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江戸時代を見直そう

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【「今様蛍狩りの図」(三枚揃いの右)渓斎英泉/文化12年~天保13年/大判錦絵三枚揃】

 突然ですが、皆さんは江戸時代についてどんなイメージをお持ちですか?
 私は幼い頃からずいぶん長い間、江戸時代は暗黒の時代だと思っていました。

 具体的には、こんな感じ?
 ……厳しい身分制度の下、武士や代官といった特権階級の人たちに、農民をはじめとする庶民は虐げられていた。
 過酷な年貢の取り立て、気分次第で切り捨て御免、ひたすら怯えて暮らす日々。
 それに耐えかねて時々、一揆などが起きるけれども、全て鎮圧。
 この理不尽な構図が解消されるには、明治維新を待たなければならなかった……。

 もちろん後々こんなのは間違いだと分かっていくのですが、少なくとも高校生ぐらいまではこんなイメージを持っていました。
 これは学校教育(いわゆる階級闘争史観の刷り込み)もあったのでしょうが、それよりはテレビの時代劇の影響が大きかったんだろうなと思います。

 だから、たとえば「水戸黄門」などを観ていて、偽善的な番組だなあと感じたことも。
 だって黄門様は庶民の味方と言うけれど、よくよく考えたらこの人って権力側ですやん!庶民を抑圧してた側ですやん!旅先で一人一人を助けてる暇あるんやったら、幕府自体を何とかしてよ!
 ……なんてふうに、すごく違和感を覚えたというか。
 (こんなこと思いながら観てたの、私だけ?(^_^;)


 前置きが長くなりました。ここからが本題です。

 「正論」2010年2月号(私は遅読でいつも1~2ヶ月遅れで読んでます)に【世界史のなかの江戸文明】というタイトルで、シンポジウム抄録が収められています。

 目から鱗の言葉がたくさんありましたので、今日はその中から抜粋して紹介したいと思います。
 画像は、和風素材.comさんからダウンロードさせていただいたものを使用しています。


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■屋山太郎(政治評論家)

 外国人から「日本には宗教教育がないのか」と驚かれることがあります。私自身もローマ特派員時代に「ない」と答えて愕然とされた経験があります。ならば、日本人は何によってモラルを保っているのか。それは武士道なんですね。調べてみると、江戸初期に山鹿素行がいろいろな家の家訓を集め、そこに儒学を加えて武士道の体系をつくったようです。要するに、武士は支配者ですが何も生産しない。だから身を清くして品格を高めよ。いざという時には死ぬ覚悟を持て、というモラルが求められたのです。

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【石河流宣「大和耕作絵抄」より「名月」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 芭蕉が旅していく先々にはちゃんと芭蕉を待ちかまえている俳人がいたのです。芭蕉は黒羽(栃木県)で「山も庭もうごき入るるや夏坐敷」という句をつくっています。芭蕉が訪ねたのは黒羽のお城の城代をやっていた侍の家です。その侍の兄弟は江戸に出ていた時に芭蕉と付き合いがあった。二人は「芭蕉先生が来た」と大歓迎し、親戚の家まで芭蕉を引っ張り回してご馳走を振る舞い、芭蕉を中心にその土地の俳人たち――武士だけではなく町人も農民もいます――を呼んで連句をやる。黒羽の先の須賀川でも町人の門人がちゃんと芭蕉を待ちかまえていた。芭蕉はその人の家に一週間近く泊まり、やはり地元の人々と連句をやっているのです。

 このことは何を意味しているか。芭蕉が奥の細道を旅していた徳川日本というのが完全に平和であり、その平和を享受しながら芭蕉は旅をしたということでしょう。街道や宿は整備され治安もよかったのです。そして俳諧を通じた知的ネットワークが全国に形成されつつあり、武士も農民も町民も一緒に俳諧という新しい文芸を大いに享受し、江戸から来た前衛詩人である芭蕉を歓迎したということです。

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【鈴木春信「吉原美人合」より「夏・美人2」】

■石川英輔(作家)

 江戸時代の日本人は、技術者として細々と調べると、蒸気機関を使わないで作れるモノなら何でも作っています。「よくぞこんなモノをつくったもんだ」と驚かされるモノが山のようにあります。

