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外国人から見た日本と日本人(8)

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 本日は天皇陛下の御誕生日ですね。
 ご病状が気にかかる今日この頃ですが、くれぐれもお大事にあそばされますよう心よりお祈り申し上げます。

 祈りを込めつつ、久々に「外国人から見た日本と日本人」第8弾です。
 今回も有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。

 まずは「つかみ」ってことで、9月29日に行われた麻生太郎内閣総理大臣の所信表明演説より、以下の言葉をお送りいたします。

 「日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません
 

タウンゼント・ハリス=アメリカ人。初代米国総領事。1856年(安政3年)来日。
「日本滞在記」下巻より
 江戸城内で将軍家定に謁見した際の記述


 大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。だがそれは、想像されうるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった。私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったといっても過言ではない。日本人の話では、大君の冠物は黒い漆をぬった帽子で鐘を逆さにした形だという。

 ……裳(はかま)の材料は、豪奢なペナレス織のインド綿襴にくらべると、はるかに粗末な品であった。殿中のどこにも鍍金の装飾を見なかった。木の柱はすべて白木のままであった。火鉢と、私のために特に用意された椅子とテーブルのほかには、どの部屋にも調度の類が見当たらなかった。

※ハリスがここで言いたいのは、日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルだということ。

ロバート・フォーチュン=イギリス人(スコットランド出身)。植物学者。北東アジアの植物に興味を持ち、中国で植物を集めるために派遣される。その後、1860年(万延元年)に来日。
「幕末日本探訪記」より
 神奈川宿近くの農村についての記述


 馬に乗って進んでゆくと、住み心地のよさそうな小さな郊外住宅や農家や小屋を通りすぎるが、それには小さな前庭がついていて、その地方で好まれる花々が二、三種類植えこんである。日本人の性格の注目すべき特徴は、もっとも下層の階級にいたるまで、万人が生れつき花を愛し、二、三の気に入った植物を育てるのに、気晴らしと純粋なよろこびの源泉を見出していることだ。仮にこのことが一国民の文明の高さのしるしだとするならば、日本の下層階級はわが国のおなじ階級とくらべるとき、大変有利な評価を受けることになる。

エメェ・アンベール=スイス人。1863年(文久3年)にスイスの時計生産者組合の会長だった時、修好通商条約の締結を目的とした遣日使節団長として来日し、約10ヶ月間滞在。
「幕末日本図絵・上巻」より
 横浜の海岸の住民についての記述


 みんな善良な人たちで、私に出会うと親愛の情をこめたあいさつをし、子供たちは真珠色の貝を持ってきてくれ、女たちは、籠の中に山のように入れてある海の不気味な小さい怪物を、どう料理したらよいか説明するのに一生懸命になる。根が親切と真心は、日本の社会の下層階級全体の特徴である。

ハインリッヒ・シュリーマン=ドイツ人。考古学者。19世紀半ば、世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と、幕末の日本を訪れた。訪日は1865年(慶応元年)。その後、ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明した。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」より

 (横浜港に着いた際、税関の官吏は)中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところが何と彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。

 おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら、「サイナラ」(さようなら)と言った。

 …彼ら(役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金で贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである。

R・ジェフソン&エドワード・エルマースト=イギリス人。1866年(慶応2年)に横浜に駐屯した英国第九連隊の将校たち。
「Our Live in Japan」(共著)より

 新奇さは一般に魅力だ。しかし、新しい場所に着くとまもなく色褪せてしまう。ところがわれわれにとって、日本とその住民はけっして新奇さを失うことがなかった。つねに観察すべきこと、おどろくべきことが何かあった。彼らは世界のどんな国民ともまったく異なってるので、彼らの間に一年住んでみても、その習慣と習俗については、他の国民の場合なら六週間でえられるほどの洞察すらえられないのだ。

フェルックス・レガメ=フランス人。画家。フランス芸術界を風靡したジャポニスム(日本熱)に惹かれ、1876年(明治9年)と1899年(明治32年)に来日。
「日本素描紀行」より

 私は、午後三時から始めた貧しい人々の住む地域の散策から戻って来る。一年の初め、つまり春の一日の終わりであり、暖かい太陽は、青味を帯びた雲間にまどろんでいる。
 魚屋や八百屋の店先は、夕食のため、たいへん賑わっている。この時刻の盛んな活気は、やがて人気のない街の静けさに移っていくのだろう。

