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民族の誇りに…【将兵万葉集】(3)特別攻撃隊・神風-2

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【お知らせ】5月5日放送「アンカー」青山繁晴さんコーナーはお休みでした。来週をお楽しみに!

 今日は久々に「細切れぼやき」もあります。ぜひ最後までお付き合い下さい<(_ _)>

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   写真共有サイトSo-netフォトより「mippimama」様 撮影。

 「太平洋戦争 将兵万葉集」山口志郎 編・東京堂出版(1995年初版)という本があります。
 昭和に生きて、戦い、多くは亡くなって行った兵士・軍人の和歌がまとめられた本です。

 鎮魂と平和への願いを込めつつ、拙ブログではこの本から少しずつ和歌を紹介しています。
 今回は【特別攻撃隊・神風】の項からの引用、その2回目(後編)になります。

※過去記事
2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者
3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1
※和歌の下の( )は出典です。
※階級は出撃時のものです。
※出身の略語は次の通りです。
 陸士=陸軍士官学校、少飛=少年飛行兵、特操=特別操縦見習士官、
 幹候=幹部候補生、下士=下士官操縦者、
 予下=民間操縦士志望者からの採用予備役士官、
 特幹=旧制中学から試験で採用した下士官、海兵=海軍兵学校、
 海機=海軍機関学校、予学=予備学生、予生=予備生徒、
 甲飛行=甲種飛行予科練習生、乙飛=乙種飛行予科練習生、
 特乙飛=乙種(特)飛行予科練習生、丙飛=丙種飛行予科練習生、
 操練=操縦練習生、予備練=航空局委託練習生。
 また、これらに付いている数字は期別。


 ………………………………………………………………………………
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■この土のつらなる果てに母ありて明日の壮挙の成るを祈らん
 (雲流るる果てに)

 西田高光
  大分県、海軍中尉、大分師範、予学13。
  第五筑波隊員。
  二十年五月十一日山岡荘八氏に見送られ沖縄に特攻戦死。二十三歳。
 ※西田中尉については後ほど詳述します。

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■いさみ来て今に思へばかなしけりなが年月の父の恩愛
 (いざさらば我はみくにの山桜)

 根尾久男
  富山県、海軍中尉、早稲田大学、予学13。
  菊水部隊梓特別攻撃隊員。
  二十年三月十一日ウルシー環礁で特攻戦死。二十四歳。

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 両親へ……

■平常と何ら変わらぬこの気持国を思ふと同じなるらん
 (海軍特別攻撃隊の遺書)

 野元 純
  長崎県、少尉候補生、東京商大専、予生1。
  神風特別攻撃隊第二護皇白鷲隊員。
  二十年四月十二日沖縄で特攻戦死。二十二歳。

 ………………………………………………………………………………

■白妙の不二のたかねの見ゆるかな昔かはらぬ大和魂
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 長谷川喜市
  群馬県、二等飛行兵曹、乙飛18。
  神風特別攻撃隊第一草薙隊員。
  二十年四月六日沖縄周辺で輸送船団に特攻戦死。二十歳。

 ………………………………………………………………………………

■大丈夫のみちに迷ひはなかりけり死して生ある命なりせば
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 原田愛文
  山口県、海軍少尉、明治大学、予学14。
  神風特別攻撃隊第二七生隊員。
  二十年四月十二日与論島東方で特攻戦死。二十六歳。

 ………………………………………………………………………………

■大君の御楯とたちて今日よりは空征く屍かへりみはせじ
 (ああ予科練)

 稗田一幸
  高知県、一等飛行兵曹、丙飛13。
  神風特別攻撃隊第二御楯隊員。
  二十年二月二十一日硫黄島で特攻戦死。二十一歳。

 ………………………………………………………………………………

■皇国に春を誘ふ沖縄に雲染む屍と散らん此の時
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 平林勇作
  樺太、海軍少尉、法政大学、予学14。
  神風特別攻撃隊第一昭和隊員。
  二十年四月十四日徳之島東方で特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

