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【紀元節】外国人から見た日本と日本人(17)

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 「外国人から見た日本と日本人」第17弾です。

 過ぎてしまいましたが、2月11日について。
 現在は「建国記念の日」となっていますが、もともとは紀元節と呼ばれていました。
 神武天皇の即位日です。いわば日本国の誕生日ですね。

 ということで、今回は紀元節にちなみ、天皇や神道に関するものを集めてみました。

 日本の中にいてはなかなか気づきにくい天皇や神道の本質を、ズバリ言い当てている言葉が多数あります。長文のものもありますが、頑張って読んでみて下さい(^o^)

 ※過去に紹介したものも何点か混じっています。
  新規のものは■、紹介済のものは○です。
 
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
「日本 解明への一試論 Japan An Attempt at Interpretation」より

 日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考えて、山川草木湖海風雷から井戸・かまどに至るまで、それらを司る神を想像した。
 日本人はこの国土をつくった神々の子孫で、この神々こそ我々の祖先である。
 この祖先である神々に奉仕し、この祖先を崇拝することが、我々の最高のつとめであると考えてきた。
 神道では他の宗教のように、地獄・極楽を説かない。
 日本人はその肉体が終えると同時に、超自然の力を得て、時間空間を超越した霊となって、子孫と国家を護るのである。
 この考えのない者は、日本人ではない。

アンドレ・ベルソール=フランス人。1897年(明治30年)12月から翌年8月にかけて日本を旅行した。小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、著書「明治日本滞在記」の中では、日本についてもしばしば遠慮のない評言をしている。
「明治日本滞在記」より

 私の記憶に誤りがないならば、ラフカディオ・ハーンは心身を備えた生身の神、老いたる農夫を見た。その農夫は、ある夏の夕方、自分の住んで居る岬から、巨大な津波が押し寄せてくるのに気がついた。水平線の果てに現れたその大波はみるみる巨大に膨れ上がり、陸地に近づいてきて、村人全部をその波間に呑み込んでしまうかと思われた。農夫はためらうことなく自分の手で収穫したばかりの稲わらと穀倉に火をつけた。彼がどんなに叫んでも声の届くはずのない丘の上に、火の手を見つけた村人たちが駆け上がってくるのを願ってのことである。

 村人たちが感謝して彼のために建てた寺は、この農夫の家から遠くなかった。耕している田畑から、彼はそのわらぶきの屋根を、木立ごしに見ていた。日々の生活の中で、人びとがこの農夫に対して神としての敬意を表していたろうとは私は思わない。しかし、この土地の子供たちは、いつからかこの人物が神の魂を実際に宿したことを知っていた。

 ヨーロッパの人たちが日本の無宗教について語るとき――ある人びとはそのことを嘆き、他の人びとは、もっといけないのだが、それをほめそやすたびに――人びとは肩をすくめずにはいられない。神がその路上を歩んでおり、その屋根の下に住んでおり、神の誇りとする行為がその存在の目に見える閃光にほかならないと、こんなにも信じている国民を、私はかつて見たことがない。

※ 有名な「稲むらの火」ですね。明治になってからこの話を聞いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著書「A Living God(生き神様)」で全世界にこの話を紹介したため、多くの国の人たちが知っているそうです(Wikipedia参照)。

リチャード・ポンソンビ・フェイン=イギリス貴族。1878年(明治11年)生まれ。1919年(大正8年)、東京に住居を構える。英語教師として過ごすうち、神道、皇室に魅せられ、1925年(大正14年)京都に転居、1937年(昭和12年)に没するまで京都で過ごした。日本における生活―居・食・住等は、すべて和風様式を貫き、京都御所には土下座して遙拝した。京都御所における昭和天皇即位の大礼も拝観した。当時の人々は、彼を「碧い眼の高山彦九郎」と呼んだ。
「日本の皇室」より

 日本の皇室には、遼遠な最も古い歴史があり、御生母がどなたでも、天皇直系の男子は皇位継承に適格であったという事実が万世一系の維持を容易にしているが、連綿と皇統が続き、途絶えることがなかったのは、天皇直系の男子の養子縁組によるものであったと、はっきり断言できる。