 私は、深く感動して、頭をかしげて戻る。たった今見たすべてのことに、心の奥底まで動かされ、あの誠実な人たちと、手まねでしか話せなかったことが、たいへんもどかしい。

 勇気があって機嫌よくというのが、陽気で仕事熱心なこのすばらしい人々のモットーであるらしい。女性たちは慎ましく優しく、子供たちは楽しげで、皮肉のかげりのない健康な笑い声をあげ、必要なときには注意深い。すべての人が、日中は、家の中でと同じように通りでも生活をしている。その家はまるで蜜蜂の巣で、個々の小孔は積み重なる代わりに横に並んでいて、通行人の目にさらけ出された寝台を置く凹所のようであり、また、戸外で営まれる大小さまざまな仕事は言うに及ばず、家の中のものが、外にあふれ出ている。

 彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、おそらく知るまい。また、自分たちに、どんなに愛される資格があるのかも知らないし、反対に、われわれヨーロッパ人は、彼らを軽蔑していると、考えているのかも知れない。
 白状すれば、確かにそういうこともある。事実、われわれヨーロッパの中の何人の者が、愚かにも、われわれの人種の手前味噌な優越性を、相変わらず、ぶしつけにも彼らに示しているのだ。私はそんな者とは違う! 

コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より

 日本人は他にいろいろのすぐれた特性をもっているが、一つだけ大きな欠点がある。日本人は何事も決定できず常にすべてをしかも同時に望んでいるということだ。このことは経済面と同様、政治面、軍事面でもあてはまる。わたしの見解によれば、こうした欠点があるがために、終局的に成果をあげつつ日中戦争を終わらせることにこれまで失敗してきた。

 こちろん、これらすべての経済的な困難だけが日本にとっての危機到来を意味するわけではない。まず日本人は模範的に祖国愛に燃え、おのれの身を犠牲にする用意があり、祖国にいたって忠実である。それに日本にはいまだに多くの原料、半製品、それに食糧がある。日本の経済危機の本来の理由は、日本人がもろもろの根本的決意、決定を、最後の瞬間まで回避していることである。

 日本人は当座の間に合わせに終始する民族である。もはやどうにもできなくなると、日本人は自助の精神を発揮し、すみやかに、しかも巧みに行動する。これまで日本人は静観するという政策で成功してきた。おそらく彼らは「支那事変」が日本に及ぼした経済危機をこの政策で乗り切ることであろう。

 一億一心で体当たり!一億の頭脳のなかに一つの思想!ただ一つの思想に基づき、百年先を計画する。これが目標である。日本の首相(阿部信行)は数日前、「国民精神総動員委員会」で行なった挨拶の中でこれをはっきりと表明し、告示した。

 日本は二年以上にわたって戦争に巻き込まれている。この戦争は廬溝橋(ろこうきょう)事件がもとで起こったが、もともと望まれた戦争ではなかった。今日でも依然として「支那事変」といわれており、すでに軍隊が出征し、多くの血が流されているにもかかわらず、中国における軍事作戦をまともに戦争と呼ぶことが、長い間ためらわれている。

 それに日本列島は敵国からもちろん遠く離れており、敵軍はどんなに努力しても、日本の辺境の一端にすら足を踏み入れることはできないであろう。

 日本国民は相変わらず無邪気でほがらかで愛敬がある――そして上品だ。地球上で日本人に匹敵できるほど、親切で礼儀正しい国民はないであろう。

 しかし以前から日本人を知っているものにとっては、彼らの陰影が気にかかる。日本人にはきまじめな底流があることを見すごすわけにはゆかない。だが、こうした態度を不安とみなすのはおそらくまちがっているだろう。むしろわたしはこうした増大するきまじめさの中に、いつかは世界歴史の上で重大な影響を及ぼすような決意が秘められているように思う。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 昔の日本は中国から工人、学者、僧侶(そうりょ)を招いて、新しい製造技術、新しい社会と政治の運営方法、人間と自然と宇宙の関係についての新思想などを教えてもらった。留学生を送って、新しい知識を学ばせ、もち帰らせた。産業革命と機械文明以前の日本は、必要に応じて外部世界との関係を断ち切ることを選び、導入した技術と思想を時間をかけて消化し、自分たちの気質と環境に適応させていくことができた。

