ぼやきくっくりFC2版

主婦の時事ネタぼやきFC2版。本館はhttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/

ペマ・ギャルポさんチベット・モンゴルを語る

クリックお願いします人気blogランキングへご面倒でなければこちらも→FC2 blogランキングへ
【こちらはミラーです。トラバは受け付けていますが、コメントは本館へお願いします。
本館はこちら→http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/

「日本より正しい情報を発信する会」メンバー募集!
ブログや掲示板等から、中韓をはじめとする反日勢力に対抗する優れた主張を、フラッシュ動画などに加工し、英文解説をつけて、YouTubeなど動画サイトにアップさせて行きます。英訳、動画作成のできる方、「このブログを英文にしたらどう?」など提案をして下さる方、大歓迎!まずはこちらにアクセスを!(Googleのアカウントをお持ちでない方は作成して下さい)

 今日も細切れぼやきがあります。
 日本海呼称問題、その他もろもろ。スクロールしてのお楽しみ。

 まずは表題の件。

070512pema.jpg

 WEB版に残念ながら存在しないようですので起こします。

 5月6日〜11日まで産経新聞朝刊に掲載されたペマ・ギャルポさんのインタビュー「モンゴルの大地を駆ける」です。

 その前にまず、ペマ・ギャルポさんの略歴をご紹介(産経より引用)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ペマ・ギャルポ 1953年6月、チベット・カム地方(現在の中国四川省)生まれ。59年4月インド亡命、難民キャンプで少年期を過ごし、65年12月来日。埼玉県の中学、高校で学び、亜細亜大学卒業後、ダライ・ラマ法王日本駐在連絡官、80年から90年までダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表。現在、チベット文化研究会名誉所長、桐蔭横浜大学大学院教授。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 では、インタビュー記事をご覧下さい。
※赤字強調は引用者によります。
※聞き手は相馬勝さんです。

産経新聞5/6朝刊総合面掲載
モンゴルの大地を駆ける(1)

観音像建設が生んだ親交


 《チベット仏教の指導者、ダライ・ラマ14世のアジア・太平洋地区代表やチベット文化研究所長として長年活躍、このたびモンゴル大統領顧問(社会・文化担当)に就任した。2005年11月、日本に帰化しており、同顧問就任は日本人としては初めて。これまで培ってきた日本を中心とするアジア人脈を駆使して、モンゴルの現代化建設に貢献しようと意欲満々だ》

 ——大統領顧問としての初仕事は

 ペマ 2月下旬からのナンバリン・エンフバヤル大統領の訪日でした。分刻みの日程のなかで印象的だったのは、大統領が神奈川県藤沢市の常立寺を訪問したことです。約730年も前の元寇時の元の使者、杜世忠ら5人を供養した元使塚があり、大統領はモンゴルの高僧を伴い焼香しました。大統領夫人が「長年供養してくださりありがとうございます」と住職に声をかけていました。
 また、博多湾で起きた元寇の戦死者を供養する日蒙合同慰霊祭が3月1日、福岡市で行われ、モンゴルのチベット仏教の高僧が大導師を務めました。元寇から700年以上の時を経て、日蒙友好協力関係の象徴的な行事となりました。

 《元使塚は1275年、幕府の執権北条時宗によって、近くの龍の口刑場で処刑された杜世忠ら5人の供養塔。元寇によって、日蒙両軍で14万人もの犠牲者が出たといわれる》

 ——エンフバヤル大統領との交流は長いのですか

 ペマ もう15年ほどです。モンゴルが90年にモンゴル人民革命党(共産党)による一党独裁を放棄したことに伴う民主化建設の象徴にと、92年に高さ26メートルもの大観音像の建設を計画しました。その責任者だった文化大臣がいまのエンフバヤル大統領です。大統領とはモンゴル在駐のインド大使を通じて面識がありました。ダライ・ラマ法王が落慶式に臨席することもあり、観音像の建設について相談を受けたことで親しくなったのです。

 ——モンゴルに行くことも多いのですか

 ペマ 91年の初訪問以来、多いときには年に4回、少なくとも年1回、全部で40回くらいですね。


産経新聞5/8朝刊総合面掲載
モンゴルの大地を駆ける(2)

独立放棄…日本に帰化決意


 ——初訪問(1991年)当時のモンゴルは一党独裁放棄による民主化導入で、混乱していたのでは?

