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【現代文】GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態

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2月22日は竹島の日。今年は韓国による不法占拠から64年目。
ブログやSNSをされている皆様、「竹島プロジェクト」にご協力を。
参加表明くださった方は記事内にリンクを貼らせていただきます。

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 『南京事件』否定本をめぐり、アパホテルが中国当局から圧力をかけられています。

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[1月25日 読売テレビ「ミヤネ屋」より]

 ただ、幸い、アパホテルには日本国民から多くの声援が送られています。
 メディアも、言論の自由という観点から、アパホテルの立場に理解を示しているところが多いようです。
 
(例)
 1月19日 読売テレビ「ミヤネ屋」
 1月25日 読売テレビ「ミヤネ屋」
 1月25日 関西テレビ「ワンダー」

 良い機会かもしれないので、今日は、2009年8月にUPした「GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態」を現代文に直したものを再掲します。

 「敗走千里」は日本で昭和13年3月20日に発行されました。
 戦後、GHQが没収宣伝用刊行物に指定した7,769点のうちの1冊です。

 著者は支那人の青年です。
 小説ではあるものの、支那事変や、当時の支那軍の実態を知ることができる貴重な資料です。

 2009年当時、私はこれを原文のまま紹介するか、それとも現代文に直すか、実はけっこう悩みました。

 これまでに数通、「読みづらいので現代文にしてほしい」旨のメールをいただいていましたが、今日まで放置していました…ごめんなさい(^^ゞ

 漢字も難しすぎるものや、今はほとんど使わないものは仮名にするなどしています。
 中学生ぐらいの方でもすんなり読めるように。
 (とはいえ、中学生にはやや「エゲツナイ」描写も…?)

 「塹壕」「将領」など、お若い方にはやや難しいと思われる用語にも、新たに注釈を加えています。

 私のツッコミや雑感に関しては、基本的に2009年のままです。

 ではどうぞ。

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 拙エントリー7/19付:GHQ焚書より 拉致され兵隊にされた中国人青年の体験で紹介したGHQ焚書の「敗走千里」を古書店で購入、読了しました。

 上記エントリーでは「支那事変(日中戦争)が起きて間もない中国での中国人による実体験記」と書いたのですが、実際に読んでみますとノンフィクションを元にしたフィクションというか、実体験をもとに脚色された小説という感じです。

 今日はこの「敗走千里」から引用を交えつつ内容を紹介したいと思いますが、その前に、著者の経歴及び出版に至るまでの経緯をざっと説明します。

 著者は陳登元氏という中国人です。
 お父さんが親日家で、彼自身も14~5歳の頃に日本に留学し、日本語の先生である別院一郎氏に出会います。

 陳氏は中学から大学へと順調に進み、昭和13年の春には大学を卒業する予定でしたが、昭和12年に日支事変(支那事変)が勃発。
 故郷が心配になった彼はその年の8月、一旦帰国します。
 が、それきり何か月経っても帰って来ず、別院氏は心配します。

 そしたら昭和13年1月になって、別院氏のもとに陳氏から一通の手紙とともにどっさりと原稿が届きます。
 手紙によると、何と陳氏は実家にいたところを「強制徴募」により兵隊にとられてしまい、江南の戦線に送られたとのこと。
 そして砲煙弾雨の中の生活を送ること2カ月、重傷を負い病院に収容されたと。
 幸いにも快癒に向かい退院できるところまでこぎつけたので、病院を脱出したと。まごまごしていたら、また戦線に送られるからです。

 その後の経緯はよく分かりませんが、ともかく陳氏は上海にたどり着き、そこで原稿を書き上げたのです。陳氏の手紙の一節にはこうあったそうです。

 「僕は書きました。僕の経験し、見聞せる範囲内に於いての殆ど残らずを書きました。別送の原稿、お忙しくはありませうが一つ読んで下さいませんか。戦争とはこんなものです。僕は神の如き冷静さを以つて、純然たる第三者の立場から、凡(すべ)てを客観し、描写しました

 原稿を読んだ別院氏は「これは出版の価値、大あり」と判断します。
 陳氏の希望に沿って、別院氏は骨子を損ねない範囲で文章を修正し(日本語のおかしな箇所を訂正したり、中国の軍隊用語を日本の読者に理解しやすい用語に変更するなどし)、「敗走千里」は昭和13年3月20日、初版発行に至りました。

 陳氏による前書き(別院氏に送った手紙の一節)及び別院氏による後書きを文字起こしして下さっている方がいますので、詳細は以下を御覧下さい。
 ※残念ながらリンク先は削除済み(2017.1)。
『敗走千里』陳登元著 別院一郎譚 自序魚拓
『敗走千里』陳登元著 別院一郎譚 後序魚拓


 ちなみに初版は4800部。その後非常に短い期間で版を重ね、私が入手したのは昭和13年6月15日12版です。西尾幹二氏によれば、約3万5000部売れたとのことです。
 定価は当時で1円40銭。但し、横に小さく「満州、朝鮮、台湾、樺太等の外地定価1円54銭」と記してあります。うーん、何かしみじみ来るなぁ(T^T)

