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外国人から見た日本と日本人(14)

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 6日、悠仁親王殿下が3歳の御誕生日を迎えられました(画像=時事通信)。
 心より御祝い申し上げます。
 
 お健やかに成長されているご様子を拝見でき、国民の一人として喜ばしい限りです。お顔立ちもずいぶんしっかりされてきましたね。

 お召しになっているのは皇室伝統の「黒紅縫(くろくれないぬい)の御祝着」で、御誕生日を前に天皇、皇后両陛下がプレゼントされた物だそうです。

 日本中が沸いたあの日からもう3年も経つんですね。早いもんですなぁ(T^T)

 さて、「外国人から見た日本と日本人」第14弾です。

 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
ハインリッヒ・シュリーマン=ドイツ人。考古学者。19世紀半ば世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と幕末の日本を訪れた。訪日は1865年(慶応元年)。その後、ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」より、横浜での記述

 日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。

 寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。

 もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござを用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。

アレキサンダー・F・V・ヒューブナー=オーストリア人。作家、外交官。オーストリア宰相メッテルニヒの庶子ともいわれる。1871年(明治4年)来日。
「オーストリア外交官の明治維新」より

 今朝、江戸の主な店をいくつか訪問。横浜の日本人地区にはヨーロッパ市場向けにわざわざ製造された品物があるが、ここ江戸ではそれとは逆に、物はすべて日本人の好みに合わせて作られている。こういうさまざまな数々の品物をつぶさに眺めることほど面白いことはない。

〈中略〉美術品と工芸品を比較して言えば、ここ日本では、芸術家は職人に極めてよく似ており、また職人はある程度まで本質的に芸術家なのだ。ヨーロッパにおいても中世はこれと同じ状況だったのである。

 玩具を売っている店には感嘆した。たかが子供を楽しませるのに、どうしてこんなに知恵や創意工夫、美的感覚、知識を費やすのだろう、子供にはこういう小さな傑作を評価する能力もないのに、と思ったほどだ。聞いてみると答えはごく簡単だった。この国では、暇なときはみんな子供のように遊んで楽しむのだという。私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
日光、入町での記述


 午前七時には太鼓が鳴り、子供たちを学校に集めます。校舎はイギリスならどの教育委員会をも辱めないものです。西洋化しすぎているとわたしは思いましたが、子供たちは現地式に床に座るのではなく、椅子に腰をかけて机に向い、とても居心地が悪そうです。学校の設備は非常によく、壁には上等の地図が掛かっています。教師は二五歳くらいの男性で、黒板を自在に使ってどんどん生徒に質問していました。イギリスと同じように、いちばんいい答えを返した生徒はクラスの首席に移動します。

 服従は日本の社会秩序の基本で、家庭で絶対服従に慣れている子供たちが相手なので、教師はなんの苦もなく生徒を静かにさせたり、自分のほうに注目させたり、言うことを聞かせたりできます。教科書を懸命に読んでいる子供たちの大人びた顔には、痛々しいまでの熱意があります。外国人が教室に入ってくるというめったにないできごとがあっても、生徒たちはよそ見などするものではありません。

 年少の生徒は主に実物教育で学び、年かさの生徒は地理や歴史の教科書を声を出して読む練習をします。漢字もかなも甲高くてひどく耳障りな調子で読みます。ほかに算術と自然科学分野の初歩も習います。子供たちが朗読している詩歌は、わたしの理解したところでは、簡単な五十音図となっていました。訳すとつぎのようになります。

「色と香は消えてしまう。
 この世にずっと残るものがあるだろうか。
 きょうという日は無の底に消えてしまう。
 束の間の夢のようなものにすぎず、わずかな苦しか生じさせない」
[色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず]

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(下)」より
宣教師の妻であるギューリック夫人と奈良の長谷寺を訪れた際の記述


 あまりに不意のことで、外国人のよく旅する道からはあまりに外れた場所でもあったのですが、わたしたちはそうとは知らないまま、日本で最も知られ、詩歌や絵画で讃美されている名所のひとつ、多くの巡礼地でも最も人気のある場所のひとつに来ていたのでした。

 美しい長谷寺!十一月の雨の降るそのえもいわれぬすばらしさは決して忘れないでしょう。わたしたちは跳ねを飛ばしながら泥と水をかき分けて進み、山を登り、寺院を見て、空腹や濡れた服のことを忘れ、しばらく留まりました。