 ペマ てんやわんやですね。価値観が大きく変わり、30代、40代の若手指導者がどんどん出てきて、日本の明治維新も、こういう感じではなかったかと思いました。現大統領のエンフバヤル氏は92年当時の文化大臣で、まだ34歳の若さでしたが、付き合ってみて、スケールの大きな政治家だと分かりました。

 ——モンゴルへは、どのような支援を

 ペマ 私は14年間、ダライ・ラマ法王のアジア・太平洋地区代表などを務め、法王の世界各国歴訪にも随行するなど、各国の宗教・文化関係の有識者らと親交がありましたので、モンゴルの新たな文化創造のために、さまざまな人々を紹介しました。そのなかには、モンゴルの民主化進展に尽力してくれた方もいらっしゃいました。

 ——ダライ・ラマとモンゴルの関係はどうですか

 ペマ モンゴルで最も信じられているのはチベット仏教ですので、宗教的に最も尊敬されています。また、モンゴルの歴代皇帝はチベット仏教を信じており、両者の関係は極めて深いのです。

 ——今後、支援の重点は

 ペマ モンゴルは歴史的に遊牧民族です。今後は農業の普及による食糧の自給自足とウランバートルなど都市のインフラ整備が重要です。引退、退職した日本人のシルバーボランティアを組織化して、モンゴルの国造りに貢献できればいいですね。今最も必要なのは農業や医療、都市建設の向上だと思います。

 ——ところで、日本に帰化されたそうですね

 ペマ 一昨年の11月です。1965年12月に初めて日本の土を踏んだので、40年間の生活を経て、日本人になったことになります。生活基盤が日本にできてしまい、もはや日本以外では生活できなくなってしまったのです。

 ——なるほど、日本が本当の故郷になったのですね

 ペマ もうひとつは、ダライ・ラマ法王がチベットの独立を放棄されたことです。それは87年9月に米国議会での演説で提案した「5項目和平プラン」(独立放棄を前提に、将来のチベットの地位ならびにチベット人と中国人の関係についての真摯(しんし)な交渉の開始などを提案)です。
 チベット人としては、ダライ・ラマ法王の意思は尊重しなければなりません。しかし、私はずっとチベット独立のために働いてきました。中国の支配下で生きる気はまったくありません。これも私が日本に帰化した大きな理由です。


産経新聞5/9朝刊総合面掲載
モンゴルの大地を駆ける(3)

チベット侵攻で逃亡生活に


 ——日本への帰化に不安は

 ペマ 最も心配したのは、日本国籍を取得した後で、私がチベットのために日本を裏切ることにならないかということです。数年間悩みました。しかし、少なくとも私が生きている間は、日本とチベットが対立することはないだろうと思ったのです。

 ——ダライ・ラマには報告されたのですか

 ペマ はい。ダライ・ラマ法王は常々、「チベット人はどの社会にいても、その国の法律を守り、迷惑をかけることなく、できることなら、歓迎されない人物ではなくて、人々から歓迎される人物になりなさい」と言われています。それと、法王は私のことをよく冗談で「お前は日本人だな」とおっしゃっていました。例えば、1970年代には、日本政府が法王の入国ビザを拒否したことがありました。私は抗議すると同時に、自信の反省も込めて丸刈りにしたのです。自分でも知らないうちに、日本人の価値観で行動していたのです。

 ——故郷ではどんな生活を

 ペマ 当時のチベット・カム地方ニャロン地区で生まれました。いまの中国四川省甘孜(かんぜ)蔵族自治州新竜県です。山や川など自然が豊かで農牧業が盛んでした。父は豪族の長で、私の兄2人は僧侶になることが決まっており、私が跡取りでした。翡翠(ひすい)の茶碗(ちゃわん)と象牙のはしを使って、大理石の机をもつなど、裕福で何不自由のない生活をしていました。しかし、中国人民解放軍がチベットに侵攻してから、私たち家族は逃亡の毎日を送るなど、生活が全く変わりました。

