従っているならば、私は故郷を捨ててもこの地(日本)を選びたい。

※サン・フランシスコ号難破事件では約50名(56名とも)が溺死し、370人は浮遊物につかまり助かりました。衣服や食料を地元住民から惜しみなく与えられ、飢えをしのぐことができたそうです。御宿の海岸にはこの事件の記念碑が建てられ、日本とメキシコ友好の碑となっており、エチェベリア・メキシコ大統領もここを訪れました。

エセル・ハワード=イギリス人。1865年(慶応元年)生まれ。1895年(明治28年)ドイツ皇帝のウイルヘルム二世の皇太子と弟妹の英語の家庭教師となる。1901年(明治34年)来日し島津家へ入り、30代当主・忠重公と4人の弟たちの家庭教師を1908年(明治41年)まで務めた。
「明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想」(1918年出版)より

 花は日本人にとって、人間のことと同じくらい重要なことらしく、それぞれの地方でしばしば行なわれる催しは大変な人気であった。花の季節になると、大勢の群集が催しの場所へ集まってきた。人々が桜の花を自慢するのも当然で、満開のときの花の豊かなことは驚くばかりであるが、一方、梅の花も多くの人に賞揚されている。しかし、花を咲かすためにすべてが犠牲にされるので、実(み)はあまりよいとはいえない。日本をそれで有名にしているすばらしい花をつくることに、栽培の重点がおかれている傾向がある。菊の花は、日本人の生活の中でいろいろな事柄と関連があり、皇室の御紋章にも使われているくらいだが、おそらくたくさんの花の中でも一番人気があるのではないか。つつじや菖蒲も、それを見に大勢の群集が集まるくらいこれを好む人が多い。

 日本人の考えでは、木や花の多くは美徳の象徴である。例えば、竹は優しさの象徴とされているし、雪が降っても雄々しく花を咲かせようとする強靭な小さな梅の木は、堅固な信念を貫こうとする悲壮な心を表すといわれている。まるで、どの木もどの花もその心を語っているかのようだった。西洋の花の展示会と日本のそれとは、確かに書き表せないような相違がある。

ポール・クローデル=フランス人。1868年(慶応4年)生まれ。外交官。日本の芸術を熱烈に愛好していた姉のカミーユ・クローデル(ロダンの弟子)から葛飾北斎や喜多川歌麿を紹介されたのがきっかけで、日本に強く惹かれるようになった。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経た後、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで駐日大使を務め、日仏の経済交流や文化交流を積極的に進めた。
「朝日の中の黒鳥」(芳賀徹・訳)より
大正11年から翌年にかけて、日光中禅寺湖畔で日本人の学生に向かって行った日本文化論、日仏比較文化論の非常に興味深い講演


 幾百年の翳りのこめるところで、木の柄杓から冷い水を手にそそぐ。おお、その身にしむ冷たさ。私のいのちはあらたまる。そして閉ざされた扉のむこうに、鐘の音がゆるやかに熟れてゆき、蝋燭が一本燃えるのをじっとうかがう。あちらの木々の葉の深いしげみのなかから、間をおいて山鳩の声がきこえる。その声はとこしえに教えを説いてながれる滝の鳴動にこたえている。

〈中略〉ここにいたってはじめて私にはわかりました。――人生に対するとくに日本的な態度、それは、フランス語にはこのような感情を表現する語彙があまり沢山なく、他によい言葉がないので、私は恭敬とか、尊崇とか呼ぼうと思いますが、理知には到達しえぬ優越者をすなおに受けいれる態度であり、私たちをとりまく神秘の前で私たち一個人の存在を小さくおしちぢめてしまうことであり、私たちのまわりになにかが臨在していて、それが儀礼と慎重な心づかいとを要求していると感ずることなのだと――。このことが私にはわかったのです。日本がカミ(神)の国と呼ばれてきたのもゆえなきことではありません。いやこの伝統的な定義こそ、今日なお、みなさんのお国について下されたいちばん正しい、いちばん完全な定義であると私には思われます。

