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「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」良かったです

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■1/3放送 日テレ「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎」

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【当日のテレビ欄より】
篤姫はなぜ上野の山に眠るのか 初詣では神社と寺どちらに行くべきなのか?日本人の心を徹底解明▽史上初天皇の正月をCG再現▽たけし初の伊勢参り人生観変わる▽なだぎ1人7役再現で熱演▽松坂慶子感動…死後も江戸守る将軍と御台所

【出演者】
MC:ビートたけし
ゲスト:松坂慶子・市川亀治郎・里田まい・東国原英夫・荒俣宏・竹田恒泰
ナビゲーター:羽鳥慎一(NTV)
ナレーター:垂木勉・来宮良子

 まさかこういう番組を地上波で、それもゴールデンの時間帯に観られるとは思いませんでした。
 2時間強の放送でしたが、見逃してしまった皆さんのために、ギュギュッと凝縮してまとめてみました(敬称略)。


 大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
◆オープニングナレーション(この項のみ完全起こし)

 伊勢神宮を生まれて初めて訪れたビートたけし。
 彼はここで何かを探しているのか?

 天璋院篤姫はなぜ上野の山に眠るのか?
 そこには“教科書に載らない”日本人の謎が隠されているのだ。

 篤姫は夫、13代将軍・家定とともに、上野・寛永寺に眠っている。
 だが、14代将軍・家茂と皇女・和宮は、芝・増上寺に眠る。
 いったいなぜ江戸城をはさみ、北と南に分かれて眠るのか?

 初詣に隠された“教科書に載らない”日本人の謎とは?
 明治神宮は神社だが、川崎大師はお寺。
 大阪・住吉大社は神社、成田山はお寺。
 神社と寺、神様と仏様。
 初詣はなぜどちらに行っても構わないのか?
 初詣に隠された、ある巨大産業の戦略とは?

 門松、お年玉、鏡餅。
 正月の習慣は「簡略化」によって成り立っていた。
 忘れ去られた本当の意味とは?
 正月はまさに日本人の謎の宝庫なのだ。

 皇居で行われる新年一般参賀。
 実はこの前に、天皇陛下は宮中の奥深く新年の祭祀を厳かに執り行っていらっしゃる。
 深夜から長時間に及ぶ過酷なものだという天皇の正月祭祀。
 その全貌を今夜、完全再現。

 神社に隠された日本人の謎とは?
 私たちは身の周りの神社がどのようにして出来たのか、あまりに知らない。
 八幡様に天神様にお稲荷様。
 これらの神社はいつの時代にどのように広まっていったのか?
 時代と共にブームとなった神社とは?
 そして、江戸時代に行われていた超有名神社の“通販”とは?

 日本人の謎をひも解く極めて重要なあるキーワード。
 節分、ひなまつり、端午の節句に七夕、七五三。
 そして厄除け、厄払い。
 これらは本来、神社のものでもお寺のものでもない。
 神と仏、どちらでもないが、日本人の生活や行動に深く関わってきたモノとは?
 そこに“教科書に載らない”日本人の謎が隠されているのだ。

 数々の謎を解くことで、我々は一つの答えを知ることになる。
 天璋院篤姫はなぜ上野の山に眠るのか?

 そして、静寂の伊勢神宮でたけしは“何か”を見つけることができたのだろうか?
 「たけしの“教科書に載らない”日本人の謎~篤姫はなぜ上野の山に眠るのか~」


◆初詣

 日本人の75%が出かける初詣。まさに国民的行事。
 初詣はいつの時代から始まったのか?実は明治時代以降に始まった慣習なのだ。
 古来、日本の正月は家族揃って家にこもり、歳神(としがみ)と呼ばれる幸福を呼び込む神様を祀ることだった。 

