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外国人から見た日本と日本人(4)

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 今夜2本目のエントリーです。

 外国人から見た日本と日本人の姿、第4弾です。
 有名なもの、さほど有名でないもの、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
 昭和天皇崩御から20年目ということで、今回はそれに関連した新聞記事、動画紹介、私の回顧も。
 
J・R・ブラック=イギリス人。海軍将校、商人、ジャーナリストという多彩な経歴を持つ。1863年(文久3年)来日、横浜で「ジャパン・ヘラルド」をはじめ新聞事業を次々に手がけた。青い目の落語家として知られた快楽亭ブラック(初代)は長男。
「ヤング・ジャパン1」より

 彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持よくした。一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、「おはよう」という気持のよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった。

アルジャーノン・バートラム・フリーマン・ミットフォード=イギリス人。1866年(慶応2年)〜1870年(明治3年)、英国公使館の書記官として日本に滞在。その後2度来日。
「ある英国外交官の明治維新」より
 横浜初上陸の際ひどい悪印象を得て迎えた翌日の記述


 午後のひととき、公使館のまわりをぶらぶらと歩いていると、不意に水平線から、なだらかに優美な曲線をえがき、白雪をいただく円錐形の山頂がくっきりと天空にそびえ立つ富士山の全容が、私の目に映った。私は名状しがたい強烈な興奮に駆られた。昨日までは考えもつかぬ狂気にちかい気持の高ぶりであった。そして、その時の異常な興奮はいまもなおその余韻がさめやらぬし、おそらく生涯の終りまで消えることがないだろう。

イザベラ・バード=イギリス人。当時の女性としては珍しい旅行家で、1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。
「日本奥地紀行」より
 明治11年、京都を訪れるのに神戸から三等車に乗った時の出来事(邦訳本では省略)


 というのは“庶民”がどんな風に振舞うか、とても見たかったからだ。座席の区切りは肩までしかなくて、もっとも貧しい階層の日本人ですぐ満員になった。旅は三時間続いたが、人びとのおたがいと私たちに対する慇懃さと、彼らの振舞い全体に私は飽きもせず目を見張った。美しかった。とても育ちがよく親切だった。英国の大きな港町の近傍でたぶん見かけるだろうものと、何という違いだろう。日本人はアメリカ人のように、きちんとした清潔な衣服を身につけることで、自分自身とまわりの人びとへの尊重の念を現すのだ。老人と目の見えぬ者へのいたわりは、旅の間とてもはっきりと目についた。われわれの一番上品な振舞いだって、優雅さと親切という点では彼らにかないはしない。

アリス・ベーコン=アメリカ人。1881年(明治14年)来日。華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍。
「華族女学校教師の見た明治日本の内側」より

 自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも、彼らの立場は従属的でなく、責任を持たされているのにはたいへん興味深いことだと思います。彼らの態度や振舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでも良い地位を占めているように思えます。


【引用者注】この後の記述で、アリスは、召使が言いつけたとおりでなく、主人にとってベストだと自分が考えるとおりにするのに、「はじめのうちはたいそう癪にさわ」ったものの、何度か経験するうちに、召使の方が正しいのだと悟った——という内容のことが書かれているそうです。

エドウィン・アーノルド=イギリス人。詩人。1889年(明治22年)11月来日。インドのデカン大学の学長を務め、帰英後はデーリーテレグラフ紙の編集者。
「ヤポニカ(Japonica)」より

 街はほぼ完全に子どもたちのものだ。
〈中略〉東京には馬車の往来が実質的に存在しない。四頭立ての馬車はたまにしか見られないし、電車は銀座とか日本橋という大通りしか走っていない。馬にまたがり、鞍垂れをつかんで走る別当を連れて兵営を往き帰りする将校にときたま出会うくらいだ。こういったものは例外だ。従って、俥屋はどんな街角も安心して曲ることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく控え目な振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は長いし、黒い眼はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
「知られざる日本の面影(日本瞥見記)」より

 将来まさに来ようとしている変革が、この国の道義上の衰退をまねくことは避けがたいように思われる。…西欧諸国を相手にして、産業の上で大きな競争をしなければならないということになれば、けっきょく日本は…あらゆる悪徳を、しぜんに育成していかなければなるまい。

