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河野洋平~特定アジアにおける輝かしい功績(加筆)

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※画像は2008年5月9日、来日した中国の胡錦濤国家主席と握手する「北京オリンピックを支援する議員の会」の河野洋平会長。

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 9月18日、河野洋平が記者会見で政界引退を表明。
 9月26日、小泉純一郎が町村派に政界引退を正式報告。

 小泉さんの政界引退ニュースは国民に衝撃を持って迎えられ、「もっと続けてほしかった」という声も多く聞かれました。
 一方、河野の引退を惜しむ声はほとんど聞かれません。特に保守派からは「やっと辞めるか」と安堵をもって迎えられました。

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 ま、ごく一部には彼女のような例外もいるのでしょうが(^_^;
 (ちょっと見づらいけどパネルの上部に「次期総理は河野洋平(が良い)」と書いてあります)

 河野洋平が政界から去れば、日本も少しはマシになるでしょう。できれば、これまでの尻拭いをちゃんとやってから辞めてほしいものですが……。

 この人については、拙ブログで過去にちょっとしたまとめを作ったことがあります。
06/1/21付:河野洋平~特定アジアにおける輝かしい功績キャッシュ

 今日はこれに加筆・修正をしてお届けします。
 あ、タイトルの「功績」というのはあくまで「特定アジアにとって」ですので、念のため。あと、項目の並び順は必ずしも時系列ではありません。

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【河野洋平~特定アジアにおける輝かしい功績】
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●いわゆる河野談話 平成5年(1993年)

外務省HPより引用
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 この談話は、自民党が衆院選で敗北し、下野目前の平成5年8月に出されたものです。日本の歴史教科書に慰安婦問題を載せる根拠を与えるなどし、現在に至るまで大きな禍根を残しています。

 ところがこの談話は歴史的事実に基づいたものではありませんでした。
 談話が出されて3年半後の平成9年1月30日、平林博外政審議室長(当時)が国会で「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と証言したのです。

・平成9年(1997年)1月30日 参議院・予算委員会における平林博氏の発言(参議院会議録情報より引用)
○片山虎之助君 従軍というのは軍属ですよ、軍籍を持つということなんですね。したがって、従軍記者だとか従軍看護婦さんはおるんです。従軍慰安婦なんというのはないんですよ。勝手につくった言葉でひとり歩きをしている。しかも、この言葉は一定のイメージを与えるんですよ。不正確でありかつ一定のイメージを与える。特に私は大変な影響があると思う。
 そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。
 そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。

○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

○片山虎之助君 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
 そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。

○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷桁して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。
 証言につきましては、元従軍慰安婦とされる方々本人、それからいろいろな研究者、学者等でございます。

○片山虎之助君 いや、日常生活の強制性なんというのは、これはある意味ではわけがわからないんですよ。そういう資料があるなら、また出していただきたいと思いますが。
 そこで、結局は証言を中心にどうもあの調査報告や何かができたんじゃないかというふうに私は思っている。証言というのは、当事者の両方なり第三者が入る証言でないと、片っ方だけの証言者を集めてということは、ちょっと私は客観性を欠くんじゃなかろうかと。

 また、当時の官房副長官で談話作成に関わった石原信雄氏も、産経新聞のインタビューに対してこのように答えています。

・平成9年(1997年)3月9日付産経新聞における石原信雄氏の発言(酒たまねぎや ura ホームページさんより引用)
河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった

一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい

ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた

聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」

韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた

それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」

談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」

韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」

元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」

 なお、石原信雄氏は2005年、再び産経のインタビューに答えています。
 (この時産経は河野洋平にも取材を申し込んだが、国会開会中を理由に応じなかった)
・平成17年(2005年)8月3日付産経新聞「【戦後60年 歴史の自縛】(2)総辞職前日の慰安婦談話」における石原信雄氏の発言
「河野談話」作成の経緯 石原信雄元官房副長官に聞く
どう利用されるか議論せず