 しかし、19世紀後半になると、もはや外界と隔絶することも、時間をかけていることもできなくなった。日本人は妥協を許さない欧米人を締め出すことができなかった。欧米は自信をもっていた。科学と機械力で自信をつけた欧米人は、自分たちはアジア人やその他の「後れた」人種より本質的に優れていると確信して植民地に対していた。欧米の行動様式は欧米人が「正しい」と認めたものであり、それ以外の行動様式は「間違い」だった。欧米に順応すれば「進歩」であり、順応できなければ「反動」とされた。

 このように、日本の新しい指導者たちは、きわめて危険な状況のもとで、新しい文明をつくり始めたのである。日本には二つの選択肢しか与えられていなかった。一つは、欧米の要求に応(こた)えて、手工業と農業中心の経済から輸出型の工業偏重経済に移行することだった。同時に近代的軍事機構を確立し、極東における欧米の力の均衡政策に貢献する欧米型国家になることだった。もう一つの選択は、中国のような半植民地国家として留まるか、欧米のどこかの国の植民地になるか、であった。

 日本の指導者たちが、欧米型国家になることを選択したのは当然である。そのためには、政治と経済の中央集権化が不可欠だった。

〈中略〉私たちが戦中戦後を通じて、日本を非難する理由は、この中央集権的経済体制の発展が「全体主義」的であり、「戦争願望」をつくり出したというものである。しかし、当時の欧米列強はこの発展を歓迎していたのだ。文明の後れた韓国と中国に西洋文明の恩恵をもたらす国、近代的秩序と規律をもつ国家が必要だった。だから日本の近代化が求められたのだ。

 私たちは、日本が西洋文明の理想に反したことを非難している。しかし、日本が欧米社会に仲間入りさせられた歴史の真実をみるなら、日本が西洋の理想を学ばなかったなどとはとてもいえない。欧米列強こそ国際社会において自分たちの原則を守らなかったし、自分の国の中でさえ原則を実践していなかったのだから、そういう非難がどこから出てくるのか、理解に苦しむのだ。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 1894年7月29日、韓国在住のシル米代表は次のように書いている。

 ――日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。――

〈中略〉日露戦争後、アメリカは「事実の論理(ロジック・オブ・イベンツ)」を認め、韓国から代表を引き揚げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は韓国は「自治統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。「その後3年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称賛をかち得るような改善が数多く実現した」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。1917年、ライシング米国務長官と日本の石井(菊次郎)元外相の間で交わされた協定で、米政府はとくに韓国と中国における日本の特権を認めた。ライシング長官は次のように確認している。

 ――合衆国政府と日本は、領土的近接(プロピンキティー)が国家間に特別な関係を構成することを認める。したがって、合衆国政府は日本が中国に、とくに日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。――

 こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行なわれたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行なわれたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分たちは何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それにうながされて行動したのだ。

ソムアン・サラサス=タイ人。元タイ国陸軍大尉。戦時中、進駐していた日本軍にタイが20億バーツ(30億円)を貸与しており、その返還交渉で来日した使節団の顧問。戦前、政変で国を追われた父、プラ・サラサス・ポラカン元経済大臣に随伴して日本で亡命生活を送った。頭山満などにかわいがられた。1996年4月28日没。
池田勇人蔵相が日本の経済事情を説明し、返済の値引きを求めたところ、ソムアン顧問は即座に了承。その時の心情を次のように語った。

 「国に帰ったら、殺されるかな」とフッと思った。けれど、「まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから」と自分に言い聞かせました。

 日本国民は餓死寸前の時でありました。日本中が焼け野原でした。そして皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に「こんな気の毒な日本を見ていられるか」と言いましたよ。だから、私に向かって池田勇人蔵相が熱心に払えない理由を釈明していたけれど、全然聞いていなかったのです。

※サラサス父子は、さらに「あまりにも日本の少年少女がかわいそうだ」と言って、私費で象の「花子さん」と米10トンを贈ってくれました。また、父のプラ・サラサス氏はマッカーサーと直接あって、「将来、アメリカはソ連とかならず対決する日が来る。その時、力になるのは日本である。日本をいじめる事は、アメリカのためにも、アジアのためにも、ならない」と進言しています。ソムアン・サラサス氏についての詳細はこちらを参照。

