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明治初期の日本を旅したイザベラ・バード「日本紀行」を漫画化!「ふしぎの国のバード」

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「ふしぎの国のバード」1巻 (ビームコミックス)

 明治初期の日本を旅したイギリス人女性、イザベラ・バード。
 その著書「日本紀行」が漫画化されました。
 
 作者は、佐々大河さん。
 漫画誌「ハルタ」に連載中の作品をまとめたもので、現在、3巻まで出版されています。

 原著をご存知の方は、最初、少し戸惑われるかもしれません。
 漫画向けにかなりアレンジされているからです。

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[Amazonの「なか見!検索」より]

 一番目立つのは、主人公イザベラ・バードが実年齢よりとても若く描かれていること。
 バードは1831年(天保2年)10月15日生まれ。
 日本の旅を開始したのは、1878年(明治11年)6月。
 つまり、その時バードは40代後半。
 でも漫画では、どう見ても30歳前後です。
 
 バードはこの年の9月まで、通訳兼ガイドの伊藤鶴吉と北日本を旅しています。
 その伊藤(バードは「イト」と呼ぶ)は1858年1月31日(安政4年12月17日)生まれ。
 ということは、バードより二回り以上も下。
 親子ほど年が離れています。

 ところが漫画ではバードが若く描かれてあるため、伊藤との年齢差はせいぜい10歳ぐらいにしか見えません。
 しかも、この2人、旅を重ねるごとに絆が深まり、あたかも恋が生まれるかのような雰囲気に描かれているシーンもあります。
 わくわくする展開だけど…、ありえない~(^_^;

 あと、伊藤がすごく格好よく描かれています。
 性格はクール、でも内面は優しく、気配りの人。
 甘い物に目がなかったり、意外とお茶目な面もあるし、なんと料理も上手い。
 何だか少女漫画に出てくるキャラみたいです。
 私はすっかり伊藤のファンになってしまいました(≧▽≦)

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[第3巻の帯より]

 漫画ですから脚色やデフォルメは当たり前ですが、見る人によっては「うーん…」かもしれません。
 でも、私は全く許容範囲です(^▽^)

 江戸から明治に移り変わる頃の、日本の文化や庶民の暮らしに興味がある方には特にお勧め。
 何より、この漫画、純粋に物語としても読ませます!

 難しい漢字にはルビが振ってあるので、小学校高学年であれば十分読めると思います。
 ただ、女性の裸がちょくちょく出てくるので(混浴の場面など)、あまり積極的にお勧めはできないかも…(^^ゞ


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[「朝鮮紀行」より。画像クリックで拡大表示]

 実は、イザベラ・バードは日本を旅した後、1894年(明治27年)から朝鮮半島も旅しています。

 その模様を記した「朝鮮紀行~英国婦人の見た李朝末期」は、かつて拙ブログでがっつり紹介したことがあります。

09/8/9付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
09/9/13付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)
09/9/28付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)
09/11/1付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終

 一方、「日本紀行」の方は、「外国人から見た日本と日本人」シリーズで少し紹介しただけ。

 ただ、拙ブログで紹介したその数少ないエピソードの中に、漫画(3巻まで)に登場するものを、2点見つけることができました!

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 江戸平野を旅行中の記述


 翌朝七時にごはんも食べおわり、部屋はまるで泊まり客などだれもいなかったかのように、なにもないがらんとした部屋に戻りました。八〇銭の宿泊料が支払われ、宿の亭主と使用人が口々にサヨナラと言ってひれ伏し、わたしたちは人力車(クルマ)に乗り早足で宿をあとにしました。

 最初の休憩地で、人がよくて親切ながらもとにかく醜いわたしの車夫が苦痛に襲われ、吐きました。粕壁で飲んだ水に当たったのが原因だと車夫は言い、そこに残りました。ありがたいことに向こうから実直に、自分と同じ条件をきっちり守る代わりの車夫を用意すると言い出してくれて、病気だからとチップを要求しませんでした。本当に親切で世話になったので、具合の悪いまま置いていくのはとても悲しいことでした。

 たしかに車夫にすぎないとはいえ、帝国民三四〇〇万人のほんの一粒にすぎないとはいえ、天にまします父なる神にとってはほかに劣らず大切なひとりなのですから。

 「人がよくて親切ながらもとにかく醜いわたしの車夫」と記述されていますが、漫画ではけっこう男前に描かれています(^_^;