 ――河野官房長官談話発表の経緯は
 慰安婦問題が出てきたのは、韓国で訴訟が起こり、続いて挺身(ていしん)隊という人たちが日本政府に謝罪と賠償を要求し、エスカレートした。意に反して慰安婦にされた人が存在したかどうかが一番の問題になった。当時は補償問題は一切、議論していない。日韓基本条約で済んでいることだから。個人の名誉の問題として強制にあたる募集があったかだけを確認した。

 ――政治判断として強制性を認めれば事が収まると思ったのか
 われわれは、いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたわけではない。

 ――談話に反対しなかったのか
 議論の過程ではいろいろあった。国の名誉の問題があるから。政府として内閣としてまとめた以上は、私は全責任を負う。まとめた以上は逃げられない。

 ――国連は河野談話をもとに日本を「性奴隷の国」と呼んだ
 もちろん、そういうことに利用される可能性はある。訴訟している人たちは、すべてが強制だと主張しているわけだから、それを認めたことになるかもしれない。そういうリスクは当然、あの談話にはある。それは覚悟した。

 ――現在の評価は
 日韓の未来志向のためには、本人の意に反して慰安婦になったことを認めることが、その後の日韓関係を深める上で、必要だったという判断だったと思う。だが、韓国側が慰安婦はすべて強制だとか、日本政府が政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのは、あまりにひどい。韓国政府関係者の言い分は、(当時と)ぜんぜん違った形になっている。

 ――具体的には
 いろいろな国際会議で、日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。談話には書いてないが、納得ずくで慰安婦になっていた人だっている。

 ――宮沢首相は政権末期で決着を急いだのか
 次の内閣に送ってしまうということは、すべきでないと。宮沢内閣の責任で締めくくろうという首相の決断だった。

 ――韓国にいい顔をしすぎたのではないか
 批判はいろいろあるだろう。ただ、それが、どう利用されるかは、当時、議論していない。談話とか、公文書は、いろんな立場でそれが使われる可能性が常にある。

 石原信雄氏、開き直ってますな(-.-#)
 「リスクは当然、あの談話にはある。それは覚悟した」と言いながら、一方では「どう利用されるかは、当時、議論していない」って。無責任やなぁ。
 
 政府は「軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述はない」と言いながらも、未だ河野談話を撤回していません。
 「つくる会」教科書の影響もあり、2005年の検定で日本の教科書から「従軍慰安婦」の文字は消えましたが、現在も韓国人や日本の左翼団体らはこの談話を根拠とし、国際社会の場で「日本軍は韓国人女性を無理やり拉致連行し売春をさせていた」などと嘘を垂れ流し続けています。

 私が河野洋平に国会議員としてあと一つだけ仕事をさせるとしたら、「河野談話の撤回」。あとは何もせんでええ。とっとと辞めて。

<以下08/9/30加筆>

 引用が多くてやや冗長になってしまいましたが、平林博氏や石原信雄氏の証言をご存知ない若い方もいらっしゃるのではないか?と思い、あえて以前のまま載せました。

 もちろん何事にも例外はあります。業者の中には騙して女性を慰安所に連れてきたり、劣悪な環境で働かせたりという者もいたようです。そういった悪質業者を取り締まるよう通達を出すなど、日本軍も努力をしました(いわゆる「良い関与」)。が、限界はあります。いくら警察がしっかりしていても、犯罪を全くゼロにはできないのは今も昔も同じです。

 しかし、このように一部悪質な業者がいたからといって、なぜ「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と、まるで慰安婦のほとんど全員が「日本軍に強制連行され売春を強要された」かのように受け止められかねない談話を発表せねばならなかったのか。

 2007年になって、皆さんご存知の通り、米下院で慰安婦決議案をめぐる動きが激しくなったわけですが(マイク・ホンダなど中国系の団体とつながりの深い議員が中心となった。可決されたのはこの年の7月30日)、そんな中、日本では自民党内で河野談話の見直し論が出てきました。

