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満州国は輝ける近代国家だった

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[満州国の首都・新京の大同大街。画像はwikipedia>満州国より]

 皆さんは「満州国」にどんなイメージをお持ちですか?
 あまり良いイメージをお持ちでない方も多いのではないでしょうか。

 だとしたら、終戦直前のソ連の侵入と同胞の苦難に満ちた帰国、シベリア抑留など、悲惨だった期間に関心が集中し、13年半の輝かしい国家としての面はほとんど語られることがないからかもしれません。
 
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 「正論」2015年8月号掲載の
 【輝ける近代国家・満州国よ、永遠なれ】

 満州国陸軍軍官学校(日本における陸軍士官学校にあたる)元軍官候補生の和田昭(あきら)さんと、軍事ジャーナリストの井上和彦さんの対談です。

※正確には、5月24日に靖國神社遊就館で開催された雑誌「正論」主催講演会の内容をもとに再構成されたもの。

 私は、日本統治時代の朝鮮や台湾についてはこれまで色々と見聞きしてきましたが、満州国についてはあまりなかったので、和田さんのお話はとても新鮮でした。

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 日本の歴史教科書では、多くが、「『日本の生命線』と主張して中国東北部を侵略した日本軍が、清の最後の皇帝(溥儀)を元首として傀儡国家を作った」的な記述をしています。

 満州国を「侵略」とみなして否定すること、これは中国の主張に沿うことです。

 満州国は万里の長城の北側にあり、漢民族はそこを「夷狄(いてき)の地」と呼んでいました。
 漢民族がこの地域に国家をつくったことは一度としてなかったのです。
 そこにあろうことか日本を中心とした国家ができてしまった。

 ……日本が国家をつくったとは認められない。
 単なる侵略だ。
 あくまで中国本土内の領地の一部が侵略され、分離して独立しようとした「たくらみ」でなければならない。……

 だから、中国は満州国が実在したことを、「『南京大虐殺』がなかった」ということと並んで最も嫌がっているそうです。

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 満州国建国を、現地の人たちは概ね歓迎していました。
 それは人口の推移を見ても明らかです。

 ここは日露戦争を通じて、日本人が血と汗と命を犠牲にして勝ち取った場所ですが、日露戦争の頃の人口は1000万人ぐらいだったのが、昭和7年に満州国ができる頃には約3000万人にまで膨らみ、終戦近くには約5000万人にまで増えたそうです。

 関東軍が秩序を維持していた満鉄周辺の付属地の治安は非常に良く、万里の長城を越えて漢民族が押し寄せてきました。
 軍閥が相争い殺伐としていた当時の中国から見れば、この地域は桃源郷と映ったのです。
 朝鮮人もどんどん移住してきました。

〈ここを母国にしたいとみんなが思って、満州国をつくり上げた。そうでなければ、日本人がいくら頑張ったって、13年余りであんないい国はできません

 …とおっしゃる和田さんは、昭和3年(1928年)1月3日、東京生まれ。
 陸軍士官学校を受験後、陸軍省の照会に応じ満州国陸軍軍官学校入学を決意したそうです。

 昭和19年3月、16歳で渡満。
 首都・新京の同徳台にあった軍官学校に入学し、満州国の軍人になることに。
 20年3月には予科を卒業し、日本の陸軍航空士官学校に留学の形で進学。

 つまり終戦時は日本におられました。
 同年8月のソ連軍侵攻により数多くの日本人が犠牲になりましたが、それを免れた、軍官学校の数少ない語り部です。

 満州国での生活は正味1年しかなかったわけですが、多感な青春期を過ごしたこともあり、和田さんにとって、その後の人間形成に大きく影響したそうです。

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[大東亜会議での記念写真。左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース。張景恵は五色の房を首からかけた協和服を着用している。画像はwikipedia>満州国より]

 和田さんが満州国に関心を持ったのは、昭和18年(1943年)に大東亜会議が開催された時の資料の中の、満州国の張景恵国務総理(内閣総理大臣に相当)の演説記録がきっかけでした。

 張総理の演説のポイントはこのようなものでした。

(1)満州国は異民族の共存で建国されている点、米英帝国主義のような民族支配関係と根本的に違っている。すべての民族が共栄関係である。

(2)満州国は北辺の防壁であると強調。これは張総理がロシアの満州支配の苛烈さを知っており、北の侵略を心底憎んでいたからと思われる。

(3)自国建国10年余の実態。特に経済面の成長を強調。国家財政は建国時の歳出入計2億7000万円だったのが、10年間で16倍の44億5000余万円に。鉄道は6000キロが1万2000キロに倍増、小学生は50万人から250万人に達しようとしている。石炭は4倍に、銑鉄は5倍に増産されている。