 ――では、「敗走千里」の内容紹介に入ります。
 主人公はもちろん陳登元氏当人なのですが、著書の中では陳子明(チェンツミン)という名前に変更されています。

※青い文字が「敗走千里」からの引用箇所です。
※緑の文字が「敗走千里」からの引用箇所=現代文に変更済み=です(2017.1)。
※できるだけ原文に忠実に入力しましたが、旧漢字でパソコンでは出ないものは新漢字に直してあります(参考資料:新漢字・旧漢字対照表
※新漢字でも読みが難しそうなものはこちらの判断でフリガナをつけました。
※用語解説は基本的にWikipediaを参照しました。
 
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 物語は塹壕(ざんごう=戦争で歩兵が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴または溝)から始まります。
 前出エントリーで紹介した「斥候」の話が2ページ目にして早くも登場します。

 この戦争の初め頃は、誰も今ほどこの斥候*1に出るのを嫌がりはしなかった。嫌がるどころか、古くから兵隊をやっている者どもはそのほとんど全部が、その斥候を志願したのだった。この分隊から下士斥候が出るという時など、それの参加志願者で押すな押すなの騒ぎだった。
 「分隊長殿、今度はわしをつれてって下さい」
 「馬鹿! お前はこの前の時に行ったじゃないか。今度は俺だ。」
 そんな始末だから、洪傑(ホンチェ)*2としても斥候の人選に困るようなことはなかった。たくさんの志願者の中から気に入りの者だけを抜き出せばいいわけだった。
 下士斥候はたいがいの場合、五名か六名だ。それが揃っていざ出発という場合、彼らはにやりと何か意味ありげな微笑を交わす。陳子明(チェンツミン)のごとき、わずか一ヶ月ほど前から強制徴募されて来た新兵には、その微笑が何を意味するものか、初めは全然判らなかった。
 が、二時間ほどして、意気揚々と帰って来た彼らを見て、新兵たちは初めて、彼らが何故にあの危険極まる斥候を志願するかが解った。彼らは実におびただしい種々雑多な戦利品をぶら下げているのである。主に、時計とか指輪、耳飾り……といったような、小さくて金目のものだが、中には、重いほどそのポケットを銀貨でふくらまして来るものがある。
 ある一人の兵が持っていた耳飾りのごとき、現に、たった今まである女の耳にぶら下っていたものを無理に引きちぎって来たからだろう、血痕がにじんでさえいた。しかもその兵の、無智、暴戻(ぼうれい)、殘虐を象徴するかのごとき、ひしゃげた大きな鼻、厚く突き出た大きな唇、鈍感らしい黄色く濁った眼……その眼が何ものをか追想するようににたりにたりと笑い、厚い大きな下唇をなめずり回している顔を見ていると、陳子明の胸には、何かしら惻々(そくそく)とした哀愁が浮んで来てならなかった。あの血痕の滲んだ耳飾りと関連して、何かしら悲惨なことが行われたような気がしてならないのだった。
 斥候に行った連中は、お互いに何か探り合うような視線を交して囁き合っている。
 「おい、張開元(チャンカイユェン)! 貴様それだけか?」
 ポケツトをざくざく銀貨で言わしている男が言った。
 「うん、これだけよ……でもなァ、よかったぞう」
 唇の厚い男は、舌をなめずりなめずり、淫(みだ)りがましい笑いを黄色く濁った眼に浮かべながら、大きな掌の上で翡翠(ひすい)の耳飾りをいじり回している。
 「貴様ァ、相変わらず女一方なんだな」銀貨の男は、相手を軽蔑しながらも、やはり、張開元の自由にした女に気を惹かれているらしい。「で、その女は好かったか? 幾つぐらいなんだい?」
 「二十ぐらいかな……そりゃ好い女よ」
 「ふーむ、そんな女が今時分まだこんなところにまごまごしてるのかな……で、そりゃ、どの家だい?」
 「そこの橋を渡ってよ、クリーク*3について左に行って……」と言いかけて、張開元は急に警戒し出した。「でもな、その女はもういないよ、南京に行くと言ったから…」
 銀貨の男は、そう言う張開元の眼をじっと見つめていたが、やがて、はっとしたように
 「おめえ、まさか、やっちまやしめえな」と言って、ぎゅっと、銃劍で何かを突き刺す真似をした。
 「ううん、もったいねえ、そんな馬鹿なことするもんか」張開元は慌てて弁解した。「俺はただ、この耳飾りを貰って来ただけよ」
 「ふむ、そんならいいけど……それで、家はどこだい、何か商売している家か」
 「そんなこと、覚えちゃいねえ、滅茶苦茶に飛び込んだ家だからな……そいで、その女、年寄りの婆さんと、地下室に縮こまっていたのよ、婆さん、脚が悪くて、歩けねえらしいんだ」
 張開元は、そう言ってなかなか女のいる家を教えなかった。何か自分の所有物をでも他人の目から匿(かくま)うような態度だった。
 「ふん、俺ァ女なんかどうでもいいんだ」銀貨の男は、ポケットの銀貨をざくざく言わせながら張開元の前から去った。
 陳子明はすべてを見た。そして、聞いた。彼は、これだけで戦争なるもの、更に軍隊なるものの本質を殘らず把握したように思った。戦争なるものが一つの掠奪(りゃくだつ)商売であり、軍隊なるものはその最もよく訓練された匪賊(ひぞく)*4であるということである。(p.3-7)