 昔の日本が、今よりもどんなに輝かしい、どんなに美しい世界に見えたかを、日本はおもいだすであろう。古風な忍耐と自己犠牲、むかしの礼節、古い信仰のもつ深い人間的な詩情、——日本は嘆き悔むものがたくさんあるだろう。日本はこれから多くのものを見て驚くだろうが、同時に残念に思うことも多かろう。おそらくそのなかで、日本が最も驚くのは古い神々の顔であろう。なぜなら、その微笑はかつては自分の微笑だったのだから。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
八雲の講演「極東の将来」(中島最吉訳)より

 私は将来は極西のためではなく、極東のためにあると信じている。少なくとも中国に関する限りそう信じている。しかし、日本の場合は危険な可能性があるように思う。

 それは古来の、素朴で健康な、自然な、節制心のある、正直な生き方を放棄する危険性である。私は、日本がその素朴さを保持する限りは、強固であるだろうと思う。日本が舶来の贅沢という思想を取り込んだ時は、弱くなるだろうと思う。

ロスロップ・スタッダード=アメリカ人。歴史学者。
「有色人種の勃興」(大正10年出版)より

 すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。

〈中略〉1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。

ベルナール・ミロー=フランス人。1929年パリ生まれ。ジャーナリスト。第二次世界大戦に関する記事には定評がある。
「KAMIKAZE(神風)」より

 この日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期の数ヶ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去からひき出してきた。すなわち伝統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。

 このことをしも、我々西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと著者は考える。

 たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動などという観念を容認することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。彼らを活気づけていた論理がどうあれ、彼らの勇気、決意、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。彼らは人間というものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。

〈中略〉本書の目的は、そのような皮相的な見方から一歩踏みこんで、西欧から見た神風に、新たな脚光を浴びせることであった。また著者の意図したところは、この日本の自殺攻撃が集団的発狂の興奮の結果などでは断じてなく、国家的心理の論理的延長が到達した点であらわれた現象であり、戦局の重圧がそれをもたらしたものであることを明らかにすることにあった。

 著者は日本において2000年間眠りつづけてきたハスの実が、栽培されて開華したことを耳にしたことがある。その花に著者は神風の精神をなんとなくなぞらえてみたくなった。

 たしかに日本人の実行したこの突飛な飛躍はむなしい。結果としてのいたましい敗戦に、この行為はあまりにも不合理とも見えよう。そしてこの行為に散華した若者たちの命は、あらゆる戦争におけると同様に無益であった。しかし、彼らの採った手段があまりにも過剰でかつ恐ろしいものだったにしても、これら日本の英雄たちは、この世界に純粋性の偉大さというものにつて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れられてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 (アメリカの)世論は占領計画の極端な厳しさには気づいていなかったのだ。なぜなら私たちは、日本人を「奴隷にする」考えはないとか、「日本国民は個人の自由と基本的人権をさらに求めていくことができる」とか、「新秩序」が確立されれば「最終的には」占領軍は撤退するとか、を声明で確約していたからだ。そして、新聞・雑誌は、私たちが進めているのは「民主的な」社会・政治「改革」であるとさかんに報道していたから、占領政策は博愛精神で進められており、日本国民を軍国主義者から解放している、という印象がつくり上げられていった。

 しかし、占領は博愛主義的行動からは、はるかに遠いものである。私たちは、日本国民が指導者たち同様拘束されている事実を直視しなければならない。日本の行政、産業、資源、労働を握っているのは、法律をつくり、ときには武力をつかってでも法を執行しようとするアメリカ人である。教育制度、宗教、葬式、婚姻の習慣、伝統芸能、礼儀作法からキスの仕方まで、日本の文明がアメリカの規制を受けている。私たちは、日本文明の中で「戦争願望」の基になっていると判断したものは全て打ち壊すつもりなのだ。

〈中略〉占領政策は日本国民と文明の抑圧であることがよくわかる。この計画は戦争の合法的行為、すなわち賠償行為の常識をはるかに超えた、圧倒的スケールの「懲罰」と「拘束」である。これが、もし計画どおりに実行されれば、私たちの意図とは関係なく、日本の伝統文明は破壊され、国民はアメリカの下僕となり、人口は減少するだろう。

 日本占領は妥当で、人道的で、正当であるかのようにみえるが、多くの問題がある。国は男、女、子供、何千万人の個人から成り立っている。だから、一国を「罰する」ことはむずかしい。その意図がどんなに正しくても、国民を罰しないで国だけ罰することなどできるはずがないのだ。アメリカ社会でも、人一人を罰するには、間違いなく有罪かどうかの証拠探しに大変な努力が払われている。しかし、日本に対しては、戦争中の感情的宣伝を証拠にして、全国民を一括処罰しようというのだ。日本国民全体を罰する私たちの権利の基盤は非常に脆弱である。