 この件について記者団に聞かれた河野洋平は、「談話は信念をもって発表した。あれはあの通り受け止めてほしい」と述べ、不快感を示したとのことです(毎日07/3/15)。
 つまり「韓国がうるさかったから当時はああするより他なかった」ではなく、「あれは正しいことだったし今もそう思っている」と。外務官僚や石原信雄官房長官(当時)とは違い、決して事なかれ主義でやったのではないという主張でしょう。それだけにタチが悪い。

 日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなく、韓国人の自称「従軍慰安婦」の証言しかなかった。実はこのことは河野もちゃんと認識しているのです(「歴史教科書への疑問」(展転社)による。こちらを参照)。
 にもかかわらず父の世代に冤罪を背負わせ続けて、この人はなぜ平気でいられるのか。

 不快感ですって?あのね、多くの日本国民はあなたの何百倍も不快感を示してるんですよ。あなたの手前勝手な「信念」のおかげで、日本がどれだけ不利益を被ってきたことか。
 しかもこれは一過性のものではないんですよ。この先何十年も、何百年も、中国人や韓国人にカードとして使われ続ける可能性が高いんですよ。

 河野は正式に引退表明をした9月18日、記者会見で再び「河野談話」について話しています。
 「宮沢内閣としての気持ちを申し上げたものであって、私が個人的に申し上げたものではない」としながらも、やはり「今も極めて重要な談話であったと思う。私の本当の気持ちだ」と述べています(こちらに会見の中の、河野談話に関する発言部分が掲載されています)。

 戦後、これほど日本国と日本人を国際的に貶めた政治家はいないのではないか。この世で裁けないのなら、地獄で閻魔様に裁いてもらうしかないのか!?


※拙ブログ関連エントリー/慰安婦問題
06/3/4付:朝日はいつまで「元慰安婦」を利用するの?キャッシュ
 「元慰安婦」自身が証言してる。自分を“連行”したのは朝鮮人だと。小野田さんの証言も。
06/3/19付:米連邦最高裁判所が「慰安婦」にNO!キャッシュ
 これで慰安婦に関して日本に賠償謝罪を求める訴えは米国内では起こせなくなった。
07/2/26付:「報道2001」慰安婦問題ホンダ議員生出演(全文テキスト)
07/3/10付:慰安婦問題ニューススクラップ1(3/6~8)
07/3/10付:慰安婦問題ニューススクラップ2(3/9)
 国内外のさまざまな動きと報道のまとめ。
07/3/16付:「ぷいぷい」慰安婦問題と河野洋平と東国原知事
 ややヒダリの番組。途中まではまあまあだが結論がひどい。
07/3/17付:【資料】慰安婦問題おさらい10問10答
 「チャンネル桜」発。問題の要点をフリップでわかりやすく説明。
07/3/27付:「WiLL」慰安婦問題特集
 慰安婦訴訟の原告第一号について書かれた西岡力氏の論説は必見。
07/4/9付:元慰安婦「李容洙」証言の矛盾
 米下院で証言したりあちこちで大活躍ですが、証言がコロコロ変わってる。
07/6/16付:慰安婦問題で米紙に意見広告
 ジャーナリスト有志による意見広告が米紙に掲載。国会議員44名も賛同人に。
07/6/30付:慰安婦問題「寝た子を起こすな」でいいの?
 米下院外交委員会で慰安婦決議案採択。朝日の捏造のおさらいも。
07/7/31付:米下院で慰安婦決議案採択
 採決時に本会議場にいた議員はわずか10人程度だった(下院は全435議席)。

 慰安婦問題関連エントリーは他にもあります。07/7/31付にリンク集がありますのでそちらからどうぞ。

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●中国における旧日本軍“遺棄化学兵器”処理問題 平成7年(1995年)
 
