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【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

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 「外国人から見た日本と日本人」第16弾です。

 今年もまた真珠湾攻撃の日が巡って来ました。

 「記憶せよ、12月8日。この日世界の歴史改まる。アングロサクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる……」

 という、高村光太郎の有名な詩を思い起こされる方もいらっしゃるでしょう(全文はこちらを)。

 今回は、そんな12月8日にふさわしいと思う言葉を集めてみました。

※過去に紹介したものも多数混じっています。
 (新規のものは■、紹介済のものは○)
 
ジョージ・フリードマン=アメリカ人。ディッキンソン大学教授。近著に「新・世界戦争論―アメリカは、なぜ戦うのか」(2005年出版)がある。
「VOICE」1991年12月号「パールハーバーを忘れるな」より

 まともで教育のある人びとがなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人びとなのだ。
 当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせずに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

孫文=1895年(明治28年)に日本へ亡命、以後、世界中を巡る。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。
「三民主義」より

 ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題の代弁者だった。他の諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。
 白色人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが、知能には違いがない。アジアには強い日本があるから、白色人種は日本人もアジアのいかなる人種も見下すことはできない
 日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけでなく、アジア全民族の地位を高めた。
 かつて我々はヨーロッパ人がすることは我々にはできないと考えていた。いま我々は日本がヨーロッパから学んだことを見、日本に習うなら、我々も日本と同じように西洋から学べることを知ったのである。

オーエン・ラチモア=アメリカ人。支那問題の権威でありコミンテルン影響下の共産主義者。蒋介石政府の顧問だった。1934年(昭和9年)よりIPR機関誌「パシフィック・アフェアーズ」編集長となり、同誌に親ソ親支那の政治的立場を十字軍的に唱道する論文と反日プロパガンダを満載し、1950年(昭和25年)、ジョセフ・マッカーシー上院議員から「ソ連スパイ網のトップエージェント」だとして告発された。
林房雄著「大東亜戦争肯定論」より

 「日本が立派にやりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった」

 「戦時中、日本人によって占領された土地のうち、ただ一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足にとりもどされたものはなかった」

スバス・チャンドラ・ボース=インドの独立運動家。インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。1943年(昭和18年)10月、日本を拠点に独立運動を行っていたラース・ビハーリー・ボース(「中村屋のボース」)やA・M・ナーイルらと合流、日本の支援により日本統治下のシンガポールで「自由インド仮政府首班」に就任。同年11月の大東亜会議にオブザーバーとして参加した。1945年(昭和20年)8月18日、台湾の飛行場で搭乗していた飛行機が離陸に失敗した事故により死去。遺骨は東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺で眠っている。
1944年3月20日「自由インド放送」(インド人民に向けた演説)より

 大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。
 いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 国際関係を本当に知ろうとしたら、政策立案者の説明する政策が実際はどういう意味をもっているか、深く考えてみる必要がある。私たちが「国益」としているものの上に、外交政策を立てているなら、日本に対する私たちの裁判はかなり調査が必要となってくる。日本の政策は一貫して国益の上に据えられてきたからだ。私たちが「国家の存亡にかかわる利益を守るために戦う」のは、私たちの権利であると主張する以上、同じように主張してきた日本を何で罰することができるのか。「世界征服」を企てたという理由で、日本を公式に罰することができるというのも理解できない。現にアメリカの公式調査報告は、そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ちだした「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は輸入必需品の80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息を意味するものだった。

 日本はアメリカに特使を送り、こうした厳しい措置の緩和を要請した。しかし、日本には、アメリカは両国間の対立を解決する意思をもっておらず、戦争は不可避と考えているようにみえた。会談の公式記録を読んでみると、アメリカは日本がそう疑うだけの根拠を与えている。だから、アメリカはヨーロッパの戦争がある程度めどが立ち、自国の「防衛」計画を整備するまでの時間稼ぎをしている、と日本が思ったのは当然である。アメリカの政策(イギリスと蒋介石政権を支援し、日本を経済制裁する)は正しかったというのもいいだろう。しかし、私たちの政策ではなかったと、真面目な顔でいうのはおかしい。なぜなら、政府は各種の公式声明で、あれはアメリカの政策だったと言明しているからだ。