 初詣=バレンタインデー説。
 江戸時代後期は「恵方参り」をしていた。その年の恵方に参拝することが流行していた。
 明治になって鉄道が発展。庶民が郊外の大きな寺社に参拝できるようになった。
 1890年代(明治23年)頃から元日の参拝が定着した。
 「初詣」という言葉が使われ始めたのは、たった100年ほど前のことだったのだ。
 鉄道は参拝客をターゲットにした。
 成田山・新勝寺の参拝客を狙って、成田鉄道と京成電鉄が誕生。
 成田鉄道は新勝寺の住職が発起人の一人に。鉄道会社とお寺の関係は深かった。
 鉄道会社は新聞広告で初詣に行こうと宣伝。国鉄VS私鉄でサービス合戦も。
 各地で鉄道が開業すると共に、初詣も全国的に広まっていった。
 つまり、チョコレートメーカーが宣伝して定着させたように、初詣の普及も鉄道会社の企業努力によるもの。

 本来、寺社への参拝や祈祷というのは非常に複雑なものだったが、簡略化によって寺社詣が一般の人に広まったという面もある。
 手水も簡略化されたお清め。本来は全身を海や川で清めるのが作法。
 鈴を鳴らすのも簡略化バージョン。鈴を使った巫女の舞が本来のしきたり。
 おみくじも託宣(神が乗り移って神の言葉を巫女が聞く)を簡略化したもの。
 簡略化は許される。なぜなら日本の神様・仏様は非常に寛容。信心が大切。


◆お正月

 本来は、歳神様(地方により呼び名は違う)を祀るために一家揃って家の中で過ごすのがお正月。
 家の中をきれいにしていないと歳神様は怒って帰ってしまう。だから大掃除が大切。
 また、歳神様を迎え入れるために目印が必要。これが門松。歳神様は松の葉や竹のように尖っている部分が好き。
 注連縄飾りは、歳神様がいるという目印。鏡餅も歳神様が宿ると言われている。
 ちなみに歳神様が宿った鏡餅をお雑煮として分けていただくのを「御魂(みたま)分け」。これが転じて「歳魂(としだま)」、今のお年玉に通じていると言われている。
 日本人は簡略化や大衆化によって大らかに正月を過ごし、一番大切なのは何よりも「気持ち」としてきた。


◆天皇の正月祭祀

 1月1日、皇居で新年祝賀の儀が行われる。天皇陛下が行政や司法の要人から新年の祝賀をお受けになる儀式。
 2日には天皇陛下は新年一般参賀で国民の前にお出になるが、しかしその前日の元日、朝4時からたった一人で正月の祭祀を執り行っていらっしゃったのだ。
 その祭祀こそが「四方拝」

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 歴代天皇だけが執り行い、未だかつて誰も目にしたことがない。
 四方拝とは豊作を願う祭祀で、飛鳥時代に始まり平安時代に正月の祭祀として定着し、現在まで続けられている。
 宮中祭祀の中でも最も重要な祭祀の一つ。
 平安時代の儀式書「内裏儀式(だいりぎしき)」「江家次第(ごうけしだい)」に記されている。
 これらをもとに四方拝をCGで再現。

 天皇は大晦日の夜、体をお清めになり、元日の午前4時頃、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という天皇のみが着ることができる特別な装束をお召しになり、祭祀が始まる。
 四方拝は代理人が祭祀を行う御代拝を認めない。すなわち天皇の体調がすぐれない時などは中止になる。

 平安時代以降、四方拝は禁裏御所(現在の京都御所)にある清涼殿の東庭(とうてい)で行われた。
 東庭には3つの座が設けられた。北側には燈台と机が置かれ、机にはお香と花が供えられた。そしてそれらを取り囲むように屏風が張り巡らされた。

 最初の座で拝むのは「属星(ぞくしょう)」。これは干支を北斗七星の7つの星に割り振ったもの。丑年の今年は巨門星(こもんせい)が属星となる。
 天皇は北に向い、新年の属星を7回唱えられる。
 次に、深く拝む動作を2回繰り返す「再拝」に続けて、呪文が唱えられる。
 平安時代の「内裏儀式」によると、その呪文は

