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外国人から見た日本と日本人(18)

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 今日の衆院本会議の代表質問、国会中継をちらちら見てたのですが、菅直人首相は「ハァ?」な回答がたくさんありましたね。

 ひとつだけ挙げておくと、菅原一秀議員(自民党)が、菅首相が平成11年成立の国旗国歌法に反対した理由を問いただしたのですが、菅首相の答弁はこのようなものでした。

 「あの法律は国旗と国歌が一体で出された。私は国旗は大好きです。国歌は嫌いなわけではないですが、もっと元気のいい国歌がいいかなと思った」

 これには野党席も苦笑いでした。
 菅さん、もっと元気のいい国歌がいいって、たとえば中国国歌「義勇軍行進曲」フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」みたいなのがいいの?(^_^;

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 さて、今日は久々に「外国人から見た日本と日本人」。第18弾です。
 だいぶ前にまとめてあったんですが、政治がゴタゴタしててUPするのが延び延びになってしまいました。
 
 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。

※このシリーズの一覧(人物名と国名)を作ってあります。
 ・【一覧】外国人から見た日本と日本人
 
エセル・ハワード=イギリス人。1865年(慶応元年)生まれ。1895年(明治28年)ドイツ皇帝のウイルヘルム二世の皇太子と弟妹の英語の家庭教師となる。1901年(明治34年)来日し島津家へ入り、30代当主・忠重公と4人の弟たちの家庭教師を1908年(明治41年)まで務めた。
「明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想」(1918年出版)より
伊藤博文についての記述


 日本を統治している現在の憲法は、大部分伊藤侯爵の起草したものである。彼は天皇陛下の深い信頼を受け、勅命によってヨーロッパに視察に赴き、西欧各国の立憲君主制を勉強したのである。

 彼が公的生活から隠遁しようとした時、陛下は彼を朝鮮に送って統監に任命したが、それは日露戦争中のことであった。彼はその時すでに老境に入っていたので、この任命は彼にとって重すぎる負担であったに違いない。しかし、彼は敬愛する陛下のために喜んでこの仕事を引き受けたのである。

 私が特別の計らいで彼の家を訪問したとき、彼の身の回りの質素なこと、そして、富を象徴するような飾り物が一切ないことに心を打たれた。

 伊藤侯爵は現世の宝を崇拝する人ではなかった。彼が死んだとき、その遺産はほんのわずかしかなかった。われわれ一行が彼のところを訪れて歓迎を受けたとき、彼が大変親切で思いやり深く、その態度の慈愛に満ちていたことを、今でも目の当たりに思い浮かべることができる。

 彼の朝鮮統監への任命には、困難かつ重要な仕事が付随していた。その一つは、若い皇太子[むしろ朝鮮の新皇帝というべきかもしれぬが]の教育の問題であった。

 かかる偉大な人物が、暗殺者の手にかかって最期を遂げたことを思うと、ほんとうに痛ましいとしかいいようがない。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
江戸平野を旅行中の記述


 翌朝七時にごはんも食べおわり、部屋はまるで泊まり客などだれもいなかったかのように、なにもないがらんとした部屋に戻りました。八〇銭の宿泊料が支払われ、宿の亭主と使用人が口々にサヨナラと言ってひれ伏し、わたしたちは人力車(クルマ)に乗り早足で宿をあとにしました。

 最初の休憩地で、人がよくて親切ながらもとにかく醜いわたしの車夫が苦痛に襲われ、吐きました。粕壁で飲んだ水に当たったのが原因だと車夫は言い、そこに残りました。ありがたいことに向こうから実直に、自分と同じ条件をきっちり守る代わりの車夫を用意すると言い出してくれて、病気だからとチップを要求しませんでした。本当に親切で世話になったので、具合の悪いまま置いていくのはとても悲しいことでした。

