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外国人から見た日本と日本人(9)

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「竹島プロジェクト」進行中。
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 「外国人から見た日本と日本人」第9弾です。

 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
ハインリッヒ・シュリーマン=ドイツ人。考古学者。19世紀半ば世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と幕末の日本を訪れた。訪日は1865年(慶応元年)。その後、ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」より
 上海から横浜に向かう船上での記述


 快適な旅のあと、われわれは六月一日朝六時、日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到達した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。

ハインリッヒ・シュリーマン=ドイツ人。考古学者。19世紀半ば世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と幕末の日本を訪れた。訪日は1865年(慶応元年)。その後、ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」より
 八王子・宝顕寺を訪れた際の記述


 われわれは高名な宝顕寺で休憩した。寺は、針葉樹、椿、シュロなどの美しい木立ちに囲まれている。

 寺は木造で、屋根は茅(かや)で一メートルの厚さに葺(ふ)かれ、田舎にある日本の寺がそうであるように、屋根の棟にそって百合の花*1が植えられている。境内に足を踏み入れるや、私はそこに漲(みなぎ)るこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃(たいはい)的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙(ひな)びたといってもいいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺(うかが)われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。

〈中略〉どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。障子は裂け目のない白紙がしわ一つなく張られている。僧侶たちはといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。

*1 [訳注]百合の花はイチハツだと思われる。百合は乾燥に堪えない。イチハツはアヤメ科の多年草で、火災を防ぐということで藁葺屋根の上に植えられた。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 来日時、江戸湾を北上中の記述


 甲板じゅうで歓声があがっていたものの、わたしにはずっと探しても富士山が見えなかったのですが、ふと陸ではなく空を見上げると、予想していたよりはるか高いところに、てっぺんを切った純白の巨大な円錐が見えました。海抜一万三〇八〇フィート[約三九八七メートル]のこの山はとても淡いブルーの空を背に、海面の高さからとても青白い、光り輝くカーブを描いてそびえ立ち、その麓(ふもと)も中腹も淡いグレーのもやにかすんでいます。それはすばらしい幻想のような眺めで、いかにも幻想らしくまもなく消えてしまいました。やはり円錐形の雪山であるトリスタン・ダクーナ山はべつとして、これほどその高さと威容を損なうものが付近にも遠くにもなにひとつない、孤高の山は見たことがありません。日本人にとっては聖なる山であり、飽くことなく芸術作品の題材とするほど大切にしているのもふしぎはありません。最初目にしたとき、この山はほぼ五〇マイル[約八〇キロ]のところにありました。

 空気も海も動きがなく、もやは静止し、薄墨色の雲が青みがかった空にゆったりと浮かび、水面に映った漁船の白帆はほとんど揺れもしません。なにもかもが淡くかすかで青白く、わたしたちの船が乱れ狂う泡を残してどかどかと騒々しく進んでいくのは、眠れる東洋に乱暴に侵入するようなものでした。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 横浜での記述


 「政府はアジア的、専制的にして偶像崇拝的だ」というグリフィス教授[福井藩の招聘で一八七〇年に来日したウィリアム・E・グリフィス?]の見解からはじめるのは、たぶん賢明ではないでしょう。わたしの受けた第一印象は、この国はよく統治されているというものです。上陸したとたん、サンパンや人力車の料金表、掲示板の公告文、きちんとした警察官、乗り物の提灯、外国貨幣の拒絶、郵便規則などなど、「規則」に出会うのですから。それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです!

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 吹上御苑を散歩した際の記述


 女性は男性とは決していっしょに歩きませんが、女性同士や子供連れで歩くことはします。それに赤ちゃんを「おんぶ」して歩くことはよくあります。男性も子供を連れて歩いたり抱いたりはするものの、家族そろっての集団というのはありません。女性は頭になにもかぶりませんが、その顔にはやさしい節度と女らしさがあり、そこがいいのです。だれもが楽しそうですが、浮かれ騒ぐところはまったくなく、おとなしくて丁重な態度は土曜日の午後家にいる人々の態度と著しい対比を示しています。人込みのなかでは行儀よくするという頼もしい習慣があるにちがいありません。というのも吹上御苑に警官はひとりもいなかったのですから。しかも東京にはほぼ六〇〇〇人の警官がいて、この庭園に配置する人員に不足しているはずはないのです。