  賊冦之中過度我身(ぞくこうしちゅうかどがしん)
  毒魔之中過度我身(どくましちゅうかどがしん)
  毒氣之中過度我身(どくけしちゅうかどがしん)
  毀厄之中過度我身(きやくしちゅうかどがしん)
  五急六害之中過度我身(ごきろくがいしちゅうかどがしん)
  五兵六舌之中過度我身(ごひょうくぜつしちゅうかどがしん)
  厭魅之中過度我身(えんみじゅそしちゅうかどがしん)
  百病除癒(ひゃくびょうじょゆかどがしん)
  所欲随心(しょよくずいしんかどがしん)
  急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

 これは「さまざまな国難はわが身を通過しますように」という意味で、国家国民の安泰を祈る厄払いの呪文なのだ。

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 続けて天皇は北に向かって天を再拝。次に北西に向かって地を再拝。そして東・南・西・北の順にそれぞれの方角を再拝される。
 最後に、歴代天皇が葬られている天皇陵に再拝を2回重ねる「両段再拝」をそれぞれ拝され、荘厳な祭祀は終了する。

 その後、明治時代には呪文を唱えなくなったり拝する神社が追加され、改められたが、その形を少しずつ変えながらも、現在まで脈々と続けられている四方拝。
 天皇陛下は毎年この大変な祭祀を終えられ、その後、国民からの祝賀をお受けになるのだ。

<<<スタジオトークより>>>

 ビートたけし「すごいですね。いろんなものを『我が身を通って』なんて言うのは、代表としてやっぱりすごいことを言うんだね」

 市川亀治郎「天皇っていうのは、政(まつりごと)って、今、政治と思いますけど、我々を代表するいわゆる神との取り次ぎ役の最高位ということで、それがもう全て。それが政っていうことになったんで」

 竹田恒泰「これで終わるのでなく、この四方拝は宮中にある神嘉殿(しんかでん)の前のお庭で執り行われ、それが終わったらすぐ歳旦祭(さいたんさい)と呼ばれる祭祀があり、それが終わってから新年祝賀の儀がある。これも1回だけでなく5回行われる。翌日には長和殿で国民からの祝賀をお受けになるが、これも7回行われる。NHKなど見ると1回しか映らないが、実際は7回お立ちになる(注:2009年は天皇陛下のご体調に考慮し5回のみ)」


◆初詣に行くのはお寺、神社どちらでも良い

 参拝客の数ベスト10を見ると、お寺と神社が混在している。
 浅草寺も太宰府天満宮も「初詣はお寺でも神社でもどちらでも良い」という返答。
 その理由は「江戸時代までは神様も仏様も一緒」「日本の神様は八百万(やおよろず)の神様なので、仏教でも神道でもいろんな神様を招き入れる」。

 キリスト教やイスラム教は一神教だが、日本古来の宗教・神道の神は自然や神話から生まれた八百万の神々。御利益のある神様ならどんどん取り入れた。
 その最たるものが仏教。594年、推古天皇によって仏教は正式に認められた。
 日本人の大らかさが根底にある。基層文化としての神道に仏教の作法を取り入れて神仏習合へとつながっていった。神仏習合とは、神道と仏教がお互いの信仰を取り入れて調和するという考え方。

 結果、神社なのに五重塔や鐘楼があったり、お寺なのに鳥居があったりという現象が。
 神道と仏教を分けるようになったのは明治時代から。国家の中心として神道を利用しようと「神仏判然令」が出されたためで、最近のことなのだ。


◆ではそもそも神社とは何?

 現在、全国に8万あると言われている神社はどのような起源を持ち、どのように広まったのか?
 そこには「タイアップ」「プロデューサー」「通販システム」など驚くべきキーワードが。

 神道は自然への畏敬の念から生まれたものと考えられている。
 自然の中の木や風などに神が宿ると考え、それらを祀る神社が建てられた。
 それだけでなく古来日本人は、台所・便所など身の回りのあらゆる物にも神が存在すると考え、それが数えきれないほど多いため、八百万の神々と呼ばれているのだ。

 その後、大和朝廷が成立すると国家的な神が必要となり、様々な神々が体系だてて理解されるようになった。
 そして出雲大社や伊勢神宮など、多種多様な神社が造られたのだ。
 神社の中には、歴史上の英雄達を神として祀るものがある。徳川家康を祀る栃木・日光東照宮、豊臣秀吉を祀る京都・豊国神社、明治天皇と昭憲皇太后を祀る東京・明治神宮など。
 怨霊、御霊、祟り神としてお祀りする神社もある。菅原道真を祀る京都・北野天満宮、桓武天皇の弟である早良親王を祀る京都・上御霊神社など。


◆神社はどのようにして全国に広まったのか?