※クローデルは特に日光の森が好きでした。中禅寺湖畔にフランス大使館の別荘があって、毎年夏になると、6月から9月頃までそこに滞在しました。その間に周辺の森を歩き、男体山に登ったりもしたそうです。

ラルフ・タウンゼント=アメリカ人。1900年(明治33年)生まれ。コロンビア大学卒業後、新聞記者、母校の英文科教師を経て米国務省に。1931年(昭和8年)に上海副領事に。ここで満州事変に伴う第1次上海事変に遭遇。その後福建省福州副領事。1933年に外交官を辞し、帰国後はスタンフォード大学講師のかたわら、極東問題の講演・言論活動・出版に専念。1937年には来日している。「アメリカは極東に手を出さず、日本に任せよ」という持論はアメリカの極東政策への厳しい批判となり、真珠湾攻撃後には反米活動をした罪で1年間投獄された。
「暗黒大陸中国の真実」(1933年出版)より

 アメリカ人の情報源は宣教師である。中国には大勢いるが、日本にはごくわずかしかいない。したがって、日本の情報はほとんど入らず、入る情報はほとんどが中国情報である。したがって、世論は「日本人が殺人狂と化した」となる。

〈中略〉アメリカの新聞界は名探偵シャーロック・ホームズ気取りで、「アジア大陸征服作戦を練る日本」等ととんでもないことを書く。「……は明白である」とか「したがって残念ながら……としか思えない」という具合である。ところが、極東に済む人間には「ブラック・ユーモア」「おふざけ」としか思えない。もちろん日本にとって、満州は喉から手の出るほど欲しい土地である。シャーロック・ホームズならずともわかることだ。わかりきったことを議論するほど無益なことはない。「猫は小鳥が好きである」ということを証明するために医学研究所を建てるようなものだ。

 アメリカの世論が、こうまで対日批判一辺倒となったのはなぜか。満州事変に至るまでの事情が伝わらなかったからである。一面トップは「日本軍奉天占領」「全満州に侵攻」である。これでは狡猾な日本軍が、物陰から襲い掛かるヒョウのように「何も悪くない可哀想な人間にいきなり噛み付いた」と思い込んでしまう。何年も前から中国当局は略奪行為を黙認し、反日プロパガンダを扇動した。線路に石を置き、日本人を狙撃、殺害した。およそ考えられる妨害行為を煽る反日プロパガンダをしたのは他ならぬ中国政府である。このような経緯をアメリカ人は知らない。

崔基鎬(チェ・ケイホ)=韓国人。1923年(大正12年)生まれ。巣鴨高校卒。韓国・東国大学大学院経営科、ソウル大学付属司法大学院特殊法科課程修了。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、加耶大学客員教授。
「SAPIO」2002年9月25日号【1300年前、中国の属国に成り下がった「新羅」から“韓国病”の悲劇が始まった】より

 19世紀後半の西欧列強の脅威に何故日本は対抗できて、朝鮮は対抗できなかったのか。私はその直前の李朝500年と徳川300年にその差がついたのだと確信する。また無私なる天皇家が国家の頂点に立つことで安全弁の役割を果たし熾烈な権力闘争が起こらなかったことも幸いしていると思う。

 繰り返しになるが、李朝518年間、中国に隷属しながら農民には苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極め、住民のための社会施設を整備することなく逆に仏教などを破壊しつくした。このような悪政を反省し、いまのインフラ整備、近代工業化が日本統治時代に行なわれたものだという真実を国史教科書に書き込まない限り韓国の歴史回復は有り得ない。

マハティール・ビン・モハマド=マレーシア人。1925年(大正14年)生まれ。エドワード7世医科大学卒。在学中の1946年、統一マレー国民組織(UMNO)の発足に携わり政治活動を開始。1981年から2003年10月まで首相在任。欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。来日が50回を超える親日派だが、日本らしさを失いつつある最近の日本への批判も忘れない。
「立ち上がれ日本人」2003年発行(新潮新書)より

 発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。
 首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第二次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。