*1 斥候=本隊の移動に先駆けてその前衛に配置され、進行方面の状況を偵察しつつ敵を警戒する任務をいう。
*2 洪傑(ホンチェ)=分隊長の名前。位は軍曹。
*3 クリーク=排水や灌漑 (かんがい) ・交通などのために掘られた小運河。
*4 匪賊=「集団をなして、掠奪(略奪)・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。近代中国の匪賊についてはこちら参照。

 これが当時の駐屯地における支那軍の実態です。中国は戦後、こういった掠奪や暴行や強姦は全部日本軍がやったことにしていますが(-.-#)

 さて、陳子明のいる塹壕に日本軍の空襲がありました。兵隊らは飛行機に向かって当りもしないのに銃を撃ちまくります。
 なぜ無駄弾と分かっていて撃つのか?実は、支給されているだけの弾丸を早く消費してしまわないと、いつまで経っても後方へ退いて休養することが出来なかったからです。(p.25)

 その後、陳子明は初めての斥候(5人1組)に出されます。日本軍に見つかって数発撃たれますが、幸い弾は当たらず事なきを得、味方の塹壕へ戻ることが出来ました。(p.29-30)
 
 もぐらの生活もかなり久しく続いたものである。みんなもう飽き飽きしていた。この塹壕で生活する何の興味も刺激もなくなったのである。
 皆が皆、もうどこへ行っても掠奪する何物もないことをこぼしているのである。女はもちろんのこと、今はもう、穴倉の隅から隅まで嗅ぎ回っても、一滴の酒を得ることさえ出来ないのである。
 「もっと、どうにかしたところへ移らなけりゃ駄目だ!」
 「同じ移るなら大きな町でなけりゃ駄目だ。ここら近辺じゃ、もうどこへ行っても同じことだろう」
 彼らは寄ると触ると、そんなことを囁き合っていた。
 それも無理はない。彼らのみんなは、つい最近まで奥地にいたある将領*4-1の私兵に過ぎなかったのだから。戦争を一つの商売と心得、一戦争終った後の掠奪を唯一の報酬と心得ている彼らに取って、掠奪する何物もないということは、それこそ生活の虚無を意味していた。一人の女をさえ見ることの出来ないということは、砂漠の牢獄に他ならなかった。(p.38-39)


*4-1 将領=軍を指揮する人。大将。将軍。

 掠奪は唯一の報酬であると。日本軍とは根本から違ってますよね。

 その後、塹壕に司令部付きの若い将校&彼と腕を組んだ若い女性がやって来ます。
 彼女は「皆さん、しっかりやって下さい。妾(わらわ=一人称)たちは今、皆さんの労苦を慰めるため、妾たちの一切を捧げようとして、この5キロほど後方の村落にいます」と兵らを前に一演説ぶちます。
 婦女慰労隊(将校らの情婦的存在で売春婦とはまた違うようです)のリーダー的存在、李芙蓉(リーフヨー)です。ま、この物語のいちおうヒロインと思っていただければよいかと。

 それを見た張開元(斥候に出た時に女性を強姦し耳飾りを引きちぎってきた男)は「あいつ、一切のものを捧げるって言ってたぜ。俺、あんな奴を抱いてみてえ……」と舌なめずりをし、また周囲からも「うっふっふ……」という嫌らしい笑いの波が起こります。ヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!! 女性の私はこのくだりを読んで、マジで背筋が寒くなりました。(p.42-44)

 さて、陳子明と同じ「強制徴募」で引っ張られてきた兵隊はもちろん他にもいます。陳子明は自分よりやや遅れて「強制徴募」された新兵の孫成有(スンチヨンニュー)と出会いますが、彼は陳子明と同郷でした。(p.65)

 陳子明は自分が「強制徴募」された時のことを回想します。

 陳子明が日本から実家(綿布を扱っている商家)に戻っていることが、何者かの密告により軍に知られるところとなります。
 募兵官が町に姿を現わし、人狩りを始めたことを聞いて、陳子明は実家の地下室(匪賊に備えて作られたもの)に妹とともに隠れます。(;゚д゚)ゴクリ…
 妹は、乱暴な兵士らの目に触れたらどんな目に遭わされるかわからないため、父母が気を利かせて隠したのでした。

 探しあぐねた兵士らは、店先に縛ってある父母を激しく責め立てます。「これ以上息子を庇うなら群衆に命じて掠奪させるぞ。お前たちを銃殺にするぞ」と。Σ(゚Д゚;エーッ!
 その時、野次馬の一人(近所の事情を知る者らしい)が地下室があると兵士らに言い、ついに陳は発見されてしまいました。ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
 連行された陳は兵営内の牢獄のような所に放り込まれます。

 やがて銃殺に処せられるという立場の陳子明でしたが、ある士官に救われます。
 それは同郷の王祥謙(ワンシャンシェン)上尉。2年ほど前、王祥謙は日本の士官学校を卒業したのですが、その時は陳も東京にいて、同郷人会で催された王の帰国を見送る送別会に出席していたのです。陳が彼と会ったのは、これまでその一度きりでした。(p.81-84)