ガザリー・シャフィー(シャフェー)=マレーシア人。元外相。アセアンを結成した功績により国連ハマーシェルド賞を受賞。アジアを代表する外交官。
「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助 編より

 日本の政治家はどうしてお詫びばかりするのか。今もT氏(自民党参議院長老)は、私に会うと一番に「過ぐる大戦において、我が国は貴国に対してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言うのだ。私は思わず言ってしまった。「どうしてそんな挨拶をするのか。我々はペコペコする日本人は嫌いだ。なぜサムライらしく毅然としないのか。日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか三ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。その偉業を忘れて、政治家たるものが、ステレオ・タイプのように同じ言葉でお詫びをする。人種がすっかり変わってしまったのかと思ったよ」と。

 日本の政治家はなぜ論争しないのか。一九七四年の一月であったか、田中角栄首相がインドネシアを訪問したことがある。その時、四万の学生デモにとり囲まれて立往生し、ヘリコプターで虎口を脱し、何もせずに逃げ帰ってしまった。首相は、どうして学生を相手に公開討論を申し込まなかったのか。学生との討論の中で、日本の立場を堂々と打ち出したら、一度に人気が上がり、日本が見直されていたのに。惜しいチャンスを失ってしまった。

 特に私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。イギリスのサッチャー首相でなくても、責任感をもった政治家だったら、国家の名誉にかけて、必ず反論する。もし私が日本の政治家だったら次のように言うだろう。

 「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然ではないか。諸君らは、何十年何百年にもわたって、彼らからどんなひどい仕打ちを受けたかを忘れたのか。日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、敗けたら自分のことは棚にあげて、責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジアの事大主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないのか」と。

 目先をごまかしてお詫びする日本人ほど、調子がよくなると、今度は威張りだすのだ。威張るのもダメ、ペコペコするのもダメだ。  

 日本人は、バック・ミラーばかり見ている。バック・ミラーは映し出されたもので、真物ではない。自分の目で前を見なければ、運転を誤るよ。

ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。猪口力平・中島正著「神風特別攻撃隊」を読み、その生き様に感動し、1974年(昭和49年)、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。
ジョジョ・P・マリグ=フィリピン人。ジャーナリスト。
マリオ・ピネダ=フィリピン人。地元通訳。
2000年10月25日、フィリピンで挙行された「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭を取材したジャーナリスト・井上和彦氏が集めたフィリピン人参列者の証言より(年齢は慰霊祭当時)

ダニエル・H・ディゾン画伯(70才)
「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。…こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています」
「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう」
神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです…」

ジョジョ・P・マリグ氏(25才)
「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は尊敬すべき”英雄”だと思います。またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の”武士”です」

地元通訳のマリオ・ピネダ氏(73才)
かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本が統治下で施した”教育”の成果です。…ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、自分たちでモノを作ることを学ぱせてもらえなかった。人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」

イサベル・ラリンティ=セブ島の住宅街に在住。2008年3月時点で76才。
フィリピンのセブ島を中心に行われた日本兵の遺骨調査団に参加した野口健氏が、ラリンティ氏から連絡をもらい自宅に伺ったところ、庭の地中から6体の遺骨を発見。その際、ラリンティ氏が語った言葉

 日本軍の占領時代に私の家は日本軍にとられていた。ここには通信施設があった。しかし、私は日本兵のオリガサさんと仲良くなった。いい人だったんだ。アメリカ軍機の機銃掃射に襲われこの辺りは日本兵の遺体がいくつも横たわっていた。我々は怖くて近づけなかったが、それからオリガサさんの姿を見ていない。ここに眠っているかもしれないから掘って入るんだよ。日本から調査団が来たと聞いて喜んでいる。やっと日本人が迎えに来てくれたんだよ。

ロマノ・ヴルピッタ=イタリア人。1961年ローマ大学法学部卒。東京大学に留学後、1964年イタリア外務省入省。1972~75年ナポリ東洋大学院で日本文学の担当教授をつとめる。1975年欧州共同体委員会駐日代表部次席代表。著書に『不敗の条件--保田與重郎と世界の思潮』など。
「正論」2009年1月号 大型シンポジウム「君に伝えたい、日本。」誌上載録より