〈中略〉私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行でのことでした。当時の日本はまだ復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。それでも、大阪では水田の真ん中に建つ松下の工場が私の度肝を抜き、オリンピックの準備中の東京では、日本橋の上に高速道路が建設されつつあるのを目にしました。

 このとき、私は日本と日本人のダイナミズムを体感したのです。人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています。その後も訪れるたびに発展していく日本の姿を見てきたからこそ、首相になったとき私は日本と日本の人々から学ぼうと思ったのです。

 もっとも注目したのは、職業倫理観と職場での規律正しさによって、品質の高い製品をつくりあげるという姿勢でした。

 戦前の日本製品は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。しかし戦後は品質の高い製品を次々に生産し、日本は国際社会で大きく成功しました。労働者は職業倫理観が優れていて、管理能力も高い。多くの国民が戦争で命を落としましたが、残された者が立ち上がり、新しい産業を興し、日本はすばやく発展していきました。

 電子産業の革命を起こしたソニーもその一社で、すばらしい技術でテープレコーダーを生み出しました。松下は戦後再建し、多くの大企業が次々と復活しました。米占領軍は財閥を解体したけれども、新しい形態の会社が次々と生まれていったのでした。

 日本の大企業のシステムは、欧米の会社のシステムとはずいぶん違っていました。会社同士は競争しても、会社は社員の面倒を見る。終身雇用という形態は、西側諸国にはないものでした。社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障を来さなかったのです。

 多くの製品が生まれ、輸出され、外貨を稼ぎ、結果として日本は大きく発展しました。私たちが日本からコピーしたかったことは、日本型システムなのです。国を発展させるための政府と民間企業の緊密な関係を、私は「日本株式会社」と呼んでいます。私たちはこの日本から学ぶことで、他の発展途上国に比べて早く発展することができました。

 東南アジアをはじめとしたアジアの近隣諸国もまた、日本とともに働き、日本の繁栄と技術から学びたいと思っているのです。日本の新しい技術を学ぶことによって、域内全体が繁栄することは間違いありません。

朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より

 日本植民地時代の35年間に、朝鮮の人口は確実は足取りでほぼ2倍に膨れ上がっている。これは何を意味するのか。

             朝鮮人人口     百分率
 1910(明治43)年  1312万8780人  100.0パーセント
 1922(大正11)年  1720万8139人  131.1パーセント
 1934(昭和09)年  2051万3804人  156.3パーセント
 1942(昭和17)年  2552万5409人  194.4パーセント
 1945(昭和20)年  2900万人(推定)  220.9パーセント(推定)

 これにはいろいろな要因が考えられる。(1)疾病の予防ならびに医療制度の向上、(2)豊富とは言わぬまでも食糧の普遍的供給、(3)総督府の誠実な農村振興ならびに治山治水政策の奏功、(4)産業化への離陸、というのが僕の推測である。

 この中でも、実業家で後に野口財閥を形成する野口遵(したがう)氏が、咸興(かんきょう)に隣接する興南(こうなん)に建てた朝鮮窒素肥料会社[硫安の生産力で世界有数。興南における化学コンビナートの中核]の貢献は特筆に値する。

 野口氏は1925年(大正14年)から5年の歳月を費やし、咸興の北にある鴨緑江(おくりょくこう)上流を堰(せ)き止め、日本国内にもなかった37万キロワットの巨大発電所を作る。それに続いて白頭山(はくとうさん)、豆満江(とまんこう)など各15万キロワットの発電所を建設した。彼はこの電力を利用して空中窒素から硫安を作るなど、総合的化学工業化を果たしたのである。

 また合併当時(1910年)、わずかに6千万円だった貿易額が1924年には6億4千万円、1939年には23億9千万円と増加した(『朝鮮年鑑』1943年版)。

 朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下太平の時代が、かつてあっただろうか。

朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より(2003年記)

 今の若い連中は教科書や小説等の影響を受けて「当時の朝鮮人は皆、日本を敵国と見なし、ことあるごとに命を投げ出して独立運動をした。日本の特高が全国的に監視の目をゆるめず、多くの愛国者が次々と捕らえられて処刑された」という自己陶酔的な瞑想に耽(ふけ)っているが、これはウソである。