 というのもこの壮麗な谷において、自然はその最善を尽くし、遠い島の美を真似ているのです。轟音をあげる山川(やまがわ)[訳者注:初瀬川のことか]が泡立つ広い流れとなって走る裂け目をのぞきこみ、また楓で燃えるような対岸の険しい山を眺め、わたしたちは同時に叫びました。「ハワイの渓谷にそっくり!」と。

キャサリン・サンソム=イギリス人。1883年(明治16年)生まれ。1928年(昭和3年)、外交官にして日本研究者である夫ジョージ・サンソムの赴任に伴って来日し、1936年(昭和11年)まで滞在。
「東京に暮らす―1928~1936」より

 日本人には私たち(イギリス人)にはない落ちつきがあります。人生が彼らの中や傍を流れていきます。彼らはあせって人生を迎え入れたり、人生の舵を取るようなことはしません。流れが運んでくるものを受け取るだけです。

 日本人をよく知る外国人は、日本人がとても誇り高く、しかも恥かしがりやで驚くほど繊細であるという、どちらかというと不利な性格の持ち主であることを知っています。

コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より満州国についての記述

 「満州国」では太古からの歴史をもちながらも、今なおみずみずしい大地の上に、五つの民族の協和によるまったく新しい世界が生まれようとしているのだ。ここはアメリカを、それも今日の合衆国にはもはや見られないパイオニア時代のアメリカ、「辺境(フロンティア)」のアメリカを想起させる。そうだ、ここには爽快大胆な精神がいまだに活動できる土地、辺境が見受けられる。

 もちろんオーストラリアと比べた時と同様、アメリカと比べても違いがある。ここで活動するのは個人ではなく団体である。新しい土地における新しい人々による国家的、経済的ならびに文化的な新天地建設計画の実施である。新国家にこのような魅力を与えるものを、おそらく新京におけるほど強烈に感ぜられることはあるまい。

 新京は新しい首都を意味する。一つの都市がこんなにふさわしい名前をもったことはめったにあるまい。なぜならここでは、街路といい家屋といい、はたまた都市にみなぎる精神といい、すべてが新しいからであり、またすべてが未完成だからである。しかし皇帝の宮殿が建てられ、その周辺地区が整備されたあかつきには、新しい首都は多くの古い首都と美を競うようになるだろう。

ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。同裁判の11人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)の作成者として知られる。
パールが19歳の時、日本が大国・ロシアと戦い勝利を収めたという知らせがインドにもたらされた。この時のことを回顧して――

 同じ有色人種である日本が北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たという報道は我々の心を揺さぶった。

 私たちは白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに毎日のように旗行列や提灯(ちょうちん)行列に参加したことを記憶している。

 私は日本に対する憧れと祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いで胸一杯であった。私はインドの独立について思いを致すようになった。

モーリス・パンゲ=フランス人。日本文化研究者。1960年代に東京日仏学院院長も務めた。
「自死の日本史」より

 日本の特権階級であった武士は、他の階級によって倒されたのではありません。外国の圧力の前に、みずから革命を推進し、そのためみずからを消滅させるという犠牲を払ったのです。

 革命といっても、それはある階級が他の階級を倒すという、普通の意味の革命ではありません。武士たちの望みは、日本という国の力をよびさますことだったのです。

ベン・アミー・シロニー=1937年(昭和12年)ポーランド生まれ。両親と共に旧ソ連で終戦を迎え、ドイツ難民キャンプでの2年間の生活を経て、1948(昭和23年)年にイスラエルへ移住。エルサレム・ヘブライ大学で歴史・哲学を専攻。日本の国際基督教大学に留学後、1972(昭和47年)年、ヘブライ大学東洋学部教授に就任。1991年、米ハーバード大学客員教授に就任。
「天皇陛下の経済学」より

 歴史が始まって以来、日本の統一された社会、国家を象徴するものといえば天皇制であった。日本の歴代天皇は政治手腕に欠け、経済、軍事面でも非力であったにもかかわらず、他のどんな大勢力も立ち向かうことのできない、ある種の強力な権力を行使していた。

〈中略〉他の国々とは違い、歴代天皇が日本の歴史に直接の影響を与えたことはほとんどなかったが、天皇だけが有する威力が日本人を統一させ、日本国にその正統性を与えたのであった。天皇こそが、日本の不動の核なのである。