 上位神社数データ
  1位 八幡 7817
  2位 伊勢 4425
  3位 天神 3953
  4位 稲荷 2970

 これは法人化している神社の数で、本社に付属する摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)や小さい物を合わせれば20~30万の神社がある。

 八幡=源頼朝が拝んで大ブレイク
 (武士の勢力拡大によって広まった)

 天神=菅原道真をイメージチェンジで大ブレイク
 (もとは祟り神だったがそれは京都だけ。周りの地域では雨を降らして恵みをもたらす農耕の神→鎌倉時代には正直の神→室町時代には連歌の神→戦国時代の終わりには平和の神→江戸時代には寺子屋普及で学問の神)

 稲荷=タイアップで全国展開
 (空海と手を組んで全国展開につながった。空海は天皇から東寺を賜るが、当時の東寺はまだ有名でなかった。稲荷も国家的なお寺である東寺と結びつきたいと思った)

 稲荷の全国展開はどのように行われたか?
 まず、地元に稲荷神社を建てたいと思った人は稲荷側に願書と礼金を送る。すると稲荷側から御神体と認可証書が送られ、正式な稲荷神社が建てられた。
 稲荷では総本社の京都・伏見稲荷で勧請(かんじょう。神様の霊を分けてもらい別の神社に祀ること)の申請を受け付けていたが、後に江戸にある稲荷神社でも勧請を受け付けるようになり、より簡単に稲荷神社を建てられるようになった。
 やがて勧請の取次ぎができ、申請がもっと簡単になった。地元にいながらにして御神体が飛脚によって送られ、今の通販のように手軽に稲荷神社が造れるようになった。


◆陰陽道

 「厄払い」は、これまた神社でも大師でもどちらでもいい。
 「厄」は「陰陽五行」が元になっている。
 古代中国で確立された「陰陽五行説」。
 これが古代日本に伝来、その後、日本独自の論理体系で発展を遂げたものが「陰陽道」。
 この「陰陽道」こそが神や仏とともに日本人の生活に深く根付いている。

 陰陽道による天体観測や干支の組み合わせで知ることができるとされた、これから起こりうる災難や災いが「厄」。
 それらを取り除くために行われているのが「厄払い」。
 現在、神社や寺などで行われている多くの年間行事…どんど焼き、七草がゆ、節分、ひな祭り、端午の節句、七夕、七五三…は陰陽道の厄払い行事だったのだ。

 陰陽道は日本文化の中でどのように定着し、広まったのか?
 日本独自の発展を遂げた陰陽道は、当時の日本の最先端科学のような存在だった。天文学、地理学、暦学、占術…。
 陰陽道のスーパースターが安倍晴明。

 しかし陰陽道にも時代の波が押し寄せ、朝廷専属の陰陽道が民営化された。
 藤原氏の力が衰え、武士が勢力を握るようになると、民間人がまねごとをして生計を立てる「民間陰陽師」を生み出した。
 民衆はちゃんとした陰陽道を行ってもらいたいと望み、そのニーズに応えたのが神社やお寺だった。

 その結果、江戸時代には神社やお寺にも陰陽道の行事や習慣が入り込むことになった。
 民話の「桃太郎」も陰陽道の影響を受けている。
 神でもなく仏でもないが、年間行事から民話まで様々なところに根付く陰陽道。
 現在の日本から陰陽道を取り除くと、日本文化さえ崩壊してしまいかねない。


◆天璋院篤姫はなぜ上野の山に眠るのか?