 たしかに車夫にすぎないとはいえ、帝国民三四〇〇万人のほんの一粒にすぎないとはいえ、天にまします父なる神にとってはほかに劣らず大切なひとりなのですから。

アンドレ・ベルソール=フランス人。1897年(明治30年)12月から翌年8月にかけて日本を旅行した。小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、著書「明治日本滞在記」の中では、日本についてもしばしば遠慮のない評言をしている。
「明治日本滞在記」より

 一般的に言って、校門が開かれ、教師から白人への反感を植えつけられている生徒たちが路上に溢れる時には、ヨーロッパ人はそこに居合わさないことが望ましい。とはいうものの、生徒の群がヨーロッパ人にぶつかり、罵りの言葉が彼に浴びせられた時には、私は、日本人がどんなに親切で丁重かを思い出すよう、そのヨーロッパ人に勧告したい。

 最も無礼な子供をも静めるための妙策を、私はずっと以前から教えられている。誰でもよい、子供たちの一人に近寄り、道を聞くか、広場の名前を尋ねるかするのである。罵りを発していた口はたちまち微笑を浮かべる。挑むような姿勢をとっていた小さい体が前に傾いてお辞儀をする。そして、彼の仲間たちも、私が敵であることを忘れて、彼らの父たちが生活の掟としてきた愛想のよさをひたすら私に示そうとする。

 つい昨日も私は、一群の生徒たちにタバコ屋へ案内してもらった。この生徒たちというのが、その一瞬前には、私に石つぶてを投げたかもしれない連中だったのである。「タバコ屋はどこですか?」という私の単純な問いかけが、親切と丁重の伝統をたちまち彼らに思い出させたのである。

ポール・クローデル=フランス人。1868年(慶応4年)生まれ。外交官。日本の芸術を熱烈に愛好していた姉のカミーユ・クローデル(ロダンの弟子)から葛飾北斎や喜多川歌麿を紹介されたのがきっかけで、日本に強く惹かれるようになった。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経た後、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで駐日大使を務め、日仏の経済交流や文化交流を積極的に進めた。
「朝日の中の黒鳥」より

 天皇は、日本では、魂のように現存している。天皇はつねにそこに在(あ)り、そして続くものである。天皇がいかにして始ったのかは誰も正確には知らないが、天皇が終わらないだろうことは誰もが知っている。

※タイトルの「朝日」は日本、「黒い鳥」はクローデルのこと。クローデルは「黒鳥」(クロドリ)と自分の名前の音の響きがよく似ていることに親近感を抱いていたそうです。

金美齢=台湾人。1934年(昭和9年)台北生まれ。日本統治下の台湾で育ち、日本敗戦後国民党による台湾人弾圧時代を経験。1959年(昭和34年)日本に留学後、台湾民主化運動に参加。このため30年間以上も台湾の土を踏むことができなかった。多くの大学で講師を歴任。1988年から2000年までは学校法人柴永国際学園JET日本語学校校長も務めた。台湾の民主化が進んだ後、2000年から2006年まで総統府国策顧問。2009年9月、日本に帰化。
「正論」2009年9月号 金美齢×盧千恵【台湾人にとっての「昭和」】より

 日本人が日本の都合でやったことでも、台湾人のためになったことがたくさんあったんです。それを結果論とか程度の問題にすぎないと突き放すこともできますが、程度の差を抜きに一括りに切り捨てたら実態は見えてきません。

 “国づくり”ということで言うと、たとえば、いま台湾檜は最高級という折り紙が付いていますが、檜をせっせと植林して手入れすることを台湾人に教えたのは日本の技師です。丹精込めて檜を育てる技術とそのための心を日本人は台湾に残していった。それが、日本人が去ったあとに中国人がやってきて、すぐにお金になるからと物凄い乱伐をした。しかも、それを告発しようとした台湾人は彼らに殺されてしまった。