 植民地時代をうすうすながらも思い浮かべることができる年齢層は、終戦当時15歳に達していた、今は73歳以上の老人達である。それ以下の朝鮮人は他人から聞いて、あるいは学校で教育を受けて反日感情に走っている。

 韓国人にとって、反日感情はいかにも勇ましく愛国的でカッコがいい。この反日感情が全国を風靡(ふうび)しているので、老人達がそういう国民的合意に逆らう発言をすれば窮屈な思いをする。そのうちに多勢に押されて、逆に加勢するようになる。今や老いも若きも、日本に対する罵声が高ければ高いほど愛国者と遇されるのである。

アルジュン・アスラニ=インド人。1960年(昭和35年)~61年に外交官として、1970(昭和45年)~72年には参事官として日本に滞在。1988(昭和63年)~93年(平成5年)までは駐日インド大使として政府閣僚との重要案件の交渉にあたった。その後もニューデリーの政府機関で日本の援助関係の仕事を4年間担当するなど、対日外交に関するエキスパート。旭日大綬章受章。
「SAPIO」2006年2月8日号 【「日印新時代」の立役者アルジュン・アスラニ元駐日大使インタビュー「日本とインドは民主主義国家としてアジアを導いていく責任がある」】(聞き手/山下柚実)より
小泉首相(当時)の靖國神社参拝をめぐって中国や韓国が反発していることについて


 第2次世界大戦では、戦勝国が敗戦国を裁きました。では、戦勝国のアメリカ軍は戦争犯罪を犯さなかったのでしょうか。日本軍はもしかしたら犯罪を犯したかもしれない。しかし他の国はどうでしょう。戦勝国だからという理由で、敗戦国を裁けるのでしょうか。極東軍事裁判における唯一の国際法の専門家でありインド代表、パール判事のことを覚えていますか?彼は戦勝国の考え方に賛同せず、被告人全員の無罪判決を下したのです。

 それに、靖國神社は戦争犯罪者のみが祀られているわけではなく、戦争の犠牲になった日本人も眠っています。首相が参拝したからといって、戦争を美化しているといえるでしょうか。中国がいくらそう主張したとしても、あの戦争は中国も参加した戦争なのです。小泉首相に参拝の権利はあると思います。これは私の個人的な意見です。

S・S・ヤダハ=インド人。インド国民軍全国在郷軍人会代表。
1997年(平成9年)、インド独立50年の記念式典の際に出席した加瀬英明氏(日印親善協会会長)に対し、インド国民の感謝の言葉として靖国神社に奉納してほしいと要請した文章

 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。

 インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。

 我々はこの勇士たちの霊を慰め御冥福をお祈り申し上げます。

ロマーノ・ヴィルピッタ(ロマノ・ヴルピッタ)=イタリア人。1939年(昭和14年)ローマ生まれ。ローマ大学法学部卒。1964年(昭和39年)イタリア外務省に入る。駐韓国イタリア大使二等書記官、駐日イタリア大使館二等書記官(のち一等書記官)を務める。1972年(昭和47年)~75年ナポリ東洋大学大学院現代日本文学担当教授。75年欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。現在、京都産業大学経営学部教授(ヨーロッパ企業論、日欧比較文化論)。
社報「靖國」平成11年4月号「日本人よ神聖なる遺産に目醒めよ」より

 国のために命を捧げた人たちのみたまを一つの神社に合祀し、国の守り神として国民全体で守るという発想は、日本文化の素晴らしい成果であり、この気持ちこそ宗教観の根底にあり、人類共通の感じでもある。

 戦争の目的が何であれ、多くの国民が民族共同体のために良心的に命を捧げた事実は動かせない。

 彼らの行為を国民の誇りとし、後世に模範として伝えることである。そうすることによって、英霊の犠牲は、国民全体の神聖なる遺産となり、国民の道徳観も養成されるのである。

