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昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件

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 間もなく昭和の日(昭和天皇の御誕生日)なので、今日はこんな話題を。

 先日、たまたま行き当たった左翼系のサイトに、昭和天皇の悪口が書かれてありました。
 有名なプラカードの画像を添えて。

150427-01pura.jpg

 これは、終戦の翌年である1946年(昭和21年)5月19日の飯米獲得人民大会(食糧メーデー)で参加者が掲げたものです。
 
 「詔書 国体はゴジされたぞ
  朕はタラフク食ってるぞ
  ナンジ人民飢えて死ね
  ギョメイギョジ」


 ギョメイギョジは漢字で書くと「御名御璽」。
 天皇の名前と天皇の公印で、詔勅などの末尾に御名と御璽が記されていることを表しています。
 法律の公布にあたっても記されます。

 「御名御璽」といえば、2014年11月、衆議院解散の時にちょっとしたハプニングが起きましたが、それで知った方も多いのでは?
 (この件は拙ブログでも取り上げました)

150427-02matusima.jpg

 プラカードを掲げたのは、共産党員の松島松太郎という人。

 大会の3日後に警察から出頭を命じられましたが、これを拒否し、最終的に同年6月14日に不敬罪で逮捕されています。
 その後、不敬罪で起訴されたものの、GHQの意向で名誉毀損罪として起訴されました。

 裁判の結論だけ言うと、1948年5月26日、最高裁判所で公訴権の消滅を理由に上告棄却となり、免訴が確定しました。
 これは最後の不敬罪事件となりました。


 ……さて、ここからが本題。

 昭和天皇が「タラフク食ってる(食っていた)」?!
 とんでもない話です!!

 昭和天皇は戦後も長らく、大変質素な暮らしをされていました。

 まず衣食住の「住」について。

 昭和天皇は、昭和36年12月まで、「御文庫」に住まわれていました。

150427-03gobunko.JPG
[1950年代の御文庫]

 「御文庫」は戦時下に吹上御苑の中に建てられた防空施設です。
 それまでのお住まいが空襲で焼けていたため、昭和19年12月からここに御起居されていました。

 地上1階、地下2階、400坪の建物で500キロ爆弾に耐えるものでした。
 終戦のご聖断が下された御前会議もここで開かれています。

 ところがこの「御文庫」は、湿度の高さが尋常ではありませんでした。

 屋根裏に入れる爆弾よけとして雪の積もった砂をそのまま詰めてしまっており、この雪が溶けて、腐ったような水が電気コードをつたってポトポト落ちてきます。

 一方、地下室からは猛烈な湿気が太い柱をよじ登ってきます。

 背広を吊しておくと2、3日でじっとり湿ってしまうほどだったと、当時の侍従だった入江相政氏が『天皇さまの還暦』や『皇居』といった著書に書いています。

 こんな施設に昭和天皇は戦後も長い間、住んでおられたのです。

 湿度が高いだけでなく、日も差さない、風も入らないので、健康に良いはずがありません。

 昭和26年頃のこと、侍従は陛下にこう進言しました。

「日当たりのいい、風通しのいい、お住居を造らせていただきたいのですが」

 すると昭和天皇はこう言われて拒否されました。

世の中には住む家のない人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから
「湿気ると言っても、印象だけでは問題にならない。数字的な根拠を示さなければ」


 そこで侍従たちは、建築衛生の専門家に1年間データをとらせました。すると、やはり最悪だという結果が出ました。

 そこで修理することになったのですが、屋根裏からは、3立方メートルぐらいの所から、ドラム缶2杯半の水が出てきたそうです。

 昭和28年頃から、対外的にはやはり新宮殿が必要だという話が持ち上がりましたが、「新宮殿よりも、陛下も還暦になろうというのに、まともな住居が必要ではないか」と周囲は考えました。