 外国は日本にどんなイメージを持つか。日本人が武士の価値観や武士道に愛着を感じるのと同様、外国人も日本といえば武士のイメージを抱く。日露戦争で「やはり日本は武士の国である、武士は素晴らしい」となった。あの小国がロシアを負かした根底には日本人を形作った武士としての価値観があると注目されたわけです。

 (明治43年に起きた第六号潜水艇の海水侵入事故と佐久間勉艦長について)引き揚げられた潜水艇のなかで、乗組員みなが取り乱すことなく自分の役目を最後の最後まで果たしながら、亡くなっていた。これは世界の驚きだったわけですが、大事なことは彼らが別に英雄を目指したわけでも何でもないということです。そこに日本人の根本的な美しさがある。日本は何を外国に発信すべきか。私はそうした能動的な姿勢がことさら必要とは思わない。当たり前のこと、つまり日本人として本質を追求して立派な日本人として当たり前に振る舞う。それでいいのだと思うのです。それが世界のモデルになる。

※第六号潜水艇と佐久間勉艦長についてはこちらを参照。

劉美香=台湾人。中国語講師。台湾南部の高雄県六亀郷に生まれ。縁あって日本人と結婚。東京都台東区に在住。
08/8/20付産経新聞オピニオン面【明解要解】「中国を支える日本語 外来語の1割が日本からの“輸入”」より

 中華人民共和国 共産党一党独裁政権 高級幹部指導社会主義市場経済―という中国語は中華以外すべて日本製(語)なのをご存じですか。

 明治時代の日本人が、欧米の学問を漢字で翻訳してくれたから、当時の中国は世界を理解できた。平仮名や片仮名に翻訳されていたら今ごろ、中国はどうなっていたでしょうね。

 不倫や電話詐欺など“悪い言葉”や癌(がん)などの医学用語も含め、日本語はいまなお、中国語に大きな影響を与えています。漢字は中国で生まれましたが、その漢字を生かした和製漢語のおかげで中国は世界を知り、学ぶことができたのです。この事実を多くの日本、そして中国の人に知ってもらいたい。

【中国語になった日本語一覧】
体操 体育 記録 代表 優勢 劣勢 入口 出口 大型 小型 市場 組合 絶対 相対 直接 間接 左翼 右翼 主体 客体 主観 客観 時間 空間 理性 感性 予算 決算 動脈 静脈 商業 工業 理想 理念 重工業 軽工業 石油 出版 支配 民主 民族 政党 原子 電子 電波 保険 国際 協定 社会 企業 投資 広告 景気 歴史 科学 農民 総理 漫画 世紀 注射 資本家 百貨店 伝染病 図書館 所得税 所有権 自然科学 土木工学 etc

※この記事の全文は以下を参照。

【明解要解】中国語を支える日本語(1/2ページ)魚拓
【明解要解】中国語を支える日本語(2/2ページ)魚拓


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 最後の劉美香さんの漢字のお話に関連して、実は日本人と中国人では漢字が持つ意味にも大きな相違があるという興味深いお話がありますので、紹介させて下さい。
 正論2008年9月号掲載【短期集中連載 誰も語らなかったモンゴルの凄さ 第二回】、モンゴル史学者である宮脇淳子さんの論文からの引用です。

 中国人が、日本人と一見似ているけれども実はまったく異なる文化を持つ人々であるということを、私の夫の岡田英弘はずっと言い続けてきた。例えば日本人と中国人では、漢字が持つ意味にも大きな相違がある。

 日本人は、自分の正直な気持ちをいつでも言葉にして他人に伝えることができる。それは、ひらがなとカタカナという表音文字を持っているからである。日本では、漢字にルビを振れば誰でも読めるので、昔から識字率がたいへん高かったし、耳で聞いてわかる共通語がひじょうに古くから発達した。千二百年も前に詠まれた万葉集を、今の日本人が耳で聞いて意味がわかるのは実は凄いことであるが、日本人はそれを当然と思って生きてきた。日本人で日本語ができるのは当たり前である。

