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日土合作映画『海難1890』来月公開! 125周年を迎えたエルトゥールル号遭難事件

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映画「海難1890」ダイジェスト特別映像PART2より]

 12月5日、日本・トルコ合作映画「海難1890」公式サイト)がいよいよ公開されます。

 エルトゥールル号遭難事件と、イラン・イラク戦争時のトルコの「恩返し」がテーマです。
 

 ご存知の方も多いでしょうが、ざっくり説明すると…

 エルトゥールル号遭難事件とは、1890年、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県の串本沖で遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件。
 この時、地元の村民らによって乗組員の救援活動が行われました。

 トルコの「恩返し」とは、その95年後の1985年、イラン・イラク戦争の際、テヘランに取り残された日本人215人を、トルコが危険を承知で救援機を派遣し、救出してくれた出来事。
 トルコ側は、陸路での脱出もできる自国民よりも、日本人の救出を優先してくれました。

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 この2つ実話は、拙ブログでも以前、取り上げたことがあります。

09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
10/6/21付:世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
 
 「ビーバップ!ハイヒール」(朝日放送)に出演したトルコ人のアンディさんは、こう話していました。

「エルトゥールル号遭難は学校で勉強した。だいたい高校で。トルコではことわざがある。『自分の歴史を知らない人には未来がない』。だから自分の国の歴史に何があったというのはちゃんと学校で勉強する。そこで、トルコからめちゃ離れているのに日本という国が和歌山県で助けてくれたと知った」
「自分は海外に行くなら日本と思っていた。父には海外に行くことは反対された。が、どこに行くのかと聞かれ、日本と言ったらすぐOKが出た


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 今日は、エルトゥールル号遭難事件にスポットを当て、当時の状況をより詳しく時系列でまとめてみます。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治19年(1886年)から翌年にかけて

明治天皇の伯父に当たる小松宮彰仁親王殿下が欧米諸国をご歴訪。
その際、トルコ(オスマン帝国)を親善訪問され、皇帝アブデュル・ハミト二世の歓待を受けられた。
これを知られた明治天皇は、令状とともに、最高勲章である「大勲位菊花大綬章」を皇帝に贈られた。
感激した皇帝は、これを機会に答礼並びに日本との友好を深めるべく、エルトゥールル号親善使節団の派遣を決定。

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[アブデュル・ハミト二世]

明治22年(1889年)

7月14日

軍艦エルトゥールル号がイスタンブールを出港。
訓練を兼ねての航海だった。

明治23年(1890年)

6月7日

650人の使節団を乗せたエルトゥールル号が、1年余りの苦難の航海の末、横浜港に到着。

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[エルトゥールル号]

6月13日
使節団一行が皇帝親書を明治天皇に奉呈。
明治天皇は、団長のオスマン・パシャ提督に勲章を授けられ、歓迎の意を表して晩餐会を開かれた。
晩餐会が終わると、明治天皇はさらに提督らを別室に招かれ、コーヒーを出され、長い旅路のことやトルコのことなどを熱心に懇談されたという。

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映画「海難1890」ダイジェスト特別映像PART2より]

9月15日
エルトゥールル号が横浜を出港し、帰途に就く。
実は、エルトゥールル号の消耗ぶりを心配した日本側は、台風の時期をやり過ごすよう勧告していた。

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[地図クリックで拡大表示。紀伊半島の南端、樫野崎沖が遭難現場]

9月16日 21時
大型台風が直撃していた和歌山県串本本町大島の樫野崎沖で、エルトゥールル号遭難発生。
この付近は熊野灘と呼ばれ、海上に岩礁が突き出している難所だった。
エルトゥールル号は「船甲羅(ふなこうら)」と呼ばれる岩礁に乗り上げ、乗組員が激浪の海に投げ出された。

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[画面奥中央の岩礁にエルトゥールル号が乗り上げ座礁した]

同日 22時
樫野崎灯台に10人の満身創痍の外国人が辿り着く。
技師の滝沢正浄が万国信号ブックでトルコ人であることを確認。
これより先、樫野崎区民の高野友吉は海上に爆発音を聞き、灯台に知らせようとして行く途中、血だらけの外国人に遭遇。
この外国人を助けて樫野崎に帰り、急を区民に告げて救助に入る。
早朝までに69人のトルコ人を救出、灯台官舎と大竜寺に収容し、60戸の区民挙げて負傷者の看護に挺身。

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[樫野崎灯台]

9月17日 10時半
樫野区長より大島村役場に事態の第一報が入る。
村長の沖周は直ちに郡役所と県庁に救援依頼の処置をとる。

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同日 11時半
沖村長は救援用の食糧を準備、役場職員、巡査、医師を伴い、大島より陸路2里離れた現地に到着。
十分な治療が必要と判断し、応急手当が済み次第、大島の蓮生寺へ移送を指示。
一方、職員、巡査などに命じて遺体や残留品の捜索、収容に従事させるとともに、遭難に関する事情聴取に当たらせる。
かくてトルコ軍艦と判断、生存者代表2人を説得して、大島港に停泊中の商船「防長丸」に依頼し、神戸の外交機関に同行することを決定。
また「防長丸」の船長、機関手が英語に通じていると聞き、この2人を通訳として詳細な遭難記録を作成。
直ちに県庁、海軍大臣、呉鎮守府へ打電するとともに、県庁、郡役所宛の書面も作成し、夜11時に船で串本郵便局へ投函。

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[地図クリックで拡大表示]