 1987年、ジュネーブ軍縮会議で、中国が化学兵器に関する「遺棄国の責任」を掲げて日本を追及。
 1992年、同会議で、中国が遺棄国の廃棄義務を条約化するよう提案。
 さらにこの年、中国は国連で立ち上げられた化学兵器禁止条約に、「遺棄国に対する廃棄の義務」「所要の資金、技術、施設の提供」を盛り込ませた。
 1995年、河野洋平外相(当時)が中国に「旧日本軍が遺棄した化学兵器を条約に従って全部処理する」と約束。
 1997年、化学兵器禁止条約に日本が批准。
 1999年、費用の全額負担などを盛り込んだ覚書を中国と交わし(処理の目標年限は2007年)、日本による廃棄事業が動き出す。

 が、その後、次々と問題や疑惑が噴出。一言で言って「中国のたかり」。
 そもそも日中間では戦時賠償は解決済み。もちろん遺棄について日本がまったく無関係だとは言えないでしょうから、せいぜい廃棄処理に関しては数億円程度を「援助」というかたちで拠出し、あとは打ち切るべきだったのです。

 それなのに1995年5月、村山富市(当時首相)は中国側に「遺棄化学兵器の問題には、誠実に対応したい」との旨を話し、11月に河野洋平(当時外相)が「中国大陸に遺棄されている化学兵器について、日本側が責任をもって処理する」との趣旨を中国側に伝え、この化学兵器の処理を易々と引き受けてしまったのでした。

<以下08/9/30加筆>

 2006年春、「遺棄化学兵器」が中国側に引き渡されていたことを示す旧日本軍兵器引継書が、山形県のシベリア史料館で発見されました。旧日本軍兵士らの証言も出てきました。

 この件について自民党の戸井田とおる議員が国会で質問し、安倍晋三官房長官(当時)の「この資料(旧日本軍兵器引継書)は、精査すべき内容であるので、政府としてしかるべき調査をさせたいと思う」という答弁を引き出しています(衆議院会議録情報を参照)。

 が、これらのことはマスコミでは現在までほとんど報道されていません。また、その後、日本政府がこの兵器引継書を精査したり、旧日本軍兵士らの聞き取り調査をしたという話も聞きません。


※拙ブログ関連エントリー/“遺棄化学兵器”問題
05/10/31付:私たちの血税がまた中国に無駄に流れようとしているキャッシュ
05/11/12付:遺棄化学兵器問題~日本にたかる中国キャッシュ
 山谷えり子さんの国会におけるGJ発言も掲載。
06/1/4付:遺棄化学兵器問題~日本にさらにたかる中国キャッシュ
 渡部昇一さんの解説を掲載。
06/5/2付:遺棄化学兵器問題~視察はかなったが……
06/5/3付:朝日新聞曰く「東京裁判を知らない人が靖国参拝に賛成している」
 細切れぼやきで「正論」スクープ記事紹介。
06/5/8付:遺棄化学兵器問題~兵器引継書を盾に値切るべし
06/5/20付:中国の「上策」に惑わされるな
 JNNが旧日本軍が残したとされる毒ガス弾の数を実際より上乗せして報道。
06/6/1付:遺棄化学兵器問題~元凶はやはり外務省
 雑誌「正論」と「週刊新潮」の記事紹介。
06/9/4付:“遺棄化学兵器”問題で旧日本軍兵士の証言

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●北朝鮮へのコメ50万トン支援 平成12年(2000年)

平成12年10月7日:救う会全国協議会ニュース ■河野洋平外相と家族会・救う会代表との会見内容より河野洋平の発言抜粋
 これを行うことによって日朝関係を進める。国交正常化だけが重要ではなく、拉致をやるのも重要だ。
 今動き出したチャンスに踏み込むとの判断を私がした。私の責任でした。日朝が話し合わなければ解明できない。話し合ってやらなければ。黙っているだけではできない。