 この町に外国人は多いのに、わたしたちはおもしろいもの、あるいはめずらしいものとしてじろじろ見られました。ハリー卿*1がたいへん快活に外交経験のなにがしかを回想しているあいだに、わたしたちのまわりにはひとりでに野次馬が集まり、口を開けて黒く染めた歯をのぞかせ、とても黒い目でぽかんとわたしたちを見つめました。でもそれがあまりに丁重なので、見つめられているという気はしませんでした。

*1 ハリー・パークス。幕末期の英国外交官。薩摩藩・長州藩を支援。英仏米蘭の連合艦隊を兵庫沖に派遣し威圧的に幕府と交渉、条約における税率の改正、兵庫開港を実現させるなど、巧みな外交手腕を見せた。 1868年の戊辰戦争では中立を保ち、江戸開城にも関与、他の列強諸国が日本に介入することを防止する役目も果たした。明治維新後は日本の近代化と日英交流に貢献。大河ドラマ「篤姫」にも登場した。

コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
 宮島を訪ねた際の記述


 たしかに過去の形象は迅速に消滅しつつあるが、それでもこのような姿が今も残っている。これが日本だ。かつては日本全土がこのような有様であった。自然と芸術がまったく独特な方式で一体となり、地球上の他の民族の追随を許さない完全な姿を示していた。

 ところが今日ではすべてが変化する危険が生じている。自然と芸術が生んだ奇跡ともいうべききわめて有名な名所旧跡に恵まれた京都、日光、宮島、それに松島は当然保護されてゆくだろう。しかしかつて日本を特徴づける全国でみられた景観が今や天然記念物として残されるか、あるいは国立公園の中でしか存在し得なくなった。

 だがあきらめなくてはなるまい。発展の歩みを止めるわけにはゆかない。日本は工業国となった。工業化はますます進んでいる。

ロバート・タフト=アメリカ人。政治家。1921年(大正10年)オハイオ州下院議員に当選、政界入り。後に上院に活躍の場を移す。戦前からルーズベルトの対日圧迫外交を批判し続けていた。「ミスター共和党」と呼ばれ、一般に上院史に残る傑出した上院議員と考えられている。父は大統領、最高裁判所長官、陸軍長官を歴任したウィリアム・タフト。
「世界がさばく東京裁判」(佐藤和男・著)より

 アメリカの生んだ偉大な上院議員としてキャピトル・ヒルに壮麗な記念碑が建てられているタフト議員は、裁判開始からわずか半年後の1946年10月5日、オハイオ州ケニヨン法科大学で開催された学会で、「アングロサクソンの伝統たる正義と自由」について講演した。この講演の最後の部分で、彼はドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判に言及し、事後法による裁判は将来の侵略戦争の発生をくいとめる役に立たないこと、また、この裁判は正義の実現ではなくして復讐心の発現であることを力説し、次のように述べた。
 「勝者による敗者の裁判は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、決して公正なものではありえない」
 そして、「ドイツ戦犯12名の処刑はアメリカの歴史の汚点となるであろう」と断言し、同じ過ちが日本において繰り返されないことを切に祈る、なぜならば「日本に対してはドイツと異なり、復讐と言う名目が立ちにくいから」と説いた。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 国務省極東局のスタンレー・ホーンベックが極東史に関するアメリカの公式見解を講義したことがある。講義内容はのちに『われわれはなぜ、何のために戦っているのか』と題する小冊子にまとめられ政府から刊行されたが、この中で彼は日本人を「世界でも最も悪名高い、残虐な侵略者」と呼び、日本は「遠く1578年の昔から」世界支配を目指していたというのだ。

 陸軍はパールハーバーに関する公式報告で、日本は「千年余に及ぶ内戦の歴史を基盤に、世界征服という唯一の目的で統合された」国家であると非難した。

 ニューヨーク・タイムズのオットー・D・トリシャス特派員は、V・Jデー(引用者注:対日戦勝記念日)について書いた「東京レコード」でさらに歴史をさかのぼる。彼は、世界征服を目指す日本の戦いは「天から送られた神々による日本列島の征服神話」から始まったというのだ。日本の征服史に「伝説上の天皇による伝説上の朝鮮征服」まで含めるこの記事は「2600年の歴史上初の敗北を記念する降伏儀式」という全段通し、2行の大見出しで飾られた。

