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本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件

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[画像は日々佳良好さんより拝借。画像をクリックすると新規画面で拡大されます]

 先日ツイッターでも紹介しましたが、週刊新潮9月25日号にて、「中国の旅」の著者で元朝日新聞記者の本多勝一が、「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真であることを認めました。

 本多勝一はこう述べているそうです。

「『中国の日本軍』のキャプションが『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているという指摘は俺の記憶では初めてです。確かに『誤用』のようです

 「中国の日本軍」とは「中国の旅」の写真集版です。
 この写真のおおもとの出典は「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号で、キャプションは【我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女史供の群】となっています。

 それが、「中国の日本軍」のキャプションでは【婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ】となっており、アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」では、【日本軍が女性や子供を狩り集めて売り飛ばした】となっていました。

※この件の詳細こちら
水間政憲さんのブログ>緊急拡散希望《本多勝一氏が『週刊新潮』に「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真と認めました》
【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]
日々佳良好さん>南京事件・本多勝一が捏造写真と認めた


 冒頭の橋の写真は、もとは「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号の「硝煙下の桃源郷・江南の『日の丸部落』」という特集ページに掲載されていたものですが、このページには他に3枚の写真が掲載されていました。うち2枚がこちらです。

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[画像はいずれも水間政憲さん著「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」から接写。画像をクリックすると新規画面で拡大されます]

 冒頭の橋の写真は、実際には、下の村から上の畑への送り迎えを日本軍が護衛していた途中の微笑ましい光景だったのです。
 他の写真は「大虐殺」派にとっては都合が悪いため、隠されています。

 「中国の旅」のキャプション『誤用』は冒頭の橋の写真以外にも複数あって、特に有名なのはこちらです。

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 これは「中国の旅」の単行本や文庫本には掲載されていませんが、「本多勝一全集14」の「中国の旅(南京編)」に新たに追加された写真で、キャプションは【ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された(南京市提供)】となっています。

 しかし、これもおおもとの出典である「朝日版支那事変画報」1937年(昭和12年)12月5日号のキャプションを見ると、【支那民家で買い込んだ鶏を首にぶらさげて前進する兵士】と説明されています。

 日本軍はちゃんと代価を支払ってこの鶏を買っていたことが分かります。


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 以下、近現代史研究家の阿羅健一さんが、現在発売中の「正論」2014年10月号にちょうど「中国の旅」をテーマにした記事を書かれていますので、それを引用しながら書いていきます。

 「中国の旅」は1971年(昭和46年)8月から12月まで朝日新聞に掲載されました。
 支那人が戦争中の日本軍を語る形を取ったルポルタージュで、残虐で非人道的な日本軍の姿が語られました。

 ところがそこで語られている日本軍の行為は、日本人の感覚からは考えられないものでした。

 南京戦に参加した元日本兵でご健在の方々がまだ多くいた時期ですし、朝日新聞読者も含めて「記事に対するごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した」(「朝日新聞社社史」)そうです。

 それどころか社内でも批判が上がりました。
 当時従軍した記者たちが取材した南京と、「中国の旅」に書かれている南京とでは全く違っていたからです。

 日本軍が南京城内に入ったのは1937年(昭和12年)12月13日です。
 14日の南京の中心の様子を朝日新聞はこう報道していました。

「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。十四日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くともう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」(東京朝日新聞12月16日)

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[1937年(昭和12年)12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)/ソースURL

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[1937年(昭和12年) 南京住宅街にて撮影/「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より/支那事変写真全集(中)上海戦線 南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達/撮影者、朝日新聞林カメラマン/ソースURL

 しかし、意外なことに多くの日本人は、この捏造だらけの「中国の旅」をまともに受け入れてしまったそうです。

 なぜか?
 阿羅健一さん曰く「朝日新聞を信じたから」。
 当時の朝日新聞の信頼性はものすごく高かったようです。今とは違って。

 阿羅さんは「中国の旅」連載から10数年して、健在だった元兵士の方々を尋ね回ったそうです。
 それは金沢や津の兵隊たちでした。

 なぜ金沢や津かというと、「中国の旅」で語られているのは城内の安全区や揚子江岸でのことで、日本軍は部隊ごとに戦闘地が決められていたから、どこの日本兵が行ったかすぐ分かるからです。