 江戸・東京の街は歴代の将軍と御台所が霊的に守っている。

 13代将軍・家定と天璋院は上野の寛永寺に眠っている。寛永寺には他に4代将軍・家綱、5代将軍・綱吉、8代将軍・吉宗、10代将軍・家治、11代将軍・家斉が埋葬されている。
 芝の増上寺には2代将軍・秀忠、6代将軍・家宣、7代将軍・家継、9代将軍・家重、12代将軍・家慶、14代将軍・家茂が埋葬されている。

 以前、増上寺の霊廟が調査された時、驚くべきことが分かった。
 何重にもなったお棺の中に納められた将軍たちは太刀を置き、正座をして今も江戸を見守り続けているような姿だった。
 江戸城をはさんで上野と芝に6人ずつ埋葬された将軍たち。その理由は?

 徳川家康は江戸城に入った時、さまざまな工夫をこらした。
 家康のブレーンだった天海僧正は江戸を守るために怨霊の力を利用。
 以前あった正門の位置を大手町1丁目付近にずらし、ここを起点に江戸を造り始めた。
 大手町1丁目にあった大切なもの、それは平将門の首塚。現在でも畏れ敬われている関東最大の怨霊。
 怨霊神を丁寧に祀ると守護霊に変わる。家康・天海は将門に江戸の守りになってもらおうと考えた。
 将門ゆかりの場所から江戸の街づくりを始めたのだ。

 たとえば将門を祀る神田明神は1616年、現在の地に移され、新しい社殿が建てられた。
 新しい社殿が造られた場所は江戸城の北東(丑寅)の方角。これは陰陽道では鬼門と呼ばれ災難が入って来やすい方角。これを将門の力で封じようとした。

 利用したのは神田明神だけでない。
 たとえば兜町はもともと将門の兜が祀られていたという伝説が残されている。この地にあるのは兜神社。
 筑土神社には将門の首を納めたという首桶が祀られている。
 鎧神社は将門の鎧が祀られている。
 このような場所が江戸中に点在していた。
 家康・天海は江戸の都市計画に将門の遺物を利用した。
 これらの神社や塚の場所を、五街道とお堀の交わった城門など重要な場所に移転して配置したのだ。

 他に家康と天海は、800年繁栄し続けた平安京にあやかり真似しようとしていた。
 平安京にあるものを持ってきて似せようとした。

  比叡山延暦寺→上野の山の東叡山寛永寺
  吉野の桜→上野に桜を植林
  清水寺→上野の清水観音堂
  五重塔→上野の五重塔
  琵琶湖弁財天→不忍池弁天堂

 今、私たちが上野の山として知る場所は、全て平安京を真似て造られた場所。

 が、江戸には平安京の天照大御神のような祖先神がない。
 そこで家康は「死んだら関八州の守り神になる」と言い残し死んだ。
 死後、天海の働きかけで家康は朝廷から「東照大権現」という名前が与えられた。
 そして日光に家康の遺骨を移した。日光を選んだ理由は、江戸に対し北にあったから。これは陰陽道にとって大切な意味を持つ。
 陰陽道にとって北極星は最高神。この世を治めるものの象徴。
 江戸の北にあたる日光山に鎮座することによって、家康を最高神の代理として位置付けようとした。
 天海は家康を永遠不変の江戸の守り神にしようとしたのだ。
 そして家康の考えに従い、歴代将軍たちも死後、江戸の街を守り続けるようになった。

 寛永寺は京都を模したもの。
 では、増上寺はなぜ寛永寺と同じぐらい重要なのか?
 増上寺は東海道に近く、先には陰陽道の最高の聖地・富士山(不死山)が控えている。
 江戸城の堀は本丸を囲むように螺旋状に造られていったが、これは富士山のエネルギーを取り込むため。
 増上寺が立っている場所はちょうど富士山からのエネルギーが江戸城に流れ込む要の場所。
 これら江戸を守りパワーアップさせる2つの寺にその力を維持させるため、将軍たちは代々葬られてきたのだろうか。
 彼らは今も江戸(東京)を見守っているのかもしれない。

<<<スタジオトークより>>>

 竹田恒泰曰く「平将門の怨霊は関東一だが、崇徳天皇の怨霊は日本一」
 今月「怨霊になった天皇」を出版するが、書き始めたその日にパソコンが4台壊れ、原稿を印刷しようとすると今度はプリンタが3台壊れた。ただ、今まで20人に事前に読ませたが、読んだ人は大丈夫とのこと。


◆ビートたけし生まれて初めての伊勢参り

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 日本で最も尊いとされる伊勢の神宮。始まりは神話の時代。
 そこでたけしは何を感じるのか?

