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朝鮮人徴用工の実態!月給140円、豊かな食生活と宴会、日本人女工と楽しく過ごし、宿舎を抜け出し逢い引き、朝鮮人親方の飯場に“転職”

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 「正論」2015年9月号に「徴用工」にまつわる西岡力さん(東京基督教大学教授)の論説が載っていました。

 タイトルは、
 【歴史戦争の認識なき外務省がもたらす禍根――
 「戦時徴用工」を第二の「慰安婦」にしてはならぬ
  政府は一刻も早く事実関係の調査をして外交戦に備えよ】

 明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録された際に、日本政府が「forced to work」という表現を使ってしまった問題がテーマです。

 前半は、朝鮮人に対する戦時動員の概説と韓国側のこれまでの動き、戦時動員に関する統計資料を引用してのマクロ的な分析などで構成されています。

 そして後半は、2人の朝鮮人徴用工の手記が紹介されているのですが、これが大変興味深い内容なのです。

 2人とも高給取りで、終戦直前の貧しかった時代なのに食生活も豊かで、しかもその気になればいつでも逃げられる環境でした。
 実際、1人は朝鮮人親方が仕切る飯場に“転職”しています。

 朝鮮人徴用工の全てがこうだったとは言うつもりはありませんが、当時は労働力が不足していたことから、全般的に彼らのように厚遇されていたと考えるのが自然でしょう。

 今日はその手記の部分を引用します。

 〈 〉内が手記本文で、
 〈 〉付きでない箇所は西岡さんの解説です(青い文字)。

【基礎知識】国民徴用令の朝鮮における施行(wikipediaより)
 1944年(昭和19年)8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施する、とした閣議決定がなされる。1944年9月より実施され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡船の運航が困難になるまでの7ヵ月間であった。

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[手記1] 1944年12月広島市の東洋工業に徴用された鄭忠海氏が、当時つけていた日記をもとに1970年に私家版としてまとめたものを、1990年、井上春子氏の訳で『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)として日本で出版したもの。残念ながら現在は絶版。

 鄭忠海氏の手記から徴用者の生活を見よう。
 住居は新築の寄宿舎、新品の寝具が備えられていた。


〈海岸に新しい木造二階建ての建物があった。
 そこがこれから我々が寝起きする寄宿舎で、朝鮮応徴士たちを迎えるために新しく建てられた第二寄宿舎だという。
 新しい建物なので少し安心する。
 割り当てられた部屋に入った我々は、先ず旅装を解いた。
 私は二階の部屋であった。
 室内を見渡すと“たたみ(畳)”二十枚を敷いた広い部屋に、新しく作った絹のような清潔な寝具が十人分、きちんと整頓されてあり、片方には布団と私物を入れるのだろう、押し入れが上下二段になっている〉

 食生活もかなり好待遇だった。

〈明るい食堂には、大きい食卓が並んでいた。
 新しく作られたものらしい。
 食堂のホールの前の厨房では年ごろの娘さんたちが、白いエプロンをつけて食事の準備に忙しそうだ。
 食卓の前に座っていると、やがて各自の前に食事が配られた。
 飯とおかずの二つの器だ。
 飯とおかずは思いのほか十分で、口に合うものだった。(略)
 飯は大豆が混じった米の飯で、おかずは筍と肉の煮物で、口に合っていて食べられた(あとで分かったことだが、肉は馬の肉だという)。
 戦時中日本では、馬の肉を喜んで食べたという。食事の分量も私には適当だった〉