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 会津の高田近辺での記述


 馬に乗ったあと、わたしは鞍の突起に掛けてあるケースから望遠鏡を取り出しかけました。すると、例によって野次馬が老いも若きも全速力で逃げまどい、子供など急ぎあわてるおとなに押し倒されています。伊藤(注:通訳)が言うには、みんなわたしがピストルを取り出して脅そうとしていると思ったとのこと。わたしは伊藤にそれがなんであるかを説明してもらいました。というのも、彼らはおとなしくて害がなく、いちいち腹を立てていたら、こちらが真剣に後悔しなければならなくなる、そんな人々なのです。

 ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。でもここではただの一度として不作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです。それに野次馬が集まったとしても、不作法ではありません。

 馬子(マゴ)はわたしが濡れたり怖い思いをしたりしないかと気を遣い、旅の終わりには革ひもやゆるんだ荷がすべて無事かどうかを几帳面に確かめてくれます。そして心づけを当てにしてうろうろしたり、茶屋でおしゃべりをするために休憩したりなどせず、さっさと馬から荷を下ろすと、運送業者から伝票を受け取って帰っていきます。ついきのうも革ひもが一本なくなり、もう日は暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して革ひもを探してくれたうえ、わたしが渡したかった何銭かを、旅の終わりにはなにもかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だからと、受け取ろうとはしませんでした。

 この馬子が「チップ」を受け取らなかったという話も、感動的に描かれています。


 以下は漫画には出てきませんが、もしかしたら今後出てくるかもしれません。
 いちおうご紹介。

 ※「日本奥地紀行」は、「日本紀行」のいくつかの箇所を省略した普及版です。

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 吹上御苑を散歩した際の記述


 女性は男性とは決していっしょに歩きませんが、女性同士や子供連れで歩くことはします。それに赤ちゃんを「おんぶ」して歩くことはよくあります。男性も子供を連れて歩いたり抱いたりはするものの、家族そろっての集団というのはありません。女性は頭になにもかぶりませんが、その顔にはやさしい節度と女らしさがあり、そこがいいのです。だれもが楽しそうですが、浮かれ騒ぐところはまったくなく、おとなしくて丁重な態度は土曜日の午後家にいる人々の態度と著しい対比を示しています。人込みのなかでは行儀よくするという頼もしい習慣があるにちがいありません。というのも吹上御苑に警官はひとりもいなかったのですから。しかも東京にはほぼ六〇〇〇人の警官がいて、この庭園に配置する人員に不足しているはずはないのです。

 この町に外国人は多いのに、わたしたちはおもしろいもの、あるいはめずらしいものとしてじろじろ見られました。ハリー卿*1がたいへん快活に外交経験のなにがしかを回想しているあいだに、わたしたちのまわりにはひとりでに野次馬が集まり、口を開けて黒く染めた歯をのぞかせ、とても黒い目でぽかんとわたしたちを見つめました。でもそれがあまりに丁重なので、見つめられているという気はしませんでした。

*1 ハリー・パークス。幕末期の英国外交官。薩摩藩・長州藩を支援。英仏米蘭の連合艦隊を兵庫沖に派遣し威圧的に幕府と交渉、条約における税率の改正、兵庫開港を実現させるなど、巧みな外交手腕を見せた。 1868年の戊辰戦争では中立を保ち、江戸開城にも関与、他の列強諸国が日本に介入することを防止する役目も果たした。明治維新後は日本の近代化と日英交流に貢献。大河ドラマ「篤姫」にも登場した。

 ハリー・パークスは、バードの「旅行免状」(外国人が日本国内を旅行するために必要な「パスポート」)の手配に骨を折ってくれるという形で、漫画に登場します。

「日本奥地紀行」より

 ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。

 群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くことのないように絶えず気をつかい、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。

(中略)私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。日本では孝行が何ものにも優先する美徳である。何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが、子どもを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。

 私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問が出たときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。

「日本奥地紀行」より
 山形の手ノ子という村の駅舎での話


 家の女たちは私が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、まるまる一時間も私を煽いでくれた。代金を尋ねるといらないと言い、何も受けとろうとしなかった。……それだけではなく、彼女らは一包みのお菓子を差し出し、主人は扇に自分の名を書いて、私が受けとるよう言ってきかなかった。私は英国製のピンをいくつかしか彼らにやれないのが悲しかった。……私は彼らに、日本のことをおぼえているかぎりあなたたちを忘れることはないと心から告げて、彼らの親切にひどく心うたれながら出発した。