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 午前6時30分。鳥居をくぐるとその先には木造の橋。宇治橋だ。
 一糸乱れぬ足取りで、全国から伊勢に来た早朝研修の神職たちが橋を渡って行く。

 たけしを案内するのは、神宮司庁広報室長神宮禰宜の小堀邦夫氏。
 皇大神宮(通称 内宮)を行く2人。内宮は全体合わせて5500ヘクタール。

 伊勢の神宮。正式名称は「神宮」。
 125社の集合で、一般に神宮として知られるのは、天照大御神をお祀りする内宮(ないくう)の御正殿(ごしょうでん)。

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 天照大御神は皇室の御祖先神、日本人の総氏神と言われている。

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 宇治橋の次には火除橋があって、ここから中が神宮の本来の神域(入口手前に「お手洗 これより先はありません」の立て札)。
 神域との境目には境界を示す橋がかけられている。

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 手水の起源は、聖域の周辺に流れる河川の水で身を清めていたことにさかのぼる。
 そのなごりが神宮にあった。五十鈴川の御手洗場(みたらし)。
 古来より人々はこの川の水で心身を清めてから参拝した。

 神域に入って、たけし曰く「ちょっと入ってきただけで、日本の人間の衣食住とそれにまつわるあらゆる環境を支える神様みたいな感じがしますね」。

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 火除橋の内側は手つかずの自然林。
 樹齢800年以上の杉には、参拝客がみな手を幹に当てて樹の呼吸を感じる。そのため手が当たる部分は苔がなくなっている。

 今、訪れている天照大御神をお祀りする内宮の御正殿に次いで尊敬されているのが、内宮から6キロ離れた外宮(げくう)にある御正殿。
 豊受大御神をお参りする2人。豊受大御神は天照大御神の食事を司る神。
 この内宮・外宮の他に4つの市と2つの郡に広がる125の社の総称が「神宮」。

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 たとえば内宮の敷地内にも、天照大御神をお祀りする御正殿の他に2つの別宮がある。
 別宮とは御正殿に次いで尊敬されているお宮。
 その1つ、荒祭宮を参拝する2人。
 荒祭宮は天照大御神が荒く猛々しい時の御霊をお祀りする。

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 荒祭宮の隣には同じ広さの空き地と階段が造られている。
 実は20年に一度、社を「お建て替え」するための土地。
 神宮では神の引越である遷宮が1300年以上続けられている。

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 小堀氏曰く「これを(今ある社を)壊して建て替えるのではなくて、こちら(空き地になっている側)に新しいお宮が建って、神様にお移りいただいた後、これを解体する。組み立て式なので抜けば取れる。立派な宮殿が外国にもあるが、それが石で造られていると、千年、二千年に1回それを建て改めるとなったらできるかっていう大問題になりますね。そこには人の知恵とか技術とかいうものは、形だけあっても伝わらないということですよね。造っていかないと。そこが違うんですね」。

 それを受けて、たけしは「かつてヨーロッパやいろいろなところ、技術はあるけど、今できる人いないってのがほとんどですね」。
 「ですから日本はこういうふうに繰り返す、循環していくという中での永遠を考えるということですね」と小堀氏。

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 古から継がれてきた知恵は、神宮のさまざまな場所に隠れている。
 風日折宮橋(かざひのみのみやばし)から見て少し上流に2本の「木除杭」が立てられている。

 上から大きな流木が流れてきても、これに当たって止まるか、流れる場合もまっすぐになるので橋脚を傷つけない。
 たけしは「古い橋を建て替えて、古いのが残ってるのか」と思ったが、そうではなかった(小堀氏によれば、一般的にはよくそう思われてしまっているとのこと)。

 橋の木の部分は古くなったら建て替えるが、擬宝珠(ぎぼし)は壊れない限り、そのまま使う。
 風日折宮橋の擬宝珠には明応七年と刻まれている(明応七年=1498年。室町時代)。