(4)米英が東亜侵略の手段に使っていた阿片吸引者は、建国当時130万人いたが、最近では近い将来完全にゼロに近づくまで減少している。

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[哈爾浜(ハルビン)のキタイスカヤ通り。ロシア人向け店舗前を中国服・洋服・和服を着た人々が闊歩する。画像はwikipedia>満州国より]

 和田さんにとって、これらの事例の中のいくつかは、軍官学校での生活の小さな体験の記憶が、「ああ、この事だったのか」と思い当たる節も少なくないそうです。

 以下は、和田さんの具体的な体験。

〈19年11月頃から、連(満軍の中隊)と区隊の再編成がありました。別々だった連が日系と満系生徒が混合して寝台を並べての生活です。目的は異民族間の気持ちの交流と、言語に慣れるためでした。強制的に日本語が禁止され、満語だけの期間があったり、生活習慣の違いから互いに誤解があったり初めは苦労しましたが、懇親会などで日系生徒が満語の挨拶をして寝台戦友の満系が日本語に通訳したり、歌謡曲を日満語お互いに翻訳し合ったのを唱ったり、大笑いして和やかな雰囲気になっていきました。満語は耳が必要に迫られて驚く程慣れてきました。
 満系生徒は選びに選ばれた優秀な青年が多い印象で、日本語は比較的達者で、家庭も恵まれている感じでした。寝台を並べていると「家が懐かしい」「一度早く帰省したい」とか本音の話が出るようになります。夕食後、自習時間も終わり、ペチカに寄りかかって互いに実家の話をしていたとき聞いた言葉が、耳に残っております。
 「父親がよく言っていたよ。満州国ができるまでは苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)っていうのかな、軍閥や各省の税金の徴収が取り放題、住民は生きるだけで精いっぱいだった。たとえ農作物を作って売っても、その紙幣は紙切れと同じで、いつダメになってしまうか分からない。それが建国してから治安がよくなって、通貨が一度に安定した。生活も落ち着いた」ってね。「そんなに急に変わったのかね」と聞くと、「以来ずっと現在まで続いているんだよ。僕らが誇りに思っているのは、それと近代工業化なんだ。奉天の方では重機械でも何でも造れないものがないくらい何でも製造しているだろ。我々満州の青年にはすごい誇りだよ」と。
 私は「苛斂誅求」という言葉を、彼から教わったのです。当時の満州の青年が、本当に喜びをもって満州国に一緒に仕えてくれたということではないかと思います〉


 通貨の話が出ましたが、これに関しても驚愕すべき出来事が満州国ではありました。

 建国前、混乱を極めていた通貨の安定には、政府が最も力を入れたようで、旧通貨を新通貨に回収変換するのに1年余りでほぼ達成したそうです。
 これは新国家建設時の事例では、世界に類例のない快挙でした。

 和田さんの1期後輩で、シベリア抑留を免れ1年近く新京に残った人によれば、「そのまま使用して生活していた。私が帰国した後も、中共政府の延安元に替わるまで2年半ぐらい満銀券が旧国土内で信用され流通していたと聞いている」とのことです。

 これについては、当時の満州国中央銀行(日銀に当たる)発行課長、武田英克氏が戦後記述した著書『満州脱出』(中公新書)にも同様のことが書かれてあります。

〈われわれ満州中央銀行OBが誇りに思うのは戦後中銀を解体しても、なお2年以上中銀券が市民の間に流通していた事実である。一般に発券銀行が無くなればその貨幣は直ちに流通が止まる…。満州でもソ連の軍票や一時期の中国の紙幣はそうした運命を辿った〉

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[満洲中央銀行。画像はwikipedia>満州国より]

 次に治安について。

 支那大陸では治安というものはこの世に存在しないような、とにかく「強い者勝ち」という世界でした。

 和田さんが予科在学中、途中で日本人の区隊長が交代しましたが、新区隊長は軍官学校2期の少尉で、国境に近い熱河省の現地満軍からの転属でした。
 その新区隊長が言うには、「現地では住民は税金を2度払わされている」と。

 「昼は満軍が治安を維持しているけれど、暗くなると八路(パーロ)が出てきて税金と称して金を取るわけだ。彼らは言う事を聞かないと有無を言わさずその場で射殺する事もある。満軍にとってはいやしくも法治国家だし、現地で問題が起きても法律の手続きは踏む事になる。住民は即断で動く八路にどうしても従う事になるんだよ」

 和田さんはこの中の「満州国は法治国である」という部分が印象に残っているそうです。

 八路は昭和12年に支那事変が起きて中国共産党軍の一軍隊となりましたが、当初は匪賊の流れみたいなもので、軍でもなかった。
 そうした中で、満州国軍が地味なかたちで満州国の治安を維持していたわけです。