加藤マヌエル=日系ペルー人。1926年(大正15年)生まれ。日系ペルー人初のカトリック神父。初来日は1955年(昭和30年)。ペルーでストリート・チルドレンのためのホームや診療所、日系人専用の老人ホームを建設する事業に関わり、その支援を仰ぐために毎年2カ月ほど来日するように。作家の曾野綾子さんも支援者の一人。日本滞在期間通算13年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 私はリマで生まれ、小学校は日本人学校で日本式教育を、中学校はペルーの学校でスペイン式教育、大学はカナダのフランス語圏でフランス式教育を受けました。神父になってからは欧州の国々へ行く機会もあり、その長い外国生活の経験から感じることは、日本人はとても親切で、相手のことを考えて行動や発言をすることです。例えば、日本での滞在先である修道院では、食べたい物を尋ねてくれるので、お餅やカレーが大好きだと話すと、食事に出てくるのです。食事の時間に間に合わないときも、取り置きして温めて直してくれたり。西洋の修道院では、時間に遅れたら、もう何もないです(笑)。日本で個人宅へ訪問するときも同じ。しかも好きな食べ物を一度お話しすると、覚えておいて下さっている。相手を喜ばせようという気遣いがあります。それも日本人の根本精神でしょう。ペルーでも一世のお宅へ行けば、そういうことがありますが、ペルー人のお宅ではあまりないですね。

 日本の歴史を学んだとき、教育に熱心だったといわれる明治天皇が明治二十三年に発布した「教育勅語」をスペイン語で読む機会がありました。「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ……」などと、人間教育の基本となる部分が書かれ、素晴らしい内容ですよ。残念に思うのは、今の日本が西洋化しつつあること。意味のよくわからない外来語が氾濫し、日本語がみだれ、親子関係や道徳が薄らいでいます。日本の教育は、教育勅語の原点に戻るべきだと思いますね。

 成田に降り立つと、いつもほっとします。私にとって、ペルーは母国、日本は祖国なのだと思えるのです。

姜尚勲(カン・サンフン)=韓国人。1969年(昭和44年)生まれ。学生時代より日本を度々旅行。その後、大学院進学を目指し来日するも進路変更、放送技術の専門学校に在学中、声優志望の日本女性と出会い結婚。現在、ハングル講師。日本滞在期間6年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 日本人は丁寧で親切です。初来日でひとり旅の時、いろいろ訊ねた人達は誰もがやさしく教えてくれ、その後この六年間かかわった人達も気持のいい人ばかりでした。私は日本人十人と知り合えば、厭(いや)で嫌いな人はそのうち一人位です。でも韓国人十人と知り合えば、その中の三人位とはとても仲良くはできない。日本は悪口の言葉が少ないと思う。韓国はすごく多いし激しい。気が短くて、喧嘩になると乱暴な言葉でやりあいます。以前、日本語学校にいた頃、中国人と韓国人が覚えたての丁寧な日本語で喧嘩した時は、迫力がなくて見ていておかしかったです。

 私が一番感心するのは、高齢者の人達がいつまでも向学心を持ち、心豊かに愉しく生きようとしている、その意識の高さと生活の仕方です。ハングルを教えている生徒さんも中高年の人が多いのですが、私から見ればお父さん、お母さん、のような人ばかり。私は皆さんに敬語を使って話しながら、「先生」と呼ばれるのが心苦しくてとても厭です。私が教えているから「先生」なのでしょうが、実際には私の方がどれだけ皆さんに教えられているかわかりません。

アシュラフ・ヘンタティ=チュニジア人(チュニジアは北アフリカ、地中海沿いの国でフランスが旧宗主国)。1967年(昭和42年)生まれ。学生。日本滞在期間1年未満。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」より

 日本には、季節毎の変化に合わせた食事があるんですね。素晴らしい心遣いです。よその国はすべてにもっと大雑把ですよね。

 日本の方々のそういうさり気ない気遣いは暮らしの中でも、よく感じますよ。僕が熱心に勉強していたり、本に集中していたりする時は、側を通っても、決して声をかけずにそっとしておいてくれ、後であいさつしてくれたりします。相手の状況をよく見ていて、邪魔しないでいてくれる配慮は、控え目だけど胸にジーンと来るものがあります。

 僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、皆さんが「がんばって」「がんばって下さい」「がんばってね」と声を掛けて下さいます。