 日本人は十年後、二十年後を考えて植林したのに、中国人は目先の欲得しかなかった。戦後、台湾がたびたび洪水に襲われるようになったのはそのせいなんです。ここにも台湾人にとって、立派な日本人とひどい中国人という構図が浮かび上がってくる(笑い)。やっぱり台湾と日本の良き関係は、ある種の幸運な歴史の積み重ねと、人としての親和性が双方にあったからだと思います。

盧千恵(ロー・チェンフイ)=台湾人。1936年(昭和11年)日本統治下の台湾に生まれる。高卒後の1955年(昭和30年)に来日し、56年、国際基督教大学入学。61年(昭和36年)、早稲田大学留学中の許世楷氏(2004年から08年まで台北経済文化代表処の駐日代表)と結婚。夫とともに台湾独立、民主化運動にかかわりパスポートを没収される。92年、国民党政権のブラックリスト解除で一時帰台、翌年帰台。2004年、代表夫人として再来日。児童文学者でもあり「台湾歴史童話」など著書多数。
「正論」2009年9月号 金美齢×盧千恵【台湾人にとっての「昭和」】より

 私の夫の許世階は駐日大使のとき、日本の学校の台湾への修学旅行の誘致に努めていましたが、常々こう言っていました。

 台湾は、日本人が日本自身を発見できる国です。自分たちの祖先の偉業や歴史を見ることができるごく身近な隣国なのです」と。

 私もまったく同感です。台湾の中に日本人が忘れるべきではない歴史の遺産が息づいているのです。

蔡焜燦(サイ・コンサン)=台湾人。1927年(昭和2年)日本統治下の台湾・台中州清水に生まれる。1942年(昭和17年)に台湾人にも志願兵制度が適用され、志願者が殺到する中、1945年(昭和20年)に少年航空兵として陸軍航空学校に入学。敗戦後、台湾で体育教師、後に実業家に転身。半導体デザイン会社「偉詮電子股分有限公司」会長など歴任。「親日家」を超える「愛日家」と自称し、老台北(ラオ・タイペイ)の愛称で親しまれている。
「正論」2010年1月号 金美齢【独占手記 滞日50年、「二つの祖国」のはざまで 私はなぜ日本国民となったか】より
蔡焜燦氏の言葉


 (台湾人と中国人の決定的な差異は)「公」という観念の有無だ、と思う。

 日本の教育は、台湾人に他の近代国家と伍して恥じない最高水準の道徳を身につけさせてくれた。日本統治時代の道徳教育こそが、台湾人と中国人を精神的に分離させたのである。

 日本統治時代、「公」という観念は徹底的に教え込まれた。それは秩序ある法治社会を築き上げるためには必要不可欠だった。

オリヴィエ・ジェルマントマ=フランス人。作家、フランス国営文化放送プロデューサー。紫式部から三島由紀夫まで多くの優れた日本文化紹介番組を送り出した。フランスを代表する知識人とされる。
「日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙~」(1998年発行)より

 日本だけが伝統的過去と断絶せずにつながっている。その象徴こそ建国以来連綿として続いてきた皇室の存在。

〈中略〉神道なくして日本はない。神道は来るべき世紀に枢要(すうよう)欠くべからざる役割を演ずるに至るであろう。なぜならその時ついに人間は自然との合一なくしては生きられないと悟るであろうから。

ロマーノ・ヴィルピッタ(ロマノ・ヴルピッタ)=イタリア人。1939年(昭和14年)ローマ生まれ。ローマ大学法学部卒。1964年イタリア外務省に入る。駐韓国イタリア大使二等書記官、駐日イタリア大使館二等書記官(のち一等書記官)を務める。1972~75年ナポリ東洋大学大学院現代日本文学担当教授。75年欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。現在、京都産業大学経営学部教授(ヨーロッパ企業論、日欧比較文化論)。
「正論」2009年12月号【折節の記】「月の光」より