 安全区は金沢の兵隊が掃蕩(掃討)し、揚子江岸には津の兵隊が真っ先に進出したので、もし「中国の旅」が事実なら、殺戮や強姦は彼らが行ったことになります。

 しかし、どれほど多くの方々に会っても、「中国の旅」の内容を否定したそうです。
 反対にこんな返事が返ってきたのだとか。

「戦前の日本は農村社会で、ひとつの村から何人も同じ中隊に入りました。もし強姦などすれば、すぐ郷里に知れ渡り、除隊しても村に帰れなくなります。日本の軍隊が同じ郷土の若者から成り立っていたことは、軍紀を守らせる役目をはたしていたんです」

 実は、本多勝一は「正論」1990年9月号で、前号の田辺敏夫氏の記事への反論という形で、このように述べているそうです。

「問題があるとすれば中国自体ではありませんか」

 この言葉から、本多自身が「中国の旅」が虚偽に満ちていることを知っていたことが分かります。

 そして、支那人が本多に語ったことは、自分たち支那人が行ってきたことをオウム返しに語っているだけではないか、ということに気づかせてくれます。


 たとえば、「中国の旅」と李圭の「思痛記」という本を比較すればそれは明らかです。

 「思痛記」は1879年(明治12年)に書かれた本で、李圭は清朝の役人でした。

 1850年に広西で長髪賊の乱(太平天国の乱)が起こり、3年後には南京を落とし、支配した地域を太平天国と称しました。
 太平天国は清と戦い続けましたが、1864年に敗れて滅びます。

 南京郊外の豪族の家に生まれた李圭は、1860年に長髪賊に捕まり、2年以上軟禁されて逃れたあと、清朝の役人となりました。
 そして軟禁されていた頃の体験談をまとめました。
 それが「思痛記」です。

 この本の中で、李圭は周りで起こった悲惨な出来事を記述しています。
 「中国の旅」の記述と比較して下さい。
 赤文字は「中国の旅」の記述、青文字は「思痛記」の記述です。

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「日本兵が現れて、若い女性を見つけ次第連行して行った。彼女たちはすべて強姦されたが、反抗して殺された者もかなりあったという」
「美しい女は路傍の近くに連れこまれて淫を迫られた。必死に拒んで惨たらしい死に方をするのが十の六、七であった」
※“強制徴募”され支那事変に駆り出された支那人青年の私小説「敗走千里」にも、支那兵にとってこの種の蛮行は日常的であったことを匂わせる記述が出てきます。もちろん相手は自国の女性です。ちなみに「敗走千里」は戦後にGHQによって「焚書」にされました。

「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」
「長柄の槍で争って突き刺されるか、鉄砲で撃たれるかして、百の一人も助からなかった。水はそのため真っ赤になった」

「強姦のあと腹を切り開いた写真。やはりそのあと局部に棒を突立てた写真」
「女の死体が一つ仰向けになって転がっていた。全身に魚の鱗のような傷を受け、局部に矢が一本突き刺さっていた」

「日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。(中略)大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」
「刀がふりおろされるごとに一人又一人と死にゆき、頃刻にして数十の命が畢(おわ)った。地はそのため赤くなった」

「水ぎわに死体がぎっしり漂着しているので、水をくむにはそれを踏みこえて行かねばならなかった」
「河べりには見渡すかぎりおびただしい死体が流れ寄っていた」

「逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した」
「河べりに大きな木が百本ばかりあったが、その木の下にはみなそれぞれ一つか二つずつ死体があった。木の根元に搦手に縛りつけられ、肢体は黒焦げになって満足なところは一つもなかった。それらの気にしても、枝も葉もなかった。多分賊や官軍らは人をつかまえて財物をせびり、聞かれなかったために、人を木に縛って火を放ったものであろう」

