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【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)

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 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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 「外国人から見た日本と日本人」。第19弾です。

 今年は日韓併合から100年ですね。
 今回はこれに関連した記述をまとめてみました(敬称略)。

※過去に紹介したものも混じっています。新規は■、紹介済は○です。
※イザベラ・バード著「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」については拙ブログで紹介済ですが、このシリーズでは初出ということで新規扱いにしています。
 
 
イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、朝鮮にも旅行している。
「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」より

 日本人はかつてイギリスがエジプトに対して行ったように、朝鮮の国政を改革するのが自分たちの目的であると主張した。たしかに自由裁量が許されていたなら、彼らはそれをなし遂げたはずだとわたしは思う。とはいえ、改革事業は予想をはるかに越えて難航し、井上伯(引用者注:井上馨)がほぼにっちもさっちもいかない状態にあることは明らかだった。伯爵は「使える道具がなにもない」と考え、それをつくれたらという希望のもとに、上流階級の子弟多数を二年の予定で日本に留学させた。最初の一年は勉学に努め、つぎの一年は官庁で実務の正確さと「道義の基本」を学ばせるのがねらいである。

〈中略〉朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはびこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈〈ばっこ〉していた。

 このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階級が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じてのならわしであり、どの職位も売買の対象となっていた。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、朝鮮にも旅行している。
「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」より

 朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話のなかに漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記される。とはいえそれは一〇〇〇年も昔の古い漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文〈オンムン〉[ハングル]は、教養とは漢籍から得られるもののみとする知識層から、まったく蔑視されている。朝鮮語は東アジアで唯一、独自の文字を持つ言語である点が特色である。もともと諺文は女性、子供、無学な者のみに用いられていた。

〈中略〉一八九四年七月、大鳥氏(引用者注:大鳥圭介)は官報を鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。そして翌年一月には漢字と「無知な文字」とされていた諺文の混合体が官報に用いられ、一般庶民にも読めるようになった。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、朝鮮にも旅行している。
「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」より

 今日の朝鮮人は何世紀にもわたる弱い立場の産物であるとはいえ、それでも朝鮮で一年近くをすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

 I 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
 II 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

〈中略〉戦争(日清戦争)を起こした表向きの理由は、日本政府は慎重に期してそれに固執して言えるが、日本にとって一衣帯水の国が失政と破滅の深みへと年々沈んでいくのを黙って見すごすわけにはいかない、国政の改革が絶対に必要であるというものだった。日本がこの例外的な責務を引き受けたその最終目的はどこにあるか、それを憶測する必要はない。日本がたいへんなエネルギーをもって改革事業に取りかかったこと、そして新体制を導入すべく日本が主張した提案は特権と大権の核心に切りこんで身分社会に大変革を起こし、国王の地位を「給料をもらうロボット」に落ちぶれさせたものの、日本がなみなみならぬ能力を発揮して編みだした要求は、簡単で自然な行政改革の体裁を示していたことを指摘すればこと足る。

 わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくともいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。

 一年有余、失敗はままあったにもかかわらず日本は前進をつづけ、有益かつ重要な改正を何件かなしとげ、またその他の改革を始動させた。日本にとってみれば、現在行われている改革は自分たちが敷いた路線の上にあるものではないかと念を押していいのである。

〈中略〉予断は危険であるが、つぎのことは言える。もしもロシアが現在見通されるような遅々とした展開に満足せず、朝鮮に関してなんらかの積極的な意図を明示するつもりであるとすれば、日本にはその車輪にブレーキをかけるくらいの力は充分備わっている! とはいえ、朝鮮がひとり立ちをするのはむりで、共同保護というようなきわめてむずかしい解決策でもとられないかぎり、日本とロシアのいずれかの保護下に置かれなければならない。

ウォルター・C・ヒリアー=19世紀末期の駐朝イギリス総領事。朝鮮を開国当時からよく知る一人。
「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」序文より

 朝鮮についていくらかでもご存じのすべての人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であるのは明白であろう。日本の武力によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮はあえぎつづけている。かつては清が、どの属国に対しても現地の利害には素知らぬ顔の態度をくずさぬまま、助言者と指導者としての役割を担っていたが、清国軍が朝鮮から撤退後は日本がその役目を請け負った。最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、いくぶん乱暴に行われはしたものの、真摯であったことはまちがいない。

