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昭和20年8月15日の今上陛下のご決意と城山三郎の「大義の末」

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 今年も間もなく終戦の日がやってきますね。

 毎年この時期、マスコミは日本を貶めるような特集を組むことが多いので、気が重くなる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 今日は、それらとは違う目線で、昭和20年8月15日にまつわるお話をしたいと思います。

 まずは、1959年に発行された城山三郎さんの“私小説”『大義の末』に出てくる今上陛下、すなわち当時の皇太子殿下にまつわる印象的なエピソードから。

 「正論」2014年4月号掲載、西尾幹二さんの
 【「天皇」と「人類」の対決 大東亜戦争の文明論的動因】
 より、引用です。

※画像はイメージとしてこちらで付けさせていただいたものです。


 起こしここから______________________________
 私の『GHQ焚書図書開封4』軍神杉本五郎中佐の遺著の『大義』という本が紹介されています。
 昭和十三年に出て百三十万部のベストセラーになりました。
 この中佐が有名なのは、戦場で手榴弾を浴びて倒れたとき、軍刀を杖として立ち上がるや再び号令をかけて、倒れることなく遙か東方の皇居の方角へ正対して、挙手の敬礼をして立ったまま絶命したという壮絶なる逸話が残っているからです。

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 『大義』は戦死する前に四人の息子さんたちに遺言として、「汝、われを見んとようせば尊皇に生きよ。尊皇あるところ常にわれあり」と書き残したように、まさに天皇信仰に生きた人でした。
 『大義』は息子さんたちに書き綴った二十通の手紙を基にして奥さんが編集をし、まとめた本です。

 すっかり戦後は忘れられ、書物の歴史からも消えてしまいました。
 しかし戦時中の軍人の死生観を示す代表的な著作の一つで、作家の城山三郎さんが若いころこの作品に出会い、強烈な感銘を受け、人生の歩み方を変えてしまった本でもあります。
 旧制中学の三年生か四年生のころにこれを読んで心酔し、典型的な皇国少年となり、理科系の学校に入れば徴兵が許されるというのにそれを拒否して、お父さんの反対も押し切って、予科練に飛び込みます。

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[城山三郎さん(1927-2007年)]

 その城山さんが戦後『大義の末』という小説を書きました。
 大義がものの見事に戦後ぼろぼろになってしまった幻滅のいきさつを書く。
 そこが面白い。
 彼は進歩派左翼になり、戦後にこの本を否定し、心酔した自分を否定していくプロセスを語った。
 薄汚くなっていく戦後社会の中で、自分も薄汚くなり、そして大義をまだ覚えている仲間たちとの出来事をドラマティックに語った。

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[一橋大学の兼松講堂(国登録有形文化財)]

 その後城山さんは今の一橋大学に入るんです。
 学生たちが天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼んでいた。
 それから皇后陛下のことは「おふくろ」と言っていた。
 そういうことが語られています。
 皇太子殿下のことは何と言ったか知っていますか。
 「せがれ」と言ったんですよ。
 今の今上陛下のことです。
 あの当時の大学生は、「ああ、あのせがれはな」なんてやってたんですよ。
 野次と罵倒の言葉ですね。
 「天ちゃん」、「おふくろ」にはまだ親愛感が込められてますけど、「せがれ」にはいくらか侮蔑感が込められていたかもしれません。
 そういう言葉は行き渡っていて、そこに今上陛下、「せがれ」が一橋大学の学園祭にやってくるんですよ。
 その話がこの小説のクライマックスです。

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[皇太子殿下時代の今上陛下。1949年(昭和24年)、家庭教師のヴァイニング夫人と]

 私の本にもあらすじが書いてあって、大切な場面も全部引用されてありますけども、学生たちはもう憎んでいるんですよね、「せがれ」を。
 軽蔑してるわけです、あの時代ですから。
 広々とした秋の陽が差しているキャンパスに「せがれ」がやってくる。
 学生たちはスクラム組んで待ち受けている。
 そのとき城山さんは不思議な感動を覚えるんですね。
 おもしろいですねえ。
 神経が震えるような感動を覚えるんですよ。
 そしてもしあの男に、あの男って陛下ですが、誰か暴漢でも襲い掛かってくるようなことがあったら、自分は飛び出していって体を張ってでも守る、というようなことを考えるんですよ。
 自分でもわからないけど、そういう感動が沸き起こってきたと書いたんですよね。
 そういうシーンでした。
 おもしろい小説なんですよ。
 で、私は私の本の第七章の題に《戦後『大義の末』を書いた城山三郎は、夕暮れのキャンパスで「国体」を見た》とつけたのです。