 ——それは大変でしたね

 ペマ 中国軍の兵士は当初、農作業や水くみを手伝うなど礼儀正しく親切でした。しかし、チベット側との関係が悪化してくると、民衆と衝突するなど紛争がチベット全土に拡大しました。父は新竜県の県長に任命されましたが、中国軍と戦うようになり、私は家族や家来ら20人くらいでチベット中を逃げました。私も流れ弾に当たったこともありました。まだ子供でしたから、正直言って恐ろしかったですね。

 ——それはいつごろですか

 ペマ 58年ごろです。インドに亡命するまでほぼ1年間、逃亡生活を送りました。夜は移動し、昼は隠れて寝る生活で、クマやシカまで食べました。徐々に南下してラサに入り、その後、巡礼者のふりをしてブータン国境に向かいました。59年3月にチベット蜂起が起こり、「ダライ・ラマ法王がインドに亡命された」とのうわさを聞いて、われわれもインドに入りました。


産経新聞5/10朝刊総合面掲載
モンゴルの大地を駆ける(4)

“順番待ち”消えた死の恐怖


 ——インド亡命後の生活はいかがでしたか

 ペマ 1959年3月末、インド・アッサム地方の難民キャンプに入りました。ダライ・ラマ法王を慕ってチベットから逃げてきた難民があまりに多いので、インド政府が建設したのです。仮説キャンプだけに、屋根はあっても壁はなく、ジャングルを切り開いただけに、ヘビや蚊が多く、野生のゾウも出たほか、すごく暑くて環境は劣悪でした。
 何不自由ない幼年時代を過ごしましたが、キャンプであめをもらう際、隣の子供にひじでこづかれ、あめをもらえず、難民になったのだなと本当に惨めな思いをしました。

 ——つらいですね

 ペマ そこには数千人が住んでいて、私たちは3カ月くらい住んでいました。この間、栄養失調でおなかがぽっこり出て、水ぼうそうも患い、さらに感染症も併発して、キャンプ内の病院に入りました。病院と言っても、屋根があるだけの吹きさらしに粗末なベッドが置いてあるだけで、消毒用の殺虫剤が大量に散布されており、頭が痛くなるほどでした。朝起きると昨日までいた患者がベッドから消えており、子供心ながら「亡くなったのだな」と分かりました。こういう生活に慣れると、死ぬのは順番待ちのようなものになり、何も怖いものはなくなりましたね。

 ——悲惨です

 ペマ 付き添っていた父も、もうだめだと思ったのでしょう。少しでも涼しいようにと、私のことを優しく抱き上げて、外の風に当ててくれました。その微風が大変心地よく感じ、「生きたい」「死ぬのが怖い」と思いました。それで気を持ち直したのか、奇跡的に回復しました。

 ——お父さんの思いが通じたのですかね

 ペマ 父は当時38歳、96年に75歳で亡くなりました。父には本当に感謝しています。その後、ダライ・ラマ法王の義理の姉がダージリンに建設したチベット難民中心の学校に入りました。小中一貫教育で、上は17歳から下は5歳まで、全部で200人ほどいました。
 そこで2年ほど過ごした後、キリスト教系の団体から、難民の少年少女をミッション系スクールに入れる機会を与えられ、私はそちらに移りました。ダージリンは英国統治時代、英国人の避暑地でもあり、インドの中でも学校の教育水準が高く、すべて英語での授業でした。

 ——いつから日本に?

 ペマ 65年、12歳の時に、ほかの4人のチベット人と来日しました。当時の日本ではわれわれが難民第1号と言ってもよいと思います。


産経新聞5/11朝刊総合面掲載
モンゴルの大地を駆ける(5)

日本とチベット 橋渡し役に


 ——来日の経緯は

 ペマ まず、亜細亜大学の木村肥佐生教授が、チベット難民の子供たちを日本に呼びたいと提案し、同大の倉前盛通教授に相談されたのです。倉前先生が、埼玉医科大学を創設した丸木清美先生に話を持ちかけ、資金援助を得たのです。