崔三然=韓国人。1928年(昭和3年)、朝鮮半島北部の感興生まれ。戦後、韓国空軍に入隊、朝鮮戦争を戦った。大学では英文学、大学院で行政学を専攻。軍の要職を歴任して1971年(昭和46年)、空軍大佐で退役。その後、オーディオ部品メーカーの経営に参画。工業商品の品質管理機関役員、潤滑油工業協会副会長を歴任し、世界各国の経済、政治状況を視察し、韓国工業の基盤確立のため尽力した。現在、日韓両国をはじめとする幅広い世界的人材交流に取り組んでいる。
産経新聞2010年8月28日付【日韓併合談話】日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨より(聞き手/軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏)

 ――8月10日に菅首相が日韓併合100年にあたっての談話を発表しました。これについての考えは

これは日本の首相としては失格ですよ。日本人としての立場を弁えていない。併合から100年、戦後65年も過ぎたのに、今さらどういうポジションでああいうことをしゃべっているか、さっぱりわかりません。もうこれは日本の終末ですね」

 ――内容的には1995年の村山富市首相談話の繰り返しだとも言われるが

「いやもっとひどいですよ。村山談話は単なる謝罪であって、そこから共生を目指すともいえる。菅談話は、その次に出て来るものは日韓基本条約の無効ですよ。そもそも植民地というのは15世紀から始まりました。近現代史というのは人類における植民地時代だともいえる。世界中至る所、植民地だらけでした」

 ――確かに世界史の地図帳を見るとその通りですね

「アフリカなどは植民地時代が終わっても貧困からなかなか抜け出せない状態です。では植民地から近代的な経済発展を遂げたのはどこですか。韓国と台湾ですよ。ともに日本の植民地だった所です。他に香港とシンガポールがありますが、ここは英国のいわば天領でした。インドは英国の植民地として代表的ですが、インフラが整備されておらず、なかなか経済発展ができなかった。今、インドは経済発展しているといわれますがそれでも1人当たりのGDPは890ドル、識字率も64%に過ぎません」

 ――韓国と台湾は日本統治時代にインフラが整備されていたと

戦前、鉄道、水道、電気などの設備は日本国内と大差なかった。これは諸外国の植民地経営と非常に違うところです。諸外国は植民地からは一方的に搾取するだけでした。日本は国内の税金を植民地のインフラ整備に投入したのです。だから住民の生活水準にも本土とそれほどの差がありませんでした」

 ――教育はどうでしたか

「私は日本統治時代の教育も受けました。当時、日本国内で行われていた学校教育と差がありませんでした。また日本の陸軍士官学校には朝鮮人の入学を認めていました。当時の諸外国では自国の陸軍士官学校に植民地の人間の入学を認めたりしませんでした。つまり日本は教育においても差別をしていなかった。当時の諸外国は本国と植民地を明確に差別していました。植民地とは搾取の対象として経営するものであって差別されて当然でした。日本は差別をしないように併合したわけで、いわゆる諸外国の植民地支配とはまったく違っていた

 ――諸外国こそ謝罪すべきなのに日本ばかりが謝罪しなければならないのはどういう訳でしょうか

「今ごろになって植民地だとか侵略だとか言っていますが、これには中国の戦略が背景にあるのです。中国の戦略は日本の再起を不能にし、日本が韓国や台湾と連携するのを阻止することです」

 ――そういえば日米同盟や米韓同盟はあるのに日韓同盟や日台同盟はありません。日韓などは米軍基地の位置関係からみれば事実上同盟国といっていいほど近接しているのに同盟条約は結ばれていません

「日韓同盟こそ中国や北朝鮮が最も恐れている同盟です。だからこれを抑制し妨害するために中国は全力を挙げています。それに対して日本は対応を誤っていると言わざるをえません」

 ――日本が謝罪をしないから両国の溝は埋まらないなどと言っていますが、村山談話以降も日韓関係も日中関係もかえって悪化しました。韓国は竹島の領有化を進めてきましたし、中国も前よりも一層、歴史認識問題を持ち出すようになりました