 陳子明と再会した王祥謙は、彼にこのようなことを語ります。

 「僕は、あの送別会の時言ったろう。中国は今は世界各国の半植民地になっている。どうしても彼らの巣食うている勢力を追っ払わなければならない。わけても日本の重圧は甚(はなは)だしい。第一番にやっつけなければならないのは日本だ――と」(p.87)

 中国は現在、まるで日本だけが「侵略者」だったかのように言っていますが、もちろん実際はそんなことはありませんでした。

 ちなみに王祥謙の送別会については「日本の官憲の監視下における会合である以上、あまり激越なことは言えるものではなく、それが精一杯だった」と記述されています。
 が、陳子明によれば、王祥謙はその送別会で他にこのようなことも言っています。

 「中国は軍事、科学、文化、あらゆる角度から見て日本より一足遅れている。だが、それが同じ水準に達した時、日本は決して我が中国の敵ではあり得ない」
 「国土、資源、人口の優越する中国は、必ず日本を倒すことができる」
 「打倒日本の声は今や中国全土に起こっている」

 官憲の監視下にあったわりには、けっこう過激なことを言ってるように私には見えるんですが(^_^;

 王祥謙はさらに続けます。

 「幸いにして、中国は今や欧米諸外国の同情を得ている。彼らをうまく誘導することによって我々はやがて、自分たちは手をこまねいていて、欧米諸国と日本とを戦わせるのだ。彼らはいずれも野獣に過ぎない。彼らは、我が中国を独占しようと思っていずれかが斃(たお)れるまで闘うだろう。それが野獣の本性だ。そして今はそこへ行くまでの過程にあるのだ。もうしばらくの辛抱だ」(p.87)

 ここのくだり、すごく核心突いてますよね。情報戦に弱かった当時の日本は(今も弱いけど)、中国の欧米向けプロパガンダにすっかりやられてしまいましたから(T^T)
 しかも日本だけでなく欧米諸国も「野獣」であると。このあたりの記述はGHQの心証を悪くしたかも?

 さて、陳子明は王祥謙に「兵卒として戦場に行けば銃殺刑は避けられる」と説得され、結局それに従うことにします。
 陳は彼の部屋を出るとすぐに軍服に着せ替えられ、それから1カ月間、猛烈な軍事教育を叩き込まれたのでした。そして彼は王祥謙が指揮する「第十中隊」に配属されます。

 ちなみに後日、王祥謙の骨折りで戦線に向かって出発する前に陳子明が父親にだけ会うことが許された際、父親から聞いて判明したことがあります。
 実は、父親は連行されていった自分を救うために、一万元近い金を要路の人にばらまいていたのです。そのお金は無論、王祥謙の懐にも多少は入っているだろうということも……。中国の賄賂社会は今も昔も変わらずのようです。(p.95)

 さて、「強制徴募」の回想が終わり、話はまた戦場(塹壕)へ。

 陳子明は王祥謙から大変なことを聞きます。
 陳のような日本への留学経験者だけでなく、事業に携わっていた日本からの帰国者が50何人か、漢奸(かんかん)*5の名で銃殺されたと。しかも何の証拠もなく、ただ日本にいたというだけで……。王は陳に「お互いに気をつけよう」と言います。(p.89)

 さらに王祥謙によれば、●勲(ホウシュイン。●=广+龍)中尉は「救国抗日団」の回し者で、「彼にはなるべく近寄るな。下手をすると、漢奸の名でやられるぞ」とも。(p.109)
 
*5 漢奸(かんかん)=本来漢民族の裏切者・背叛者のことを表す。日中戦争中及び戦争終結後には日本への協力の有無に関わらず、日本について「よく知っている」だけの中国人でも「漢奸」として直ちに処刑されたり、裁判にかけられた。また日本に協力する者であれば漢民族でなくても「漢奸」と呼称した。

 この後、李芙蓉が再登場します。●勲中尉の愛人としてです。
 王祥謙上尉と●勲中尉はもともとしっくり行っていなかった上に、李芙蓉の登場で、彼女をめぐりさらに反目し合うことになります。
 この李芙蓉という人は美しく、しかも聡明で度胸もある人ですから無理もないのかもしれません。

 ついでに張開元もしつこく李芙蓉を狙いますが、彼女の「手を握った」ことにより(本人がそう主張しているだけで、陳は「あの張が手を握っただけだって?」と疑問を呈している)、兵隊や慰労隊の女たちにボコボコにされてしまいます。(p.115-117)

 張開元のこの事件がおそらくは引き金となり、張や陳子明が所属する王祥謙の中隊に対し、直ちに前線に出動せよと連隊長から命令が下ります。これはほとんど「死」を意味します。
 王祥謙は●勲の密告と捏造が原因だと断定し、「自分の死ぬ前に●勲をやっつけてやろう」と決意を固めます。

 たとえ密告がなかったとしても、欧米派の●勲と知日派の王祥謙との対立はいかんともしがたいものでした。そう、●勲はアメリカ士官学校の卒業生なのです。
 さらには●勲が中央政府からの留学生だったのに対して、王祥謙は彼の郷里を支配する軍閥からの留学生でした。(p.123)

 大激戦を前にして、陳子明は明確に「脱走」を考え始めます。
 分隊長の洪傑は陳はじめ部下らに「助かるいい策戦があるんだけど」と意気込んだ調子で言います。その策戦とは――。