 ということで、河野は党内の慎重派や家族会・救う会の反対を押し切って北朝鮮にコメ50万トンを支援。
 結果は皆さんご存知の通り、以下のようになりました。

平成13年4月24日:救う会全国協議会ニュース ■コメ支援の責任を問う声明を発表より引用
 河野外相は外務省前に座り込み抗議した私たちを大臣室に入れて、「最大限の誠意を示し北朝鮮の誠意ある対応を待つ」コメ支援は「今がチャンスだ」「私の責任で支援を決めた」などと語った。
(中略)
 国民の税金を千数百億円かけてなされたコメ支援の結果はどうだったのか。北朝鮮は昨年4月と8月の日朝国交交渉で「拉致はでっち上げ」という開き直りを続け安否確認さえ拒否したままであり、その後は交渉開催すら拒んで今に至っている。つまり、コメはただ取りされただけだ。

 「私の責任で」やった以上、責任を取ってもらわないとね。でも河野洋平が責任を取ったという話、とんと聞きませんね。

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●首相経験者とつるんで小泉首相の靖国参拝自粛を求める 平成17年(2005年)

・6月1日付時事通信<首相経験者ら、靖国参拝自粛求める=公明代表も「連立に悪影響」>
 河野洋平衆院議長は1日、議長公邸で自民党の森喜朗氏ら首相経験者と懇談し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「慎重の上にも慎重に対応すべきだ」との認識で一致した。一方、公明党の神崎武法代表は同日の記者会見で、首相が同党の反対を押し切る形で参拝した場合、「連立の基盤に悪影響がある」と表明。与党内で参拝自粛の声が強まり、首相は一段と苦しい対応を迫られそうだ。
 河野氏との懇談には、森氏のほか橋本龍太郎、村山富市、宮沢喜一、海部俊樹の各氏が出席。河野氏が「昨今の近隣諸国との急速な関係悪化はとても看過できない。その大きな原因の1つに小泉首相の靖国神社参拝がある」と指摘したのに対し、森氏らも首相の参拝自粛が必要との考えを示した。

・6月9日付産経抄より引用
 しかしごくまれだが、美点を探そうにも反証ばかりが先に出てくる人物にでくわすことがある。河野洋平衆院議長はその一人だ。
 氏は一昨日、小泉純一郎首相に会い、靖国参拝自粛を要請した。立法府の長が行政府の長に文句を言うのは、三権分立の観点からどうか、という問題はひとまず置く。遺憾なのは議長公邸に自分の意見に近い首相経験者を集め、「反靖国」の気勢をあげる「虎の威を借る」行為をしたことだ。
 首相に物申したいのなら、なぜ、衆参の議長経験者を集めないのか。自ら議会の権威を貶(おとし)めたようなもので、歴代自民党総裁でただ一人、首相になれなかったコンプレックスの表れでは、といわれても仕方がない。
(中略)
 いまさらだが、政治家としての資質の問題である。老婆心ながら申し上げるが、この際、議長引退をお考えになってはどうだろう。中国の分断策に乗るような形で、これ以上、国益を損じさせてはいけないからだ。
 
 ……議長だけでなく議員も辞めて下さい(-.-#)

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●台湾に緊急着陸で引きこもり 平成7年(1995年)

 平成7年(1995年)、東南アジア諸国連合外相会議に出席するため、バンコクに向かっていたところ、乗っていた飛行機が悪天候のため台湾に緊急着陸。離陸するまでの数時間、河野洋平はずっと飛行機に引きこもっていて、外には出なかった。

 その後、「台湾の地を一歩も踏まなかった」ことを日中友好の証として中国の銭外相(当時)に語った。

 ……議員だけでなく日本人も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)

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●李登輝・前総統の訪日ビザ問題 平成13年(2001年)

 平成13年(2001年)4月10日、台湾の李登輝・前総統が訪日ビザを申請。河野は外務省とともにビザ発給を渋った。
 森喜郎首相(当時)が「これは私の命令だ」とまで言ってビザを出すよう指示したにもかかわらず、親中派の橋本龍太郎や野中広務幹事長(当時)の後押しを受けた河野は、外務大臣辞任をほのめかしてまで抵抗した。
 中国も駐日大使を官邸に押し掛けさせるなどの露骨な内政干渉を展開。