「日本奥地紀行」より
 明治11年、京都を訪れるのに神戸から三等車に乗った時の出来事(邦訳本では省略)


 …というのは“庶民”がどんな風に振舞うか、とても見たかったからだ。座席の区切りは肩までしかなくて、もっとも貧しい階層の日本人ですぐ満員になった。旅は三時間続いたが、人びとのおたがいと私たちに対する慇懃さと、彼らの振舞い全体に私は飽きもせず目を見張った。美しかった。とても育ちがよく親切だった。英国の大きな港町の近傍でたぶん見かけるだろうものと、何という違いだろう。日本人はアメリカ人のように、きちんとした清潔な衣服を身につけることで、自分自身とまわりの人びとへの尊重の念を現すのだ。老人と目の見えぬ者へのいたわりは、旅の間とてもはっきりと目についた。われわれの一番上品な振舞いだって、優雅さと親切という点では彼らにかないはしない。

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 来日時、江戸湾を北上中の記述


 甲板じゅうで歓声があがっていたものの、わたしにはずっと探しても富士山が見えなかったのですが、ふと陸ではなく空を見上げると、予想していたよりはるか高いところに、てっぺんを切った純白の巨大な円錐が見えました。海抜一万三〇八〇フィート[約三九八七メートル]のこの山はとても淡いブルーの空を背に、海面の高さからとても青白い、光り輝くカーブを描いてそびえ立ち、その麓(ふもと)も中腹も淡いグレーのもやにかすんでいます。それはすばらしい幻想のような眺めで、いかにも幻想らしくまもなく消えてしまいました。やはり円錐形の雪山であるトリスタン・ダクーナ山はべつとして、これほどその高さと威容を損なうものが付近にも遠くにもなにひとつない、孤高の山は見たことがありません。日本人にとっては聖なる山であり、飽くことなく芸術作品の題材とするほど大切にしているのもふしぎはありません。最初目にしたとき、この山はほぼ五〇マイル[約八〇キロ]のところにありました。

 空気も海も動きがなく、もやは静止し、薄墨色の雲が青みがかった空にゆったりと浮かび、水面に映った漁船の白帆はほとんど揺れもしません。なにもかもが淡くかすかで青白く、わたしたちの船が乱れ狂う泡を残してどかどかと騒々しく進んでいくのは、眠れる東洋に乱暴に侵入するようなものでした。

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 横浜での記述


 「政府はアジア的、専制的にして偶像崇拝的だ」というグリフィス教授[福井藩の招聘で一八七〇年に来日したウィリアム・E・グリフィス?]の見解からはじめるのは、たぶん賢明ではないでしょう。わたしの受けた第一印象は、この国はよく統治されているというものです。上陸したとたん、サンパンや人力車の料金表、掲示板の公告文、きちんとした警察官、乗り物の提灯、外国貨幣の拒絶、郵便規則などなど、「規則」に出会うのですから。それにこれも言わなければならないでしょうか。ぼられることがまるでないのです!

「イザベラ・バードの日本紀行(下)」より

 日本人の性格で評価すべき二点は、死者に対して敬意をいだいている点と、あらゆることに気を配って墓地を美しく魅力的なものにする点である。東京の墓地の美しさは京都のそれには及ばないとはいえ、多くある墓地はどれもみな手入れが行き届いている。

 また歴代将軍が「栄光のなかに眠っている」芝や上野の豪奢な廟から肉体労働者の遺骨の眠るつつましい墓に至るまで、死と生のあいだには厳格な差異はなく、「すべての生者に約束された家」はきちんとして、装飾が施され、そこに眠る者が生前占めていた地位に適ったものとなっている。

「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
 日光、入町での記述


 午前七時には太鼓が鳴り、子供たちを学校に集めます。校舎はイギリスならどの教育委員会をも辱めないものです。西洋化しすぎているとわたしは思いましたが、子供たちは現地式に床に座るのではなく、椅子に腰をかけて机に向い、とても居心地が悪そうです。学校の設備は非常によく、壁には上等の地図が掛かっています。教師は二五歳くらいの男性で、黒板を自在に使ってどんどん生徒に質問していました。イギリスと同じように、いちばんいい答えを返した生徒はクラスの首席に移動します。