 まず伊能忠敬の使った測量器具。忠敬の使った測量器具には手製のようなものもありますが、角度を測る装置は明らかにメーカー品なんです。個人が趣味で作れるようなものではない。調べてみると、すでに測量器具はきちんと存在し、カタログ販売をしているんです。

 江戸後期に作られた合巻という本があります。従来の薄い本(絵草紙)を何冊も合わせて一冊にしたもので、内容はくだらない読み物がほとんどですが、その表紙にはきれいな錦絵が付いています。私のように半世紀もカラー印刷の仕事をしてきた人間が見ても、「いったいどうやって作っただろう」と思うものがあるのです。今の技術でやれば、昔の錦絵なんて簡単に複製できるとお思いになるでしょうが、そうではない。それほど高度な技術が駆使されているんです。

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【道中独案内図/関東】

■金森敦子(ノンフィクション作家)

 江戸後期から増えてくる東北の農村地帯の人たちが書いた旅日記を読むと、「私が習った江戸時代の歴史、江戸時代のイメージっていったい何だったんだろう」と驚くことが多いのです。

 そのなかで一番驚いたのは、関所抜けです。関所抜けと言うと言葉は柔らかいのですが、つまり関所破りのことで、幕府の掟では磔の刑に処せられることになっていました。一番重い刑ですね。それを、江戸時代の庶民たちは実に易々と破りながら長い旅をしているんです。

〈中略〉庶民の女性は関所手形を持たないで長旅をするのが常識だったようなんです。

 越後と信州の間に北国街道が通っています。越後の一番はずれに関川という宿場があり、ここは高田藩が徳川幕府から預かっていた関川の関所があります。この街道は善光寺参りに利用されていたため、女性の往来が非常に多かった。それで、女性連れが関川の宿に着くと、真っ昼間から旅籠の宿引きが袖を引く。「お客さん、当店にお泊まりになると関所を通らない道をご案内しますので、是非うちにお泊まり下さい」と。

〈中略〉それでどこを通るのかといえば、関川の関所を通るんです(笑)。関所には鍵のかかった頑丈な木戸がありますから通れません。ところが、端のほうに小さなくぐり戸があり、そこを堂々と抜けていくんです。それが毎夜、毎夜繰り返されている。

 ある人の旅日記によると、そのくぐり戸の下の地面が窪んでいたそうです。どれだけ大勢の人がそこを通ったことか。関所の関守は関所の内部かすぐ近くに住んでいましたから、毎夜、毎夜繰り返される関所破りを知らないはずはないんです。それなのに捕まえたという記録がありません。

 全国五十三カ所の関所でも、似たようなことが繰り返されていたようです。それでも庶民が関所を破って磔になったという例は数例しかないそうです。なんでこんなことになったのか。要するに、捕まえると幕府から「お前の関所の警備はなっておらんじゃないか」と怒られるからです。

〈中略〉また、旅日記を読んでいて感動したことがあります。それは、小さな男の子たちだけで奥州から伊勢まで旅する例が、とても多いことです。錦絵や各種の名所図会などに少年たちだけの絵が出てきますし、『東海道中膝栗毛』にも戸塚のちょっと手前で、弥次さんが奥州から出てきた少年たちをからかっているつもりが、逆にからかわれて餅をせしめられる場面があります。子供たちだけで二カ月も三カ月も旅行をしても、誰も「危ないから家に帰れ」とは言わない。みんなが少年たちの旅をまっとうさせてやろうとすごく援助しているんです。

 大人の旅でも無一文で旅に出る人がたくさんいました。それでもちゃんと帰ってこられるというのは、それだけ沿道の人たちの喜捨が多かったということです。自分よりも貧しい人には、お金なり、食べ物なりを施すというのが当たり前だった世界、それが江戸時代なんです。

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【石川豊信「絵本江戸紫」より「桜・花見」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 (1690年に来日したドイツの博物学者、エンゲルベルト・ケンペル)は平和で豊かな国である日本に驚き、士農工商の身分差はあるけれども、それが社会を安定させ、文明を円熟させていることにも着目する。