 いったい私たちは公正な裁判官を自任できるほど潔白で聡明なのか、アメリカ人は自問自答したことがない。私たちは日本側のいい分を聞いてみたことがない。日本の歴史については、戦争プロパガンダが好んでつかう史実しか教えられなかった。

 私たちは日本とアジアの考え方をまったく無視してきた。日本人は起訴状にあるように、本当に世界征服の野望を抱く野蛮で侵略的な民族なのか、考えてみたこともない。私たちは、指導者、一般庶民を問わず、全日本国民をひとくくりにしてきた。確かに、一定の線を引いてはいる。罪状がはっきりしている戦争犯罪人に関しては、軍と行政府の戦争指導者を区別し、犯罪の種類と軽重を決めている。ところが国民と文明に関しては、釈明も聞かずに、いきなり有罪と断定しているのだ。

ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 国際関係を本当に知ろうとしたら、政策立案者の説明する政策が実際はどういう意味をもっているか、深く考えてみる必要がある。私たちが「国益」としているものの上に、外交政策を立てているなら、日本に対する私たちの裁判はかなり調査が必要となってくる。日本の政策は一貫して国益の上に据えられてきたからだ。私たちが「国家の存亡にかかわる利益を守るために戦う」のは、私たちの権利であると主張する以上、同じように主張してきた日本を何で罰することができるのか。「世界征服」を企てたという理由で、日本を公式に罰することができるというのも理解できない。現にアメリカの公式調査報告は、そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ちだした「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は輸入必需品の80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息を意味するものだった。

 日本はアメリカに特使を送り、こうした厳しい措置の緩和を要請した。しかし、日本には、アメリカは両国間の対立を解決する意思をもっておらず、戦争は不可避と考えているようにみえた。会談の公式記録を読んでみると、アメリカは日本がそう疑うだけの根拠を与えている。だから、アメリカはヨーロッパの戦争がある程度めどが立ち、自国の「防衛」計画を整備するまでの時間稼ぎをしている、と日本が思ったのは当然である。アメリカの政策(イギリスと蒋介石政権を支援し、日本を経済制裁する)は正しかったというのもいいだろう。しかし、私たちの政策ではなかったと、真面目な顔でいうのはおかしい。なぜなら、政府は各種の公式声明で、あれはアメリカの政策だったと言明しているからだ。

 日本の立場で言えばこうである。イギリスとオランダが禁輸したインドネシアとマレーの物資を力で奪いにいく決意を固めた。そこで、アメリカが両国の陣営に加わらないよう、奇襲によって出鼻をくじく必要があった。パールハーバーはのるか反るかの賭けだった。

ジョージ・フリードマン=アメリカ人。ディッキンソン大学教授。近著に「新・世界戦争論—アメリカは、なぜ戦うのか」(2005年出版)がある。
「VOICE」1991年12月号「パールハーバーを忘れるな」より

 まともで教育のある人びとがなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人びとなのだ。当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせずに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

タナット・コーマン=タイ人。内閣副首相、外相などを歴任。アセアン設立に中心的役割を果たした。
1995年5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、参列した際の言葉

 五十年間を振り返ると先の戦争が残酷なものであったにも拘わらず、善なるものも生みました。あの戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破されました。そしてこれは日本が勇戦してくれたお陰です。新しい多くの独立国が火の中から不死鳥のように姿を現しましたが、誰に感謝を捧げるべきかばあまりにも明白です。

 これからは新しい国も古い国も互いに手をしっかりと結び合って平和を強化し暴力によってさいなまされている諸国民を苦しみから救おうと努めなければなりません。

サイデマン・スリヨハデイブロジョ=インドネシア人。陸軍大学長、駐日大使、外務省上級大使などを歴任。
1995年5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、スハルト大統領特使として参列した翌日、インタビューに答えて

 昨日は、日本人というのはアジアなんだなあと思いながら一日暮らしました。駐日大使として赴任していた頃(七九〜八三年)の日本人は西洋人にほめられたい、西洋人の一員になりたい、という態度がありありと感じられてなんともいえない気持ちでした。ところが昨日会った人たちは皆が皆、アジア人であると感じられてとても愉快でした。

 かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。

 日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。独立を勝ち取った後の我々は植民地にさせられていたことの反省として、科学技術と人材の養成を克服すべき課題として掲げています。その際、学ぶべき日本とは欧米化する日本じゃない。欧米に負けないように科学技術文明を高めつつも、固有の文化を失わなかった日本にこそ我々は学びたいのです。

 各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しようとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。

■昭和天皇が重体になられた時、多くの日本人がお見舞いの記帳をするために皇居前広場に訪れた。その光景を見た外国人の感想。
読売新聞朝刊1988/09/27より

 来日十年のフランス人実業家、ジャン・クロードランデさん(41)は皮肉っぽい。「皇居にあんなにお見舞いの人が集まるところを見ると、天皇陛下は日本人にとっては王様というより神様に近い人なんだろう。改めて、そう感じ始めている」とフランス人らしくエスプリをきかせた。

 韓国から取材で来日中の女流作家、王秀英さん(50)は「天皇制と日本のことなら、韓国人として何日かかっても語り尽くせないものがある」と複雑な表情で、「皇居にあれほどの人が集まるとは思わなかった。時代へのノスタルジアがあるお年寄りならわかるが、若い人も多い。彼らの世代は、他人が行くから自分も行くといった面があるのではないか。日本人はみんなと同じ行動をして安心するという性格があるから」と、手厳しい分析をしてみせた。

 「大統領が重体になってもホワイトハウスの前にお祈りする人たちの行列はできないと思う」とびっくりしていたのはアメリカ・ボストン市からサーカスのためやって来たピエロ役、スーザン・ドクトロフさん(23)。「それに私の国には皇室がなく、手を合わせる人の気持ちは、正直言ってわかりません」と首をすくめた。

 合気道の勉強のため、二か月前にイスラエルから来日、都内の道場に通っているボアーズ・ハガイさん(23)も「大勢の人が天皇の回復を祈るため記帳するというのが、どんな意義があるのかよくわからない」と首をかしげた。来日前に抱いていた「先進工業国」のイメージとは大きく違ったようで「伝統やしきたりを根強く残す面があることに驚いた」と言う。ただしこれは評価にもつながり、「伝統と自然との間で学んだ見事なバランス感覚を持っていると思う」と付け加えた。

 英国の有力日曜紙が「これを機会に日本の右傾化が懸念される」と伝えたが、皇居前では、日本人の心情に理解を示す声も多かった。

 「(記帳の列は)驚くべき反応だが、気持ちはよく分かる。今度のように十万人も集まるかどうかはわからないが、イギリスやフランスでも、重要人物がこのような状態なら同じことが起こるだろう。それに日本の天皇陛下は、歴史上、とても重要な人だ。世界が注目しているはずだ」。東京でフランス語の教師をしているミシェル・ミシャさん(26)の意見だ。

 ソウル五輪を見物した帰りだというアメリカ・ミズーリ州からの主婦、テレサ・ディトマイヤーさんとダイアナ・キルバーンさんは、口をそろえて「日本人が心配して皇居に集まって陛下のご回復を祈るのは、とても良いことじゃないでしょうか。人の健康を祈って悪いわけがない。英国などで右傾化を心配するのは問題外。私たちだって、陛下に一日も早く回復していただきたいと思っていますし、アメリカの大統領が同じ状況なら、方法は別として祈ります」と日本が特別ではないことを強調した。

 同じ君主国ベルギーからやって来たエンジニア、ディディエ・ショットさん(27)は「私の国の国王は天皇より若くて元気だが、病気で倒れれば、日本人と同じ気持ちになる。両国とも元首ではなく、象徴だが、皇族を大切にし誇りに思うのは君主国の国民の特権です」とまで言い切った。

 「行列ができていると聞いて見に来たが、素晴らしい光景だ」と手放しなのは、ボストン市の神父、トーマス・パワーズさん(48)。「天皇というと、すぐ戦争を思い起こすアメリカ人もいるが、同時に多くのアメリカ人は自分に厳しい天皇のすぐれた人柄もよく知っている。私も一緒に祈りたい気持ちだ」と、強い共感を示した。

 ブラジル・リオデジャネイロから来日中のリビア・バルボサさん(39)も「日本人が陛下のご健康を心配して、雨の中、こうして集まってくるのを見て、非常に良い印象を持った。日本人は心が優しいんですね。うるわしい限りです」とほめちぎる。