 この場合、天皇は皇族の方々の中から、ご養子を選ばれているが、その実例を挙げれば、第百二代後花園天皇の例を除いて、他にその事例を見出すことはできない。後花園天皇は北朝第三代崇光天皇(後伏見天皇の皇孫)の直系であらせられ、後小松天皇のご養子として第百二代の皇位を継承された方である。

リチャード・ポンソンビ・フェイン=イギリス貴族。1878年(明治11年)生まれ。1919年(大正8年)、東京に住居を構える。英語教師として過ごすうち、神道、皇室に魅せられ、1925年(大正14年)京都に転居、1937年(昭和12年)に没するまで京都で過ごした。日本における生活―居・食・住等は、すべて和風様式を貫き、京都御所には土下座して遙拝した。京都御所における昭和天皇即位の大礼も拝観した。当時の人々は、彼を「碧い眼の高山彦九郎」と呼んだ。
「昭和御大典印象記」より

 或国の偉大さと云うものはその国の面積で決められるものではなくて、その国が世界に及ぼす影響や、その国の過去からの伝統によって決まるものである。

〈中略〉日本は明らかに偉大な国である。先頃その即位の大礼を執り行わせられた現在の日本の統治者は第百二四代の天皇(昭和天皇)に在らせられるが、世界の中にこの半分の古さでもあると自称し得る国が在るか、どうか疑わしいものだ。

 だから日本の君主の即位式には畏敬の念や尊崇の情を起こさせずには置かないようなものが尽く含まれている。即ち、偉大な国民、建国の古い帝国、偉大な伝統、連綿二千五百余年の古(いにし)えにさか登る皇朝等があるからである。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表わすものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡のときには、戦争計画への国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大義なのではない。ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。

 アメリカも戦争の後ろ盾に国民を統合するため、伝統を利用したのだが、とかくそれが忘れられがちだ。私たちは民主主義とキリスト教の名のもとに戦った。「天皇制」と神道が本来、戦争を内包しているのに対して、民主主義とキリスト教は本来、平和であると私たちは主張する。日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国旗に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。

 天皇は「われわれ天皇と国民……の結びつきは単に伝説と神話によるものではない」と宣言したが(引用者注:いわゆる「人間宣言」を指すと思われる)、日本人の立場からすれば、ごく当たり前のことを言ったにすぎない。日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ。

 私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争がなければ、日本人にとって天皇は軍事的象徴ではなかった。

 「天皇制」と「国家神道」は、私たちが民主的と呼ぶ世界のどの国でも、国の特性に応じてさまざまに現われる現象である。神話は日本人にとって民族主義の象徴にすぎないのだが、私たちはその事実に目を閉じてきた。心情的国家意識は戦争の大きな要因であると同時に、戦争遂行に必ずかかわってくるものである。それを問題にするなら、連合国も私たちも無罪とはいえない。私たちアメリカ人には統合の心情的象徴となる皇室はないが、私たちの民主主義同盟であるイギリスは王室をもっている。

 第二次世界大戦前、イギリスの王族がイギリス外交への支持を求めて訪米したとき、アメリカの新聞、雑誌、政府指導者は彼らのことを、日本の天皇に対していったように、「恐るべき病根」とはいわなかった。

〈中略〉私たちアメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さない。アメリカの歴史や国家に命を捧げた人に対する尊崇の念を表わす7月4日(独立記念日)とか戦没者追悼記念日(メモリアル・デー)以外は、愛国心を表に出して騒ぐ国民ではないが、戦争中は、私たちも国家神道を絶えず感情的に表現していたのである。日本人を教育して心情的国家意識を捨てさせたいと思うなら、まず私たちの心情的国家意識を捨てるべきである。

オットー・カロン=ドイツ人。ボン大学教授。
「天皇の真実」(河内正臣)より
 1950年(昭和25年)のカロンの言葉


 ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。

 ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

 平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。

 しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。

※引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられました。お立ち寄り箇所は1411カ所に及びました。