 中秋の名月はとりわけ美しいのだが、普段でも日本の月は本当に美しいと思う。また、日本の夜は明るい。僅かの三日月でも明るい。月がないときでも、真っ暗な夜はほとんどない。どうして日本の夜はそんなに明るいのだろうかと、時に不思議に思うほどである。

〈中略〉田舎によく通うようになってから、お月さんを身近な存在と感じるようになった。夜の景色は、昼と全く別の世界で、静の世界である。その世界に魅かれて、外へ出たくなる。今の人たちにとって、月夜は美しいだけであるが、昔の人たちにとって、月の光はどんなに有り難いものだっただろう。月見や庚申講(こうしんこう)のような習慣が生まれたのはよく分かる。そして、それらは昔の日本人にとって、とても大事なイベントだったに違いない。

 西洋でも、もちろん、お月さんは大事な存在だった。詩歌と歌謡曲、童話と神話でお月さんは重要な課題である。また、多くの習慣と迷信、或いは日常生活の知恵も月と関係している。夜に開催される多くの祭りも満月に当たる。それでも、お月さんは主役となっていない。月見のような、集団的に決まった時に楽しむイベントはない。西洋で、月を愛でることはあっても、月見はない。同じように、花を愛でることがあっても、花見はない。花もそうだが、月も独りで楽しむ。或いは恋人と。

 月を愛でる時、日本の月見のような賑やかさはない。月の明かりは寂しいこととされている。月を見ながら、西洋人は孤独に耽る。宇宙のなかで、人間が、微々たる存在である事実を痛感するのである。月の光は冷たいものである。そして、西洋人は月の冷たい光に、人間に対する大自然の冷たさを感じるのであろう。

金偉=中国人。現在、大谷大学大学院の留学生として、日本の古典文学を学んでいる。11年かけて万葉集4516首を中国語に翻訳し、北京で出版した。
09年11月24日放送 NHK教育「日めくり万葉集」より

 私は万葉集を読んで、感動しました。昔の日本人の自然に対して、人に対してのやさしい心を感じます。昔の日本人の感情を、今の中国人に伝えたいと思います。

※この回で金偉さんが選んだ歌はこれでした。
「娘子(をとめ)らが、織(お)る機(はた)の上を、櫛(くし)で掻(か)きあげ栲島(たくしま)、波の間(ま)ゆ見ゆ」。中国語訳ではこのようになるそうです。「少女的織布机上 透過細密的梳歯 能看見浪間的栲島」

呉善花(オ・ソンファ)=1956年(昭和31年)、韓国・済州島生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。日本評論家。日本に帰化済。
「正論」2009年11月号【日本の根本課題「自らの独創性、可能性を信じよ」欧米主導の未来が描けなくなった時代。今こそ伝統的な要素の保持が必要だ】より

 仏教はインドに始まり、儒教は中国に始まる。しかしながら、日本で展開され形づくられたのは、あらゆるものに魂が宿るという精神性と切り離せない日本仏教であり、自然と人間は一つであるという精神性と切り離せない日本儒教であった。

 挿花も点茶も作庭も、ルーツという考えからは中国に発するものである。しかしながら、それらは日本で生け花となり、わび茶となり、枯山水となり、というように独自のものへと発展を遂げている。

 きらびやかな繁栄を誇る外来文化の華美な色つやを洗いに洗い、徹底して余剰をはぶき続けていこうとする先に起きた文化の組み替えが、日本に独特な素朴な味わいやわびしげな風情を生み出すのだ。

■09年11月14日に起きた韓国・釜山の室内射撃場火災では、多くの日本人観光客が犠牲となった。韓国の新聞では日本人の遺族たちによる「つつましやかな哀悼」の表し方が高く評価され、日韓両国の文化、伝統の違いまで改めて論評される契機ともなった。
産経新聞09年11月30日付【環球異見】釜山射撃場火災より