 ケンペルから百年ほど後に、リンネの弟子のツュンベリーというスウェーデンの植物学者がオランダ商館のドクターとしてやってきます。この人はヨーロッパの啓蒙思想を身に付けているのですが、ヴォルテールたちが唱えていた自由・平等・博愛が嘘っぱちであることに気付いていました。なぜなら彼は、南アフリカでオランダ人やイギリス人が原住民を虐げてこき使い、自ら労働することなく煙草だけ吸って収奪の限りを尽くしている様子を見てしまったからです。さらにインドネシアのバタビアでは、オランダ人とスルタンの二重支配の下に民衆が苦しむ姿を目撃しました。彼は「ヨーロッパ人であることが恥ずかしくなってくる」と書いています。ところが日本にやってくると、ここはまるで平和で秩序があって、豊かで自由でのびのびとした社会であったのです。

 「ヨーロッパにあってこの日本にないのは、科学技術だけであって、あとのすべてはヨーロッパより優っているのではないか」というのがツュンベリーの感想でした。

 一八六〇年代にイギリスから最初の駐日公使としてやってきたのが、皆さんご存知のラザフォード・オールコックです。はじめは英国帝国主義の尖兵として日本にやってきたわけですが、日本に二年滞在していろいろ見ているうちに、日本に西洋文明を注入して近代化させるのは間違いではないかと感じるようになりました。

 外国人として初めて富士山に登ったオールコックは、下山後、伊豆半島の北を回って熱海に出て戻ってきますが、その時に韮山あたりで、里山とその前にきれいに広がる村を見るのです。そこで農民たちが実に美しき田畑をつくっている。こういう豊かで美しい田園風景を見ると、自分たちはイギリスから派遣された使節として、この日本を変革させ開国させようとしているのは、実は罪ではないかとさえ思うようになったと彼は書いているのです。

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【「浮世絵手本 初編」(天保十一年)より短冊絵/月見、重陽、恵比寿講】

■石川英輔(作家)

 なぜ歴史学者は悪いことばかりをほじくり出して研究するようになったのか、その理由について井沢元彦さんが『逆説の日本史』で、日本の史学三大欠点として説明しています。その一つに史料至上主義があります。つまり紙に書かれていないことは無視するんです。私が井沢さんに「本当にそうなの?」と尋ねると、「だいたいそういう傾向だ」と。それなら悪いことしかないのが当たり前です。今日私たちが目にする現代の資料はテレビのニュースです。地方のニュースにはお祭りの話題などもありますが、全国のニュースには楽しいのはありません。犯罪や事故ばかり。これを全部録画して、二百年後の歴史学者に見せたら、この時代をどのように描くでしょうか。おそらく地獄になってしまう。史料至上主義はそれと同じことなんです。

 私が講談社から出した『泉光院江戸旅日記』という本があります。日向の山伏の野田泉光院という人が、文化から文政にかけて六年三カ月かけて日本中歩き回る。彼はちゃんとした教養人ですが、お金を使わないんです。それで銭がたまりすぎて重くなると銀貨と交換する。そんなことが日記に書いてあるわけです。私が江戸の研究者になったのは、その原本を読んだのがきっかけです。

 彼は地面を這いずるように農村を歩き回り、おもらいをする。島津家の親類の偉い山伏なんですよ。その人が乞食(こつじき)修行と称して日本中を歩き回る。面白いのは夜になると必ず人が出てきて「旅の人、こっちにいらっしゃい」と泊めてくれる。人を泊めてはいけない村というのもありますが、そこでは「いらっしゃいまし。もう誰も見ていないからうちへ泊まりなさい」と。そんな感じで六年三カ月もうろうろする。その間、彼は一度も野宿をしていませんし、一揆もなければ、飢饉もない。文化文政期というのは江戸時代のなかでもいい時代ですが、あまりにも平穏な時代でした。それで、彼のような旅人が来るのを待ちかまえている人が全国にいたんです。テレビもラジオもないわけですから、旅人が来れば歓待して話を聞きたがるわけですね。

 こんな日記を読めば、だれだって今まで自分が読んできた日本の歴史とは何だったのかと思うでしょう。

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【大日本国順路明細記大成/関東】

■鬼頭宏(上智大学教授)