■国の為征く身なりとは知りながら故郷にて祈る父母ぞ恋しき
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 広田幸宣
  新潟県、一等飛行兵曹、甲飛10。
  神風特別攻撃隊葉桜隊員。
  十九年十月三十日比島スルアン島沖で特攻戦死。二十一歳。

 ………………………………………………………………………………

■たらちねの父母迎へん靖国に明日はゆくなり南溟の空
 (遺稿集)

 福山正通
  奈良県、海軍中尉、海兵72。
  神風特別攻撃隊第十九金剛隊員。
  二十年一月六日比島リンガエン湾の艦に特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

■七度を生れ変りて大君に尽くさざらめや今ぞ出で立つ
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 藤田卓郎
  愛媛県、海軍中尉、拓殖大学、予学13。
  神風特別攻撃隊第八七生隊員。
  二十年五月十四日種子島東方で特攻戦死。二十五歳。

 ………………………………………………………………………………

 遺書なしと記して……

■咲く桜風にまかせて散りゆくも己の道ぞ顧みはせじ
 (海軍特別攻撃隊の遺書)

 藤村 勉
  広島県、二等飛行兵曹、乙飛18。
  神風特別攻撃隊第一護皇白鷺隊員。
  二十年四月六日沖縄周辺にて艦船に特攻戦死。十九歳。

 ………………………………………………………………………………

 出撃を前にして……

■特攻を待ちつつ日々の雨なれば生きる事にも飽きたる心地
■二十四の我が命絶つ日なり雨あがりつつ青空の見ゆ
■あと三時間のわが命なり只一人歌を作りて心を静む
■ふるさとの母の便りに強きこと言ひてはをれど老ひし母はも
■死といふは怖しごとと思へども命のまにまに安んじてゆく
■人はつひに死ぬものなれば二十四の我が命のありがたきかな
■花一つ手折らむこともなきままに桜は春の風に散るなり

 (雲ながるる果てに)

 古川正崇
  奈良県、海軍中尉、大阪外語、予学13。
  神風特別攻撃隊振天隊員。
  二十年五月二十九日沖縄周辺艦船に特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

 父上へ……

■我は今尊き大き使命もち桜花と共に散りて撃ちなん
 (海軍特別攻撃隊の遺書)

 本田耕一
  兵庫県、海軍少尉、法政大学、予学14。
  神風特別攻撃隊第六筑波隊員。
  二十年五月十四日種子島東方で特攻戦死。二十二歳。

 ………………………………………………………………………………

■沖縄の戦友を偲べば胸は裂く今散る吾は心楽し
 (予科練記念館資料・土浦)

 前野博之
  兵庫県、二等飛行兵曹、特乙飛行4。
  神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊員。
  二十年五月二十七日沖縄周辺艦艇に特攻戦死。十九歳。

 ………………………………………………………………………………

 家族への最後の手紙に(攻撃前夜)……

■いざ征かん明日は御空の特攻隊結ぶ今宵の夢は故郷
 (海軍特別攻撃隊の遺書)

 牧 光廣
  鹿児島県、上等飛行兵曹、乙飛16。
  神風特別攻撃隊第二御盾隊員。
  二十年二月二十一日硫黄島周辺艦船に特攻戦死。二十歳。

 ………………………………………………………………………………

 遺書の中の一首

■誰の手に手折られけんか桜花ただ知るのみは醜の御楯と

 松本 学
  愛媛県、一等飛行兵曹、甲飛12。
  神風特別攻撃隊第九銀河隊員。
  二十年五月十一日沖縄方面で艦船に特攻戦死。二十歳。
 ※二十年五月十日愛媛県宇摩郡の山村に突然一機の海軍機が飛来し、
  マフラーにつつんだ物を投下した。
  松本少尉(戦死後特進して少尉)の母親の松本トキさんが
  警察官立会いの上で開けると中から少尉の遺書が出てきた。
  少尉はその翌日沖縄で散華した。