 「それは、敵に気付かれないように、ここの戦線をそっと引き揚げるんだ。そして、奥地の山岳地帯に敵を誘い込んで、ここに現われたかと思うと彼方に現れ、かしこに現れたかと思うとこなたに現れ、敵を奔命(ほんめい=忙しく活動すること)に疲らせるんだ。そして、俺たちは全部、便衣*6になるんだ。そしていよいよ追い詰められた時には、百姓となってごまかしてもいいし、商人になってもいい、とにかく良民に化けて敵の眼から逃れる工夫をするんだ」(p.130)

*6 便衣=中国語で「平服」を意味する。一般市民と同じ私服・民族服などを着用した中国兵士を「便衣兵」と言う。特に1937年の南京陥落の際、中国国民党の兵士が便衣に着替えて逃亡したことは有名。

 便衣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!

 が、その直後に戦闘が始まり、彼等はもはや逃げるだの何だの言っていられない状態に。
 王祥謙上尉は督戦隊*7の攻撃により腕を負傷します。この戦闘で第十中隊は総員159名のうち16名が犠牲になります。(p.132-143)

*7 督戦隊=自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却或いは降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のこと。有名な所では支那事変における中国軍の督戦隊である。これが暗躍したため中国軍に多数の死者が出た。南京攻略戦時にも暗躍し、これによる死者が「南京事件」の死者に数えられているという指摘もある。

 新しい塹壕へ移動しての生活が始まりますが、敷き藁すらないということで、農家へ「徴発」に行くことになります。
 徴発志願兵の中には陳子明の姿もありました。「神様が逃亡の好い機会を与えて下さるかも知れない」と考えたのです。しかし、そこで容易く変装用具の便衣が手に入るかどうか……と思案します。

 「徴発」に向かう途中、陳は仲間の金阿貴とこのような会話を交わします。

 「陳さん、東洋軍*8に捕まったら俺たちどうなるだろう?」
 彼のそばにすり寄つて来た一人の兵が、そう小声で呟いた。金だった。
 「さァ……捕虜だね、捕虜は……多分、戦争の終わるまでどこかに監禁して置くだろうな」
 「殺さないかね?」
 「殺しやしないだらう」
 「でも、いつか、俺聞いたけど、東洋軍は片っ端から捕虜を殺すって……よ」
 そう言われると、彼にもはっきりしたことは解らない。が、彼は十年も東京に留学して、たいてい日本人というものを知っているつもりである。彼の知っている日本人は、殊(こと)に、日露戦争に関する書物など読んだところでは、日本軍は露西亜(ロシア)の捕虜を殺すどころか、非常に丁重に取り扱っている。捕虜のくせに、日本娘と恋愛に陥って、事変後結婚したというロマンスまで伝えられている。それほど、日本軍は敵国軍に対して寛大だったのだ。*9(p.144)


*8 東洋軍=日本軍のこと。
*9 日露戦争における日本側による捕虜の厚遇=バルチック艦隊の戦艦「オリョール号」の水兵ノビコフ・ブリボイの名作『ツシマ』(邦訳『バルチック艦隊の潰滅』上脇進訳)にも詳しい。プリボイはやがて熊本の収容所に入れられ、そこの通訳の妹と親しくなったりしたようだが、ほかにもロシア人捕虜と親しくなったり、結婚した例もある(吹浦忠正氏の新・徒然草参照)。

 日本軍を誉めたこの記述は、GHQにとっては都合が悪いでしょうね。

 さて、洪傑軍曹をリーダーとし「徴発」に向かった一行ですが、どこの家も留守で(この近辺が戦場になったと知り避難したらしい)堅く釘付けになっています。
 本来の目的である藁は庭先に大量に積まれていたので、それだけ持って帰ればいいところなんですが、一行は「掠奪」も目的としていますので、家の戸をこじ開け始めます。当然、誰も止める者はいません。
 「給料の満足に支給されない支那の兵隊にとっては、掠奪が依然として給料であり、兵士となるための奨励賞である」からです。

 陳子明はこの時「逃げる」チャンスはあったのですが、残念ながら便衣を見つけることができず、逃亡はあきらめ、部隊のいる塹壕に戻ります。(p.144-151)

 陳は逃亡を考えながらも、王祥謙上尉の怪我が気に掛かります。王に代わって●勲中尉をやっつけてやろうということも考えます。
 王には命を救ってもらった恩義があるし、●勲を亡き者にすれば、自分たちの中隊が激しい戦場に出される機会も薄くなると考えたからです。

 その後、また日本軍の攻撃が始まります。

 一旦攻撃が止んだ後、金阿貴は陳子明に脱走しようと誘います。
 が、金は陳がまだ便衣を用意をしていないと知って愕然。「洪傑や他の奴らも、徴発の時に便衣を失敬してきたのに……」と。
 陳は拝み倒して、金に便衣を見つけて来てくれるよう頼み、逃走を2~3日待って貰うことになります。

 ところがその晩、「午前0時に夜襲を決行せよ」と上から命令が。
 陳はこの時は監視哨だったため戦闘に参加せずにすみましたが、この戦闘は非常に激しいもので、帰還できた兵士は半分でした。同郷で親しかった孫成有は戦死、頼りの金阿貴も重傷を負ってしまいます。(p.156-166)