9月18日 早朝
樫野、須江、大島3区の住民を動員し、残る遺体の収容作業を指示。
蓮生寺の負傷者に対しては、負傷の程度に応じて数十名の看護者を充て、受け持ちを定めさせて手当。
食物については賄い人を決め、可能な限り負傷者が望むものを調理、また必要な物品も供与。
会計については2人の職員を専任とする。

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映画「海難1890」ダイジェスト特別映像PART2より]

同日 10時
遺体の埋葬場所を遭難現場を見下ろす地に定める。
またすべての遺体は新調の寝棺に納めることとし、用材を各所から購入して用意。

9月19日
ドイツ軍艦に依頼して65名を神戸の病院に移送。
併せてドイツ領事館に65名引き渡しの証明書送付を要請。
明治天皇は侍医を、皇后陛下は看護婦13名を神戸に派遣。

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9月21日
皇后陛下の指示で海軍は軍艦「八重山」を派遣。
現地で葬儀を行い、残留の生存者2人を神戸に運ぶ。
69人の生存者は設備の整った病院に収容され、本格的な手当を受けた。
また、事故は全国に新聞報道され、義捐金が募られた。

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10月11日
回復した69人は海軍兵学校の練習艦隊「比叡」と「金剛」でトルコ本国へ向けて出港。
この2隻の練習艦には、兵学校を卒業したばかりの少尉候補生が訓練のため乗船していて、その彼らにトルコ人の本国送還の任務が与えられていた。
ちなみに、その少尉候補生の中にいたのが、のちに日本海海戦の連合艦隊参謀として活躍する秋山真之。

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[上は「比叡」、下は「金剛」]

なお、多くの国民から寄せられた義捐金については、時事新報社の野田正太郎記者がこの時の練習艦に乗船してトルコまで持参した。

事故の翌々年(明治25年)には、山田寅次郎も民間から集めた義捐金を自らイスタンブールに渡って、送り届けた。
民間人ながら義捐金を持ってやってきたことが知られるや、寅次郎は熱烈な歓迎を受け、アブデュル・ハミト二世に拝謁する機会に恵まれている。

寅次郎はトルコ側の要請でそのままトルコに留まり、日本とトルコの官民交流に尽力した。
寅次郎は日本語教育も行ったが、教え子の中に、後にトルコ革命の指導者となり、トルコ共和国初代大統領に就任したケマル・パシャがいる。

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[山田寅次郎]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 緊迫した状況の中で、実に的確・迅速な救助が行われたことが分かりますよね。

 現場の断崖は、約60メートルほどの、傾斜が急で険しい場所です。
 島の男性たちは、深手を負った瀕死のトルコ人を背負って、この断崖をよじ登りました。

 岸辺にうずくまるトルコ人を一刻も早く助け上げるには、船を回すのが一番でしたが、海が荒れていて無理だったので、この急な崖を上り下りするしかなかったのです。

 お寺や小学校に担ぎ込んだ直後は、傷の手当てはもとより、火をおこすのもままならぬ中、島民は人肌で温めて精根の限りを尽くしたそうです。

 島民は、非常事態に備えて蓄えておいた鶏などの食糧の一切を提供して、彼らの生命の回復に努めました。

 全島でも400戸にすぎなかった大島は、たちまち食糧が欠乏したそうですが、そこまでして69人のトルコ人を救ったのです。

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[大島にある昭和天皇行幸の碑]

 なお、昭和4年6月、昭和天皇が和歌山県に御巡幸になった時、大島に立ち寄られ、エルトゥールル号の遭難碑まで行幸されています。

 行幸を翌日に控えた6月2日、地元の83歳になる樫田文左衛門という人(トルコ人遭難者の救助に当たった数少ない生存者の一人)を招かれ、遭難時の救助活動などの顛末をお聞きになっています。

 そのうえで、翌3日、大島の樫野桟橋から上陸され、徒歩で数十分を歩まれ、遭難碑の前に特着、挙手の礼をもってお参りをされたそうです。

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[エルトゥールル号殉難将士慰霊碑]

 現在、樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館(2015年6月4日リニューアルオープン)が建っています。

 大島では、毎年6月3日に慰霊祭を執り行っています。

 なぜ6月3日なのかというと、先に紹介したように、昭和天皇が行幸されたのが昭和4年のこの日だったからです。

 現在の慰霊碑は、昭和12年に改修されたものです。

 最初の碑は、遭難事件の翌年(明治24年)に、和歌山県知事はじめ有志の義金により、建立されました。

 改修されたきっかけは、昭和天皇の行幸を聞いたトルコ共和国初代大統領ケマル・パシャが、新しい慰霊碑を建立することを決定したもので、和歌山県が委託を受け、行われました。

 改修された慰霊碑の除幕の日は、やはり行幸と同じ6月3日(昭和12年)でした。

 串本町と駐日トルコ大使館の共催による追悼式典も、6月3日に、こちらは5年ごとに行われています。

 今年は遭難事件から125周年。
 串本町と駐日トルコ大使館による追悼式典がありました。
 彬子女王殿下も参加なさいました。


 映画『海難1890』のヒットとともに、日本とトルコの絆がより深まることを祈っています。


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※参考文献
・「正論」2015年10月号 占部賢志・中村学園大学教授【なぜ彼らは遭難トルコ人を救えたのか 125周年を迎えた「エルトゥールル号」秘話】
串本町観光協会 南紀串本観光ガイド>トルコ記念館とトルコ軍官エルトゥールル号遭難慰霊碑

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