■フランスの中等教育用歴史教科書
名越二荒之助著「世界に生きる日本の心」より
 フランスの中等教育用歴史教科書(1967年(昭和42年)発行)から歴代の日本文化の成り立ちを説明した箇所


※日本文化の独創的特徴
 日本文化は、中国と西洋から受容れた借物の文化と言われるが、その奥底には依然として独創的なものがある。その偉大な伝統は、常に非常に強靭なものである。その伝統とは、『大臣下』に補佐された天皇という一人の皇帝に代表されるもの、さらには自然に対する深遠な感情を映した詩と芸術等である。
 その後、貧しく人口過剰の日本は、国の運命に立ち向かってきた。その間、激しい競争の渦巻く世界の中で、身を守るために戦争に訴えた。しかし、その後はそう思っていないし、日本は再び平和を愛するようになった。

※日本世界とその偉大な伝統
 日本はまず輸入したものを模倣し、ついで自分のものにし、それに自国の特性を与えて同化する。それ故、これは単なる受身的な“消化”といったものでなく、自発的能動的な適応である。中国文化に対してもその通りで、日本はそれを輸入した後で、自国自身の伝統に順応させた。それは西洋文化についても同様であった。

※天皇朝永続性の秘密
 西暦五世紀頃、日本には国の南部に局限された数多くの貴族制氏族が存在していた。これらの氏族の一つ、大和の氏族の頭が、他の頭の上に立った。彼は自分を、アマテラスノカミ――『天を照らす大きな神』という国の創造者・太陽の後裔と認めさせた。かくして、アマテラスの後継者はすべて『天皇』という称号を持ち、神聖な性格を示すようになった。天皇はこのように始めから『神』の印を押されていた。

 続く二・三世紀の間に、別の要素が協力して、政治的伝統を完成した。六世紀に輸入された儒教思想と、唐帝国に存在するものに従って、階層化された統治の形態が確立した。
 天皇は日本の有歴時代の初めに生まれ、それが日本の主な伝統となり、非常な重要性を持って今も生き続けている。
 その関係は、天皇と『大臣下』と名づけられた人たちとの間に打ち立てられた権力の分立であった。国を創設した諸氏族の頭達の目から見ると、天皇は豊作を保証することができる唯一の国の守護神である『カミ』という霊の一種の代理人でしかなかった。権力は実際は『大臣下』によって所有され、大臣下はいかなる神聖な性格も持たず、そのため野心や反乱によって変わり得た。対立しながらまた中立になりながら。

※神道の起源と仏教との共存
 自然界の至る所に、精霊や神という優越した存在を見るアニミズムは、日本の信仰の最も古い基調をなしている。
 この神は、すべての尊敬に値した。なぜなら、この神は心に随って有害にもなり、有益にもなった。各人は何よりもまず、氏族を創立した祖先の魂を守護神として崇めた。
 この信仰は歴史時代を通して、さまざまな外的な影響を受けながらも、変質することなく発展した。神の数は無限に増大した。なぜなら、沢山の歴史上の人物が古代型の英雄として神格化されていったからである。そのため、日本は何万という神を数えることになった。
 他方国が創建されて以来、崩御された天皇の魂は独自の地位を占め、国全体の守護神として特別の尊崇を受けるようになった。かくして信仰の根幹は「神道」という名を受け、礼拝場、祭式、宮司をもった一種の宗教となった。

 日本の国教、確かにそれは浮き沈みがあったが、1868年の明治時代の宣言(明治元年・五箇条の御誓文)の後に、皇室の利益のため、新しい輝きを放った。

 第二次大戦の荒廃を経た後の今日、神道は少なくとも未だかつてなかったほどの生き生きしたものになった。そしてそれは、日本民族全体の熱情をかり立て続けるであろう。
 そもそも極東の国日本は、諸教混淆の国である。それは、神道自体が寛容な性質を持っていて、いかなる神も排斥しなかったからである。