 日本の立場で言えばこうである。イギリスとオランダが禁輸したインドネシアとマレーの物資を力で奪いにいく決意を固めた。そこで、アメリカが両国の陣営に加わらないよう、奇襲によって出鼻をくじく必要があった。パールハーバーはのるか反るかの賭けだった。

バー・モウ=1893年(明治26年)、当時イギリスの植民地だったビルマに生まれる。独立運動家、政治家。大東亜戦争開戦後、日本軍と共にイギリス軍と戦い、1943年(昭和18年)8月1日、ビルマ国の独立を宣言、国家元首に就任し、対連合国への宣戦布告を行う。1945年(昭和20年)8月に日本へ亡命したが、12月に自ら連合国の占領軍(イギリス軍)に出頭、翌年に特赦されビルマに帰国した。
横堀洋一訳「ビルマの夜明け」より

 日本の事例は本当に悲劇である。
 歴史的に眺めると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他には何処にもない。
 にも拘わらず、解放を援助しまたは、いろいろな事例の手本を示したその人々から、これほどまでに誤解されている国もまた無い。

ジャワハルラール・ネルー=インド人。独立運動の指導者・社会主義者・著述家。1947年(昭和22年)のインドとパキスタンの分離独立後、インドの初代首相となった。
「岸信介の回想」(岸信介他)より
 1957年(昭和32年)、岸信介首相がインドを訪問した際の歓迎演説会での演説(大意。「正論」08年3月号掲載 福田和也「悪と、徳と」第40回より孫引き)


 今、ここに日本の総理を迎えている。
 諸君は、日本という国を知っているか、地図を開いてみろ、アジアの端っこにある小さい島国が日本である。
 しかし自分は今日インド独立の大望を達して、インドとして独立したけれど、自分が独立の志を固めたのは日本のおかげである。
 自分はインドを独立させようと思ったけれど、アジア人はヨーロッパにはかなわないという観念が底にあった。
 ところが、このアジアの小国日本が世界最大の陸軍国であり、強大なる軍事大国であるロシアと戦って、これをやっつけたのだ。
 われわれの決意と努力によってわれわれの望みは達せられる、自分は何度も投獄されたけれど、その度にそういう決意を固めたのだ。

ガザリー・シャフィー(シャフェー)=マレーシア人。元外相。アセアンを結成した功績により国連ハマーシェルド賞を受賞。アジアを代表する外交官。
「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助 編より

 日本の政治家はどうしてお詫びばかりするのか。今もT氏(自民党参議院長老)は、私に会うと一番に「過ぐる大戦において、我が国は貴国に対してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言うのだ。私は思わず言ってしまった。「どうしてそんな挨拶をするのか。我々はペコペコする日本人は嫌いだ。なぜサムライらしく毅然としないのか。日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか三ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。その偉業を忘れて、政治家たるものが、ステレオ・タイプのように同じ言葉でお詫びをする。人種がすっかり変わってしまったのかと思ったよ」と。

 日本の政治家はなぜ論争しないのか。一九七四年の一月であったか、田中角栄首相がインドネシアを訪問したことがある。その時、四万の学生デモにとり囲まれて立往生し、ヘリコプターで虎口を脱し、何もせずに逃げ帰ってしまった。首相は、どうして学生を相手に公開討論を申し込まなかったのか。学生との討論の中で、日本の立場を堂々と打ち出したら、一度に人気が上がり、日本が見直されていたのに。惜しいチャンスを失ってしまった。

 特に私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。イギリスのサッチャー首相でなくても、責任感をもった政治家だったら、国家の名誉にかけて、必ず反論する。もし私が日本の政治家だったら次のように言うだろう。