〈中略〉日本の着手した仕事は状況の趨勢からロシアが引き継がざるをえなくなり、恐怖に駆られた国王は、国王にあらずとも強靭果敢な人間が充分におびえかねないテロ行為からの救出をロシア公使に訴えた。

〈中略〉ロシア公使の誠意ある支援と協力のおかげでなしえた改革もある。とはいえ、依然手をつけられていない問題も多い。発展をめざした前進――公正を期すためにいま一度繰り返すが、始動させたのは日本である。

李成玉=李氏朝鮮時代の官僚。李完用(朝鮮併合賛成派の筆頭で日韓併合時の韓国の首相)の全権大使としてアメリカに渡った。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著より

(朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている)

 現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。

 そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。

 日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。

フランク・ロス・マッコイ=アメリカ人。陸軍少将。リットン調査団のアメリカ代表。
「朝鮮新話」(鎌田沢一郎)(昭和25年発行)より
 1932年(昭和7年)に宇垣一成・朝鮮総督に語った言葉


 自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。

 吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。

 これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。

コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より

 日本人は朝鮮人の生活水準を向上させ、これにより彼らの歓心を得るためのあらゆることを行なった。日本人が多くを成し遂げたことは認めなくてはなるまい。ソウルは「京城」となり、昔のおもかげをとどめていない。市街地をめぐる城壁の大部分は除去され、城門は取り払われ、新しく、大きく、美しく、そして近代的な市街地ができあがった。

コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
 ソウルでの記述


 三〇年来朝鮮は日本の統治下にある。しかし近年になってやっと朝鮮人が志願兵として日本陸軍に入ることが認められるようになった。その作業はきわめて慎重に行なわれ、きびしい選抜を行なうため、朝鮮人全体で志願兵に採用されたのはわずか五〇〇人にすぎない。

 しかもこの五〇〇人もすぐに陸軍に編入されるのではなく、まず特別な訓練を受けねばならない。ソウルから数キロ離れた場所にそのための特別な施設がある。総督の秘書が自動車でわたしたちをそこへ連れていってくれた。わたしたちが目撃したのは、典型的な日本軍の学校であった。

 朝鮮の若者たちは、わたしたちが日本本土で見たのとちょうど同じような、教練、体育、それに精神講座に取り組んでいた。その他の点でも彼らは優秀であった。もし日本がこれら若者の歓心を勝ち得たならば、それだけですでに多くの成果をあげたことになるだろう。日本の当局者もこれまでの彼らの業績に満足しており、今年は二〇〇人の志願兵が採用されることになった。

朱耀翰(チュ・ヨハン)=韓国人。詩人。父の赴任により少年期より日本に住む。戦後、韓国の国会議員となった。
昭和16年12月14日、朝鮮臨戦報告団が開催した米英打倒大講演会における演説「ルーズベルトよ答えよ」より

 正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。

 君は口を開けば人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、日本人が人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき、 これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。

 しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならんことを誓っている。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 昔の日本は中国から工人、学者、僧侶(そうりょ)を招いて、新しい製造技術、新しい社会と政治の運営方法、人間と自然と宇宙の関係についての新思想などを教えてもらった。留学生を送って、新しい知識を学ばせ、もち帰らせた。産業革命と機械文明以前の日本は、必要に応じて外部世界との関係を断ち切ることを選び、導入した技術と思想を時間をかけて消化し、自分たちの気質と環境に適応させていくことができた。

 しかし、19世紀後半になると、もはや外界と隔絶することも、時間をかけていることもできなくなった。日本人は妥協を許さない欧米人を締め出すことができなかった。欧米は自信をもっていた。科学と機械力で自信をつけた欧米人は、自分たちはアジア人やその他の「後れた」人種より本質的に優れていると確信して植民地に対していた。欧米の行動様式は欧米人が「正しい」と認めたものであり、それ以外の行動様式は「間違い」だった。欧米に順応すれば「進歩」であり、順応できなければ「反動」とされた。

 このように、日本の新しい指導者たちは、きわめて危険な状況のもとで、新しい文明をつくり始めたのである。日本には二つの選択肢しか与えられていなかった。一つは、欧米の要求に応(こた)えて、手工業と農業中心の経済から輸出型の工業偏重経済に移行することだった。同時に近代的軍事機構を確立し、極東における欧米の力の均衡政策に貢献する欧米型国家になることだった。もう一つの選択は、中国のような半植民地国家として留まるか、欧米のどこかの国の植民地になるか、であった。

