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天皇皇后両陛下パラオ行幸啓と報ステの無礼

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 パラオ共和国のペリリュー島の最南端に立つ「西太平洋戦没者の碑」の先から、約10キロ離れたアンガウル島に向かって黙礼される天皇皇后両陛下。

 パラオ行幸啓は天皇陛下にとって宿願でした。


 パラオは第一次世界大戦後、ドイツの植民地支配を脱し、国際連盟による日本の委任統治領となりました。
 ドイツ統治下ではほとんど進んでいなかったインフラの整備が行われ、学校教育も現地人に対して行われました。

 大東亜戦争末期には、激しい戦闘の舞台となりました。
 特に南西部の小島、ペリリュー島では米軍との壮絶な陸上戦が繰り広げられ、約1万人の日本兵が犠牲になり、米兵も約1700人が戦死しました。



 厚労省や遺族団体らによる遺骨収集が進められていますが、島内には未だ約2600柱のご遺骨が残されたままになっています。

 多くの戦跡も残されています。
 ジャングルのなかに大破したまま横たわっている零式艦上戦闘機も。



 1995年(平成7年)、戦後50年にあたり長崎・広島・東京都慰霊堂への行幸啓を終えられてしばらく経った頃、天皇陛下は渡辺允侍従長(当時)に、「南太平洋に慰霊に行きたい」と相談なさいました。

 南太平洋とはすなわち、パラオ共和国を含めたミクロネシア地域です。

 しかし、移動手段や警備上の問題があり、ふさわしい宿泊先もないことなどから、「物理的にとても難しいと思います」と説明したところ、陛下は一度は「分かった」と納得されたそうです。

 ところが、今度は「(米自治領の)サイパンだけなら行けるんじゃないか」と提案されてきたそうです。

 米側の協力もあり、2005年(平成17年)に初の海外への「慰霊の旅」となるサイパン行幸啓が実現しました。



 そして戦後70年を前にした昨年、パラオ行幸啓が再浮上。

 民間機と海上保安庁のヘリコプターの活用で移動の問題をクリアし、宿泊場所については巡視船を利用するという異例の選択もなさいました。

 80歳を超えられた両陛下は、厳しい条件を受け入れられつつ、宿願をかなえられたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 現地は歓迎ムード一色で、両陛下をお迎えする準備が着々と進められました。
 



 現地メディアも大きく報道。
 新聞では一面で伝え、晩餐会で召し上がる料理なども細かく紹介されていました。




<1日目>



 天皇陛下の羽田空港でのお言葉・全文です。

 本年は戦後七十年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。

 私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。

 パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和十年頃には、島民の数より多い五万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。

 終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約一万人、米軍は約千七百人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。

 この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。

 この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

 終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。

 このあと両陛下は、皇太子殿下、秋篠宮殿下、安倍総理夫妻らの見送りを受けられ、民間のチャーター機でパラオへと出発されました。

 パラオ国際空港には午後4時すぎに到着され、レメンゲサウ大統領夫妻の出迎えを受けられました。



 空港ではそのまま歓迎式典が行われ、両国の国歌が演奏された後、両陛下はパラオ政府関係者と挨拶されました。
 そして、大統領夫妻との会見が行われました。



 余談ですが、パラオは2000年に台湾と国交を樹立。
 中国とは国交を結んでいません。

 空港を出られる際には、パラオの子供たちが両国の国旗を振って歓迎。
 皇后陛下は女の子から蘭の花を受け取られていました。



 次の訪問先に車で向かわれる途中、沿道ではたくさんのパラオの人々が、両国の国旗を振って両陛下を歓迎しました。





 両陛下は、日本の経済支援で設立されたパラオ国際サンゴ礁センターで、ハゼやサンゴ礁をご覧になりました。
 このうち、「アケボノ」という皇后陛下が名づけたハゼを見つけられると、天皇陛下は「このハゼは最も美しいハゼなんですよ」と話されていました。



 夜には、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦の大統領夫妻らとともにパラオ政府主催の晩餐会に出席されました。
 いずれも日本の統治下にあった国々です。




 天皇陛下の晩餐会でのご答辞・全文です。

 戦後七十年に当たる本年、皇后と共に、パラオ共和国を訪問できましたことは、誠に感慨深く、ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度の御招待に対し、深く感謝の意を表します。今夕は、私どものために晩餐会を催してくださり、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き、ありがとうございました。また、この訪問に合わせ、モリ・ミクロネシア連邦大統領御夫妻、ロヤック・マーシャル諸島共和国大統領御夫妻がここパラオ国を御訪問になり、今日、明日と続き、私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく、心より感謝いたします。

 なお、この度の訪問を前にして、ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み、御遺族へのお悔やみをお伝えするとともに、被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

 ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

 しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

 また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

 ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから二十年以上がたちました。今日、日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

 ここに杯を挙げて、パラオ共和国大統領閣下、令夫人、ミクロネシア連邦大統領閣下、令夫人、及び、マーシャル諸島共和国大統領閣下、令夫人の御健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。

 記念写真に臨まれる天皇皇后両陛下と(左から)ミクロネシア連邦のエマ・ネルソン・モリ大統領夫人、エマニュエル・マニー・モリ大統領、パラオ共和国のデビー・レメンゲサウ大統領夫人、トミー・レメンゲサウ大統領(右二人目から)マーシャル諸島共和国のクリストファー・ロヤック大統領、リオム・ロヤック大統領夫人。