 実は初め驚いたのです。よその国ではそういう経験があまりないからです。日本では乗り物などでマゴマゴととまどったりすると、周りの方の「がんばれ~」光線を感じます。見も知らぬ僕もためにハラハラと心配してくれているのですよね。例えば、これがフランスなどですと、むしろ、冷たい視線を受けてしまいます。自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、他人にはかなり冷たいところのある国ですから。

 逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。温かいなあと感じます。「がんばって」と身近な皆さんに言われて、それがプレッシャーだった時もあるのです。こんなにがんばっているのに、自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、むしろ「見守っていますよ」という温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。

 僕がこうして日本で学ぶことができるのは、世界で第二位、全体の一〇%を超える日本のODA(政府開発援助)のお陰なのです。

 現在は、どの国でもそれぞれの問題を内外に抱えていて、大変な時代です。その中で、支援を求める国々に対して、こうした援助ができるのは本当に日本が強い国だからだと、僕は思っています。そして、強いというのは、余裕を持った本当の優しさを持っているということだと考えています。日本人はシャイで控え目な態度の人々ですが、根っからの優しさを持っていると、僕は日本に来てから強く感じました。

 水の貴重な国からやって来た僕は、今、水についての研究をしています。いつの日か祖国の人達の役に立つような仕事がしたいのです。その勉強の機会を与えて下さった日本や日本の人達のご好意に報いるためにも、懸命に勉強しようと思っています。

 「ご縁があったのですね」という日本の言葉がとても好きです。そう言って、僕を見守り励まして下さる日本の方々のためにも、僕、「がんばりまーす!」

ブラッド・トウル=カナダ人。1975年(昭和50年)生まれ。和歌山県旧本宮町(現田辺市)で英語指導助手、北海道でスキーインストラクター、ロッキー山脈で登山ガイドなど、さまざまな経歴を経て、平成18年から田辺市の観光協会で働く。世界遺産・熊野古道への外国人観光客の増加を目指し、情報の発信や地元旅館の受け入れ態勢作りなどに力を注いでいる。
産経新聞09/8/24付<新関西・笑談>「KUMANOを世界へ~さすらいのカナダ人~(1)」より

記者
「世界中を渡り歩いてきた中で、熊野古道の魅力を教えてください」

トウル氏
「世界のどこにも負けないぐらいの自然です。暖かくて雨が多い。木や虫、植物の種類、多様性はすごいです。さらに豊かな自然と、人間とのかかわり。山伏が来て神主が来てお坊さんが来て…。世界では宗教戦争が続く中、柔軟性というか、寛容の精神がとても新鮮で素晴らしい。誰でも自分なりのイメージが作れる、そんな場所だと思います

記者
「カナダでは、日本がどんな国か広く知られていないような気がします。そもそもなぜ日本に?」

トウル氏
「初めて来日したのは平成7年11月、大学1年の時です。日本からの留学生と友達になり、千葉県へ遊びに行きました。予備知識がなく、箸にも左側通行にも何でもびっくり。特に和室は別世界に思えました。友達の家で朝食に魚が丸ごと一匹出たのも覚えています。魚は大好物ですが、カナダの内陸部出身なので誕生日に食べられるくらい。しかも冷凍。毎日魚を一匹食べられるなんて、と好印象を持ちました

記者
「“魚”で日本が好きになったのですね。熊野古道を知ったきっかけは」

トウル氏
「人は親切だし魚は食べられるし、カナダに帰国してからもずっと日本に住みたいと思っていました。その矢先に日本で英語の指導助手をする交流事業を知り、応募しました。希望地は関西。それも大きな町には興味がなかったので、田舎に行きたいと希望を伝えました」

記者
「なぜ関西を」

トウル氏
「初来日の時、テレビで面白いコメディアンを見ました。友達に『それは関西人だよ』と言われ、関東と関西の違いも説明してもらいました。『関西って面白そうなところやな』とずっと思っていました」

記者
「そして決まったのが、熊野古道に近い和歌山県旧本宮町(現田辺市)」

トウル氏
「11年8月から本宮町の小中学校で教えはじめました。第一印象は『こんな田舎が日本にあるのか』。標高が低くて木が密集していて、全くイメージがわきませんでした。蒸し暑いのも驚きました。夏は毎日サウナの中で生きているようだと思ったこともあります」