 日本の各新聞は「ビザ発給すべき」の立場で足並みをそろえた。朝日新聞でさえ、「政治活動では困るが、一人の民間人としてビザを発給するのが自然。ビザ問題をいたずらに政治化してはならない」と政府側に注文した。

 結局、4月18日の記者会見で首相退陣を表明した森首相が、李登輝氏にビザを出すよう外務省に命じたことを明らかにしたため、外務省はやむなくビザを発給、李登輝氏の訪日が実現した。

 ……日本人だけでなく人間も辞めて下さい(-.-#)(-.-#)(-.-#)

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●「日本の過ちにより原爆が投下された」と発言 平成14年(2005年)

 2005年8月6日、衆院議長・河野洋平は、広島で行われた平和記念式典においてスピーチを行いました。
 スピーチ内容はこの日、報道関係に配られました。評論家の森田敬一郎氏がその後入手し、ブログにUPされています。一部引用させていただきます。

 ここ、広島平和公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この「過ち」とは何でしょうか。

 一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。欧米列強から独立を守るため、明治維新で近代化を成し遂げたわが国には、「アジア諸国が独立と民主主義を求める戦いに連帯する」という「もう一つの選択肢」があったにもかかわらず、実際に歩んだのは「日清・日露戦争後に韓国の独立を奪い、中国に軍事介入し、自らの支配を押しつけ」ようとする、欧米列強と同じ帝国主義の道でした。

 わが国にもアジア諸国の独立運動に連帯し、支援を惜しまない人々がいたことも事実ですが、日本が国家として選んだのは別の道であり、その道を国際社会を敵に回して歩んだ帰結の一つが、原爆の投下だったのです。

  私たちが繰り返してはいけない、もう一つの「過ち」は、人類が、いかなる理由があるにせよ、核兵器という巨大な破壊力を持つ非人道的な兵器を、同じ人類に対して使用したという事実です。 「人類と核兵器は共存できない」。広島で起こったあまりに悲惨な現実を知るとき、私たち日本人には、このことを世界に訴える使命があることがわかります。

 「過ちは繰り返しませぬから」の主語は第一に「日本」であると、河野は明確に語っています。
 つまり、日本が明治維新以後、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだ結果、原爆が投下されたのだと。

 皆さんまだご記憶に新しいでしょうが、2007年6月30日、久間章生防衛大臣(当時)が千葉県の大学での講演で、「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と発言しました(全文はこちらを参照)。
 この「原爆投下しょうがない発言」により、久間大臣は被爆者団体や野党やマスコミから大きな批判を浴び、ついには辞任に追い込まれました。

 ところが河野のこの発言については、産経新聞が社説で批判した以外には、特に誰も問題にしなかったのです。

 久間氏の場合、消極的というか、まさに「しょうがない」です。「日本が悪かったから」とかではなく、原爆が投下された当時の情勢、つまり終戦直前のソ連参戦と絡めての発言でした(歴史観がおかしくないか?的な問題はさておき)。
 が、河野は全く違います。積極的です。「戦争をした日本が悪かったんだから原爆が投下されたのだ」という主張です。

 発言の場も、久間氏とは違って「平和記念式典」という厳粛な場です。本来政治的なものとは一番かけ離れたものであるべき場で、三権の長がこのような発言をしたわけです。

 さらに言えば、久間氏の「しょうがないな」はポロッと出たもので、まさに失言でしょう。ところが河野のスピーチは事前に用意されたもので、文書化され報道関係に配布までされているのです。

 なぜこの河野の発言が全く問題にされなかったのか、私は不思議でなりません。

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●自民党本部での講演で党是に反して改憲反対を明言 平成18年(2006年)