 平和な時に、こんなことを書いたら、自ら論理の墓穴を掘るだけだ。「2600年の間」「世界征服」を目指してきた「世界で最も残忍な侵略者」が、かつて「一度も敗れたことがない」のに、パールハーバーの時点で、わずかに先祖伝来の小さな列島と、周辺の小さな島々と朝鮮半島から成る小国にすぎなかった、などという話があるだろうか。

 日本は自分の帝国のほかに委任自治領と満州国を治めていたが、それも第一次世界大戦以後のことだ。近代以前の1800年にわたる期間、日本は一度も本土の外に領土をもったことがない。近代日本の拡張も、ペリー提督が「蓋を開けて」から50年後に、ようやく始まったのである。

 日本民族は生まれつき侵略的であると考えるものにとって、日本史の事実はきわめて都合が悪い。戦争中の宣伝担当者達は、それらしい実例をあげるのに、実にどぎつい言葉でばかばかしい話をつくり出さねばならなかった。「東京レコード」のトリシャス記者は、日本の歴史的拡張主義を立証するために、日本列島が神々に征服された「神話」と朝鮮を征服した「伝説」を歴史に書き入れている。つまり、架空の出来事を現実のものにして、それを証拠と呼ぶのである。このばかげた記事が、ニューヨーク・タイムズの整理記者を喜ばせ、2600年の不敗の歴史という大見出しがついた。

 日本の歴史を2600年にするために、神話の時代までさかのぼったわけだ。日本人自身も神話時代を歴史に組み入れてきた。日本の文化の長い流れを象徴的に表現したのが神話である。しかし、近代日本は西洋の帝国主義列強に対抗するために「帝国の」伝統という虚像を身に着けたのだった。占領の第一号指令は、神話はいっさい日本史から排除するよう命じるものだった。かくして私たちは、日本の歴史的侵略性を神話によって告発しながら、日本の神話は偽りであるという告発もしなければならない矛盾に追い込まれるのだ。

バー・モウ=1893年(明治26年)、当時イギリスの植民地だったビルマに生まれる。独立運動家、政治家。大東亜戦争開戦後、日本軍と共にイギリス軍と戦い、1943年(昭和18年)8月1日、ビルマ国の独立を宣言、国家元首に就任し、対連合国への宣戦布告を行う。1945年8月に日本へ亡命したが、12月に自ら連合国の占領軍(イギリス軍)に出頭、翌年に特赦されビルマに帰国した。
回想録「ビルマの夜明け」より

 真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。

鄭春河=1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年(平成17年)没。
「台湾人元志願兵と大東亜戦争」より

 1993年8月10日、細川首相は先の大東亜戦争を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と断定して大きな波紋を引き起こした。自国の威信と名誉に及ぼす影響は実に甚大なるものがある。当時我々は志願までして戦争に赴いたが、戦後見捨てられ異国の民となった。それでも我々は聖戦に参加できたことを誇りとしてゐたが、「侵略戦争だ、間違った戦争だ」といふ首相の暴言には莫大な抵抗と憤激・慨嘆を禁じ得なかった。この間たまりかねて身分もかへりみず三度も首相に抗議書を送付した。

※日本の首相で先の戦争を「侵略戦争」であると断じたのは1993年の細川護煕が最初であった。細川総理以前の歴代総理は頑として認めなかった。

李登輝=1923年(大正12年)台北生まれ。京都帝国大学農学部に進み、4年(昭和19年)陸軍入隊。終戦後、台湾大学講師、台湾省農林庁勤務、米国留学などを経て71年国民党に入党。72年行政院政務委員として入閣。台北市長、政府首席等を歴任。84年副総統に指名され、88年1月総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙に当選。2000年国民党首席を辞任。総統引退後、台湾独立の立場を明確にした。
「李登輝学校の教え」より

 かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした、悪い国だった」と一方的に教育を受けていることです。日本は批判されていると思いこみ「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。

 こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どっちも大切だ。昔がなければ何で現在があるのか、そういうところから教育を改めていかなくちゃいけないと思いますよ。