 やがて、中隊長の王祥謙上尉が戦線に復帰します。

 王祥謙は怪我を負ってからこれまでのことを陳に話します。王は軍法会議に引っ張り出され、第一線放棄の罪をみんな自分になすりつけようとしたと憤慨します。もちろん潔白が証明されたから、復帰できたのですが。
 王はここでも「●勲には用心しろ」と言います。(p.167-180)

 さて、物語はここでやや唐突に、陳子明が所属する第十中隊についての説明がなされます。

 第十中隊の幹部を構成する士官たちの内、王を除く五人の中少尉たちはいずれも南京の軍官学校出身者だった。彼等はなまじっか海外を見て来ないし、それに学校では何事につけ、中国第一主義の教育を叩き込まれて来たので、非常に鼻張りの強い自信家ばかりだった。
 中国は世界一国土が広いんだ――
 中国は世界一国民の数が多いんだ――
 中国は世界一資源に富んでいるんだ――
 中国の軍隊は世界一強いんだ。なぜって、本来が勇敢な民族であるし、加えてここに数世紀の間断えることのない国内戦争によって充分に鍛えられているからだ――
 それに、中国は世界一古い文化を持っている。その文化は世界最高峰に位するものなのだ――
 彼らはそれを頭から鵜呑みにして疑うことを知らない。だから至極楽天的である。閑(ひま)があれば、麻雀の牌をがらがら振っている。
 「何もくよくよするこたァないさ」
 「大海に一滴の墨汁じゃないか。日本なんて結局、中国に呑(の)まれちまうのさ」(p.181-182)

 
 中華思想の極みですなぁ(-.-#)
 ま、日本人も当時は同じように「日本は世界一」と思っていた(思わされていた)面があったろうし、このあたりは人のことは言えないかもしれません。
 が、戦後、日本が謙虚になったのに比べ、中国は未だに傲慢ですよね。「日本なんて結局、中国に呑まれちまうのさ」って今でもマジでそう考えてるでしょ?(T^T)

 さて、●勲中尉はいつの間にか李芙蓉から他の女に乗り換えており、李芙蓉も●勲から王祥謙上尉に乗り換えます。

 一方、陳子明は負傷した金阿貴を見舞いますが、金はもう死ぬ間際で様相もすっかり変わっていました。
 金は「俺はもう駄目だから、君に俺の便衣をやるよ」と言い、自分の便衣を陳に譲ります。このへんのくだりは涙を誘います・゚・(ノД`)・゚・。(p.207-209)

 後でわかることですが、金阿貴はその後病院で死亡します。陳は彼の死に目に会えず、遺体がどこに行ったのかすらわからず仕舞いです。

 さて、その後も戦闘および掠奪の記述が続きます。
 「みんな掠奪にかけては名人ばかり揃っている。仕事は早い、どんどん舎外に運び出して要領よく、目の届かない建物の裏側に積み上げ、それをこそこそとコマネズミのように、地下道を通って運び始めた」といった具合です。(p.231)

 そして、みんなで食べ物の話ばかりしています。
 分隊長の洪傑軍曹は食べ物の話になると、いつも自分の出身である西北の奥地の話を持ち出すそうで、ここではこんな話をします。

 「戦争はそりゃ随分あったさ。だが、負けても勝っても、今やってる東洋軍との戦争みてえなこんな馬鹿なことってねえ。命にゃ先ず別条ねえし、喰い物と来たらそりゃふんだんにあったもんだ。どこの家へ行ったって御馳走(ごちそう)は喰い放題だし、その上、豚だって鶏だって手当たり次第に叩き殺して喰ったもんだ」
 彼は、昔の軍閥の部下だった頃の生活に非常な憧憬を持ってるらしい。今でもそこへ戻って行けば、昔のそうした生活が出来るものと思っている。
 「じゃ、一層のこと、元の将領のとこへ戻つて行ったらどんなもんです?貴下(きか)なんかきっと歡迎されるでしょうに……」と、水を向けるものがあると、彼はしかしぐったりと力の抜けたような顔をして
 「馬鹿なこと言っちゃいかん。俺はこれでも中央軍の軍曹だ!」と、そっくり返るのだ。
 が、そんな威張り返った口の下からそろそろと、本音を吐き始める。
 「だが、例え行ったにしたって、手ぶらで行ったんじゃただの兵隊にも使っちゃくれめえ、ちゃんとした鉄砲か、機関銃でも持ってけば格別だがな」(p.239-240)


 さて、李芙蓉は、王祥謙上尉から今度は何と陳子明に乗り換えます。
 李は「金阿貴さんの遺品よ」と絹のハンカチを陳に渡しますが、そこには「愛する者へ」と書いてありました。実はこれは金の物ではなく、李の陳への求愛の品だったのです(それにしても何て節操のない女なんだろう(T^T))。