 ——いろいろな方がかかわっていたのですね。

 ペマ 当初はチベット難民の医療向上のために、看護婦を養成する計画が立てられたそうです。ところが、チベット側は「第1期生は男子にしてほしい」と主張として、私を含めて5人の男子が選ばれたのです。私たちは1965年12月に来日しました。翌年4月から中学1年に編入するため、小学校の国語の教科書を使って日本語の猛特訓を受けました。

 ——中学校に入学してからいかがでしたか

 ペマ 丸木先生の地元の埼玉県毛呂山町の毛呂山中学に入学し、1年生のときは全く授業についていけませんでした。ただ、町の人が総がかりで温かく教えてくれました。教科書にルビをふってくれたり、食事に誘ってお風呂に入れてくれたりで、本当に親切でした。

 ——亜細亜大学に進学。在学中にチベット文化研究会を創設した

 ペマ ええ、1973年当時は日本にチベットを支援する団体がなかったので、自ら設立しました。72年に日中国交正常化が実現したばかりで、日本での中国熱は盛り上がっていました。少しでも反中的なことを言ったりすると、「反動分子」扱いされて困りました。そのような雰囲気が変わったのが89年の天安門事件で、それを境に、われわれの主張も聞いてもらえるようになりました。

 ——90年、ダライ・ラマの代表をやめています

 ペマ 連絡官の時期も含めて実質的に14年間も活動しているなかで、新しい人材が出てきたこともあります。また、ダライ・ラマ法王が89年にノーベル平和賞を受賞したことで、チベット問題にとっても大きな転換期になりました。これを契機に、私は大学に戻り研究に専念したかったのです。岐阜女子大教授や拓殖大学海外事情研究所の客員研究員を務め、チベット問題をテーマにして博士号の取得にも全力を注ぎました。

 ——テレビなどでコメンテーターとしてもご活躍です

 ペマ さまざまなチャンスを与えていただき、私自身の視野も広がってきた気がいたします。日本で培ってきた知識や人脈をモンゴルのために使えればと思っています。個人的には歴史に残るような日本とチベットの橋渡しをしていきたいですね。=おわり


 朝日新聞や毎日新聞には絶対載らないな、これは(T^T)


 ペマさんは日本に帰化した理由のひとつとして、ダライ・ラマがチベットの独立を放棄したことを挙げられていますね。「中国の支配下で生きる気はまったくない」と。
 チベット人としてのアイデンティティ(独立希求)とダライ・ラマの意思(独立放棄)、その狭間でペマさんはきっと大変悩まれたんでしょうね。

 それにしても、帰化するにあたり最も心配したのが、「日本国籍を取得した後で、私がチベットのために日本を裏切ることにならないかということ」だとは。感動してしまった!(T^T)
 在日に便宜を計るために日本国籍を取得した白眞勲(民主党参議院議員)なんかとは、根本的に違いますね。


 ダライ・ラマの「独立放棄」——。
 人口、軍事力、経済力などで中国に圧倒されているチベット人が生き残っていくためには、大幅な妥協はやむをえないのかもしれません。
 しかし、ダライ・ラマは平和的対話を求めているものの、中国共産党は話し合いには応じていません。

 中国共産党は対話を延ばし延ばしにしつつ、一方でチベットに漢民族をどんどん送り込み、民族浄化を進めていく腹なのでしょう。
 実際、2006年7月に青蔵鉄道が全線開通したことで、チベットの中国化はますます拍車がかかっていると聞きます。
 ダライ・ラマも今年3月、「チベット民族の文化や地域の自然がおびやかされる」と青蔵鉄道を批判しています(AFP BB News3/11)。


 中国共産党はチベットだけでなく、東トルキスタン(中国側の呼称は「新疆ウイグル自治区」。新疆とは「新しい領土」という意味)、内モンゴル、これらに対して侵略、弾圧、虐殺、文化破壊等を行ってきました。

 来年は北京五輪がありますが、「こんな国に平和の祭典を主催する資格はない!」と、ほんともう声を大にして言いたい気分です。
 実際、世界のあちこちで、北京五輪ボイコットを呼びかけている団体(「国境なき記者団」など)や国(チェコなど)がありますよね。