 日本の指導者たちが、欧米型国家になることを選択したのは当然である。そのためには、政治と経済の中央集権化が不可欠だった。

〈中略〉私たちが戦中戦後を通じて、日本を非難する理由は、この中央集権的経済体制の発展が「全体主義」的であり、「戦争願望」をつくり出したというものである。しかし、当時の欧米列強はこの発展を歓迎していたのだ。文明の後れた韓国と中国に西洋文明の恩恵をもたらす国、近代的秩序と規律をもつ国家が必要だった。だから日本の近代化が求められたのだ。

 私たちは、日本が西洋文明の理想に反したことを非難している。しかし、日本が欧米社会に仲間入りさせられた歴史の真実をみるなら、日本が西洋の理想を学ばなかったなどとはとてもいえない。欧米列強こそ国際社会において自分たちの原則を守らなかったし、自分の国の中でさえ原則を実践していなかったのだから、そういう非難がどこから出てくるのか、理解に苦しむのだ。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 1894年7月29日、韓国在住のシル米代表は次のように書いている。

 ――日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。――

〈中略〉日露戦争後、アメリカは「事実の論理(ロジック・オブ・イベンツ)」を認め、韓国から代表を引き揚げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は韓国は「自治統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。「その後3年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称賛をかち得るような改善が数多く実現した」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。1917年、ライシング米国務長官と日本の石井(菊次郎)元外相の間で交わされた協定で、米政府はとくに韓国と中国における日本の特権を認めた。ライシング長官は次のように確認している。

 ――合衆国政府と日本は、領土的近接(プロピンキティー)が国家間に特別な関係を構成することを認める。したがって、合衆国政府は日本が中国に、とくに日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。――

 こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行なわれたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行なわれたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分たちは何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それにうながされて行動したのだ。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 今日、私たちが日本の韓国「奴隷化」政策を非難するのは、要するに日本の植民地経営が著しく拙劣だったからである。しかし、一般に「進歩」の基準とされている、病院、学校、官庁(とくに現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業か、資源開発などの分野でみると、日本の経営は他の植民地主義諸国にくらべて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。

 今日、日本の韓国経営を否定する人は、日本の主な目的が韓国国民の安寧福祉より自国の安全保障と経済的利益であったことを指摘する。しかし、そういう状況はヨーロッパの植民地では当たり前のことだった。

朴正煕=1917年(大正6年)生まれ。韓国の軍人・政治家。大邱師範学校を卒業し、慶北聞慶国民学校で3年間教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業。優秀な成績のため、日本の陸軍士官学校に留学。1944年(昭和19年)に日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉。クーデターで政権を奪取して第5~9代大統領(在任:1963年~1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。1979年(昭和54年)、側近によって射殺された。
「WiLL」2009年4月号掲載 田母神敏雄氏と石原慎太郎氏の対談より

田母神敏雄:

 石原さんが言われたように歴史の評価は相対的なものだとするならば、日本の方がずっと穏健な、朝鮮半島や中国に対する対応をしたと思うんです。

石原慎太郎:

 私もそう思いますね。福田赳夫さんは韓国の公式訪問を必ず最初にすると言ったけど、結局大平さんに負けてできなかった。それで朴(正煕)さんが国賓として呼んでくれたので、私も一緒に行きました。
 ゴルフをやった後にみんなで歓談した時に、あの頃の韓国の閣僚はみんな兵役の経験者で、酒を飲んでくると勢いもついてきて、日本の統治に文句を言ってきた。
 すると朴さんは「まあまあ」と言ってなだめた。流暢な日本語でしたよ。

 「私は世界で日本人はまだマシな統治をしたと思うよ。実は私には経験があるんだ。私の家は貧農だった。親は猫の手も借りたいから子供が学校へ行くのも嫌がった。ところが日本人がやってきて、子供を学校に入れないと親を刑務所に入れるぞと脅した。親は嫌がったけれど私は小学校に行きました。
 すると小学校の日本人の先生が『お前よくできるな。もっと上に行きたいだろう』というから、『ハイ』といったら、上級の近代教育を受けたいなら師範学校に行きなさい。師範学校に行ったらタダで高等教育を受けられるという。そして師範学校に行ったらまたそこの日本人の先生が『お前は優秀だなぁ。この時代、先生も必要だが、やっぱり軍人だぞ』といって、軍人になるために満州の軍事学校に行った。そこの教官が非常に見込んでくれて、『お前がここにいるのは惜しい』といって市ヶ谷の正式の軍官学校へ行った