 鄭氏たちは月給140円という高給であり、食堂の食事以外にかなりの食糧を近隣から入手し大変豊かな食生活を送っていた。

※くっくり注:1945年の軍人給与の表(こちらのサイトの一番下を参照)によれば、月給140円は日本軍の大尉並みの額。女子動員学徒の月給は30円でした。参考までに、「京城日報」1944年7月26日(画像左)の慰安婦募集広告に記載されている月給は「300円以上」。
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〈みんなが集まって生活をしてみると、いろいろな人がいる。
 ある人は“みかん”や“ネーブル”を、またある人は“なまこ”や“あわび”を、さらに酒まで求めて来て夕食後に宴会を開く。(略)
 ソウルではみかんのようなものは、わずかな配給のほかには求めることさえできない。
 そんな貴重なみかんが、ここではみかん畠に行けばいくらでも買うことができる。
 下痢をするほど思い切り食べてみたいものだと言い合った。
 それに[寄宿舎のあった]向洋と川一つ隔てた淵崎は、漁村で牡蠣の名産地だという。(略)
 時々食堂で出してくれる牡蠣が入った飯(牡蠣飯)は本当に珍味だった。
 干潮になると、食堂の後ろの浜辺ではなまこや浅蜊(貝)をたくさんとることができた。
 人手が足りなくてとらないのか、なまこや貝がそこら中に散らばっている。
 日課後にそんなものを採るのも面白かったが、それを煮たり焼いたりして酒盛りをするのは格別だった

 工場での勤務も厳しいノルマなどもなく女子挺身隊として動員された日本人女工さんらと楽しく過ごしていた。
 鄭氏は九九式小銃の部品を造る工場に配属された。


〈一月十五日、(略)工場に入ると先に出勤している女工たちが、走ってきて挨拶をする。
 たいへん親切に接してくれるのだった。
 中でも私を教えてくれる技工格の村上さんは、気持ちよく接してくれた。
 仕方なく工場に出勤して来たのだが、それほど気分は悪くなかった。(略)
 二週間が過ぎると、工場生活に多少慣れて能率もあがり、面白くなってきた。
 さらに我々は女工の間で作業するので、退屈することはなかった

〈四月二十日、(略)工場で働く男たちは武器生産には心がなく、女性たちとの恋だ愛だということにばかり心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった。
 どの工場だったか、プレスを操作していた白某という者が、作業中女性とおしゃべりをしていて、自分の親指をばっさり切り落としたことがあった〉

 鄭氏は第二寄宿舎の職員である日本人戦争未亡人から熱烈に慕われ愛人関係になる。
 二十代前半の岡田さんである。


〈彼女の家は寄宿舎の前の社宅であった。
 家の中には誰もいなかった。(略)
 「遅くなったけれどもお上がりください」私を居間に案内した。
 上がると彼女は風呂を勧める。
 面倒だとは思ったが入浴していると、彼女が来て背中を流してくれた。
 これが日本式らしい。
 風呂から上がると、日本の浴衣に着替えろとすすめる。
 居間にはいつのまにか食事の用意ができていた。(略)
 夏の夜は短い。
 明け方五時になった。
 彼女は私を起こして「早く寄宿舎にお帰りなさい」とせかす。
 宿舎に帰ると、小隊長たちが広い部屋で寝入っていた。
 戸を開ける音で目を覚ました小隊長の柳光勲が目をあけて、「何処へ行ってきたのか」「今帰ってきたのか」と聞く。
 私は曖昧な返事をして布団にもぐりこんだ。
 彼はそれ以上咎めなかった。
 起床時間にはまだ時間があり、私は布団に入るやいなや直ぐに眠ってしまった〉

 徴用された労働者が夜、自由に寄宿舎を抜け出し逢い引きすることができた。
 その気になればいつでも逃亡して「自由労働者」になれたということだ。
 工場側が当時としては破格の待遇をしたのは、そうしないと徴用工でもより条件の良いところに引き抜かれてしまうという現実があったからだろう。

 その後、鄭氏は岡田さんの働きかけのお陰で工場から事務所に勤務場所が変わった。
 そのため、原爆投下の日、市内での勤労動員に出ず、命拾いをした。


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[手記2] 1945年3月、大阪府南河内郡長野町(現在の河内長野市)の吉年可鏻鋳鉄工場に徴用された金山正捐氏(日本名)が、同年7月に逃亡し東京の飯場で「自由労働者」として働き、9月に再び長野町に戻り警察の取り調べを受け、そこで書いた手記。1945年9月18日付けで長野町警察署から大阪府警察局長・治安部長・特高第二課長宛に出された「逃亡セル集団移入半島徴用工員ノ諸行動ニ関すスル件」と題する公文書の中にあり、朴慶植編『在日朝鮮人関係資料集成〈第4巻〉』に収録されている。