 ………………………………………………………………………………

 辞世……

■君が代を千代に護れと祈るなり行きて帰らぬ身は梓弓
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 松村嘉吉
  鹿児島県、一等飛行兵曹、丙飛11。
  神風特別攻撃隊第一八幡護皇隊員。
  二十年四月六日沖縄方面艦船に特攻戦死。二十五歳。

 ………………………………………………………………………………

■出で征きて還らざるとは知りながら已むに止まれぬ大和魂
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 南 義美
  香川県、海軍少尉、操練30。
  神風特別攻撃隊笠置隊員。
  十九年十一月二十五日比島クラーク沖の艦艇に特攻戦死。三十歳。

 ………………………………………………………………………………

■天照す神の光を仰ぎつつ神つ学徒と我は出で立つ
 (ああ神風特攻隊)

 宮内 栄
  茨城県、少尉候補生、中央大学専、予生1。
  神風特別攻撃隊第三草薙隊員。
  二十年四月二十八日沖縄で特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

■大君に尽くすに道は数あれど何にたとへん今日の嬉しさ
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 三井傅昌
  山梨県、二等飛行兵曹、甲飛12。
  神風特別攻撃隊第一護皇白鷺隊員。
  二十年四月六日沖縄方面で艦船に特攻戦死。二十一歳。

 ………………………………………………………………………………

■いにしへの防人たちの行きしてふ道を尋ねて我は征でゆく
 (海軍特別攻撃隊の遺書)

 村川 弘
  新潟県、海軍大尉、海兵70。
  神風特別攻撃隊第二御盾隊員。
  二十年二月二十一日硫黄島周辺艦艇に特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

 辞世……

■はらからが五人そろって旗のもと一足先に四男坊征く
 (いざさらば我はみくにの山桜)

 安則盛三
  兵庫県、海軍中尉、旅順師範、予学13。
  神風特別攻撃隊第七昭和隊員。
  二十年五月十一日沖縄周辺に特攻戦死。二十一歳。
 ※兄弟六人の中で五人が出征し、只一人の戦死者となった。

 ………………………………………………………………………………

■若桜美しく散りて国の為錦をば着て故郷へ帰る
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 山内文夫
  静岡県、二等飛行兵曹、甲飛12。
  神風特別攻撃隊第一正統隊員。
  二十年四月六日沖縄周辺の艦船に特攻戦死。十八歳。

 ………………………………………………………………………………

■神風や嵐を越えて靖国の神苑に咲く白菊の花
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 山口清三郎
  新潟県、二等飛行兵曹、丙飛17。
  神風特別攻撃隊第五白菊隊員。
  二十年六月二十五日沖縄周辺で特攻戦死。二十四歳。

 ………………………………………………………………………………

■吹雪吹く北の守りをになふわれ散りて咲かさん山桜花
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 山口歳郎
  京都府、上等飛行兵曹、乙飛16。
  神風特別攻撃隊八幡隊員。
  二十年一月八日比島リンガエン湾の艦艇に特攻戦死。二十一歳。

 ………………………………………………………………………………

■積乱の雲のかなたに飛び行ける十九の命けふは還らず
■火花して押迫り来る敵空母わが機つぎつぎ自爆して行きぬ
■天つみそら散華(ざんげ)の屍のり越えて今日も行くなり益良武雄は
■五尺の身ありとあらゆる力もて尽くし奉らん醜の御楯は
■八百萬神きこしめせ我の身は大君のため死すべかりけり

 (無名戦士遺詠抄)

 矢野徹郎
  愛媛県、海軍中尉、神宮皇学館、予学11。
  神風特別攻撃隊第五桜井隊。
  十九年十二月比島オルモックで特攻戦死。二十五歳。

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 ~この土のつらなる果てに母ありて明日の壮挙の成るを祈らん~

 この冒頭に紹介した歌を遺された西田高光中尉は、作家の山岡荘八氏(民主党国対委員長の山岡賢次氏は荘八氏の娘の夫)とのエピソードもあり、けっこう有名な方だと思います。