 私は人口史料を通して普通は書かれることのない庶民の一生を垣間見る仕事をやってきました。

 人口史料というのは、「宗門人別改帳」というキリシタンを取り締まるための帳簿で、全国一斉につくられるようになるのは、寛文十一(一六七一)年からです。それから二百年間、原則として毎年作られました。そこには何も事件は書いてありません。書いてあるのは名前と年齢と続柄と旦那寺。そのぐらいの情報しかありませんが、それを毎年追っかけていくと、その人がいつ生まれていつ結婚して、いつ死んだのかといったことが復元できるのです。

 先ほどから旅の話が何度も出てきましたけれども、農民は土地に縛られて移動もままならなかった、というのは真っ赤な嘘です。農民はしょっちゅう出稼ぎに出かけています。たとえば越後に妻有郷という所がありますが、そこの史料を見ますと、成人になるための一種の通過儀礼として、若者同士で江戸に出かけていくことがあった。出稼ぎを経験するということが制度化されていたようなのです。

〈中略〉私は人口や統計を通して、今までの江戸時代像を見直し、書き直すことが必要だということを強調しておきたいと思います。また、先ほど芳賀先生からツュンベリーのお話が出て、「日本に欠けるものは科学技術ぐらいだ」と彼が書いたとおっしゃいましたが、これも日本人に能力がなかったからではありません。理由はこれから述べる通りです。

 実は当時の日本は世界一の人口密度を持った人口大国でした。一八五〇年代の人口大国は第一が中国、二番目がインド、三番目がロシア、四番目がフランスです。そして今ある国で言うと、日本がその次に来ます。イギリス、アメリカなんて、人口から見れば二千万あるかないかという小国です。その当時、ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国がありましたが、これが日本よりちょっと大きいぐらい。

 そこで日本人は楽しくそこそこの暮らしを営んできたのです。そのために、人口を増加させず、森林を守るために厳しい規制をしいた。日本人は森林という共有地をみんなで自主的に守ってきました。共同体のメンバーが持続的な生活をできるように協定を結んだのです。

 科学技術の話に戻りますと、当時の日本のように労働力が潤沢で燃料も十分にあるところでは、産業革命は起きようがないのです。そこそこの生活ができるからです。イギリスでなぜ産業革命が起きたか。ジェームズ・ワットが蒸気機関を作ったからではありません。森林が涸渇してしまって、もう石炭に切り換えざるを得なくなったからです。必要に迫られて蒸気機関が作られたのです。ところが日本はその必要がなかった。それで一見遅れたように見えましたが、二十一世紀においては、必ずしもそうではないという理解もできるのではないかと思っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 いかがでしたか?

 私はこの抄録を読んで、何だかすごく温かい気持ちになりました。
 もちろん江戸時代の全てが良かったなんて言うつもりはありませんが……。

 ただ、「自虐史観を是正すべき」という立場から言わせてもらえば、近現代史が大変脚光を浴びているのに比べ、江戸時代がほとんど注目されていないことが気になります。

 ま、江戸時代に関しては中韓がガタガタ言ってこない分、日本で議論が起こりにくいという事情もあるのでしょうが……。

 とにかく、今後、時代劇でたとえば「庶民が悪代官に虐げられる」みたいなシーンを観て、私のように「ああ、江戸時代の庶民はお上にいじめられて大変だったんだなぁ」などと勘違いしてしまう子供たちが出てこないよう、祈ります。

 ……余談ですが、夫に「江戸時代ってどんなイメージ?」と尋ねてみました。
 すると夫の返答は「徳川幕府、士農工商、参勤交代、井戸端会議」。

 「何やそれ。連想ゲームやないんやから。もうちょっと具体的なイメージないの?」と突っ込むと、「身分の差とかがあって大変やったって学校では習ったけど、俺の中では、意外とみんな平和に楽しそうに暮らしてたイメージあるんやけど」って。

 ちなみに夫は時代劇は興味がなく、全くと言ってよいほど観ない人です。Vシネマの、たとえばちょっとHな「なんとか忍法帖」とかしか観ないという(^_^;

 私は観たことないですが、きっとその「なんとか忍法帖」の中では、武士も庶民もみんなそれなりに楽しそうに暮らしてるんでしょうなぁ……。
 (妙なオチですみません(^^ゞ)


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 45年ぶりに母校の校歌が流れました。



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2010/04/03(土) 17:42:51 | 晉風舘 blog

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