記者
「故郷のカナダとは全く異なる日本の自然ですね」

トウル氏
「まず自然のとらえ方が根本的に違いました。カナダでは学問的、科学的なイメージ。弱肉強食というか食物連鎖というか、自然のサイクルにまず注目します。ところが日本では、自然の上に精神的なイメージをかぶせています。精神や宗教のシンボルが自然とミックスしているのです。熊野古道は特にそうですね。そんな日本の自然に魅了されてしまいました」

リチャード・アーミテージ=アメリカ人。1945年(昭和20年)生まれ。政治家・軍人。国防戦略の専門家、共和党穏健派の重鎮として知られ、2001年に発足したジョージ・ブッシュ政権下では2005年1月まで国務副長官を務めた。イラク戦争については、アメリカ政府の中において最も反対の立場をとった。知日派として日米外交に大きな役割を果たしてきた。
「SAPIO」09/8/26号【「靖国問題浮上」から20年「日本はこれ以上中国政府による参拝批判を考慮する必要はない」】より

 一部の人は靖国問題が日中関係を悪化させる原因だと主張する。しかし、靖国問題は原因ではなく、中国の「自信のなさ」の表れであった。自信のない国は歴史問題をことさらにうんぬんしたがるものだ。

 A級戦犯を含めて戦没者などの先人をどのように追悼するかは日本の問題だ。そして首相をはじめとする日本の政治家による靖国神社参拝の是非は、日本の国民と指導者が決めることであり、米国や中国を含めて他国が口出しをすることではない。米国が指図するのも適切ではない。

〈中略〉日本は過去を忘れてはならないが、終戦からもうすぐ70年が過ぎようとしている。過去は過去である。アジアのほとんどの国々は、日本がより大きな役割を果たすようになることを切望している。日本は世界で最も尊敬される民主国家の一つであり、力強い経済と国際的な評価を兼ね備えているからだ。過去に縛りつけられることなく前進し、アジアで意義のある役割を担うべきである。

ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。猪口力平・中島正著「神風特別攻撃隊」を読み、その生き様に感動し、1974年(昭和49年)、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。フィリピン・カミカゼ記念協会会長。
2000年(平成12年)にフィリピン・ルソン島のパンパンガ州マバラカットで行われた神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭の翌日、ジャーナリスト井上和彦氏に語った言葉

 私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。

 当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の“抵抗”だったといえましょう。

 神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 最後に紹介したダニエル・H・ディゾン氏について少し補足を。

 ディゾン氏が奔走してフィリピン政府により建立された神風特攻隊慰霊碑には、氏が書いた次のような碑文が記されているそうです。

 【第2次大戦終結までに、カミカゼはアメリカ軍艦を総計322隻撃沈または大破、9000人以上の海軍軍人を戦死させ、一方、5000人のカミカゼ隊員の内4600人が自殺攻撃にて戦死した。カミカゼは、世界史上比較しうるもののない全く大胆不敵なものであった。
 歴史的調査が明らかにしたところによれば、カミカゼを支えた信条とは、世界のすべての民族に対する機会の均等と親睦が、自らの死によって実現されることを心底から願って自らの身を捧げたカミカゼ志願者達の思いである。】


 氏はなぜ慰霊碑の建立に奔走したのでしょうか。原点には、氏の少年時代における日本兵との交流がありました。そして運命を変えた一冊の古本……。

 詳細はこちらを是非お読み下さい。
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座>JOG-mel No.524 フィリピン少年が見たカミカゼ ~ なぜカミカゼの記念碑がフィリピンの地に建てられたのか。

 もう一点、補足。
 ジャーナリストの井上和彦氏が取材した神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭について。

 関行男大尉率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」がフィリピン・ルソン島のパンパンガ州のマバラカット基地を飛び立ってから56年目にあたる2000年(平成12年)10月25日、マバラカットで神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭が行われました。
 この慰霊祭には、日本からの慰霊団に混じってマバラカット州知事やフィリピン空軍軍楽隊もが参加しました。

 また同じ10月25日、タルラック州バンバン村でも慰霊祭が挙行されました。
 こちらの慰霊祭には多くの地元学生が参列したのですが、井上和彦氏と学生たちとの間でこういうやりとりがあったそうです。

 私は、式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生達に、神風特攻隊をどう思うかと訊いてみた。すると彼女らは声を揃えた。
 「Brave!(勇敢)」
 その中の一人が続けた。
 「フィリピンにも“英雄”はたくさんいます。ですから私達も神風特攻隊という日本の“英雄”をたいへん尊敬しています…」
 さらに引率の男性教師は、「こうした歴史教育を通して、子供たちに国を守ることの大切さを知ってほしいのです」と語ってくれた。
 私は学生達にもう一度訊いた。
 「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」
 すると皆は屈託のない笑顔で答えた。
 「もちろんです!だってあの人達はヒーローですもの…」