●文化日報11月19日付夕刊コラム「取材手帳」

 「日本人遺族にとり、家族の身元確認と、愛する家族がどうして死に至ったのかという原因究明が何より重要なことに感じられた。補償問題は一切、口にしなかった」
 「事故が発生するたびに補償問題がすぐに起きて、金額でもめてきた韓国とはかなり違う姿だ。韓国政府と対策本部が補償問題を提起したのに、むしろ彼らは遺体を解剖しないでほしいという要望を先にした」
 「集団行動を自制しようとする日本人遺族らの態度も印象的だった
 「韓国政府に何か伝えたい場合、釜山総領事館関係者など公式ルートで意見を伝えていた。1家族に1人の専属通訳がいたにもかかわらず、個人的なコメントを出すことはほとんどなかった」
 「警察の捜査期間中、日本人遺族は韓国政府を表立って非難したことはなかった。言葉を慎んだし、号泣することもなかったし、韓国に対する露骨な敵意や要求も示さなかった
 「血縁を失った悲しみの中で見せた普通の日本人の毅然(きぜん)として節度ある言動は永く消えない記憶として残るようだ

●朝鮮日報11月19日付コラム「万物相」
 「(5年前の新潟県中越地震で)2人の子供と母親が生き埋めになっているとき、おばあさんがマスコミのインタビューに語った、『3人が元気に家に戻ってくるのを待っています。皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません』という言葉が印象的だった」
 「(イラクで人質になり殺害された日本人の家族の声明文に「ご迷惑をおかけし申し訳ありません」とあったことに触れ)日本人たちは自分の不幸を言い募る前に、他人が自分を心配し気遣ってくれることに申し訳ないと思うのだ
 「(日本人が葬式でもほとんど声を出して泣くようなことはしないのは)自分の悲しみで他人に気遣いさせることを“迷惑”と考え、悲しみを外に出さないことを美徳とする態度が背景にあるからだ

●東亜日報11月19日付 権純活論説委員によるコラム
 「事故翌日に韓国に来た日本人遺族は感情を抑え、悲しみを心中に押しとどめた。血走った目で怒りをあらわにする姿は見られず、涙ながらに訴える記者会見のようなものはなかった」
 「日本人遺族らのつつましやかな哀悼は、他人が見ている前で感情をあらわにすることをはばかる日本式祭礼文化と関係が深い
 「日本メディアも、自国民が命を失う事件、事故が起きれば、内容と原因を忠実に伝える」
 「主観的判断で読者や視聴者の感性を刺激したり葛藤(かっとう)をあおったりはしない。さらに、特定の方向へと誘導するような報道はタブー視されている。遺族が遺体を担保に極限闘争をすることもない」
 「(日韓の立場が逆だった場合を暗に仮定して)国ごとに文化の差はあるが、落ち着きの中で亡き人への礼儀を守る日本の祭礼文化は、円滑な事態収拾策を引き出す助けとなる

カルロス・イシカワ=ペルー人。日系3世。日本滞在歴10年以上。川崎市在住で日本語学校に通う37才。
産経新聞2010年1月28日付オピニオン面「談話室」(読者投書)より

 私はペルーの日系3世だ。日本に来て10年以上になる。私は、日本人はとても誠実な国民だと思う。

 日本に来てすぐ、全財産が入っている財布を落としてしまった。財布がないのに気づいたとき、ものすごく恐ろしい気持ちになった。これで日本での生活は終わりだと思ったのだ。

 ところが、私の財布は駅の事務所に届いていた。そして、お金は元のまま入っていた。驚いた。外国だったら、同じ結果はありえないだろう。

 最近の日本のニュースは悪い事件ばかりなので、日本の社会は悪くなってきていると思っている人が多いのではないだろうか。でも、それは本当の日本ではない、本当の日本はすごくいい社会だと思う。