 最近は、中共がスーダンの「ダルフール虐殺」を支援しているとして、米議会でも対中非難が強まり、「ジェノサイド(大量虐殺)五輪」になってしまうとして、北京五輪のボイコット呼びかけの可能性を示唆する議員もいるそうです(産経5/11)。


 が、私は最近、ボイコットは「あえて」しない方がいいのではないかと思うようになりました。というのは、北京五輪では絶対にトラブルが起こります。いや、トラブルを起こします。中国が。

 北京五輪は、中華思想に基づく中共の前近代的な振る舞いや、中国人の民度の低さなどを世界中に知らしめる一大チャンスではないだろうか?と思うのです。
 (うちの夫なんか、日本の選手が食事に毒を盛られたり、わざと怪我させられたりするんじゃないかと、本気で心配しています)
 そうなれば、中国が内外に抱える様々な問題に対して、なおいっそう世界から厳しい目が向けられるようになるのではないでしょうか。

 もっとも北京五輪が、「南京大虐殺」をはじめとする反日プロパガンダが世界に刷り込まれる場になってしまうのではないか?というご心配もあろうかと思います。
 ですが、もしホスト国がそういった歴史問題を、つまり政治をスポーツの祭典の場に持ち込んだら、それもまた非難の対象になるのではないでしょうか。


 但し、中共に対する「牽制」としてボイコットを匂わすのは良いと思います。
 特に日本は中国に対し、経済や技術の面で大きな支援をしています。だからちょこっと匂わすだけでも、かなりの効果が見込まれるのではないでしょうか。

 これまでのところ、日本政府あるいは国会などでそういった動きは一切ないみたいですが、この先、歴史問題その他で中共が日本に因縁つけてくるようなことがあれば、「ボイコット」の「ボ」の字ぐらい言ってやれ!と思います。

 今ちょっと調べてみたら、北京五輪は08年8月8日〜24日までだそうです。
 安倍さん、来年は8月15日に堂々と参拝したったらええねん!(もちろん今年も参拝してほしいが)。向こうはたぶん何も言われへんと思うよ。


 ちなみに、今月号(6月号)の「正論」にもペマ・ギャルポさんのインタビューが載ってるんですが、そこでペマさんは北京五輪について、このように語っておられます。

 私はそこ(ボイコット)までは考えていませんが、五輪開催をきっかけとして、何かが起こるだろう、と見ています。五輪開催によって、外の世界から中国へいろんな人やものが入ってきます。それを中国政府が果たして、うまくコントロールできるでしょうか?中国の現状に対して、不満を持っているのは何も少数民族だけではありません。中国人の中にも、反感を持っている人はいるのです。私は、そうした中で、中国がこれまでやってきた愛国教育がマイナスに出てくる場面もあると思うのです。


※参考リンク
ペマ・ギャルポ(Wikipedia)
チベット(Wikipedia)
チベット自治区(Wikipedia)
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

※拙ブログ関連エントリー
5/4付:大高未貴さんチベットを語る
 チベット巡礼者射殺事件など、チベット関連のリンク集もあります。



・・・・・・・・・・・細切れぼやき・・・・・・・・・・・


「日本海」削除を議長提案 IHO総会でと韓国報道(産経5/11)
 日本海の呼称を韓国が「東海(トンヘ)」と主張している問題で、韓国の聯合ニュースは10日、モナコで開催中の国際水路機関(IHO)総会で同日、世界の海の名称などの指針「大洋と海の境界」の次の改訂版から「日本海」の表記を削除、同海域の名称を空欄にする案が議長から提示されたと報じた。
 韓国は今回総会で、日本海と東海の併記を求めており、報道が事実なら韓国に有利な展開になる。総会で日本は現行通りの日本海単独表記を主張、北朝鮮は韓国に同調しているという。
 同ニュースは議長が日本と韓国、北朝鮮に本国に持ち帰り検討するよう要請したと伝えている。(共同)
(2007/05/11 00:10)