 次に、実際に徴用された大阪市の工場から逃亡して東京まで行って朝鮮人親方の下で日雇いの「自由労働者」になった金山正捐氏の手記を見よう。

 逃亡の動機は同じ徴用工である隊長との殴り合いのケンカだった。
 なお、先述の鄭氏は百人の隊員がいる中隊長だった。


〈私は朝鮮でも可成の裕福な家庭に生立ちましたので最初の内は逃亡をするといふ気持ちは毫(ごう)もありませんでしたが、漸次故郷懐かしくしかのみならず毎日集団の隊長神農大律と口論し果ては喧嘩の末殴り合も五六回に及び、それに隊長の方には良かれ悪かれ会社の幹部も応援するので居堪れなくなり(略)崔安石と逃げることに決心して申し合わせ、二人で[1945年]七月二十八日昼飯後寮を脱けて大鉄長野駅より阿部野橋に出た処空襲に逢ひ城東線京橋で下車し京阪電車で京都に着きました。
 私は所持金が二百五十円程ありましたので宿舎に泊り食事なしで十二円を支払ひました
[原文カタカナをひらがなに直す。以下同]

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あべのハルカスHPによると、昭和19年(1944年)から始まった大阪への一連の空襲の中で、昭和20年(1945年)、あべの地区への空襲も始まった。画像は同年3月、罹災し復旧工事中の日本鉄道阿倍野百貨店。おーさか、ぶらっConny!様より]

 1945年3月、大阪府南河内郡長野町の吉年可鏻鋳鉄工場は金山氏を含む41人の朝鮮人徴用工を受け入れているが、8月15日までの5カ月で37%にあたる15人が逃走している。
 先に統計から見たようにこの時期の逃走率平均が37%だから、まさに平均的な数字だったが、その気になればいつでも逃げられたのだ。

 同工場での金山氏の月給がいくらかは手記には触れられていないが、約5カ月働いた後の逃走時に250円の現金を持っていたのだから、鄭氏の月給140円と遜色がない額をもらっていたと推定できる。

 京都駅で東京への切符を買うときに多少てこずった。
 鉄道員に証明書の提示を求められたが、頼み込んで70円の闇切符を2枚買うことができ、7月29日に京都駅を出発し、名古屋から中央線経由で31日午後2時に立川駅で下車した。
 立川で下車したのはあらかじめそのあたりに朝鮮人の親方が仕切る飯場があることを聞いていたのかもしれない。
 駅を下りて直ぐ朝鮮人に会って飯場を紹介してもらった。

 すぐに飯場が見つかり日給15円で雇われる。
 夕食、煙草、酒の接待まで受けたことから、いかに労働者が不足していたかはよく分かる。

 飯場での作業もきつくなかった。


〈八月二日現場へ出かけた処其途中で現場の一人がお前たち二人はこつちへ来てとふて山の奥へと連れて行かれた。
 そこに大きな横穴が掘つてあり、その近くに板が沢山あつたので、それを下まで運搬せよと云われ十一時頃迄に運び終わつて、川へ行つて水浴して帰つて午後は遊びましたが、これだけの仕事をして一日十五円の給料を貰いました。
 八月三日飯場より一里位離れた現場に行つたが大きなトンネルがあつて陸軍の歩哨が立つて居た。
 そんなトンネルを四つ潜つた処に同じくトンネルの中で飛行機を製作して居り、其処でも運搬を少し手伝つて十五円になりました

 朝から昼の11時までの半日仕事で15円もらえた。
 翌4日はまた、仕事を休み、東京見物に出かける。
 自由なものだ。
 そして横浜から府中近くに行き、高幡山で別の朝鮮人親方の飯場を見つけるとそちらに移ってしまう。
 仕事は防空壕掘りだった。
 日給20円に待遇が上がる。


〈この飯場は半島人労働者が三百人位しかいませんでしたが幽霊人口千五百人位を慥(こし)らえておりそれで配給も豊かで腹一杯食わして呉れましたが食事は豆計りで米は殆どありませんでした。
 それは配給の米を皆横流しにして金を儲けている訳で其処の半島炊事係は二カ月で十万円も儲けるとの事を聞き驚きました。
 この外に五日に一回平均で牛を密殺しますがこの牛は一頭二千五百円で買つてその肉を飯場の者に売りつけ金のないものは食べないがよい給料を貰つているので金はあり闇でどんどん買うので一頭でうんと儲けるとの事で皮だけでも千円で売れるとのことでした〉