田母神敏雄:

 日本では戦後、朝鮮半島や中国大陸、満州で平和に豊かに暮らしているところに日本軍が入っていったために、彼等の生活がかき乱されたと歴史を教えていますが、全く逆なんですよね。

石原慎太郎:

 朝鮮の人達の本意か不本意かといえば、本意ではないでしょう。でもその時、朴さんはこう言いました。

 「考えてみろ。あの時に朝鮮に力があったか。ほっといたら中国の属国になって、清朝はすぐに滅びてもっと混乱しただろう。清朝ではなくロシアに統治されたら、北も南もないぞ。半島全体が共産化された

呉善花(オ・ソンファ)=1956年(昭和31年)、韓国・済州島生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。日本評論家。日本に帰化済。
「正論」2002年12月号より

 韓国の教科書では、民衆はいかにひどい弾圧を受けたか、それにけっして屈することなくいかに勇敢に闘ったか、戦後の解放を勝ち取るまでの間、いかに徹底して植民地政策に対する自主救国運動を展開し続けたか、というように、激しい抵抗と闘争によって韓国人はがんばってきたと書かれている。もし、本当にそれだけ激しい闘争があったのならば、韓国全土には常時強力な軍事支配が布かれ、人々の生活のすみずみまでが監視状態におかれて行動の自由を奪われたはずである。

 そんな事実はまったくなかった。大多数の人々がとりたてた抵抗をすることなく、比較的よく統治の秩序に従ったのが事実である。そこで重要なことは、そうすることによってこそ、祖国は防衛されたということである。大多数の庶民たちがそのようにしてうまく統治され、またうまい統治を引き出すことによって、祖国は守られたのである。外国で反日独立運動を展開した一部の者たちが守ったものではまったくない。

 韓国の知識人たちは、祖国を奪い返すために政治的に闘うというテーマがあることは知っていても、政治的国家の主権が奪われている状態で、いかに祖国を防衛するかというテーマがあるとは思っていない。しかし、韓国庶民たちはうまく統治されることをもって、立派に祖国を防衛したのである。祖国とは政治的国家の主権のことではなく、国土、郷土、習慣、文化などと人々の日常生活の総体である。政治的国家の主権がない状態で、人々は自らの手で祖国を守るため、そのように身を処したのである。

 韓国の知識人たちは、植民地時代には全般的に平穏な日常生活がほぼ確保されていて、穏やかで平和な日本人生活者との親密な交流のあったことを、率直かつ堂々とみとめなくてはならない。植民地統治下にあった韓国庶民は、平穏無事な普通の生活が基本的に阻害されない限り、あえて反日独立運動の旗を掲げて統治者と闘うことなく、統治秩序に整然と従って生きる道を選んだのである。そして日米開戦となり、朝鮮半島にも危機が訪れたことによって、家族や郷土の生活を守るために日本人と同じように日本の戦時政策に協力していった。こうした韓国人庶民の生き方を、誇りを持って積極的に肯定しなくてはならない。

 韓国は、この圧倒的多数の庶民たちの祖国への思いを引き継ぐ意志をもって再出発し、植民地コンプレックスを断ち切っていかなくてはならない。いずれにしても、植民地コンプレックスを終らせない限り、日韓和解への道は開かれない。

 とくに教養もなく素朴な田舎人として生きてきた私の母たちが、なんのてらいもなく感じたままの「日本および日本人へのよき印象」を語るのはなぜなのか。そこにはなんらの植民地コンプレックスはなく、ただ自分達の体験をとおしての率直な日本人観、日本観があるだけだからなのである。

崔基鎬(チェ・ケイホ)=韓国人。1923年(大正12年)生まれ。巣鴨高校卒。韓国・東国大学大学院経営科、ソウル大学付属司法大学院特殊法科課程修了。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、加耶大学客員教授。
「SAPIO」2006年6月14日号【[ソウル発]韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ】より

 日韓併合時代の真っ真中、1923年に生まれた私は、当時から現在にいたるまで、韓国の国民が必ずしも「反日」ではないことを知っている。むしろ韓国人は、根本的には日本に好ましい感情を抱いていると言っていいだろう。盧政権やメディアが世論や国民感情を反日に焚きつけているだけだ。