 日本では神道に並んで、何世紀も前から別の宗教が、多かれ少なかれ繁栄している。若干のものは儒教のように昔から深く影響を及ぼし、キリスト教は一時期厚遇を受けたが、次第に消えていった。仏教はすぐには問題にならなかったが、やがて採用され、一時期国教にさえなった。
 西暦五百年から五百五十年にかけて、仏教は「大乗」の形で、中国や朝鮮を通して到来した。直ちにその成功があり、数世紀にわたって厚遇された。そのため神道は長い間霞んだ存在であった。しかしこの二つの宗教が共存を実現し、今日では(共存は)完璧なものである。

モルデカイ・モーゼ=1907年(明治40年)、ウクライナのオデッサ生まれ。父親はロシア革命で指導的役割を果たした。レーニン没後、ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれるや、いち早くその本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年(昭和16年)米国へ亡命、ルーズベルトのブレーントラストとして活躍、1943年(昭和18年)頃から対日戦後処理の立案にも参画した。戦後十数回来日。
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」(1979年発行)より

 日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
 かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことを言っている。

 「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである

 ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。

 ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全くわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。

 日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。
 しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。

 私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参じよ」と。
 ここで非常に重要なことをルソーは言っているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切のタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類なき本質を知ったからである。

 日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。これは真に賢明なことであった。この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人のいった言葉に次のようなものがある。

 「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。
 かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに外ならない」

 断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーの言った如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。
 私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。

クロード・レヴィ=ストロース=フランス人。1908年(明治41年)生まれ。社会人類学者、思想家。コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年(昭和59年)まで担当し、アメリカ先住民の神話研究を中心に研究を行った。アカデミー・フランセーズ会員。1960年代から1980年代にかけて、現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。日本文化を高く評価する親日家であり、1993年春の外国人叙勲で勲二等旭日重光章が授与されている。2009年10月逝去。
「中央公論」昭和63年5月号より

 「かつては西洋を含め全世界にあった人類の『原初的な文化』が、最も総合的な形で示しているのが日本の文化ではなかろうか。神話と歴史を切り離した西洋が人間の自我を優先させ、精神の荒廃をもたらしたことに対比して、神話を歴史へ滑らかにつなげた記紀神話の編纂者の『鮮やかな組み立て方』の中に、日本の文化の精神的特質が現代にまで脈々と受け継がれていると思われる」

 「われわれ西洋人にとって、神話と歴史との間は深い淵で隔てられています。それに対しもっとも心を打つ日本の魅力の一つは、神話も歴史もごく身近なものだという感じがすることなのです。〈中略〉伝統の時代と現代の感受性との間に生きた連続性が保たれているのだとわかります。〈中略〉今日では日本文化は東洋に対しては健全な社会のあり方のモデルを示しています。西洋に対しては精神的衛生のモデルを提示します。今度は西洋の国々が日本を学ぶ番なのです」

ベン・アミー・シロニー=1937年(昭和12年)ポーランド生まれ。両親と共に旧ソ連で終戦を迎え、ドイツ難民キャンプでの2年間の生活を経て、1948年(昭和23年)にイスラエルへ移住。エルサレム・ヘブライ大学で歴史・哲学を専攻。日本の国際基督教大学に留学後、1972年(昭和47年)ヘブライ大学東洋学部教授に就任。1991年(平成3年)米ハーバード大学客員教授に就任。
「天皇陛下の経済学」より

 歴史が始まって以来、日本の統一された社会、国家を象徴するものといえば天皇制であった。日本の歴代天皇は政治手腕に欠け、経済、軍事面でも非力であったにもかかわらず、他のどんな大勢力も立ち向かうことのできない、ある種の強力な権力を行使していた。

〈中略〉他の国々とは違い、歴代天皇が日本の歴史に直接の影響を与えたことはほとんどなかったが、天皇だけが有する威力が日本人を統一させ、日本国にその正統性を与えたのであった。天皇こそが、日本の不動の核なのである。