・1月19日付産経新聞<河野衆院議長 護憲の存在感「改憲論議より教育再生を」>
 河野洋平衆院議長=写真=は十九日、自民党本部で講演し、「私は憲法改正に賛成しないけれども、議論をすることはいい」と述べ、憲法改正に反対する立場を明言した。自民党は昨年十月、立党五十年を機に新憲法草案を策定。河野氏は衆院議長就任に伴って会派離脱中だが、元総裁として自民党で行った講演で、党是の憲法改正に反対の考えを明言したことは波紋を呼びそうだ。
 河野氏は講演で、「憲法改正にあれだけ政治的エネルギーと時間を使うなら、なぜ教育を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」と述べ、憲法改正の論議自体も牽制した。
 河野氏は、元日の衆院議長年頭所感でも「中国や韓国など近隣諸国との関係の建て直しなどの課題」があると指摘、小泉純一郎首相の外交姿勢に注文をつけた。
 昨年六月には小泉首相に靖国神社参拝自粛を求めるなど、立法府の長として行政府への介入とも受け取れる発言を繰り返し、党内から「もう少し慎重に考えてほしい」(安倍晋三幹事長代理=当時)とに批判が出ていた。

 自民党結成当時、党則を作成した委員だった松野頼三氏は、かつてこのように言っていました。

 「自民党の党則の第一は憲法改正、自主憲法制定。このために保守合同したのに、50年間何をしてたのか。改憲を忘れた党員は自民党員じゃないと言いたい。党則を全部読んでごらん」2005/11/14放送「TVタックル」

 会派離脱中とはいえ、自民党本部で、自民党の元総裁という立場で行った講演で、この発言はないんじゃないですか。
 少なくともこの4カ月前、2005年9月に行われた衆院選での自民党の公約では、「自主憲法の制定は、わが党立党以来の党是である」として、新憲法制定のための「国会法の一部を改正する法律案」および「日本国憲法改正国民投票法案」の早期制定を目指すと発表されていたわけですし。

 河野は言う。「憲法改正にあれだけ政治的エネルギーと時間を使うなら、なぜ教育を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」と。
 これ、私に言わせれば、「河野洋平は特定アジアにあれだけ政治的エネルギーと時間とカネを使うなら、なぜ教育を立て直すためにエネルギーと時間を使わないのか」ですよ。

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●訪日した胡錦濤に媚びまくる 平成20年(2008年)

5月8日付産経新聞<【胡錦濤氏訪日】国会議事堂を訪問 河野議長が歓待>
 来日中の胡錦濤中国国家主席は8日、国会議事堂を訪ね、河野洋平衆院議長と会談した。河野氏は胡主席を衆院本会議場に案内し、議長席に座らせる歓待ぶりをみせた。
 河野氏はチベット問題には触れず、「中国国内の問題は中国の主権内で合理的に処理すべきだ。北京五輪も上海万博もぜひ成功してほしい」と述べた。
 胡氏は河野氏について「日中友好関係構築の立役者であり古い友人として知られている」と賛美。「日中関係はもっとも重要な二国間関係であり、世界の中の日中関係だ」と持ち上げた。

 「中国国内の問題は中国の主権内で合理的に処理すべき」。この発言は2008年5月8日のものです。
 その約2カ月前、チベットで民衆蜂起があり、中共はこれを武力で鎮圧しました。
 聖火リレーと連動した欧米各国での抗議活動とも相まって、胡錦濤訪日当時チベット問題が国際的に大きな問題になっていたのは、皆さんの記憶にも新しいところでしょう。
 河野は明言はしていないものの、「中国国内の問題」がチベット問題を示唆しているのは明らかです。

 それにしても、何と冷たく恐ろしい言葉でしょう。私には「チベット人を合理的に処理せよ」と弾圧を奨励しているようにしか聞こえません。

 さらに河野は、翌5月9日、超党派議員連盟「北京オリンピックを支援する議員の会」会長として、再び胡錦濤と会談しました(五輪経験者である自民党の麻生太郎前幹事長、馳浩衆院議員、橋本聖子参院議員、民主党の田名部匡省参院議員らも出席)。