 ですが、「公事」と違って「私事」であるため、昭和天皇は気が進まれなかったようです。

 政府は何度も新居へ移るように勧めましたが、

みなが空襲や引き揚げで住む所もなく苦労しているのに、自分だけそうするわけにはいかない

 と、頑としてお譲りにならなかったそうです。

 皇太子殿下(今上陛下)の御成婚は昭和34年4月でしたが、その頃もまだ「御文庫」に住まわれていました。

 やっと新たに建てられた吹上御所に移られたのは、昭和36年12月、終戦から16年経過してからのことでした。

 その時、こう仰せになったそうです。

こんないい家に住めるようになったのも、みんな国民のおかげだ

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[吹上御所(手前。現吹上大宮御所)と御文庫]

 次に衣食住の「衣」について。

 昭和天皇は戦前は軍服を着ておられたので、昭和10年頃から背広を新調されていませんでした。

 そのため終戦後は、10年以上前に作った背広を着て、昭和22年の夏の東北の御巡幸では、かぎ裂きを繕っていたのが出てくる始末でした。

 侍従が、「ぜひご新調になるように。アメリカ人なんかも見ておりますから」と上奏したところ、昭和天皇はこう仰せになりました。

「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだからいい物を着たって当たり前だが、日本は負けて、今みんな着るものも無くて困っているじゃあないか。洋服なんか作る気になれない

 侍従は食い下がりました。
「あんなに古い洋服を着ておられては、我々の肩身が狭くて困るのです」

 すると昭和天皇も折れられて、「そんなに言うなら、少し作ろう」とお答えになりました。

 こうして作った2、3着の背広を非常に大切にされ、晴れがましい客に会うときに着るようにされたそうです。

 しかし客との会見が済んで部屋に戻ったら、早くも上着を脱いでしまわれるのです。

 これは国民の肩身を狭くしないために作った洋服だから、そういう時のために綺麗にとっておかなくてはというお気持ちだったそうです。

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 「食」に関しては、今回資料を見つけることができませんでした。

 が、「衣」「住」に対する昭和天皇のご姿勢を見れば、「食」も非常に質素なものだったことは間違いないでしょう。

 こんなエピソードも残されています。

【昭和天皇は生涯にわたって、ご自分が行なわれたことを自慢されたことなど、一度もなかった。また、終生にわたって名誉や栄誉を求められたことも、まったくなかった。ご自分についてはじつに無欲な方だった。
 天皇は敗戦の年の昭和20年12月に、松村謙三農林大臣を皇居に呼ばれてこういわれた。
戦争で塗炭(とたん)の苦しみを受けた国民に、このうえ餓死者を出すことは自分には耐え難い。政府が要請をしたのにもかかわらず、アメリカは食糧を与えてくれないという。だが、考えれば、当方に代償として提供すべき何物もないのだから、いたしかたがあるまい。
 それで聞けば、皇室の御物(ぎょぶつ。天子の所有物、あるいは皇室の所蔵品)のなかには、国際的に価値のあるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡して食糧に代えて、国民が飢餓を一日でもしのぐようにしたい

 そして帝室博物館の館長に命じてつくらせてあった皇室御物の目録を農相に渡された。天皇の意向は幣原喜重郎首相(在任昭和20年10月~21年5月)を通じてマッカーサーに伝えられた。しかし、マッカーサーは「それは皇室の人気取りだ。そのようなものは必要ない。私が責任を持って、かならず本国から食糧を輸入する方法を講じよう」といって、緊急食糧を日本に放出するようワシントンに求めた。
 昭和54年8月、宮内庁記者団とのご会見のときに、記者団から当時のことについて質問が出された。
そういうことがあったのは事実です。しかし、自分のしたことですから、あまり公にしたくはありません
 これが天皇のご返事であった。】

[SAPIO 2009.2/11・18合併号「昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々」>[エピソード]ユーモアと感動に満ちた昭和天皇「五つの佳話」/加瀬英明]

 これは、昭和39年のある日の昭和天皇のメニューです。
(当時、宮内庁管理部大膳課第一係で和食を担当していた谷部金次郎(やべきんじろう)氏の記録による。谷部氏は一度拙ブログに登場しています)

・吸い物(椎茸、うずら、さやいんげん、若鶏、筍)
・太刀魚の塩焼(大根おろし添え)
・そぼろ入りオムレツ
・菜っぱのお浸し(おかか添え)
・麦飯
・キュウリの奈良漬