 服従は日本の社会秩序の基本で、家庭で絶対服従に慣れている子供たちが相手なので、教師はなんの苦もなく生徒を静かにさせたり、自分のほうに注目させたり、言うことを聞かせたりできます。教科書を懸命に読んでいる子供たちの大人びた顔には、痛々しいまでの熱意があります。外国人が教室に入ってくるというめったにないできごとがあっても、生徒たちはよそ見などするものではありません。

 年少の生徒は主に実物教育で学び、年かさの生徒は地理や歴史の教科書を声を出して読む練習をします。漢字もかなも甲高くてひどく耳障りな調子で読みます。ほかに算術と自然科学分野の初歩も習います。子供たちが朗読している詩歌は、わたしの理解したところでは、簡単な五十音図となっていました。訳すとつぎのようになります。

「色と香は消えてしまう。
 この世にずっと残るものがあるだろうか。
 きょうという日は無の底に消えてしまう。
 束の間の夢のようなものにすぎず、わずかな苦しか生じさせない」
[色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず]

「イザベラ・バードの日本紀行(下)」より
 宣教師の妻であるギューリック夫人と奈良の長谷寺を訪れた際の記述


 あまりに不意のことで、外国人のよく旅する道からはあまりに外れた場所でもあったのですが、わたしたちはそうとは知らないまま、日本で最も知られ、詩歌や絵画で讃美されている名所のひとつ、多くの巡礼地でも最も人気のある場所のひとつに来ていたのでした。

 美しい長谷寺!十一月の雨の降るそのえもいわれぬすばらしさは決して忘れないでしょう。わたしたちは跳ねを飛ばしながら泥と水をかき分けて進み、山を登り、寺院を見て、空腹や濡れた服のことを忘れ、しばらく留まりました。

 というのもこの壮麗な谷において、自然はその最善を尽くし、遠い島の美を真似ているのです。轟音をあげる山川(やまがわ)[訳者注:初瀬川のことか]が泡立つ広い流れとなって走る裂け目をのぞきこみ、また楓で燃えるような対岸の険しい山を眺め、わたしたちは同時に叫びました。「ハワイの渓谷にそっくり!」と。


 「ふしぎの国のバード」第3巻に、小さな冊子が折り込まれていました。

 そこには、作者の佐々大河さんと、同じ漫画誌「ハルタ」で「乙嫁語り」という作品を発表している森薫さんの対談が載っています。

 佐々さんの歴史観が現れていると思うので、少し紹介しますね。
 佐々さんはこんなお話をされています。

「僕はとても、文明が滅びる、みたいなことに興味があって。あくまでも僕だけの歴史観なのですけど。文明が滅びる、なんて言葉は、強すぎるかもしれませんが、近代に入って明治維新の時に、一度江戸時代の国が滅んでから、明治日本という新しい国が出来た。ある意味で滅んだみたいな見方をしていて」

 漫画は「日本紀行」のたくさんのエピソードから選択して描かれていますが、佐々大河さんが、どういう基準で選択したのかというのは、こうです。

「そもそも、明治に変わる前の、江戸の生活は、現代の我々の目から見ると外国のようでおもしろいと思って、そういうエピソードを選んで描きました」

 そのうえで、こう続けておられます。

「でも、文明が滅んで『変わる』ことを描くならば、前だけでなく、変わる途中も、変わったことも描くべきなのかも、と最近考えるようになりました」

 そして、佐々大河さんは、冊子の表紙にこのような言葉を添えておられます。

「日本人だからといって、日本を知っているわけではない。外国人だからといって、日本がわからぬわけでもない。わたしたちの祖父母の、そのまた親たちがどのように暮らし、何を考えて生きていたのか、それを知ることは、今のわたしたちを知ることである

 ほんとそうですよね。

 あえて付け加えると、「わたしたちの孫の、そのまた子供たち」に恥ずかしくない生き方を、「今のわたしたち」も心がけていきたいなぁ、なんて。

 あ、私は子供はいないので、「孫やそのまた子供たちの“世代”」ってことになるけど(^^ゞ


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【一覧】外国人から見た日本と日本人



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