 西田中尉をご存知ない方のために、「神風KAMIKAZE」より引用させていただきます。

●民族の誇り

 戦争当時、海軍報道班員であった山岡荘八氏は海軍の鹿屋基地に配属された。そこで山岡氏は特攻隊員の「闊達さと自由さに時に傍若無人にさえ見えて、その実、接近するほど離れがたい別の美しさ」を感じていた。この底抜けの明るさがなぜ隊員達にあるのかという疑問をいつか解きたいと考えていた。

  彼はこの質問をすることの出来そうな相手を見つけた。それが西田高光中尉であった。西田中尉は入隊以前、昭和17年4月4日から18年9月まで、19歳の若い教師として郷里の国民学校に奉職。68名の教え子に兄と慕われた。そして、その師弟間の文通は飛行科予備学生として海軍入隊後も続いた。20年5月、古畳の上で胡座して、教え子に最後の返事を書いていた西田中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか?負けても悔いはないのか?今日の心境になるまでにどのような心理の波があったかなど・・・・・」と質問した。

  西田中尉は、重い口調で、現在ここに来る人々は皆自分から進んで志願した者であることと、もはや動揺期は克服していることを話した。そして最後に

  「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・・・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・・・・・」

と言われたそうである。


※西田中尉については「敷島の道」さんでも詳しく紹介されています。
※「学鷲」=大学、高等専門学校から入隊した海軍飛行予備学生・生徒、陸軍特別操縦見習士官。


 この頃にはもう、西田中尉だけでなく多くの隊員の方が日本の敗戦を覚悟されていたと思います。
 その上で皆さん、講和の条件が少しでも日本に有利となるように、日本人の運命が少しでも良きものとなるように、民族の誇りが保てるように……、そのために自分たちの「命」が役立つのであれば……という思いでおられたことが、西田中尉の言葉で分かります。

  ご自分たちの「死」が、日本国と日本人の未来につながると信じて逝かれたのです。

 実際、特攻隊が米軍に与えた打撃は、物理的には微々たるものだったでしょうが、心理的な面では決して小さくはなかったはずです。
 アメリカ人は「日本人とは国と天皇のためなら死をも恐れない民族だ」と感じたことでしょうし、あるいはそれが天皇存続への要因のひとつになったのではないかと私は考えています(天皇を廃することで日本人がどんな行動をとるか予測できない、統治しにくくなる、という意味で)。

 ところが、今の日本では、特攻で亡くなられた方を「犬死に」「無駄死に」と酷評する人たちが時々います。私(昭和39年生まれ)も学校で一部教師からそのように教わりました。
 戦後、教育現場では子供たちに命の大切さを教えてきましたが、特攻死を犬死にだと教える教師はいったいどんな了見でそんなふうに教えるのでしょうか。

 たとえば、駅で線路に転落した人を救助しようとしたものの自分も命を落としてしまった人、この種の悲しい事故が過去に何度かあったと記憶しますが、そうやって亡くなられた人のことを、サヨク教師も決して犬死にとは教えないはずです。
 むしろ、美談として教えるのではないですか?
 亡くなられた人の「意思」を忖度しつつ、「我が身を犠牲にしてでも他人を救おうとする行為は尊いものだ」と教えるのではないですか?

 そういった無私の行為の延長線上にあって、もっとスケールの大きなものが特攻隊であり、また、あの戦争を戦った全ての日本の軍人・兵士であると私は思うのです。

 要するに、 特攻死を「犬死に」だと切って捨てる人たちは、特攻隊員にもそれぞれ「意思」があったことを無視しているのです。逆に人間扱いしていないのです。
 彼らはまさに平和ボケで、平時における人の命の「価値」には思いが及んでも、有事における人の命の「価値」まで突き詰めて考えたことはないのでしょう。

 確かに特攻隊は悲劇でした。二度と繰り返してはならないことですし、私もことさら美化するつもりはありません。
 ただ、戦後65年にもなるというのに、未だに彼らを「時代の犠牲者」という一面からしか語らないマスコミや評論家が大手を振って歩いていることに、苛立ちを覚えずにはいられないのです。