 日本は当時すでに高度成長期の真っ只中にありましたが、お食事はこのように庶民とさほど変わりのないものでした。

 実は、今上陛下の御代でもお食事はとても質素です。





[上記4点画像はいずれも2014年7月31日放送 ABC「ビーバップ!ハイヒール」より]

 どうですか、皆さん。
 はっきり言って、「ちょっと稼いでいる人」の方が、よほど毎日豪華な食事をしてるんじゃないですか。

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 昭和天皇は、昭和21年2月から29年8月まで、全国の各都道府県を巡幸され、遺家族、海外からの引揚者、戦災者の遺族を見舞って、励ましのお言葉をかけられました。

 敗戦直後のことですから、昭和天皇に複雑な思いを抱えていた国民がいたのも事実です。

 しかし、そういった国民も、いざ昭和天皇のお姿を拝した時には自然と「天皇陛下、万歳!」と叫んでいたそうです。

 そうした中には共産党員や共産主義思想に染まった人々もいました。

 これは佐賀県基山町因通寺で見られた光景です。

【因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
 昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。
 「どなたが戦死をされたのか」
 「息子でございます。たった一人の息子でございました」
 声を詰まらせながら返事をする老婆に
 「どこで戦死をされたの?」
 「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」
 老婆は泣き伏してしまった。
 じっと耳を傾けていた天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。
 引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。
 「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」
 とお言葉をかけられた。
 一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。
 「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」
 この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。
 「こんな筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておった。俺が誤っておった」
 シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。
 今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。
 天皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。】

Japan On the Globe(136) 国際派日本人養成講座 国柄探訪:復興への3万3千キロ

 こちらは静岡市の戦災者・引揚者寮で見られた光景。

【天皇は一室ごとにお言葉をかけて回られる。
 中には「巡幸反対」を唱える共産党員もいたが、全く気にせず、等しくお言葉をかけられた。
 天皇のお帰りの際、その共産党員は御召車すれすれに顔を寄せ、叫んでいた。
 「天皇陛下、万歳!」
 大金益次郎(おおがね・ますじろう)侍従長は、その模様をこのように記している。
 「陛下の虚心な御行動の先ざきでは、我々の複雑な先入観は、常に事実として、払拭される。そこで、我々はただ日本人を見る。党派も階級も貧富も見えない。我々はただ日本人の血の叫び、魂の交流だけを感ずる。党派も貧富も階級もその障壁をなさない」】

[「昭和天皇論」第7章 昭和天皇の御巡幸/小林よしのり]

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 占領軍は「敗戦の苦しみにあえぐ国民が石の一つも投げて、天皇の権威が泥にまみればよい」と目論んでいましたが、昭和天皇がどこに行かれても国民は「万歳、万歳」の大歓迎。

 それを快く思わなかった占領軍は、御巡幸を中止に追い込みます。

 しかし、国民の要望を受けて昭和24年から再開され、沖縄以外の全国を約8年半かけて回られました。

 昭和天皇の御巡幸は、終戦直後、塗炭の苦しみにあった国民を勇気づけるとともに、戦後日本の復興の大きなエネルギー源となったのです。

150427-05demo.jpg
[飯米獲得人民大会。動画こちら

 話をプラカード事件に戻して\(^^\)

 事件が起きた昭和21年5月19日の飯米獲得人民大会について調べてみると、共産党と社会党が、吉田茂の組閣を妨害するため(吉田は反共主義で知られていた)、デモ隊を先導して押し寄せたとあります。

 デモ隊は3つの集団に分かれ、朝日新聞労働組合の初代委員長で共産党員の聴濤克巳が率いる集団が昭和天皇への面会を要求したものの、犬山宮内省総務課長に拒否され、「天皇に食糧事情改善のため、人民の総意を汲み取り、適切な指導をするように願う」旨の上奏文を犬山に渡して撤収したそうです。