 日本人は、自分たちが誠実だということを忘れているのだろうか。誠実というのは目立たないことかもしれない。でも、私から見ると誠実なことはすばらしい宝物だ。

スコット・キャロン=アメリカ人。1964年(昭和39年)生まれ。父の転勤に伴い、1歳から3年間東京に住む。ハイスクール在学中の1984年(昭和59年)夏、松下電器産業に2カ月間研修生として来日。90年(平成2年)に大学院生として慶應大学で1年間日本語を学ぶ。94年(平成6年)3月から、日本開発銀行の客員研究員として再び来日後、米国系の投資銀行の東京支店に就職。その後永住権を取得し、投資顧問会社「いちごアセットマネジメント社」を設立(いちご=一期一会から命名)。日本滞在期間通算17年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 研修生で来日した頃の私は、アバウトな性格で「もういいや」と途中で諦めてしまうタイプでした。けれども日本に来たからこそ成長できたのだと思います。日本人は、真面目で勤勉、そして「質」をとても大事にすると思います。社会全体で常にエクセレンスをめざす。自分たちは気がついていないかもしれませんが、これはとても明白な素晴らしい利点です。

 そして、日本社会の最大の強みは、「一般人」です。日本には世界一の「一般人」がいますよ。米国のエリート教育はすごいと思いますが、エリートは一部の人間だけです。日本には優れた一般の人々が大勢いて、いつだって一生懸命。日本は健全な社会だと実感します。米国は貧富の差が激しいですから、それこそ健康保険にも加入していないような人々がたくさんいます。日本には最低保障、セイフティーネットがあります。豊かな社会なのです。

 治安も世界一です。東京では、子どもを自由に外で遊ばせておくことができますし、バスや電車に一人で乗せることもできます。マンハッタンで子どもを一人で外に出すなんて到底考えられません。東京での生活の方がよっぽど充実した子ども時代を送れると思います。

アルプ・アルプテキン=トルコ人。1983年(昭和58年)生まれ。日本武道館武道学園、東京外国語大学で学び現在帰国。滞在期間6ヶ月。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 私にとり、日本の武道は、自分の中心にあります。武道で母国を再建したいのです。

 トルコでは剣道を習っていました。現在は日本語を学ぶ為に、東京外国語大学に在学しています。学業の合間を縫って、週のほとんどを道場に通う日々です。剣道、居合い道に続き、杖道という武道も始めました。私の武道の師匠は素晴らしい人物です。国際大会にも頻繁に招待され、彼を頼って来日する外国人は後を絶ちません。

〈中略〉段審査を受けた時の話です。東京での審査はすでに終了していました。次の審査まで待てません。私の帰国の日は迫っているのですから。先生は茨城で段審査が行われていることを調べ、受けられるよう手配してくれました。本来は居住地である東京地区の武道会に所属している私が、越境して審査を受けることは不可能です。先生は弟子が外国人であること、熱心に稽古に通っていること等を、関係者に説明し、「段を取りたい」という願いを叶えてくれました。形式を重んじる武道の世界で“特例”を認めることがどれほど困難なことか。先生は実の父親が息子にするように、試練とチャンスを与えてくれたのです。

 それだけではありません。早朝の審査に間に合うように、前日は茨城にいる先生の剣友が、自宅に泊めてくれるというのです。彼自身も翌日は審査を受ける大切な日だというのに、快く受け入れてくれたのです。私と先生は段審査の用意をして、東京駅からつくばエキスプレスの乗り込みました。当日は自信を持ち、落ち着いた気持ちで杖道の審査に臨み、見事“初段”を取ることができました。先生との稽古が実った瞬間でした。これも自宅を提供し、様々な手配をしてくれた先生方のおかげです。反対の立場だったらどうでしょう。トルコに見知らぬ外国人が訪ね「武道を学びたい」と望んだ時、ここまで親身になり世話をするでしょうか?師匠は見返りを求めることなく、ただ「学びたい」という私の心に応えてくれるのです。茨城の先生と師匠の間には武道家同士に存在する“深い信頼関係”があります。これこそ武道の精神なのではないでしょうか。武道館で指導に当たる他の先生方も同様です。稽古中は無駄な言葉を発しません。どんな場面でも弟子を信じて、自ら気付くまで待ってくれているのです。何と言う忍耐力でしょう。先生方も一様に長い時間をかけて、自分自身の修行を続けているのです。