 河野はここでも胡錦濤に媚びまくりました。5月9日付産経新聞によれば、このような発言をしています。

 「北京五輪は中国の五輪であるとともにアジアの五輪でもある
 「議連として応援することがあれば、ご指示いただきたい

 同じアジアでこんな恥の五輪が行われるなんて、日本人として情けなく思わないのか。応援する前に言うことあるやろ!まさに「紅の傭兵」!(-.-#)

 さらに河野は胡錦濤に対し、「2つ申し上げたい」と。
 お、少しは苦言でも呈する気になったのかと思いきや(いや、ほんとは全然思わんかったけどね)、「入場券が手に入らないし、アクセスが不便だ。期間中の羽田-北京の臨時便を考えてほしい」

 (・0・)ポカーン………

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●全国戦没者追悼式 平成20年(2008年)

8月24日付産経新聞<【土・日曜日に書く】政治部・阿比留瑠比 戦没者への礼知らぬ河野議長>より一部引用
 軍人・軍属や一般市民の犠牲者を悼む言葉を述べられ、式は厳粛なムードで進行したが、河野洋平衆院議長が追悼の辞を読み始めると、会場の空気は微妙にざらつき出した。参列した国会議員の一人は「会場の戦没者遺族らのことを思うと、聞くに堪えなかった」と振り返る。河野氏はこう日本の「加害」を強調したのだった。
 「(日本軍による)非人道的な行為で人権を侵害され心身に深い傷を負い今もなお苦しんでいる方々に、改めて心からのお見舞いの気持ちを申し上げたい」
 先の大戦では、多くの国と地域の民が大きな損害を被った。日本も関与したそうした犠牲者に思いをはせ、反省することも大切だろう。だが、なぜ日本の戦没者を追悼するための式典で、遺族の気持ちを逆なでしてまで日本の加害を言い募らなければならないのか。

 全国戦没者追悼式における河野のこの種の発言は、2008年に限ったことではありません。2007年の追悼の辞ではこんなことを言ってます(ChechenNews.org バイナフ自由通信さんより引用)。

わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵のご遺族にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。

 さかのぼって2006年の追悼の辞では、故吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』から「俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」という臼淵磐大尉の言葉を引用した後、こう続けています(たむらさんのホームページより引用)。

 私は、新生日本の「目覚め」を信じ、そのさきがけとなることを願って犠牲を受け入れた若い有為な人材達に思いを馳せるとき、戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならないと思います。

 当時議論になっていた、いわゆるA級戦犯の分祀問題を持ち出しています。

 先に紹介した広島の平和記念式典での発言もそうでしたが、追悼という厳粛な場で、三権の長がこういった政治的な主張を毎年くり返すのはいかがなものでしょうか。
 国内だけでなく特定アジアはじめ国際社会も注目する場を利用し、自己の政治理念をアピールしている、そう受け取られても致し方ないのではないでしょうか。

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 河野洋平まとめは以上です。スクロールお疲れ様でした<(_ _)>

 さて、後継候補の牧島かれん氏がいったいどんな人なのか?というのも気になりますよね。

 これまでネットをざっと見た限りおいては、牧島功県議会議員(横須賀市)の長女で、早稲田大学客員講師であるということ以外に、情報はほとんどないようです。

 少ない情報の中から、「FACTA」という会員制の雑誌の編集長である阿部重夫氏のブログに、インタビュー等が載った記事を見つけました。

阿部重夫編集長ブログ9/22付:河野洋平の“後継者”牧島かれんとは――地盤継承の新しいカタチ

 彼女の経歴や、なぜ河野洋平の後継者に選ばれたのかが、少しは見えてきました。ただ、河野洋平の理念を引き継ぐのか否か?といった肝心のことは、まだ未知数のようです。


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