「赤ん坊を抱いた母をみつけると、ひきずり出して、その場で強姦しようとした。母は末子を抱きしめて抵抗した。怒った日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した。半狂乱になった母親が、わが子を地面から抱き上げようと腰をかがめた瞬間、日本兵は母をうしろから撃った」
「(賊の頭目の一人汪は)夫人と女の子を家に送り返してやるといった。嘘とは知らないものだから夫人は非常に喜び、娘を先に立てて歩かせ、自分はそのあとにつづいた。汪は刀を引っ下げてついていったが、数十歩も歩いたか歩かぬに、いきなり後ろから夫人の頸部をめがけて、えいとばかりに切りつけた。夫人はぶっ倒れて『命ばかりは』と哀願した。が、またもや一刀、首はころりと落ちた。汪はその首を女の子の肩に乗せて、背負って帰れといった。女の子は力およばず、地に倒れた。汪はこれを抱えおこし、刀をふりあげて女の子の顋門[くっくり註:幼児の頭蓋骨の泉門のこと]めがけて力まかせに斬りつけると、立ちどころに死んだ」

「『永利亜化学工場』では、日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという」
「喬(賊の頭目の一人)はひどく腹を立て立ちどころに二人を殺し、さらにその肝をえぐり取って、それをさっきの同伴者に命じて鍋の中に捧げ入れさせ、油で揚げて煮た上で一同に食べさせた」

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 こういった残酷な殺害方法は、1937年(昭和12年)7月29日に支那軍が日本人を大量虐殺した通州事件でもみられましたね。

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 このように支那人の語ることが日本の常識や歴史から説明がつかないこと、それが支那では当たり前のように起きていることを考えると、日本軍が南京で行ったと語られた蛮行は、支那人が歴史的に繰り返して行ってきたことであり、日本人も同じことを行ったに違いないと彼らが思い込んだからだと、阿羅さんは指摘しています。

 そして、その勝手な思い込みが、なぜ日本が南京を攻めた時に語られたかの手がかりも、「思痛記」にあると阿羅さんは言います。

 というのも、南京から80キロほどのところに金壇という街があり、長髪賊は南京を落とす時に金壇城も攻めたのですが、そこが陥落した日のことはこう記述されているのです。

「入城した。新しい死骸、古い死骸が大路小路を埋めつくしていて、おそろしくきたなかった。城濠はもとから狭くもあったが、そのために流れがとまった。赤い膏白い膏が水面に盛り上がっていて、あぶくが盆よりも大きかった。それというのが、住民たちは城が陥ちたら必ず惨殺されることを予期して、選んでみずから果てたものもあったが、城の陥落する前に、官軍中の悪い奴らの姦淫強奪に会い、抵抗して従わなかったために殺されたものもあった

 城が陥落すれば必ず惨殺される、強奪される、強姦される。
 それは支那の歴史において何度も何度も繰り返されてきたことです。

 日本が南京を攻略した時、さまざまな残虐なことが起こったと支那人は語りましたが、そう語るには、このような歴史的背景があったのです。

※付記しておくと、「中国の旅」が書かれた当時の支那(中華人民共和国)は、文化大革命の最中の言論の自由が全くない状況で、したがって「中国の旅」も当局が用意した『証言者』の言うことを、そのまま記したものに過ぎません。

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 ちなみに、本多勝一は、2006年9月24日に南京市の「南京大虐殺記念館」から、「南京大虐殺」の普及に貢献したとのことで表彰されています。

 阿羅さんは、朝日新聞が慰安婦強制連行の記事を取り消したことを受け、32年目で取り消したのなら、43年前の報道(「中国の旅」)も取り消せるのではないかと考えていると述べています。

 もちろん一筋縄にはいかないと思いますが、本多勝一があの象徴的な写真を捏造写真と認めたと伝えた今回の新潮の報道が、ひとつのきっかけとなる可能性はあるかもしれません。
 

※参考資料
・「正論」2014年10月号【本多勝一「中国の旅」はなぜ取り消さない】阿羅健一
・【ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神】水間政憲
・【南京事件「証拠写真」を検証する】東中野修道・小林進・福永慎次郎






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