〈中略〉その昔、「オスマン帝国」が繁栄していた頃、トルコの人々の心にも、日本の武道と同じ精神がありました。日々、自分を鍛え、目上の者には礼を尽くすという姿勢です。現在のトルコは、駄目になっています。目先のことやお金に捉われ、父親を尊敬することすら忘れています。優秀な若い人材はいるのですが、トルコに失望して、アメリカやヨーロッパへ出て行きます。自分の国を捨てるのです。

 もう一度言います。私は、日本の武道の心を国へ持ち帰り、十年後二十年後の国を創り上げていく決心です。帰国したら、人々に杖道を伝えます。

セルゲイ・ハルラモフ=ロシア人。1962年(昭和37年)モスクワ生まれ。モスクワ大学で日本の歴史、、経済、文学などを勉強する。1983年、冷戦時代のピークに、ソ連から初めて訪日、東海大学に10カ月間留学。1994年から、在日ロシア大使館一等書記官・文化担当官として4年間日本に住む。現在はビジネス・コンサルタント。滞在期間通算7年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 かつて日本国内を旅した時に、偶然、松山の温泉地にある墓地に立ち寄ったことがあります。驚いたことに、そこには日露戦争などで亡くなった百人ほどのロシア兵たちのお墓がありました。松山には、最初の捕虜収容所が設けられたそうで、次々と送られてきた外国人捕虜たちは、公会堂や寺院に収容されたのですが、待遇は非常によく、外出、温泉入浴、海水浴なども許され、一時は、四千人を超えるロシア人がいたらしいのです。

 そして、病気などのために寂しく異郷で亡くなったロシア人たちは、ここに埋葬され、毎年、慰霊祭もあると聞きました。近づいてよく見ると、なんと、それぞれのお墓にみかんや杯などがお供えしてあるのです。近くに住む日本人の女性たちが、今でも生花やお水をあげて、ずっとお墓の世話をしているのです。

 私はそのことを知り、日本人の心の優しさに、涙が出るぐらい感動してしまいました。それ以来、日本人の友人たちのことを考えると、彼らを決して裏切ることはできないし、裏切られることもないだろうと確信できるのです。

〈中略〉日本は、新しい驚きや感動を与え続けてくれる魅力的な国です。「あなたにとって、憧れの国、イメージがよい国はどこですか」。ロシアの世論調査で、その一番目によくあがるのが、日本です。そんなふうに考えられているなんてご存知でしたか。日本では、ロシアについて、残念ながらそうではないでしょう。

 私は、この状況をどうにかしたくて、できるだけたくさんの日本人とロシア人が、隣国のことをもっと知り合い、お互いの文化を紹介し合うことができるような仕事をずっとしてきました。幼い日に憧れた日本。日本は私にとって、初恋の相手に近いかもしれません。


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 最後に紹介したセルゲイ・ハルラモフさんのお話に登場した、愛媛県松山市にあるロシア兵のお墓について補足をしておきます。

 これは日露戦争で俘虜となったワシリー・ボイスマン海軍大佐ら98人のお墓で、松山城の北の寺町、その一角にある古刹の来迎寺(らいこうじ)裏山の墓地の横にあります。
 ロシアのある北を向いて葬られているそうです。
 1905年(明治38年)に日露講和条約批准により俘虜は帰国できたのですが、彼らはそれを待たず不幸にも亡くなったのでした。