 「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然ではないか。諸君らは、何十年何百年にもわたって、彼らからどんなひどい仕打ちを受けたかを忘れたのか。日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、敗けたら自分のことは棚にあげて、責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジアの事大主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないのか」と。

 目先をごまかしてお詫びする日本人ほど、調子がよくなると、今度は威張りだすのだ。威張るのもダメ、ペコペコするのもダメだ。  

 日本人は、バック・ミラーばかり見ている。バック・ミラーは映し出されたもので、真物ではない。自分の目で前を見なければ、運転を誤るよ。

鄭春河=1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年(平成17年)没。
「台湾人元志願兵と大東亜戦争」より

 1993年8月10日、細川首相は先の大東亜戦争を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と断定して大きな波紋を引き起こした。自国の威信と名誉に及ぼす影響は実に甚大なるものがある。
 当時我々は志願までして戦争に赴いたが、戦後見捨てられ異国の民となった。それでも我々は聖戦に参加できたことを誇りとしてゐたが、「侵略戦争だ、間違った戦争だ」といふ首相の暴言には莫大な抵抗と憤激・慨嘆を禁じ得なかった。
 この間たまりかねて身分もかへりみず三度も首相に抗議書を送付した。

※日本の首相で先の戦争を「侵略戦争」であると断じたのは1993年の細川護煕が最初であった。細川総理以前の歴代総理は頑として認めなかった。

ラジャー・ダト・ノンチック=マレーシア人。南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。元上院・下院議員。1994年逝去。
「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアのどの国の誰にでも
自分のことのように 一生懸命つくしてくれた


何千万人もの 人のなかには 少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ち明るかった

戦後の日本人は 自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから

まじめに 自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残虐無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ


だからアジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている


そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする


自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにする

こんな ひとたちと 本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

1989年4月 クアラルンプールにて

オリヴィエ・ジェルマントマ=フランス人。作家、フランス国営文化放送プロデューサー。紫式部から三島由紀夫まで多くの優れた日本文化紹介番組を送り出した。フランスを代表する知識人とされる。
「日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙~」(1998年発行)より

 圧力をかけられたがために、天皇も政府ももはやこの追悼の場(編註:八月十五日、靖国神社)に詣でることはないということを目のあたりにして、一フランス人として、驚くほかはありませんでした。フランスにおいては、すべて戦死者は、たとえ植民地戦争のそれであっても一様に畏敬をささげられ、それは歴代政府の右たると左たるとを問いません。何万という数にのぼる市町村(コミューン)の一つ一つに戦没者追悼碑が建てられ、その前で公式式典が年にいくたびも繰りひろげられます。慰霊は、すべての戦死者を対象として行われます。

 それはともかく朝鮮ならびに中国における日本の植民地政策に対して、これを弾劾して金切り声を張りあげる連中を、とんでもない偽善の従であると私は見ています。列強はすべて例外なく植民地を持っていましたし、今日なお別の形態で持っているのですから。日本国民を執拗に犯罪者扱いしてやまない諸勢力に対してあなたがたが憤激を示すのはもっともであると、私は理解しております。しかし、その憤りは、往時について明晰な分析を下してからでなければ前向きの値打ちを持ちえないであろうとも思うのです。

オリヴィエ・ジェルマントマ=フランス人。作家、フランス国営文化放送プロデューサー。紫式部から三島由紀夫まで多くの優れた日本文化紹介番組を送り出した。フランスを代表する知識人とされる。
「日本待望論~愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙~」(1998年発行)より

 人間精神は、人類史のなかに不変なるものを求めようとするものですが、それは同様に、不二なるものに感動する傾向を持っています。神風特攻隊員たちは無比無双の士(つわもの)たちでありました。日本人以外のどの民族も、祖国救済のために捨身を決意したこれほど多くの志願者を見いだしえなかったでありましょう。千五百隻もの艦船からなる超巨大艦隊の、その舷側にまで達せんと、二時間半の飛行をかさねて、さらに、猛き若武者の肉弾を八つ裂きにせんと待ちかまえる雲霞のごとき敵戦闘機群のなかへと、突っこんでいかなければならなかったのです……。