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 昨年末、ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」を購入しました。但し「抄訳版」(新書)です。「新版」はすでに絶版になっているようです。

 「抄訳版」は「新版」から「第一章 爆撃機から見たアメリカの政策」「第四章 伝統的侵略性」を割愛し、再構成されたものです。

 鈴木靖三さんのHPに「新版」の目次と簡単な内容紹介を掲載されています。

 「MRロンリーの独り言」のyy10000さんも「新版」の方を読まれて内容を紹介して下さっています。
07/11/3付:ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』伊藤 延司訳(1995年、メディアファクトリー)
07/11/4付:ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』(伊藤 延司訳)(1)
 以下(8)まであります。ぜひ参考になさって下さい。

 yy10000さん曰く、「ミアーズはべつに日本を擁護することを意図して本書を書いたわけではありません。日本の犯した罪は、じつは欧米列強こそが反省しなければならないものだということを強調するために、日本を実際以上に悪者にしているような印象を受けるところさえあります」。

 私はまだ読んでいる途中ですが(しかも「抄訳版」(T^T))、確かにそんな雰囲気を感じます。

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 昭和天皇が崩御されたのは昭和64年(1989年)1月7日でした。早いもので今年で20年目ですね。あの日、あの時、皆さんはどうされていましたか?

 最後に引用した読売新聞の記事は崩御の前年の昭和63年秋、重体になられた時のものですが、多くの外国人の目には皇居前広場のあの光景はさぞ不思議に映ったことでしょう。日本人でもそう感じた人は若者を中心にたくさんいたと思います。私もその一人でした。

 昭和63年当時、私は24歳。大学を出て最初の就職に失敗し、家電店のバイトで食いつないでいた時期でした。
 皇室には全く興味がありませんでした。だからあの記帳の列の「意味」もよくわかりませんでした。今ならすごく理解できるんですけどね。

 昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日、この日は確か土曜で、朝、テレビの速報で知りました。
 私は土曜も仕事でしたので、普段通り出勤しました。店は開けましたが、店長に「こういう日なので今日は早く店を閉めます」と言われ、普段よりかなり早めに帰宅したことを記憶しています。

 テレビはしばらくの間、NHKも民放も全て昭和天皇を偲ぶ報道特別番組をやっていて、CMもなしという状態でした(Wikipediaで確かめたら、翌8日終日までとのこと。もっと長期間だと思ってました)。

 その間、世間の人はレンタルビデオを見たりしていたようですが、私は飽きもせずにずっと特番を見ていました。
 その時の心情はあまりよく覚えていないんですが、ただ一つ、元号が変わるのを体験するのは生まれて初めてなもんですから、「今、私は歴史の境目にいるんだなぁ」とものすごく感傷的な気持ちでいたことだけはよく覚えています。

 ……というわけで、第5弾につづく……!?



※YouTube動画
臨時ニュース 昭和天皇崩御(NHKニュース)
 この間の抜けたチャイムはいったい……。
Changed at the Heisei era 平成改元の瞬間II(フジテレビ)
 カウントダウン、私、全く記憶にないです。
昭和天皇崩御 〜激動の昭和、終わる〜(大喪の礼までのまとめ)
 何や知らんけど泣けます。
平成(小渕官房長官の発表)
 最初に聞いた時、「何や気の抜けた元号やな」と思ったのは私だけではないはず!?(^_^;

※参考文献
・渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)
・産経新聞朝刊文化面2007年11月18日「すてきなところへ」(43)小泉八雲(上)
・産経新聞朝刊文化面2007年11月25日「すてきなところへ」(44)小泉八雲(下)
パクリ大国 南朝鮮>私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです
神風>外国人から見た"KAMIKAZE">ベルナール・ミロー氏の所感
・ヘレン・ミアーズ著「抄訳版 アメリカの鏡・日本」(角川oneテーマ21)
しゃばだば近代国史帖>世界の識者が見た東京裁判
日本会議>「追悼・感謝・友好−アジア共生の祭典」 が開催 ─ 各界の声
日本財団 図書館>私はこう考える【天皇制について】>1988/09/27 読売新聞朝刊 外国人の見た「祈りの人々」 驚き・称賛・不思議ニッポン/天皇重体

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06/10/8付:【アンケート】「生まれ変わっても日本人になりたい?」結果と全コメント
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