 松山に全国初の捕虜収容所ができたのは1904年(明治37年)。収容された俘虜の数は、延べ6000人に達したといわれています(当時松山市の人口は3万人)。

 俘虜は寛大に扱われ、外出は自由で温泉、観劇などを楽しみ、松山市民との交流もさかんに行われました。当時の松山市民は、お遍路さんをもてなすように彼らを厚遇し、そのうわさはロシア兵の間に広まり、彼らは投降の際、「マツヤマ」と叫んだとまでいわれています。

 実は当時、愛媛県も県民に対し「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情を汲み取って侮辱を与えるような行為は厳に慎め」との訓告を発していたのだそうです。

 なお、ワシリー・ボイスマン海軍大佐についても感動的なお話があります。

 ペレスベート号の艦長であった大佐は、艦を自爆して投降、1905年(明治38年)1月23日、松山市の大林寺収容所に収容されました。

 日本側は、大佐という階級と負傷兵であることを考慮して、ロシアに送還しようとしたのですが、大佐は「兵卒と共にありたい」と拒み、それなら妻子を呼び寄せよ、と勧めましたが、これも謝辞したと伝えられています。

 大佐は、同年9月に入院、その9日後の9月21日(収容後8カ月)に心臓病と胃癌で永眠しました。彼の葬儀は盛大をきわめ、ロシア陸海軍将兵をはじめ、「ロシア人の武士道」に感動した日本の官民も参列し、葬儀の列は数町も続いたといわれています。

 こうした日本人側の好意に対し、ロシア俘虜側は会葬御礼の広告を地元の新聞に掲載するほどだったそうです。

※ロシア人墓地については、以下のHPで詳しく紹介されています。是非ご訪問下さい。
たむ・たむ(多夢・太夢)さんのページ>ロシア人墓地(松山市)
松山市ホームページ>ロシア人墓地について

 他にも日露戦争といえば、旅順陥落後、乃木大将が投降したステッセル中将に礼節を尽くした話などが有名ですね。
 ご存知ない方は、この機会にぜひ知って下さい!

 さくら花びらの「日本人よ、誇りを持とう」さんがお勧めです。
 「水師営の会見」の後の記念写真も載せて下っているのですが、一体どちらが勝者でどちらが敗者なのか分からないぐらいです。

 このように、日本はロシアの敗軍の将や俘虜を厚遇したのです。

 ところが40年後、そのロシア(ソ連)が国際法を破り、日本に対してどんな過酷な仕打ちをしたか?
 これについては、拙エントリー2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者をご覧下さい。

 セルゲイ・ハルラモフさんには大変申し訳ないのですが、私はこのことに言及せずにはおれませんでした<(_ _)>


 ……というわけで、第19弾につづく……!?


※参考文献
・エセル・ハワード著「明治日本見聞録 英国家庭教師婦人の回想」(講談社学術文庫)
・イザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行(上)」(講談社学術文庫)
反日ワクチン>明治仏人の京都への旅
産経新聞10年2月18日付【正論】「日本人の心の中の天皇観が大切」比較文化史家 東大名誉教授・平川祐弘
・「正論」2009年9月号 金美齢×盧千恵【台湾人にとっての「昭和」】
・「正論」2010年1月号 金美齢【独占手記 滞日50年、「二つの祖国」のはざまで 私はなぜ日本国民となったか】より
新・へっぽこ時事放談>日本文明が世界を救う
・「正論」2009年12月号【折節の記】ロマーノ・ヴィルピッタ「月の光」
・09年11月24日放送 NHK教育「日めくり万葉集」
・「正論」2009年11月号 呉善花【日本の根本課題「自らの独創性、可能性を信じよ」欧米主導の未来が描けなくなった時代。今こそ伝統的な要素の保持が必要だ】
・産経新聞09年11月30日付【環球異見】釜山射撃場火災
・産経新聞10年1月28日付オピニオン面「談話室」(読者投書)
・加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

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