 アメリカ相手にこのような戦争を企図するとは、戦争指導者のなんたる狂気であったかと考えるのがいまや世間の常識です。しかし、出撃にさいして、若き特攻隊員たちが書き残した手紙を読んでみられよ。戦争そのものについて、彼らはみだりにも批判がましいことを言わず、ただこう言っているのです。「日本の無窮のために私は命をささげます」と。何事もないかのように若者たちは写真を撮らせました。澄み切った表情で、時には、楽しそうに。いよいよ離陸です。見送りに立つ女学生たちは、さながら新嘗祭(にいなめさい)のときのように手にした榊の小枝を、千切れるほどに振っては、万歳々々を叫ぶのでした。パイロットたちは、開間岳の上を掠め飛びながら、これに敬礼します。明け暮れ眺めたこの山を、富士山に、いや、日本そのものに見立てて。それから二時間あまり、空と海の間での孤絶。ひたすら、心に、敵艦体当たりの必勝を期して。だが、大抵の場合は、あえなく空中で撃破されてしまうのでありました。五体引き裂かれて。血は、肉は、空に散り、海に散り、海は、かすかに一点、朱に染まって――群青の波間に。

 離陸して二時間。まかり間違って帰ろうとしても、その燃料はないのです。死は、いまや須臾(しゅゆ)の間にあり、顎(あぎと)を開く。迫りくる「大死一番」を前に、恐怖と激昂の混淆(こんこう)。が、これを最後とばかり、ひたすら技術に精神集中して。対空射撃をかわし、敵戦闘機をかわし、敵艦に狙いをつけ、いよいよ突っこみの照準を合わせ、そして、断じて震えないこと。俺は一人ではない。操縦桿を握る手は、日本を創った先人のすべてが支えているのだ。震えてなるものか。日本さえ生き延びてくれたら、俺の死なんて、どうだっていいんだ。涙一滴浮かべず……意志は張り……己を越え……神々を思い……杜なかの祖廟を思い……対空射撃は天空を鉤裂き……一斉にこの小飛行機に殺到し……そこでは未熟な子供が泣くまいと目をこらし……空は吠え……空は真っ青……空は真っ赤……お母さん!

 これでも、親愛なる皆さん、皆さんは、今日、「日本」というこの言葉が空に砕け散るのを傍観しようとお望みなのでしょうか。

ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。猪口力平・中島正著「神風特別攻撃隊」を読み、その生き様に感動し、1974年(昭和49年)、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。フィリピン・カミカゼ記念協会会長。
2000年(平成12年)にフィリピン・ルソン島のパンパンガ州マバラカットで行われた神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭の翌日、ジャーナリスト井上和彦氏に語った言葉

 私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。

 当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の“抵抗”だったといえましょう。

 神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです。

イサベル・ラリンティ=セブ島の住宅街に在住。2008年3月時点で76才。
フィリピンのセブ島を中心に行われた日本兵の遺骨調査団に参加した野口健氏が、ラリンティ氏から連絡をもらい自宅に伺ったところ、庭の地中から6体の遺骨を発見。その際、ラリンティ氏が語った言葉

 日本軍の占領時代に私の家は日本軍にとられていた。ここには通信施設があった。しかし、私は日本兵のオリガサさんと仲良くなった。いい人だったんだ。
 アメリカ軍機の機銃掃射に襲われこの辺りは日本兵の遺体がいくつも横たわっていた。我々は怖くて近づけなかったが、それからオリガサさんの姿を見ていない。ここに眠っているかもしれないから掘って入るんだよ。
 日本から調査団が来たと聞いて喜んでいる。やっと日本人が迎えに来てくれたんだよ。