 その上奏文はこう始まり、

「わが日本の元首にして統治権の総攬者たる天皇陛下の前に謹んで申しあげます」

 こう終わっています。

「人民の総意をお汲みとりの上最高権力者たる陛下において適切な御処置をおねがい致します」

 共産党が書いたとは思えない文章ですね(^_^;

150427-06radio.jpg

 5日後の5月24日、昭和天皇はラジオでお言葉を述べられました。

「祖国再建の第一歩は、国民生活、食料安定にある。地方農民は努力をしているが、もっと生産と増産と供出に努力して欲しい、都市における食糧事情はいまだかって例を見ないほど窮迫し、この状況は深く心を痛ましめるものがある。
 政府は、直ちに適切な施策を行うべきは言うまでもないが、全国民においても、乏しきを分かち、苦しみを共にするの覚悟を新たにし、同胞お互いに助け合って、この窮状を切り抜けなければ成らない。
 戦争による諸種の痛手の回復しない国民に、これを求めるのは、誠に忍びないところであるが、これを切り抜けなければ、終戦以来全国民の続けていた一切の経営は虚しくなり、平和な文化国家を再建して、世界の推運に寄与したいと云う我が国民の厳粛かつ神聖な念願の達成もこれを望む事が出来ない。
 この際にあたって、国民が家庭国家の麗しい伝統、区区の利害を超えて、現在の難局に打ち勝ち、祖国再建の道を踏み進むことを切に望むし、かつこれを期待する


 当時の共産党や社会党の人たちがこれを聴いてどう感じたのか、私は知りません。

 ただ、私はこれを初めて拝読した時、東日本大震災が発生して間もない2011年3月16日に、今上陛下が国民に向けて出されたお言葉(ビデオメッセージ)を思い出しました。

150427-07heika.jpg


 ちなみに冒頭に書いた「たまたま行き当たった左翼系のサイト」の管理人氏は、文体などを見ると、それなりに年齢を重ねた人のようです。

 今日紹介した昭和天皇のエピソードを教えてあげたい!とも思ったけれども、サイトを読み込んでみると、とても話が通じる人ではなさそうです。

 昭和天皇だけでなく明治天皇や大正天皇の悪口も書かれてあります。

 今上陛下に対しても同じで、「平成天皇は長生きしたければ、日本軍の被害に遭われた国の人々に心から謝罪しろ」と脅迫めいたことまで書いてあり、愕然としました。

 天皇は無私の存在であられ、全ての国民に分け隔てなく接され、その喜びも悲しみも我が事のように受け止められます。

 この管理人氏のような不遜な輩も含めた全ての国民、そして世界の全ての人々の安寧を祈られているのが、天皇という世界に類を見ない存在です。

 なぜ天皇が日本だけでなく国際社会からも畏敬の念をもって見られているのか、冷静に考えてほしいものです。

 この管理人氏が日本人であれば…の話ですが。






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※参考文献
・SAPIO2009年2月11日・18日合併号
・小林よしのり「昭和天皇論」
皇室なごみエピソード集>昭和天皇のエピソード>皇室の食卓
プラカード事件(Wikipedia)
飯米獲得人民大会(Wikipedia)
法政大学大原社研 日本労働年鑑 戦後特集(第22集)

※拙ブログ関連エントリー
06/12/24付:終戦時の今上陛下にまつわるエピソード
08/10/11付:天皇はなぜ尊いか(付:石井選手の発言)
09/2/10付:戦後の昭和天皇を振り返る
11/8/9付:昭和天皇御巡幸の御製と歴代天皇の博愛精神
11/8/14付:昭和天皇の涙…二つの位牌を手にした少女
11/12/3付:皇居勤労奉仕にまつわる感動秘話&女性宮家創設問題
12/1/13付:新日本建設に関する詔書
12/6/23付:沖縄慰霊の日…戦没者と遺族にお心を寄せ続けられる陛下
12/10/29付:秋の天皇賞で起きた感動的場面 イタリアのデムーロ騎手が両陛下に最敬礼
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14/8/11付:昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」
14/12/23付:皇居を前に手が震えたサウジの石油相
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 ほか、拙ブログ「皇室」カテゴリからどうぞ。

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