 その後、李芙蓉をめぐる●勲と王祥謙の争いがついに終焉を迎えます。
 王祥謙の第十中隊に限定してまたしても夜襲命令が下りました。これもまた●勲の差し金らしい。

 みんな、「今夜こそ死ぬかもしれない」「こんな理不尽な命令にも従わねばならないのか」と絶望感に打ちひしがれます。

 「こんな戦争なんて、一体誰が始めたことなんだ」
 鬱憤(うっぷん)の持って行き場のない彼らの一人は、遂にはそうした戦争そのものに対する疑問の言葉を投げつけた。
 「誰が始めようとそんなことは構わんさ。戦争そのものが民衆に取って意義があるもんならな」誰かが応じた。
 と、初めの男がやり返した。
 「じゃ、この戦争は民衆に取って一体どんな意義があるんだ。聞かしてくれ……俺には分らん。俺は今まで何にも考えずにやってたんだ」
 「そりゃ迂闊だな。そんなことなら、そこらにごろごろしている兵卒だって知ってるぜ」横から、別の男が冷笑するような口調で言った。「つまり、帝国主義的侵略者打倒の為の戦争じゃないか」
 初めの男が、苛々(いらいら)したようすでその声の主の方に膝(ひざ)を向け直した。
 「君はそんな観念的な一片の訓示で、貴重な生命が投げ捨てられるのかね……ふっ、お安い生命だ。せいぜい大安売りするがいいでしょう」
 「なに、何だって? 君は僕を侮辱する気なのか。君が何にも知らんと言うから教えてやったんだ。それを……」
 「いや、有難う……じゃ、ついでにもう一つ教えて頂こうか。イギリスや、アメリカや、ロシヤや、フランスや、そう言った国は侵略者じゃないのかね……日本一国を眼の敵にして……
 「漢奸!」叫ぶなり、その男は立ち上った。(p.280-281)


 要するに、「日本を侵略者と言うなら、イギリス、アメリカ、ロシア、フランスなどの欧米列強だって侵略者だろう」と。GHQにとって、これは最大級に不都合な記述ではないでしょうか。

 さて、物語に戻って、●勲と王祥謙の決着です。
 李芙蓉の立案により、王祥謙と部下らはついに●勲を襲い、殺害します。
 そして夜襲開始の時刻(午前0時)が刻々と近づきます。

 陳子明だけでなく張開元も逃亡する気満々で、張の残忍さがまたここで明らかになります。
 張は予め用意してあった便衣に着替えます。その上、死体収容の際に上手くせしめたであろう拳銃まで持っています。
 張は逃げるためなら仲間の殺害も厭わないという決心をしており、さらに前から狙っていた李芙蓉をさらって逃げることも計画しています。

 ところが邪魔な相手が現れます。確認するとそれは陳子明で、ちょうど李芙蓉ら慰安隊と一緒にいるところでした。
 陳とは毎日顔を合わせて家族のような親しみさえ感じていた仲なのに、張の顔に浮かんだものは「何だ、あいつか」といった鉄のように冷たく固い表情でした。

 便衣の男に拳銃で狙われていることに気付いた陳は、それが張だと分からぬまま反撃、殺してしまいます。倒れた男を確認し、それが張だと知って驚く陳……(実はこの頃には夜襲の開始時刻をとっくに過ぎています)。(p.296-300)

 夜が明けたあと突如戦闘が始まります。
 激しい戦場の中、陳子明は李芙蓉の手を取り、二人の逃避行が始まります。

 第一線からの退却兵とともに彼等は夢中で逃げます。
 督戦隊が現れて、味方をどんどん機関銃で攻撃してきます。見る見る間に死体の山が高くなり、敗走の激流は阻止されます。督戦隊も止まりますが、いったん止まっただけで、またいつ始まるかわかりません。

 日本軍の砲撃は続きます。このへんの描写、すごいです。恐ろしいです。多くの兵が無残に死んでいきます。
 ある者は死を装い、ある者は死体の山の奥へともぐり込む。炸裂する弾から身を守るには、それより他が方法がないのです。
 陳もそれにならいます。どんな方法を講じても生き残りたい!と。
 退却軍の渦の中に揉まれ続けた陳は、李とはぐれてしまいます。督戦隊員らしい者4~5人が無理やり彼女を強奪していったのです。(p.306-313)