■パラオ共和国で1986年(昭和61年)年11月23日に「天皇陛下御在位六十年」の奉祝式典と提灯行列が行われた。パラオ人が昭和天皇の御在位60年を祝った理由とは……
名越二荒之助編著「昭和の戦争記念館」第4巻“大東亜戦争その後”より
パラオで昭和天皇の御在位60年の奉祝パレードについての記述


 パラオ共和国では、昭和六十一(1986)年十一月二十三日に、「天皇陛下御在位六十年」の奉祝式典を行い、提灯行列に移った。
 その話を最初に聞いた時には信じられなかった。その写真を貰っても、何だか半信半疑の気持ちが残った。私が現地に出かけて尋ねたら「私たちがやりました」と、写真にうつっている人々が名乗り出てきた。そして紹介されたのが、日本名で、沖山豊美(父が日本人)という人であった。

 彼女は戦前の日本の高等女学校を卒業した唯一人のパラオ人である。女学校をトップで卒業し、五カ国語に通じ、アメリカでは「バロン・オキヤマ」と呼ばれて尊敬されている、と聞く。私の質問に対して彼女は、「天皇陛下は世界で最も尊い方」と前置きしてゆっくり、しかし正確な戦前の日本語で答える。彼女が挙げた、御在位六十年を祝う理由は、次のようなものであった。

(1) 世界で一番古い家柄の方である。他のどの王室も遠く及ばない。
(2) 日本の軍人はペリリューやアンガウルだけでなく、他の戦場でもあれだけ立派に戦った。それは天皇の力であって、アメリカ人もペリリュー島を「天皇の島」と呼ぶようになった。
(3) 日本人があれだけ真剣に戦った戦争だが、それを一ぺんにやめさせられたのも、天皇の力だった。天皇の命がけの決断で我々も救われた。
(4) 日本は戦争に負けたのに天皇は相変わらず天皇であられる。こんな例は世界史上例がない。
(5) その天皇が六十年も在位された。順風の時代に在位されたのではなく、興隆と敗戦の激動を通じてずっと天皇であられた。この僥倖を思うと日本人でなくてもお祝いしたい気持ちになる。

〈中略〉天皇に親愛感を持っているのは、沖山さんだけではない。政府顧問をしているイナボさんもそうだ。彼は戦争中ペリリュー島で戦車に対する肉迫攻撃の訓練を受けていた。日本の兵隊さんといっしょにペリリュー島を守りたかったが中川守備隊長は、パラオ人全員を本島に移し、日本軍人だけで戦った。そのために英霊に対して申し訳ないという気持ちが強い。そして今生きているのは、昭和天皇が終戦の御聖断をくだされたから、と思っている。

 忘れもしない、昭和六十三年四月二十六日のことである。彼は娘と姪を連れて日本にやってきた。天皇陛下が御病気なのでお見舞いに来た、と言う。二十九日の「天皇誕生日」には、私たちも彼らを皇居参賀に案内して、日の丸とパラオの国旗を振って「天皇陛下万歳」を何度も唱えた。彼は「陛下のお元気な声を聞けて、安心して帰れる」という。帰途楠公さんの銅像に参り、靖国神社に参拝した。道すがら彼は言っていた。
 「日本で大切なものが四つある。御皇室と靖国神社と桜と富士山だ。これを忘れたら日本は日本ではなくなる」と。

サイデマン・スリヨハデイブロジョ=インドネシア人。陸軍大学長、駐日大使、外務省上級大使などを歴任。
1995年5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、スハルト大統領特使として参列した翌日、インタビューに答えて

 各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しようとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。

ヘルムト・ギーブ=オーストリア人。1948年(昭和23年)生まれ。貿易業・日本ハプスブルグ協会事務局長。祖母の姉が百年前、世界旅行の途中、日本に立ち寄りしばらく滞在。子供の頃から日本に興味を持ち、ミュンヘンまで行き、日本の歴史本などを読み漁る。1971年(昭和46年)初来日。日本滞在期間35年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 日本へのメッセージは、古い文化を大事にしてほしいということです。天皇の存在はそれを支えています。私は正月には着物で神社にお参りし、お札を貰ってその年の安全を祈ります。