 1日目の日程を終えられた両陛下は、海上保安庁の巡視船「あきつしま」にご宿泊。
 両陛下が巡視船に宿泊されるのは初めてです。




<2日目>



 午前9時半ごろ、両陛下を乗せた海上保安庁のヘリコプターが巡視船を出発しました。



 ヘリは、午前10時ごろにペリリュー島の飛行場に到着。

 両陛下はペリリュー島の最南端にある「西太平洋戦没者の碑」に着かれると、日本から持参された白菊の花束を供えられ、深く黙礼されました。




 続いて、慰霊碑の先に見える同じく激戦地となったアンガウル島の方角を向かれると、再び黙礼され、犠牲者を悼まれました。
 アンガウル島も激戦地で、約1200人の日本兵が犠牲となっています。



 元日本兵や遺族に声をかけられる両陛下。



 手前に座っておられるのは、ペリリュー島で生き残った34人のうちの1人で、元海軍上等兵の土田喜代一さん(95歳)。
 戦友の御霊が陛下と邂逅する場に立ち会いたいと、老身を押して島に来られました。

 その隣りに座っておられる方は、アンガウル島の玉砕戦で生き残った元陸軍兵士、倉田洋二さん(88歳)。
 仲間と一緒に陛下のお言葉を聞きたいと、島で亡くなった約1200人の戦友名簿を持参されていました。

 両陛下はこのあと、米陸軍第81歩兵師団慰霊碑を訪問され、供花されました。



 近くには米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始したオレンジビーチがあります。
 両陛下はビーチの近くまで歩み寄られ、じっと海を見つめられたあと、静かに一礼されました。



 慰霊を終えられた両陛下は、島民の歓迎を受けられました。



 国際親善と慰霊についての行事を全て終えられた両陛下は、午後4時すぎ、レメンゲサウ大統領夫妻の見送りを受けられ、パラオ国際空港から帰路に就かれました。




 羽田では出発時と同様、皇太子殿下、秋篠宮殿下、安倍総理夫妻らの出迎えを受けられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上です。
 いや~、本当に強行日程でしたね。

 少し前に天皇陛下がお風邪を召していらしたので、ちょっと心配していたのですが、無事に帰国されてホッとしています。

 あと、韓国の“反日記念碑”が両陛下のお目に留まることもなかったようで、それもホッとしました。
 (詳細は、15/2/28付:韓国がパラオに建てた反日記念碑と日本パラオ友好橋を)

 両陛下にお越しいただいて、英霊の皆様もさぞ心が安らいだことでしょう。

 ペリリュー島守備隊だった土田喜代一さんも、「英霊たちが陛下に出会えて喜ぶことがとてもうれしい」と、メディアの取材に話しておられましたね。

 また今回メディアが連日大きく報道したことで、多くの日本国民がペリリューの激戦を知ることとなりました。
 そのことも英霊の皆様はきっと喜ばれていると思います。
 (一部、変な報道をするメディアもありましたが…後述)

 両陛下の行幸啓によってペリリューという名前を知った日本人が大半ではないでしょうか。
 特に戦後生まれは。

 私も知ったのはほんの10年前かそこらです。
 アンガウル島のことは、今回初めて知りました。

 私たちはふだん戦没者の方々のことを意識することはあまりありません。
 でも、全ての戦没者の犠牲の上に、もっとはっきり言えば、全ての戦没者の「屍(かばね)」の上に、今の私たちの暮らしが成り立っていることを、折に触れて思い出すべきだろうと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 最後にお目汚しになりますが、どうしても記録しておきたいので転載します。


 あと、たまたまネットで見かけたんですが、陛下の羽田空港でのお言葉、晩餐会でのご答辞を「理解できない」と書いている人がいました。

 要旨をまとめると、こんな風。

 「植民地への日本人の移住と貢献を誇らしげに語る感覚が理解できない。日系人がいるのは植民地化の結果でしょ?委任統治が認められたのは、泥棒行為を戦勝国の立場で追認してもらっただけ。その後日本が始めた戦争のために戦場となり、多大な被害を与えた。なのに、なぜ反省とお詫びの言葉を入れないのか」

 もう、どこをどう突っ込んでほしいねん!という状態。

 「植民地」を連発していますが、パラオを「植民地」なんて朝日新聞も書いてないのでは?
 バリバリの左翼という印象は受けなかったので、おそらくは今の価値観を当時に当てはめて見てしまっているんでしょう。

 この人以外にも、「パラオは日本の植民地支配の被害者」的な主張が、ネットだけでなくメディアでも散見されます。

 日本の「植民地支配」の被害者だと思っている国が、戦後、ゼロ戦の切手を発行したりしますか?
 


 また、ペリリュー州では両陛下の行幸啓が決まったあと、4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として祝日とする法律も制定されましたが、このことはどう考えるのでしょうか?

 「被害者」なんて言うこと自体、逆にパラオの人々に失礼だと思います。

 このような間違った歴史観を持ってしまう原因はもちろん学校教育も大きいですが、報ステのようなメディアもそれに匹敵、あるいはそれ以上の悪影響を与えているんじゃないでしょうか。






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