 私が思うに、日本人自体、日本とは何かということを真剣には考えていないね。日本は日本なりの考えがあって戦争もした、競争的な立場もあった。それを主体的に行なったという意識があんまりないのじゃないか。

ウィリアム・オドム=アメリカ人。元陸軍中将。元国家安全保障局長。
「中国への対処決めるとき」(産経新聞 平成18年11月24日掲載)より

 東アジアにおける次の大きな問題は、米中の争いではない。日本と中国の争いだ。米国はどちらにつくかが問題となる。

 20世紀を振り返ると、米国が中国と良好で日本との関係が悪化していたときは戦争があり、貧困もあった。日本との関係が良好になり、中国との関係が良くないときには平和と反映があった。

 どちらがいいかといえば、日本と繁栄の方を選ぶ。

 北朝鮮の核実験は変化の始まりであり、米国と東アジアの同盟国がどのように中国に対処するかを決める重要な時期に来ている。

マンモハン・シン=インド人。政治家、経済学者。2004年5月、インド独立以来ヒンドゥー教徒以外では初めてとなる首相に就任。2006年12月に来日。
2006年12月14日、衆議院における演説より

 科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。

 インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。

 日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。

 1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。

 こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。

 日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。

 1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。

 当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。

 新生インドの首相として、今日、私は日本に戻ってまいりました。

※このシン首相の演説については、内容はおろか演説をしたというニュース自体、当時の日本のマスコミはほとんど報道しなかった。

王敏(ワンミン)=中国人。1954年(昭和29年)河北省承徳市生まれ。大連外国語学院日本語学部卒業、四川外国語学院大学院修了。文化大革命後、大学教員から選出の日本国費留学生として宮城教育大学で学ぶ。現在、法政大学国際日本学研究所教授。
「日本と中国―相互誤解の構造」より

 世界の言葉で、言葉自体に季節感を内包させるというのは日本語ぐらい、と言いきっても構わないと思う。
 自然と風土への愛着を言葉そのものから喚起されるイメージをもって表す民族は日本人のほかにはいない。

ロマノ・ヴルピッタ=イタリア人。1961年(昭和36年)ローマ大学法学部卒。東京大学に留学後、1964年イタリア外務省入省。1972~75年ナポリ東洋大学院で日本文学の担当教授をつとめる。1975年欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。著書に『不敗の条件--保田與重郎と世界の思潮』など。
「正論」2009年1月号 大型シンポジウム「君に伝えたい、日本。」誌上載録より

 今の日本人で「日本人のくらし」を守っている人は多分、大勢いると思っています。例えば高速道路の料金所を通る際、従業員にも「ご苦労様」「ありがとう」と当たり前に声をかけます。近年は日本人の古来持っているくらしの豊かさが崩壊しつつあるという印象を持つのですが、それでもまだまだ、外国に比べると健全です。

 日本人の仕事観などはその代表格で、自分の仕事に精進し、精一杯頑張ることは今も多くの日本人の美徳となっています。生命を受ければ、人として社会に報いなければならない、自分にはそういう義務がある、そのために何でもきちんとやらなければならないという美徳は、古来から連綿と続く日本人のいわば信仰と言ってもよいでしょう。

テキサス親父=イタリア系アメリカ人。ニューヨーク市ブルックリンのイタリア人コミュニティーで育つ。大学では歴史学を専攻。AT&Tに30年間勤務後リタイア、現在は悠々自適の生活。“PropagandaBuster”の名でYouTubeにチャンネルを主催。世界の抱える問題に独自の視点から批評を加えて、注目を集める。「テキサス親父」とは日本のファンがつけたあだ名。
「反日マスコミの真実2009」掲載コラム「テキサス親父、毎日デイリーニュースを怒る」より(訳・齋藤静)

 (2008年に発覚した毎日デイリーニューズWaiWai問題について)『WaiWai』のコラムを読む以前から、わたしは、日本の文化の縮図ともいえる礼儀正しさと他者への敬意に触れる機会に恵まれていました。わたしの住む国アメリカ合衆国では、かつてわたしが幸運にも体験することのできた他者への敬意は、過去のかなたに消えてしまったようです。日本人の礼儀正しさと他者への敬意が食い物にされるのは腹立たしいことです。他の国の文化をふみにじることは暴力に等しいと誰もが知っているはずですが、日本の客人であるコラムの執筆者には、良識がないのでしょうか。