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 ここで、3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1 宛てにいただいたコメントの中から、私が大変胸を打たれたメッセージをご紹介したいと思います。

はじめまして! アメリカ在住の えいと@と申します。

1ヶ月前くらいから貴ブログを拝見するようになりました。
共感しながら読ませていただいています。

ところで、私の夫の叔父が かの戦争の特攻隊で亡くなっております。
戦死したということはわかっておりましたが、近年までどこで戦死したのかがわかりませんでした。
去年、やっと特攻「桜花作戦」で戦死したということが判明したのです。

それまで、夫の夢の中に叔父が何度も出て来たのだそうです。
後ろ向きに落ちていく…そんな姿を何度も夢で見たと言います。
そして去年、夫と二人で「靖国神社」の昇殿参拝をいたしました。
それ以来、叔父が夢に出てくることはないそうです。

きっと、叔父は身内の人間が靖国に来てくれたんだと喜んでくださり、
そして やっと成仏できたのではないかな…と思います。

http://eight-americann.seesaa.net/article/134997504.html

http://eight-americann.seesaa.net/article/135097715.html

あの頃の戦士たちは けして死にたくはなかったはずです。
でも、国のため、愛する家族のために死んでいかれたのです。
遊就館に納められている遺書を見ると、本当に涙が出て来ます。
その英霊がおさめられている靖国神社を否定しようとする中国や韓国…!
怒りで震えます。

もう戦後65年です。
靖国神社に特別な思いを抱いてる人は少なくなってきたでしょう。
でも、今の日本があるのは、かの戦争で賢明に戦ってくださったご先祖さまがおられたからなんだ…ということを忘れないようにしていきたいな…って。
そんな風に思います。

   えいと@

えいと@ | 2010/03/09 03:42 AM

 皆様、文中のリンクからぜひ「えいと@」さんのブログをご訪問下さい!


※拙ブログ関連エントリー
2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者
3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1


・・・・・・・・・・・細切れぼやき・・・・・・・・・・・

【政治】 福島みずほ大臣 「米海兵隊は、海外の日本人救出後回し!」→石破氏「自衛隊に救出させる法、あなた方が反対したんでしょ」★3

 5月6日放送「朝ズバッ!」のこの討論、私も偶然見ていたのですが、福島大臣は本当にひどいものでした。石破さんは隣でずっと苦笑い状態でした。

 先の戦争に関して、時々こんなことが言われますよね。
 「満州の日本人を軍や国家は見捨てた!ひどい!!」
 サヨクの皆さんは特に声高にそう言われます。
 満州については、敗戦時ですから、助けたくても「物理的に助けられない」状況であったと私は理解しています。

 翻って、今の日本はどうでしょうか。
 福島大臣自身が「朝ズバッ!」で指摘したように、有事の際、アメリカ(海兵隊)が必ず在外日本人を助けてくれるという保証はないのです。
 このままでは、日本(自衛隊)が「物理的に助けられる」状況にあるにもかかわらず、法が足かせとなり、結果的に見捨てるような事態に陥ったりしないのでしょうか。
 (時の最高指揮官=総理大臣が政治的決断を下せばよいのでしょうが、少なくとも今の鳩山総理には無理でしょう)

 同じ5月6日の、民主党・山岡国対委員長による「普天間問題は雲の上の話」発言もひどかったですね。前から失言の多い人ではあったけれど、この発言には本当に驚いたというか、耳を疑いました。

 現政権にとっては、在外日本人や沖縄県民の安全や暮らしというのはまさに「雲の上の話」で、自分たちにはあまり関係ないと思ってるんじゃないだろうか。そんなことすら考えてしまいます。

 ……先の戦争で、身を挺して日本の未来を護って下さった兵士・軍人の皆さんは、今のこんな日本を、現政権の体たらくを、「雲の上」からどんなふうに見ていらっしゃるのでしょう?


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詳しいプロフィールは本館にて。

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