 
 井上氏はこの“現象”を以下のように分析し、そして現代日本へのヒントを見出すのです。

 異民族の侵略を受けつづけたフィリピン人の痛覚は、ダイナミックな歴史観と愛国心を産んだ。そしてそんな土壌に“英雄”を敬う気風が育まれた。だからこそフィリピンの人々は、祖国を守るために生命をかけた神風特攻隊を挙って“英雄”と称えるのだろう。
 ところが現代の日本人は、こうしたアジアの声を素直に聞くことができなくなっている。自虐史観ですっかり洗脳されてしまったからである。(中略)この自虐史観という病巣を取り除かねば、日本は永遠に立ち直ることはできないだろう。
 そのためにこそフィリピンを訪れて、フィリピンの人々に話を聞いてみてはいかがだろうか。それは最良の“治療薬”かもしれない。


 何年か前にネットにUPされた「真実はどこに」という有名な動画があります。拙ブログでも何度か紹介したことがありますし、ご存知の方は多いと思います。
 内容は、フィリピンで行われた神風特攻隊の慰霊祭にお祖父さんとともに参加した高校生(動画制作者?)が、神風特攻隊の真実を知るというものでした。

 この動画の中で「フィリピンの方のスピーチ」が紹介されていますが、この「フィリピンの方」というのは今回紹介したディゾン氏のようです(発言内容に酷似した箇所があります)。
 つまりこの動画に登場する「慰霊祭」とは、2000年にマバラカットで行われた慰霊祭であると見て間違いないでしょう。


 ……というわけで、第15弾につづく……!?


※参考文献
・ハインリッヒ・シュリーマン著「シュリーマン旅行記 清国・日本」(講談社学術文庫)
反日ワクチン>はじめて見る日本4
・イザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行(上)」(講談社学術文庫)
・イザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行(下)」(講談社学術文庫)
夏目書店>本の紹介>キャサリン・サンソム『東京に暮す』
・コリン・ロス著「日中戦争見聞記―1939年のアジア」(講談社学術文庫)
産経新聞8/26付>【元気のでる歴史人物講座】「(34)パール 日本を尊敬、祖国に自信」日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座>JOG-mel No.603 武士が作った国民国家 ~ 『新編 新しい歴史教科書』を読む
・撃論ムック「世界に愛された日本」高森明勅【世界に冠たる日本の皇室】
・加藤恭子編「私は日本のここが好き!―外国人54人が語る」(出窓社)
・産経新聞09/8/24付<新関西・笑談>「KUMANOを世界へ~さすらいのカナダ人~(1)」より 和歌山県田辺市の国際観光推進員 ブラッド・トウルさん
・「SAPIO」09/8/26号 リチャード・アーミテージ【「靖国問題浮上」から20年「日本はこれ以上中国政府による参拝批判を考慮する必要はない」】
・撃論ムック「世界に愛された日本」井上和彦【カミカゼはフィリピン人の英雄だった】

※「外国人から見た日本と日本人」シリーズ
07/10/16付:外国人から見た日本と日本人(1)
07/10/23付:外国人から見た日本と日本人(2)
07/11/27付:外国人から見た日本と日本人(3)
08/1/8付:外国人から見た日本と日本人(4)
08/2/11付:外国人から見た日本と日本人(5)
08/6/3付:外国人から見た日本と日本人(6)
08/8/16付:【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)
08/12/23付:外国人から見た日本と日本人(8)
09/1/31付:外国人から見た日本と日本人(9)
09/4/4付:外国人から見た日本と日本人(10)
09/5/30付:外国人から見た日本と日本人(11)
09/7/12付:【動画】外国人から見た日本と日本人(12)
09/7/26付:外国人から見た日本と日本人(13)

※その他関連エントリー
05/12/5付:憂国フラッシュリンク集
06/10/8付:【アンケート】「生まれ変わっても日本人になりたい?」結果と全コメント
07/3/5付:「日本人」について考えさせられた記事
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
08/12/16付:「ATLAS日本」アメリカから見た現代日本
09/3/21付:桜と日本人の感性
09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史

※おすすめブログ
反日ワクチン>外国人の見た日本人A
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