李登輝=1923年(大正12年)台北生まれ。京都帝国大学農学部に進み、4年(昭和19年)陸軍入隊。終戦後、台湾大学講師、台湾省農林庁勤務、米国留学などを経て71年国民党に入党。72年行政院政務委員として入閣。台北市長、政府首席等を歴任。84年副総統に指名され、88年1月総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙に当選。2000年国民党首席を辞任。総統引退後、台湾独立の立場を明確にした。
「李登輝学校の教え」より

 かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした、悪い国だった」と一方的に教育を受けていることです。日本は批判されていると思いこみ「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。

 こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どっちも大切だ。昔がなければ何で現在があるのか、そういうところから教育を改めていかなくちゃいけないと思いますよ。

 私が思うに、日本人自体、日本とは何かということを真剣には考えていないね。日本は日本なりの考えがあって戦争もした、競争的な立場もあった。それを主体的に行なったという意識があんまりないのじゃないか。

金美齢=台湾人。1934年(昭和9年)台北生まれ。日本統治下の台湾で育ち、日本敗戦後国民党による台湾人弾圧時代を経験。1959年(昭和34年)日本に留学後、台湾民主化運動に参加。このため30年間以上も台湾の土を踏むことができなかった。多くの大学で講師を歴任。1988年から2000年までは学校法人柴永国際学園JET日本語学校校長も務めた。台湾の民主化が進んだ後、2000年から2006年まで総統府国策顧問。日本滞在期間50年。2009年、日本に帰化。
「正論」2010年1月号 金美齢【独占手記 滞日50年、「二つの祖国」のはざまで 私はなぜ日本国民となったか】より

 台湾で終戦を迎えた十一歳まで、私は日本の勝利を願う軍国少女だった。
 その遠い昔、郊外の疎開先と街の中心部との往復に、幼かった私を優しく抱き上げてトラックに乗せてくれた兵隊さんが靖国神社に祀られているかも知れず、また台湾に自由化、民主化をもたらした李登輝元総統の兄をはじめ約二万七千八百人の台湾人が合祀されている靖国神社。
 戦前の台湾人は、日本とともに“あの戦争”を戦ったのであり、「台湾人にとっての靖国」は決して観念的なものではない。


 先だっての訪日でようやく兄の御霊に詣でたいという積年の思いを果たした李登輝元総統と同じ思いが、私の中にも軍国少女の記憶とともに重ね合わされている。
 つまり靖国神社を思うときの私は、日本と台湾という二つの祖国の歴史が重なり合う中に、自分の居場所を感じていたことになる。

川口ユディ=ハンガリー・ブダペスト市生まれ。米国に留学しイリノイ大学にて芸術を専攻。同地で日本人男性と知り合い、後に結婚して日本に暮らす。NHKテレビの国際放送番組「ウイークエンド・ジャパノロジー」「Out&About」や「ニッポンアートウィーク」のレポーターとして日本人や日本文化を世界に紹介している。また、元特攻隊員の貴重な証言を自身で設立した、(株)盛之助のウェブサイト(http://morinoske.com/)で公開している。
撃論ムック「世界に愛された日本」【日本ほど素晴らしい国はない!】川口ユディ氏×田母神敏雄氏の対談より、川口ユディ氏の発言抜粋

 日本の植民地統治のことをもっと教えるべきですよ。西欧諸国に支配されているところへ日本の軍隊が入っていって、いっぱい追い返したでしょう。西欧諸国にとっての植民地は利益を搾取するところ。日本は違う。日本は逆にその国にいっぱいお金出しました。今、世界で発展しているアジアの国は日本が統治していた国ですよ。フランス、ポルトガル、イギリスが統治していた国は今も発展してない。今も貧乏。この点だけでも日本人、誇りもつべきだと思う。