 ↓結局こうなったようです。

議長提案の不表記案は表決されず 日本海呼称問題(産経5/11)
 塩崎恭久官房長官は11日午後の記者会見で、日本と韓国が対立している日本海の呼称問題をめぐり、モナコでの国際水路機関(IHO)総会で、海図の改訂版策定作業について「日本海」の表記を含まない形で当面進める議長提案がいったん出されたが、日本の反対を受けて表決されなかったことを明らかにした。
 韓国は日本海の呼称を「東海(トンヘ)」と主張し、日韓間で呼称に関する同意が成立するまで併記すべきだと主張、北朝鮮も同調している。
 塩崎氏は総会の状況に関し「韓国に有利な展開になっていない」と強調した。
(2007/05/11 20:49)

 韓国側は「東海」呼称はやめて「韓国海」呼称を主張していくって話もあったんですが、やっぱり「東海」で行くことにしたんかね?

 あと昨日(5/10)、日本海呼称問題に絡んで、「あすの日本を考える会ブログ」のtarakoさんから拙ブログにコメントをいただきました。
 鳥取県琴浦町の「韓国庭園」(「それもなんだかなぁ」by tarakoさん)の記念碑から「東海」標記の削除に至ったのですが、民潭をはじめ領事館にいたるまで抗議の嵐だそうです。

 詳しくはこちらを。
あすの日本を考える会ブログ 5/10付:東海削除問題化の兆し

 さらに最新ニュース。
記念碑から「東海」削除 韓国で抗議活動(日テレNEWS24 5/11/22:53)

※拙ブログ関連エントリー
1/9付:【過去】日本海呼称問題〜なぜ「東海」が「韓国海」に?


■超・細切れぼやき

【中国】給料袋の中身は「偽札」、怒る作業員を工場が解雇(サーチナ・中国情報局5/10)
 「同工場で偽札が作業員に支給されたのは今回が初めてではない」……すごい国ですなぁ。

北京の遊園地、ディズニー社が著作権侵害と市当局に告発(読売5/11)
 「(ミニーマウスは)当園オリジナルの『耳の大きな猫』のキャラクターで、ディズニーのまねではない」……すごい国ですなぁ。
 世界でパクリが大きく報道されたせいか、数日前に遊園地側はキャラクターを撤去したとニュースで見ましたが、それはディズニー側からの告発を予想してのことだったのでしょうか?

自民、テレ朝に訂正要求 「国民投票法案巡り虚偽放送」(朝日新聞5/12)
 また朝日系列ですか。
 慣れていくのね、自分でもわかる……(セイラさん@ガンダム)。
 ……って、慣らされたらアカンアカン!(;_; )( ;_;)


 本日もスクロール、お疲れさまでした<(_ _)>



このブログが面白かったらクリックして下さい→人気blogランキングへ
ご面倒でなければこちらも→
FC2 blogランキングへ

!!男系維持に同意される皆さん、ぜひご協力下さい!!
◇男系維持の方法はある!国会議員やメディアにお知らせしましょう◇
kousitudentou.jpg
●皇室の伝統と歴史を守ろう。男系維持する方法あります。●
有志の皆様が作って下さった国会議員のメールアドレス帳はこちら。
国会議員&新聞週刊誌ワイドショー等メディアのアドレス帳はこちら(zipファイル)。
メールアドレス帳は「スパイ防止法案上程」「人権擁護法案阻止」「外国人参政権阻止」「北朝鮮への経済制裁要望」等にも是非ご活用下さい。


「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto
スポンサーサイト

トラックバック

トラックバックURL:http://kukkuri.blog58.fc2.com/tb.php/152-73782002
1 :荒波φ ★:2012/04/23(月) 18:12:59.95 ID:???日韓両国の「日本海」の呼び名を巡る軋轢(あつれき)が23日からモナコで開催される国際水路機関(IHO)の総会で波乱を呼ぶ可能性が出てきた。海図の改善や海...

プロフィール

くっくり

Author:くっくり
大阪在住の主婦です。
詳しいプロフィールは本館にて。

最近のコメント

月別アーカイブ

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア

竹島プロジェクト
↑バナーお持ち帰り歓迎(直リンク禁止)
人気blogランキングへ
人気blogランキングへ
FC2 blogランキングへFC2 blogランキングへ

■Amazonアソシエイトについて
「ぼやきくっくり」は、amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

ブログ内検索