 何とか生き残った陳子明。彼はこんなことを思います。 

 陳子明は別に軍官学校の出身でもなければ、特別に軍隊生活を志望して、戦闘方法とか軍略とか言うことに大して造詣のあるわけではない。が、最近の少しばかりの戦争の経験によって、自分たちの国の軍首脳部が現在重大な過失を犯しているように思えてならないのだ。その過失と言うのは、この戦争の始まる前、我々の軍隊はなぜ東洋軍と同じような、あの恐ろしい威力を持つところの野砲とか、野重砲のようなものを用意しなかったか――と言うことである。
 敗走に次ぐに敗走を以(も)ってする近頃になって、自分たちのちょくちょく耳にする軍首脳部のお題目は、「長期抗日戦」というそれであり、「我々は最初から長期抗日戦を覚悟し、日軍を奥地に誘導し、以って彼らを奔命に疲らせ、殲滅(せんめつ)するのは策戦に出づるのだ」と言うそれである。
 が、それが、事実とするなら、我々の軍隊は尚更、野砲、野重砲のごとき威力ある武器を最初から用意しなければならなかったのだ。なぜと言うのに、奥地へ日軍を誘導すると言うからには、最初から現在やっているような野戦が覚悟だったはずだ。野戦において、機銃や迫撃砲が、野砲、野重砲の敵ではないことは戦わぬ前から分っているはずだ。それだのにそれらのものを用意しなかったということは、我々の軍首脳部は上海の市街戦において日軍を撃退する――と言う一本立ての策戦しか立てていなかったことを暗黙の裡(り)に白状しているのだ。
 確かにそれに相違ない。煉瓦(れんが)やコンクリートの高層建築物の密集している市街戦においては、野砲や野重砲は確かに使いものにならない。そんなものよりも、機関銃や迫撃砲、手榴弾の方が遙(はる)かに効果を挙げ得るからだ。
 その上海において、日軍を引きつけ、引きつけ、トーチカからの機銃掃射によって日軍を消耗し、殲滅するという策戦がもし成功したならば、彼ら国軍首脳部は確かに先見の明ありと言って誇ってもいいが、その唯一の策戦が敗れ、失敗した以上、戦いはそれを以って打ち切りとすべきだ。戦っても絶対に勝つ見込みはないからだ。
 「長期抗日戦」――
 そんなものは、蒋介石一族、親露派、英米派の失敗の跡をごまかそうというこけ威(おど)かしにしか過ぎないものだ。要するにそれは、政権に恋々(れんれん)とした、彼らの保身延命策にしか過ぎないものだ。
 彼はつくづくと、この無意味の戦争が呪わしくなった。全然無力の彼として、この戦争を止めさせることは不可能だが、しかし、自分個人をこの戦争の渦中から脱出させることは、出来る、そして、それは何ものに対しても恥じることのない、許されていいことだと思った。(p.352-353)


 陳さん、辛辣ですなぁ(^_^;

 さて、その後陳子明は李芙蓉を追い求めつつ、他の便衣兵ら(約15人)とともに行動します。
 彼等は完全に「匪賊」の生活に入り、挙げ句に味方の炊事兵(5人)を襲撃、全員射殺した上で掠奪(しかも味方を殺しておいて「他愛のねえもんだなあ」と残忍にも笑ったりしている。陳は怖くて森の方に逃げ込んでしまった)と、もう何でもあり状態。

 そんなある朝、農家の牛小屋で目覚めると、近くで日本軍の攻撃の響きが。
 彼等は仕方なく、またそのへんの味方部隊に紛れ込みます。が、これが敗走の大縦列部隊でした。
 陳子明は敵の機関銃に右肩を撃たれ、意識を失います。

 そして、気がついたら陳は傷病兵の収容所にいました。
 李芙蓉と間違えて看護婦の手を握り、「人違いです。あんた、気がどうかしてるんです」と邪険にされてしまいます。

 敵の鉄砲の音がまた近づいてきます。天幕がびりびり震えます。
 「また退却だとよ!すぐに蘇州河を越してその対岸に引き移れっていう命令だ!」という誰かの声で、この物語は終わります――。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実はこの「敗走千里」には続編があります。
 その名もずばり「続敗走千里」(そのまんまや!(^_^;)。
 「敗走千里」購入時、古書店の方に「『続』もありますがどうしますか?」と言われ、初めてその存在を知りました。
 その時は購入を見合わせたのですが、「敗走千里」を読了した今、購入しようかしまいか迷っているところです。

 では最後に、全体的な私の感想を短く。

 とにかく陳子明の強運には驚きます。日本軍とは何度も戦闘になるし、督戦隊にも攻撃されるし、仲間は次々に死んでいくし、上官同士の諍いにも巻き込まれるし、そりゃもう大変。よく生き残れたものです。

 彼等は基本的に食べることと逃げることしか考えていません。
 が、ラブストーリーなんかも織り込まれていて(しかもやや過剰に感じるほどに)、なるほどこれは「小説」だなという感じがしました。
 省略しましたが、女性に関しては「李芙蓉」の他に、陳子明が日本に残してきた思い人「秋子」も回想の中で登場します。

 慰労隊なる女性たちが存在したのはもちろん事実でしょうし、「李芙蓉」という名で登場する慰労隊の女性を上官らが「取り合い」して内紛になっていたのもたぶん事実なんでしょう。
 が、果たしてその李芙蓉が陳子明(=陳登元氏)と本当に恋仲になったのか?については大いに疑問が残る!?(^_^;

 とにかく読み物として大変面白く、また文章も平易で、これなら当時3万5000部売れたという話にも納得できます。

 で、結局、GHQはどの記述が原因でこれを「焚書」にしたのか?

 中国軍が自国で掠奪や暴行を繰り返したり、便衣兵になったり、とにかく野蛮だったという記述?
 欧米列強も実は侵略者だったという記述?
 日本軍がめちゃ強く、しかも人道的だったらしいという記述?
 蒋介石はじめ中国軍首脳部を批判した記述?

 おそらくどれもGHQにとっては不都合だったんだろうなと思います。
 が、一番大きな理由はこれらを記したのが「加害者」である日本人ではなく、「被害者」つまり戦勝国民である中国人(陳登元氏)だったからじゃないだろうか?という気が私はしています。

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 以上、2009年8月にUPした「GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態」を現代文に直したものを、当時の私の雑感とともに再掲しました。



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