 私、アメリカに行ったときに植民地支配のやり方勉強したの。日本以外はすごいひどいでしょ。「戦争で日本はひどいことした」なんて、どの国にも言われたくない。日本人、そんな言葉、信じちゃいけないですよ。だから、もうちょっと日本の素晴らしい歴史をPRするべきね。それが日本人、超下手ですよ。自己PRできない。もちろん、それまた日本人の美徳なんですけれども。だから、そこに私の仕事あると思う。アイ・ラブ・ジャパンな外国人だからできること。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 記憶力の良い方はお気づきでしょうが、ラジャー・ダト・ノンチックさんの言葉(詩)は、このシリーズでは3回目の登場になります。

 最初にこの詩を知った時、私はものすごく心を打たれました。ゆえに、できるだけ多くの人に知っていただきたいなという気持ちが、今もとても強いのです。


 ……というわけで、第17弾につづく……!?


※参考文献
しゃばだば近代国史帖>世界の識者が見た東京裁判
反日ワクチン>大東亜戦争の正論5
善悪の彼岸>大東亜戦争肯定論
自由主義史観研究会(特集)>アジアにおける日本と大東亜戦争 インド編
・ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(メディアファクトリー)
大凡人>06/12/8付:12月8日
・「正論」2008年3月号 福田和也「悪と、徳と」第40回
日本再生倶楽部>管理人の隠し部屋バックナンバー2002年4月
・撃論ムック「反日マスコミの真実2009」
・小林よしのり著「戦争論2」
内容なぁーい>日本待望論(その3)第二次大戦と国の尊厳
内容なぁーい>日本待望論(その4)神風特攻隊
・撃論ムック「世界に愛された日本」井上和彦【カミカゼはフィリピン人の英雄だった】
野口健公式ブログ>2008年03月22日付:遺骨調査団に参加して
・李登輝×小林よしのり 対談集「李登輝学校の教え」(小学館文庫)
・「正論」2010年1月号 金美齢【独占手記 滞日50年、「二つの祖国」のはざまで 私はなぜ日本国民となったか】より
・撃論ムック「世界に愛された日本」【日本ほど素晴らしい国はない!】日本ほど素晴らしい国はない!(上)

※拙ブログ「外国人から見た日本と日本人」シリーズ
07/10/16付:外国人から見た日本と日本人(1)
07/10/23付:外国人から見た日本と日本人(2)
07/11/27付:外国人から見た日本と日本人(3)
08/1/8付:外国人から見た日本と日本人(4)
08/2/11付:外国人から見た日本と日本人(5)
08/6/3付:外国人から見た日本と日本人(6)
08/8/16付:【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)
08/12/23付:外国人から見た日本と日本人(8)
09/1/31付:外国人から見た日本と日本人(9)
09/4/4付:外国人から見た日本と日本人(10)
09/5/30付:外国人から見た日本と日本人(11)
09/7/12付:【動画】外国人から見た日本と日本人(12)
09/7/26付:外国人から見た日本と日本人(13)
09/9/7付:外国人から見た日本と日本人(14)
09/11/17付:外国人から見た日本と日本人(15)

※その他拙ブログ関連エントリー
05/12/5付:憂国フラッシュリンク集
06/10/8付:【アンケート】「生まれ変わっても日本人になりたい?」結果と全コメント
07/3/5付:「日本人」について考えさせられた記事
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
08/12/16付:「ATLAS日本」アメリカから見た現代日本
09/3/21付:桜と日本人の感性
09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史

※おすすめブログ
反日ワクチン>外国人の見た日本人A
反日ワクチン>外国人の見た日本人B
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今日は大東亜戦争が始まって68年目の記念日である。世界に誇れる大日本帝国が跡形もなくなくなってしまった忌まわしき戦争の起きた日である。 あの戦争がなければ今でも日本は神国として世界中から尊敬されていたに違いない。だが、コミンテルンにより、大東亜戦争が引..
2009/12/08(火) 03:51:32 | 愛国を考えるブログ

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