 私の知人に、千葉の柏に古い日本家屋と広い庭園を持っている人がいます。日本の相続税は世界一高いので、この様な古い日本文化を持ち続けられるかどうか心配しております。

 更に日本に言いたいことは、第二次大戦の敗戦で、日本は米国一辺倒になっているように見うけられますが、もっと自主性、個性を持ってもらいたいと思っています。

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 「紀元節」は、占領軍の意向により祝祭日制度改正の際に廃止されました。
 やがて復活の声が高まり、1957年(昭和32年)、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が初めて提出されます。
 が、日本社会党の反対により廃案に。
 その後、9回の提出と廃案を繰り返すも成立には至らなかったのですが、やがて社会党も妥協。
 1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立(「の」が挿入された経緯についてはWikipediaなどを参照)、12月9日に政令公布されました。

 「WiLL」3月号によれば、渡部昇一さん(1930年(昭和5年)生まれ)が子供の頃は、四大節になると必ず学校で式を挙げたそうです。
 四大節とは、四方拝(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)の総称です。

 それぞれに式典で歌われる歌があり、このような歌詞だったそうです。

●四方拝
 年の初めのためしとて 終わりなき世のめでたさを
 松竹(まつたけ)立てて 門毎に 祝う今日こそ 楽しけれ

●紀元節
 雲にそびゆる 高千穂の 高根おろしに 草も木も
 なびきふしけん 大御世(おおみよ)を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ

●天長節
 今日の吉(よ)き日は 大君のうまれたまいし 吉き日なり
 今日の吉き日は 御光のさし出たまいし 吉き日なり
 ひかり遍(あまね)き 君が代を祝え 諸人(もろびと) もろともに
 恵み遍き 君が代を祝え 諸人 もろともに

●明治節
 亜細亜(アジア)の東 日出ずる処 聖(ひじり)の君の現れまして
 古き天地(あめつち)とざせる霧を 大御光に隈(くま)なくはらい
 教あまねく 道明(あき)らけく 治めたまえる御代尊(みよとうと)


 明治節唱歌の「亜細亜」という単語以外は、全て大和言葉です。

 四大節を復活させろなどとは言いませんが、昔こういうものがあったということぐらいは、日本人として知っておいた方がよいのではないでしょうか。

 「建国記念の日」にしても、本来なら日本国の歴史の尊さが実感できる祝日のはずなのに、成り立ちなどを学校で教えることもないようです(昭和39年生まれの私も習った記憶がありません)。
 「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と、法律でいちおう定められているのですけどね。

 皆さんすでにご存知でしょうが、このブログの一番上、「ぼやきくっくり」というタイトルの下に、数カ月前から櫻井よしこさんの言葉を引用させていただいています。

 「日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で『国民』なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で『日本人』なのか」
 (2008年のたかじんの番組での発言です。こちらの拙記事の一番下に前後の発言もあわせて掲載しています)

 学校で教えてもらえないなら、せめてご家庭でお子様に語り継いでいってほしい。世のお父様・お母様・保護者様へのお願いです。


 ……というわけで、第18弾につづく……!?


※参考文献
新・へっぽこ時事放談>ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の説く、日本人の心
反日ワクチン>明治仏人の京都への旅
住吉神社「月刊すみよし」平成18年4月号
住吉神社「月刊すみよし」平成21年8月号
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橿原建都の令 八紘爲宇の詔 「我東に征きしより茲に六年になりぬ。皇天の威を?りて、凶徒就戮されぬ。邊土未だ?まらず、餘妖尚梗しと雖も、中洲之地復風塵無し。誠に宜しく皇都を恢廓め、大壯を規摸るべし。而して今、運此の屯蒙に屬ひ、民心朴素なり。巣に棲み穴に住む
2010/02/15(月) 12:15:37 | 晉風舘blog

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