〈中略〉日本の田母神空将の論文についてのビデオを配信したこともあります。彼のパールハーバー攻撃解釈に、ちょっとした異論を表明するためでした。その結果、一部の日本人が、わたしのビデオに反論を送ってきました。しかし日本人から送られてきた反論には、他のアジア諸国やヨーロッパから受け取ったような敵意に満ちたメッセージは皆無でした。この比較が、日本という国を語っています。もし、日本の文化にも腐った部分があるのならば、それは存在しないほど小さなものに違いありません。人は、日本人がもつ他者への敬意に回帰せざるをえないのです。

 わたしには、日本や他のアジア諸国に駐留する多くの米国軍人と話す機会がありますが、全員が日本のほうを好んでいます。アメリカ合衆国は、テロとの戦いを遂行中です。日本の憲法が軍事的関与を制限しているため、日本は非軍事的な方法で米国を助けています。テロとの戦いにおいて、日本は、ニュースのヘッドラインを飾りはしないけれども、日本が米国の友人であり同盟国であるとわれわれが意識できる方法で、米国を助けてくれているのです。

 『WaiWai』問題に対するビデオ配信が、わたしなりの感謝の表明であると知ってもらえたらと願っています。ありがとう日本。われわれ米国人は、あなたがたを愛しています。

※関連サイト紹介(YouTube)
テキサス親父のチャンネル
テキサス親父の毎日コラム批判(和訳付き)
 テキサス親父の動画をご覧になったことがない方は、この機会にぜひ他の動画もあわせてご覧下さい。
 ↓特にこちらなどお勧め。
【テキサス親父】あなたと、日本にアリガトウ!


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 「シュリーマン旅行記 清国・日本」を読みました。
 何とまあ生き生きとした記述をする人だろうと感心しました。描写が細かいわりには、文章も平易で読みやすいです(訳者の功績も大きい?)。
 シュリーマンは若い頃移り住んだロシアで藍の商売を手がけ巨万の富を得たという実業家で、なおかつ後年トロイア遺跡の発掘までしちゃった人ですから、やはり観察眼が鋭いというか、探究心が旺盛というか、そういう面が大いに著書にも反映されているのでしょう。

 タイトルからも分かるように、この本の前半は清国、後半は日本の滞在記になっています。全体として清国には批判的な筆致、日本については絶賛に近い筆致です。
 そりゃまあシナの直後に日本に来たら、シュリーマンでなくても誰でも日本が素晴らしく見えるでしょうね(^_^;

 遅ればせながら、「イザベラ・バードの日本紀行(上)」も購入。上・下巻あるんですが、とりあえず上巻から読んでみようかなと……(上巻は下巻に比べてかなり品薄みたいです)。
 実はイザベラ・バードも後年、シナを訪問しています。

 日本に来た外国人の中には、このようにシナへも行った人がわりといるみたいなんですね。そのうち番外編で「外国人から見たシナとシナ人」てな企画もやってみようかな?(^_^;


 ……というわけで、第10弾につづく……!?


※参考文献
・ハインリッヒ・シュリーマン著「シュリーマン旅行記 清国・日本」(講談社学術文庫)
・イザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行(上)」(講談社学術文庫)
・コリン・ロス著「日中戦争見聞記―1939年のアジア」(講談社学術文庫)
反日ワクチン>東京裁判史観の克服2
・ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(メディアファクトリー)
タイ&カンチャナブリ>東南アジアの歴史>ビルマの独立まで
・李登輝×小林よしのり 対談集「李登輝学校の教え」(小学館文庫)
乱雑日記>06/11/24付:アメリカを味方にする為に
草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN>2007/3/15付:マスコミが報道しなかったインド首相の国会演説
産経新聞08/10/27付>蛙の遠めがね 石井英夫「日本人の季節感が危ない」
・「正論」2009年1月号 大型シンポジウム「君に伝えたい、日本。」誌上載録
・撃論ムック「反日マスコミの真実2009」

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08/12/23付:外国人から見た日本と日本人(8)

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これご存知の方も多いと思いますけど・・・ 在日韓国人の方たちが、考えていること、最も参考になるであろう記載をコピペしておきます。 ...
2009/02/02(月) 12:21:07 | ねぇ知ってたぁ?

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