 ところが中国には、二十世紀になるまで耳で聞いてわかる共通語はなかった。話し言葉は地方ごとにまったく違っていて、同郷人としか通じない。今でも中国の各方言には漢字にならない言葉もたくさんある。話し言葉が通じない人々のコミュニケーションの手段は、目で見て理解する漢字だけだったが、二十世紀までルビというものを持たなかった中国人にとって、漢字を読めるようになるには、知能指数だけではなく時間と金のかかるものだった。それで中国ではつい最近まで、漢字は、ふつうの中国人にとっては自分たちの言葉ではなく、支配階級に属するものだったのである。

 中国では、漢字は長い間、支配者の都合のいいように使われてきたため、今でも中国語には「本音」と「建前」の区別がない。中国人にとって言葉はすべて建前で、現実は別である。支配者がどんなに立派な言葉を並べても、本当のことを言っているとは中国人なら誰も考えない。だから、日本人がいくら誠意を尽くして真実を伝えても、中国人は、それにはそう言うだけの何か別の理由があるに違いない、としか思わないのである。

 問題は、未だ一般の日本人に、中国人は漢字を日本に教えてくれた先輩で、同文同種だという思いこみがあることである。中国人の方も、漢字文化を共有するか、かつて共有した韓国、日本、ヴェトナムの人々は準中国人であるから、日本人も中国人と同じだとはなから思いこんでいる。互いに相手を自分の文化の枠組みに当てはめて見るから、関係が深くなればなるほど、齟齬が増えて憎み合うことになるのである。

 「問題は、未だ一般の日本人に、中国人は漢字を日本に教えてくれた先輩で、同文同種だという思いこみがあることである」というくだりで、ある人を思い出しました。衆議院議員の加藤紘一氏です。

 加藤氏は2005年11月20日放送の「報道2001」で、こんな発言をしました(拙エントリー05/11/21付:「報道2001」など~加藤紘一は今日も中共の代弁者を参照)。

 「確かに安全保障で考えたら、日米があるから日中なんか結べない。が、貿易量は日米より日中の方が大きくなった。また漢字、同じ言葉を使っている。私はアメリカ、中国にも行ったことがあるが、やはり日本人は文化、伝統的にアジアなんですよ。アメリカ人と会う時は、やはり英語が通じるかなと気になるが、中国人とは下手な中国語も最初から通じるはず、と喋っちゃう(笑)」

 いわゆるチャイナ・スクールが全員こんな認識でいるとは私は思いませんが、それにしても、この程度の人がかつては首相候補と呼ばれてたっていうんだから笑えない話です(T^T)


 ……というわけで、第9弾につづく……!?


※参考文献
・渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)
La La Singin' Music♪>シュリーマン旅行記 清国・日本
反日ワクチン>レガメの明治日本見学2
・コリン・ロス著「日中戦争見聞記」(講談社学術文庫)
・ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」(メディアファクトリー)
国際派日本人養成講座H10.11.28 地球史探訪:日泰友好小史(下)(「アジアに生きる大東亜戦争」、ASEANセンター編、展転社 S63.10)
日本再生倶楽部>管理人の隠し部屋バックナンバー2002年4月
・SAPIO2000年12月20日号「PHOTO & REPORT 神風特攻隊はフィリピンで英雄だった/井上和彦氏」ネットソースはこちら
野口健公式ブログ>2008年03月22日付:遺骨調査団に参加して
・「正論」2009年1月号 大型シンポジウム「君に伝えたい、日本。」誌上載録
・産経新聞08/8/20オピニオン面【明解要解】「中国を支える日本語 外来語の1割が日本からの“輸入”」

※おすすめブログ
日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ

※拙ブログ関連エントリー
05/12/5付:憂国フラッシュリンク集
06/10/8付:【アンケート】「生まれ変わっても日本人になりたい?」結果と全コメント
07/3/5付:「日本人」について考えさせられた記事
07/10/16付:外国人から見た日本と日本人(1)
07/10/23付:外国人から見た日本と日本人(2)
07/11/27付:外国人から見た日本と日本人(3)
08/1/8付:外国人から見た日本と日本人(4)
08/2/11付:外国人から見た日本と日本人(5)
08/6/3付:外国人から見た日本と日本人(6)
08/8/16付:【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
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「お気楽くっくり」更新済
 今年はレベル高かったみたいです。

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