 建国前、満鉄付属地以外は地域ごとに各軍閥が統治し、ほとんど軍事力増強の為だけに税金を収奪してきたのを、ほぼ平穏に新しい法律体系に移行したのですから、近代国家体制の骨組みへの移行が大変な努力で進められていた、というのが和田さんの見解です。

 「すべての民族が共栄関係である」というのを実証するような経験も和田さんはされています。
 それは、満系の上官に対しても日系の上官に対すると同じように絶対的な尊敬の姿勢が求められていたことでした。

〈中隊の外では校内で大勢の満系上官に出会います。満軍では、上官に対して歩きながら挙手の敬礼は許されず、彼らに対しても同じでした。日本人というだけの優越感は認めないぞと言われているようで、私にとってはちょっとした違和感でした。
 日系と満系が一緒に生活するようになってからも、民族的な差別は許さないと非常にうるさく言われました。「満系から尊敬されたければ、実力で尊敬されなければいけない」ということです。(略)
 連長の訓話では、満州国が「五族協和」「日満一徳一心」といった道義の上に建設されているという理念を繰り返し聞かされました。「五族の中に溶け込め」「おまえたちは上に立つのではなくて、下手に立って仕える生活をしろ」という教育でして、これが日本人の本当の姿を現しているのではないかと思います。戦後も日本人が海外に行って、そうした姿で各地の復興に協力しているのを見ますと、あの当時の満州のことをよく思い出します〉


※「五族協和」の五族とは、漢(漢人)・朝(朝鮮人)・満(満州人)・豪(モンゴル人)・日(日本人)。

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[満州国建国10年記念の5銭切手。画像はスタマガネットより]

 ソ連軍の侵攻をはじめとして日本の敗戦で満州国は終焉を迎えましたが、その頃の悲惨極まる状況についても和田さんは話されています。

 たとえば「シニヘー事件」。
 私は初めて聞きました。

※ノモンハン近くのハイラルから東南40キロのシニヘーという場所で起きた、満軍第十軍管区での事件。モンゴル系の部隊がソ連侵攻直後、日系軍官35名を射殺した。

 支那人も朝鮮人も、落ち目になると途端に日本人に冷たくなったんですよね…。
 まさに「水に落ちた犬は打て」で…(T_T)
 
 いずれにしても、輝いていた頃の満州国を知る人は非常に少なくなっていますし、特に和田さんのようにプラスの面を話して下さる方は、本当にもうわずかしか残っていないのではないでしょうか。

 その意味でも、非常に貴重な証言だと私は思いました。

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[新京・南広場の景観。ロータリーの周りを、馬車、そして何台ものバスが通っている。画像はみに・ミーの部屋>満州写真館 新京その1より]

 最後に、西洋人から見た満州国ということで、実際に訪れたコリン・ロスの著書「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より引用しておきます。

 コリン・ロスは、1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となりました。

 親中派で、かねてから蒋介石政府に対し、同情的立場を示していました(もともとドイツ政府自体が蒋介石政府に友好的でしたが)。

 なので、全体を通して、日本人に対する侮蔑的、差別的な記述も散見されますが、そんな彼も、躍動する満州国への期待は隠せなかったようです。

〈「満州国」では太古からの歴史をもちながらも、今なおみずみずしい大地の上に、五つの民族の協和によるまったく新しい世界が生まれようとしているのだ。ここはアメリカを、それも今日の合衆国にはもはや見られないパイオニア時代のアメリカ、「辺境(フロンティア)」のアメリカを想起させる。そうだ、ここには爽快大胆な精神がいまだに活動できる土地、辺境が見受けられる。
 もちろんオーストラリアと比べた時と同様、アメリカと比べても違いがある。ここで活動するのは個人ではなく団体である。新しい土地における新しい人々による国家的、経済的ならびに文化的な新天地建設計画の実施である。新国家にこのような魅力を与えるものを、おそらく新京におけるほど強烈に感ぜられることはあるまい。
 新京は新しい首都を意味する。一つの都市がこんなにふさわしい名前をもったことはめったにあるまい。なぜならここでは、街路といい家屋といい、はたまた都市にみなぎる精神といい、すべてが新しいからであり、またすべてが未完成だからである。しかし皇帝の宮殿が建てられ、その周辺地区が整備されたあかつきには、新しい首都は多くの古い首都と美を競うようになるだろう



※満州事変と満州国に関するおすすめ資料
満州地域における日本人や日本関係施設の被害
満洲の現状を知らない政治家の責任
満州国は果たして日本の傀儡政権だったのか
もう一つのアメリカ合衆国 『満州』
23ヶ国から承認されていた独立主権国家「満州国」
「リットン報告書」について~『 アメリカの鏡・日本 』より抜粋



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