 実際、日韓併合時代は、私の生まれ故郷でも、韓国人と日本人が対立することなく、仲良く暮らしていた。終戦時はお互いに別れを惜しんで、涙を流しながら手を取り合っていたほどだ。

 また、現在の韓国の歴史教科書には「日帝は内鮮一体・日鮮同祖論・皇国臣民化などを掲げて……姓氏と名前まで日本式に改めて使うことを強要した」などと書かれているが、これは事実ではない。いわゆる「創氏改名」は強制ではなく、志願や勧奨によるものだった。

 それが事実であることは、日本の陸軍士官学校を出て将校となり、日中戦争の勲功によって朝鮮出身者として初めて金鵄勲章を受賞された金錫源将軍が創氏改名をしていなかったという一例を挙げれば明らかだろう。強制ならば、それを拒んだ者に勲章が与えられるわけがない。ちなみに私たち大正生まれの世代も約二割は創氏改名をしなかったし、そのまま官庁や銀行などの要職に就いても差別を感じることはなかった。にも拘らず、多くの者が日本式の氏名を名乗ったのは、日本や日本文化に対する好意を持っていたことの表れである。

 そして、この傾向は今日でも変わっていない。したがって、もし現在の韓国で政府が親日的な政策を取れば、国民のあいだに、文学や音楽からライフスタイルに至る迄、日本の文化が深く浸透することだろう。しかし為政者は、それが韓国の自主独立を脅かし、国家に亀裂を生じさせると考える。つまり政策としては、国民が反日感情を抱いているからではなく、むしろ親日的であるからこそ、逆に反日的な政策を取らざるを得ないわけだ。韓国の日本大使館が分析したように、政権維持のための反日なのである。


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 日韓併合100年に合わせた「菅談話」が発表される可能性が高まっています。

 談話の中身について、菅首相は臨時国会を召集した7月30日の会見、また8月2日の衆院予算委員会でも、「慎重に検討する」という言い方でお茶を濁していますが、気になるのは仙谷官房長官で、これまでのこの人の発言を見る限り、このまま行けば日本側にとってかなり酷い内容になりそうです。

 皆さんすでにご存知でしょうが、仙谷氏は7月7日に突然、韓国への戦後補償は不十分だとして、新たな個人補償を検討する考えを表明しました。
 これは、日韓両国間の個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決した日韓基本条約(1965年の日韓国交正常化の際に締結)とそれに伴う協定を無視したものです。

 いくら何でも日韓基本条約を反故にするような談話にはならないとは思いますが、先日発売された「正論」9月号の黒田勝弘さん(産経新聞ソウル支局長)の解説を読んでみますと、どうも1910年に締結された日韓併合条約を「無効」とする談話が検討されている可能性があるようです。

 日韓併合条約については日韓基本条約で「もはや無効」と記されていますが、黒田さんによれば、この「もはや」の部分に韓国側は以前から不満を示しており、学界を中心に「原点にさかのぼって無効」を日本に認めさせようと必死になってきたのだそうです。

 韓国政府は、この主張は国交正常化条約の見直しにつながるためそれほど関心はないそうですが、日本側の進歩的文化人たちが菅首相をはじめ民主党サイドに懸命に働きかけをしており、その中には民主党のブレーンとおぼしき人たちも含まれているとのことです。

 とにかく「菅談話」が日本の国益を損ねる内容になることはほぼ確実であり、何としても止めなければなりません。

 「菅談話」については改めて拙ブログでも書きたいと思っていますが、今日のところは、「オノコロ こころ定めて」さんが「菅談話」阻止のための抗議先をまとめて下さっていますので、そのURLだけ紹介しておきます。
 http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/60908454.html


 ……というわけで、第20弾につづく……!?


※参考文献
・イザベラ・バード著「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」(講談社学術文庫)
酒たまねぎや ura ホームページ>日韓共鳴二千年史
大日本史番外編朝鮮の巻>「ぢぢ登場の巻」の補足資料>植民地統治の検証 3
・コリン・ロス著「日中戦争見聞記―1939年のアジア」(講談社学術文庫)
中川信博 理論と実践>日韓のこれから 日韓共鳴二千年史から紐解く 第五部 大東亜戦争 朝鮮への鎮魂 二、聖戦完遂に熱狂した朝鮮の人々
・ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(メディアファクトリー)
・「WiLL」2009年4月号【大激論 田母神俊雄vs石原慎太郎 自分の国を守れる体制を】
真中行造のページ>日韓併合

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