 日本人が伝えてきたもの、それは自然の恵みに感謝して、神を祀ること。
 そうやって命をつないでいく精神が、神宮には息づいている。

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 皇大神宮の内宮・御正宮(ごしょうぐう)。天照大御神をお祀りする。
 あまりにも尊い存在なので、参拝者が御正殿を直接拝むことはできない。
 カメラが許されたのは石段の下まで。

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 伊勢の神職たちに伝えられるお参りの仕方で、お参りする2人(相撲取りのように腰を落として柏手を打つ)。

 たけし、生まれて初めての伊勢参りを終えた感想。
 「圧倒されるね。何かね、家内安全とか言おうとしたらとんでもない話だったね。そういうのは言ってる場合じゃない。そういうことではないよね。もっと宇宙的なんだよね。個人の命とかそういう問題じゃなくて、宇宙規模のね、何か大きさがあって、それで、ま、その前に立ってるありがたさっていうのがあるから、よくいろんなとこお賽銭あげて、家内安全だ、仕事うまくいくように(笑)って、そういう気持ちにはならないね。圧倒されるという」

<<<スタジオトークより>>>

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 さらに、たけしの感想。

 「カメラは入れなかったが、俺は小堀さんがよくしてくれて、もうちょっと奥まで入れてくれた。総理大臣クラスが入るあたりまで」

 「普通は『お参りしよう』と思うが、あそこの前に立たされると、お願い事をしてる場合じゃないの。忘れちゃうの、もう。ただ唖然として立ってるだけなの。何か自分がこう一部の、宇宙とかそういう全ての中に、よくぞここに立たせていただきましたぐらいの感謝しかなくて、図々しく仕事うまくやらせて下さいなんていうような、そんな頭はなくなってしまうの。圧倒的に、確かにその、宇宙とかさ、もし神というものが、仕切る人がいるとしたら、あそこの前に立たされたとしたらそんな状態になるんだっていう。これ番組見たら、みんな行くよ、神宮

 「最近ね、日本人はね、知識とか文化的とか目覚めてきた。片っ方でね、あまりにも荒れた文化がある時にね、もうちょっと知的な世界のこと考えようよと。やっぱり日本に生まれたこと、また、日本にある神宮とか、それがどういうつながりで人間は生きていくのかと。もっと大きくなる。目先のことではなくて、自然とも関わって、生まれて死んでいくこと自体がいかに素晴らしいかということだと思うんです」

 _________________________大ざっぱな内容紹介ここまで


 かなり雑に流した項もありますが、「四方拝」と、たけしさんの伊勢参りの項はできるだけ再現したつもりです。
 (たけしさんの伊勢参りの項のみYouTubeにUPされています。削除される前に急いで観て下さいね)

 CMにはなぜか民主党のものも入ってたらしいですが(元旦付エントリーのコメント欄に情報下さった銀時さん、ありがとうございます)、当方ではCMを自動的にカットする設定で録画していたため、全く気づきませんでした。まぁでもこの際、そういう細かいことは置いときましょうか(^_^;

 とにかくこの番組には驚きました。そして嬉しかったです。特に「四方拝」と伊勢神宮について伝えた箇所。
 たとえば保守系の新聞や雑誌などが、天皇陛下や皇室について肯定的、好意的に報道することは当たり前にあります。
 が、繰り返しになりますが、まさか地上波のゴールデンタイムにこのような番組が観られるとは、しかも一般にほとんど報道されることのない「四方拝」まで紹介されるとは、本当に思ってもみなかったことでした。

 とにかく今の日本人は天皇についてはもちろん、日本の伝統文化、日本人のルーツ、そういったものについて考える機会が少なすぎると思います。
 というか、「考える機会を与えられる機会が少なすぎる」と言った方が的確かもしれませんね。学校でもほとんど教えてないみたいですし。

 次代の日本を担う若者や子供たちのためにも、今後、このような番組が地上波でどんどん放送されることを願って止みません。


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「お気楽くっくり」更新済
 今年も憧れのあの人から年賀状が。ところがそこには……

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