 1945年8月終戦の直前に、前の飯場には濁り酒があり、別の飯場では5日に1回牛を密殺して食べていた。

 文字通り命がけで総力戦を戦っていた日本人に比べて、いくら内鮮一体化を強調しても、多くの朝鮮人にとってあの戦争はしょせん他人事だったのだろう。
 だからこそ、戦時動員計画はうまくいかなかったのだ。


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 『朝鮮人徴用工の手記』『在日朝鮮人関係資料集成第4巻』ともに絶版ですが、古本なら入手可能です。
 私もちょっと読んでみたいなと思って、古書サイトなども調べてみましたが、いずれも在庫なしだったり、あっても高価なのでやめました…(T_T)

 この2つの手記は、1980年代末頃から日本人によって火をつけられ広まった戦後補償を求める運動が韓国で本格化するずっと以前に書かれたものであるという点で、史料価値が高いと、西岡力さんは評しています。

 そして、当時を知る世代から事実を聞く作業はここ数年で完全にできなくなるだろうから、まず、事実関係をきちんと研究整理し外交戦に備えなければ、今後も負け戦が続くと警鐘を鳴らしています。

 その上で、外務省の外に首相直属政府対策本部を設置し、戦時動員の全体像をきちんと研究し、基礎資料を収集する作業に取り組むべきだとしています。


 戦前戦中に日本に渡ってきた朝鮮人労働者のうち、「徴用」で来た人よりも「自由募集」で来た人の方が圧倒的に多く、それも先を争うように渡ってきたという事実は、皆様よくご存知だと思います。

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 たとえば崔基鎬・加耶大学客員教授の『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』によれば、

 忠清南道の公州など各地区に、北海道札幌の三菱手稲鉱業所から、約1000名の鉱夫募集がありました。

 ところが応募者数は約7000名にのぼったために、次のような採用考査が施行されたそうです。

  第一次 1939年9月5日
  第二次 1940年3月5日
  場 所 扶余事務所、及び各郡所在地の面(村)事務所
  試験官 第一回 佐藤典正(三菱手稲鉱業所責任者)
      第二回 金丸一郎、金相培(扶余邑長)
  ほか補助役三名

 こうして厳選された約1000名は、二組に分けられ、その中の一組は同年9月11日、論山出発、翌12日元山港着、輸送船(5000トン級)で翌日の夕刻函館港に着きました。

 採用者たちは歓喜に溢れ、船内では全員歌舞に耽(ふけ)って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだそうです。

 多くの青年たちは、札幌の市内観光や大門通りの遊郭回りに憩を求め、一部は淋病や梅毒に感染し、中には局部の切開手術を受ける者もあって、監督機関では性病対策に苦慮して衛生サックを配るなどしました。

 なお、休暇中の公傷は、治療費が全額支給されたとのことです。

 何よりも崔基鎬氏自身が、1940年に志願して三菱手稲鉱業所で1年間働いており、「実態は強制連行でなく、自発的行為であった」とはっきり記しています。


 あと、2015年6月15日放送「TVタックル」では、軍艦島で1968年から1974年まで暮らしていた日本人男性も(戦後生まれの方だが戦争前後の炭鉱の様子を伝え聞いている)、「朝鮮人が強制されて働きに来たという話は聞いたことがない」と証言してましたね。

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 炭鉱の仕事は過酷な労働でしたが、その分、賃金は良かったと。
 (戦後の例ですが、1958年に全国でまだ10%ほどだった白黒テレビの普及率は、軍艦島ではほぼ100%
 また、戦後も、日本人と朝鮮人が一緒に机を並べて勉強していたと。


 日本政府は最近、領土問題の資料をまとめてネットで公表したりしていますが(内閣官房の領土・主権対策企画調整室)、慰安婦や徴用についても、このように力を入れた対応をしてほしいです。

 負け戦を勝ち戦に変えるには、まず政府が本気になって取り組まなければ!







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