日本人は謝れば、韓国や中国、北朝鮮が許してくれると思い込んでいるようですが、大きな間違いです。はじめから狙いは別の所にありますから、もともと許す気などない。中国の大戦略は日米韓の連携を極力抑え込むことです。だから歴史問題をことさら大きく見せかけて大ぼらを吹く。私が勉強した所ではそのどれも大した問題ではない。たとえば東京裁判のA級戦犯は日本の国内法で赦免されている。赦免された以上、もはや犯罪人ではありません。つまり日本にはA級だろうとB級、C級だろうともはや戦犯はいないのです。にもかかわらず、A級戦犯が合祀(ごうし)されているから靖国神社に行くなと言うのはこじつけです。
 講和というのは過去とけじめをつけることです。日中平和友好条約とか日韓基本条約を結ぶということはこれで過去の問題を清算し仲直りをするという約束であり、過去を蒸し返したりするのはおかしいのです」

 ――日本政府は韓国への「補償」問題を見直そうとしているようです

「日韓についていえば、過去のあらゆる補償問題は解決済みです。だから見直す必要などない。ところが日本人は潔癖症だから相手が少しでも文句をいうと、また謝って金を出そうかという話になる」

 ――潔癖症がかえってあだになっているわけですね

日本人の道理とか正義感は大陸ではまったく通用しません

 ――具体的にはどういうことでしょう

「日本人の持っている倫理、正義、道徳、順法精神などは人類普遍の価値であり、とても秀でています。日本国内ではこれらの価値は尊重されよく守られています。ところが日本を一歩外に出ると泥棒や詐欺師がいっぱいですよ。そのことに日本人は気付いていない
〈以下略〉

アントン・ウイッキー=スリランカ人。1940年(昭和15年)生まれ。島根県立大学客員教授。1961年(昭和36年)、文部省の国費留学生として来日。1979年(昭和54年)より日本テレビの「ズームイン朝!」の「ワンポイント英会話」コーナーに15年間出演した。夫人は日本人で、英会話学校講師時代の教え子。2003年(平成15年)、激しい頭痛に襲われ脳外科で緊急手術、生死の境を彷徨ったが一命を取り留める。日本滞在期間49年。
加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!―外国人43人が深く語る」より

 私は、死後の臓器提供意思表示カード(ドナーカード)を持っています。この制度が始まった時点で、昔から悪かった肝臓以外の全身を提供できるようにすべての項目にチェックをつけています。あなたはスリランカが、アイバンクの登録システムを世界で最初に作った国だと知っていましたか?スリランカでは大学生になるとほとんどの人がアイバンクに登録しています。私は死後の臓器提供は人間として当たり前のことだと思っていますから、日本で骨髄バンクを作る運動にもずいぶん協力をしました。

〈中略〉幸いなことに、今回はお役に立てませんでしたが、いつか私が本当に死んだ時には、大好きな日本人に肝臓以外のこの体、全部さしあげます。嘘ではありません。その証拠に、私はすでに自分のお墓を日本国内に買ってあります。

 私はキリスト教の学校に学んで、ヒンズー教徒もいる小乗仏教の国で育ちましたが、最後は日本の地に骨を埋めたいと思っています。日本の仏教なら、死んでも毎年お盆になると家に帰って来られるのが嬉しいからです。一時的にあちらへ行くだけで、また時々帰って来られると思うと何かホッとしませんか。とても人間味のある宗教だと思います。私も死んだら毎年お盆には、ワイフに会いに帰って来ようとも思っています。

イラクのサマワ新聞
陸上自衛隊によるイラク支援を報じた現地の「サマワ新聞」2004年1月16日付より

 我々は我が県に日本隊が到着するまで、この道徳と倫理を保持した立派な人々について何も知らず、感情のかけらもない技術革命により、全世界の心を支配するつもりだろうと思っていた。

 しかし、日本国陸上自衛隊が県内に到着して数週間の内に、サマワの人々は彼らが『古きニッポン』の子孫として、愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。

 彼らは偉大なる文明を保持するとともに他の国家を尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。


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 自衛隊の海外派遣にまつわる現地の声として今回はイラクを取り上げましたが、もちろんこれ以外にも、さまざまな後方支援や復興支援、PKOなどで自衛隊がこれまで行ってきた活動を世界は高く評価しています。
 そういう声もいずれここで紹介できたらと思います。

 さて、自衛隊と言えば、仙谷官房長官が11月18日の参院予算委員会で「自衛隊は暴力装置」と発言しましたね。

 市井の左翼運動家が発言する分には構わないでしょうが、官房長官ともあろうものが、それも国会でこんな発言をするなんて。
 ついポロッと本音が出てしまったのでしょう。みんなの党の渡辺代表は「昔の左翼時代のDNAが、図らずも明らかになった」とコメントしてましたね。

 自衛官にしても、また尖閣沖中国漁船衝突事件でクローズアップされた海上保安官にしても、現場の方々は日本の領土領海や国民の生命財産を守るために命を賭して頑張ってらっしゃるのに、政権の中枢にいる人がこんな考え方では……(T^T)

 仙谷さんはすぐに発言を撤回、謝罪したものの、「法律上の用語としては不適切でございましたので自衛隊の皆さんに謝罪します」という言い方で、心から反省などしていないのは明らかです。
 問題が拡大するのを怖れて、「とりあえず謝っとくか」てなもんだったんじゃないですか?

 この件に絡んで、私はもうひとつ不満があります。
 仙谷さんのこの発言が出るそもそものきっかけとなった問題が、あまり報道されていないようだからです。

 そう、それは、防衛省が政治的な発言をする部外者を関連行事に呼ばないよう求める防衛事務次官通達を出した問題です。

 「民主党政権は民間人まで言論封殺するのか」「これは検閲ではないのか」と通達が出るきっかけとなる発言を行った民間団体、また自民党などを中心に大いに批判の声が出ているのですが、突っ込んで報道しているメディアはあまりないように思えます(産経は連日大々的に報道してますが)。

 それにしても、菅政権(≒仙谷政権)は明らかに国民を情報統制、言論統制する方向で進んでますね。

 尖閣事件における衝突ビデオ流出問題では、国家公務員法の守秘義務違反の罰則強化を示唆。
 衆院予算委での衝突ビデオ関連の資料を読売新聞が撮影・掲載した件では、写真取材の規制強化に言及。
 そして今回の、民間人による政権批判を封じる防衛事務次官通達。

 政府が国民を権力でもって統制する、抑え付ける。
 こういうのって、左翼が最も嫌うこと、怖れていたことだったはずなんですけどね。
 やっぱり人間、権力持つと変わっちゃうんでしょうね。
 実は仙谷さんが、一番の「暴力装置」だったりして……(T^T)


 ……というわけで、第22弾につづく……!!


※参考文献
大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ>大航海時代の駿府の家康公
・エセル・ハワード著「明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想」(講談社学術文庫)
「正論」2000年10月号【代々木の杜80フォーラム】「神話の森が語る日本文明の未来 神々と森と人のいとなみを考える」京都造形芸術大学学長・芳賀徹氏
・ラルフ・タウンゼント著「暗黒大陸中国の真実」(普及版)(芙蓉書房出版)
・「SAPIO」2002年9月25日号 崔基鎬【1300年前、中国の属国に成り下がった「新羅」から“韓国病”の悲劇が始まった】
・マハティール・ビン・モハマド著「立ち上がれ日本人」2003年発行(新潮新書)
・朴贊雄「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」
・「SAPIO」2006年2月8日号 【「日印新時代」の立役者アルジュン・アスラニ元駐日大使インタビュー「日本とインドは民主主義国家としてアジアを導いていく責任がある」】(聞き手/山下柚実)
日本政策研究センター>アジアから見た大東亜戦争
・小林よしのり「新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論」
産経新聞2010年8月28日付【日韓併合談話】日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨(聞き手=軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏)
・加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!―外国人43人が深く語る」
JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル>No.1277 H19.04.23『古きニッポン』の子孫として、愛情と倫理に溢れた人々 ~自衛隊イラク復興支援~

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