(平成25年12月8日、西尾幹二全集刊行記念講演会に依る)

 ______________________________起こしここまで


 城山さんの“私小説”『大義の末』の記述を、西尾さんがもう少し詳しく紹介しているのが、この動画です。



 『大義の末』が手元にないので、この動画(45:00あたり~)を参考に実際の記述を抜き出してみます。
 ( )は私くっくりの注釈です。

「柿見(城山さんのこと)の胸にあたたかなものがぐんぐんひろがって行った。何ひとつ解決されてはいない。だが(杉本五郎中佐の遺著の)『大義』につづく世界を考えていく上で安心できるきめ手を与えられたのだ」

「いまとなってみると、皇太子を見るまでの心の混乱が、涙が出そうなほど滑稽に思われた

「『大義』の世界は仮構でも空虚でもなかった」

「柿見たちがあれほど烈しく身命を投入した時期に確かに応えるもの、少なくとも裏切らないものを、あの素朴な少年は持っていた

「呪縛されそうな硬質の親愛感…それは正しく『大義』に代り、『大義』につづくものであった」

いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない


 終戦後、それまでの価値観が一変したこともあり、昭和天皇やご皇族に対して、あまり良くない感情を持っていた人々がいたのは確かです。

 が、そういった人々も多くは、いざお姿を拝見すると別の感情が湧き上がってきた、すなわち城山さんが体験したような理屈抜きの感動が湧き上がってきた、というエピソードはたくさん伝えられています。

 国民の精神的支柱となってきた皇室の悠久の歴史が、自然とご威光となって現れるからでしょう。

 それに加えて、城山さんが「いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない」と感じた理由としてもうひとつ、大きなものがあったのだろうと私は想像しています。

 それは、昭和20年8月15日の皇太子殿下(今上陛下)の“ご決意”に由来します。


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[皇太子殿下(今上陛下)が疎開生活を送られた栃木県の奥日光の南間(なんま)ホテル。現在は益子町に移築され「つかもと平成館」となっています]

 昭和19年、戦火の拡大により、皇太子殿下は、日光へ疎開されました。

 昭和20年7月から11月までは、湯元の南間ホテルに滞在しておられました。
 昭和20年8月15日の終戦の日の玉音放送も、ここでお聞きになりました。

 その日の殿下のご様子を、戦時中は学習院軍事教官兼御用掛、終戦後は宮内庁御用掛嘱託として、殿下が学習院初等科に通われる頃からお側に仕えた高杉善治さんが記録していました。

 この時期の殿下(今上陛下)の唯一の記録とされています。
 高杉善治さんの娘婿である小池松次さんがまとめたものです。

 拙ブログ06/12/24付でも紹介しましたが、一部再掲します。

【八月十五日、正午に陛下の重大放送があるというので、午前の授業が終わると、学習院の生徒(殿下を除く)は、南間ホテルの二階の廊下に集まって拝聴した。しかし、ガーガーと雑音がはいって、さっぱり聞きとれなかったので、先生が内容を確かめたうえで、あまり生徒を刺激しないよう婉曲に説明して聞かせた。

 殿下はお立場上、別室でお聞きになられたほうがよかろうということになり、ホテルの二階の御座所に帰られ、穂積東宮大夫、石川主任傅育官、門倉、山田、東園、村井、黒木、栄木の各侍従が侍立して、一同直立して、御座所備え付けのラジオで聞かれた。このラジオは雑音もはいらず、明瞭に聞きとることができた。

 ご放送の内容については、だれもそのときまで知らなかった。一同は、かたずをのみ、くい入るように玉音に耳を傾けていた。ご放送が進み、終戦のご放送であることがわかったとき、侍従たちの間から、嗚咽の声がもれてきた。

 ラジオの前にきちんと正座して聞いておられた殿下は、急に目を閉じ、頭を深く垂れ身動きもせずじーっとお聞きになっておられたが、しっかり握りしめられた両手はかすかにふるえ、目がしらには涙があふれ光っていた。

 ご放送が終わってからも、しばらくそのままのご姿勢ですわっておられた。

 まだあどけない十一歳の少年であったが、しっかり結んだお口元には堅いご決意のほどが拝察され、お気の毒に思いながら、また凛々しさに心打たれるものがあった。

 やがて穂積東宮大夫は、いたわるように殿下のおそばに近づいて、自分も隣にすわって(御座所は日本間であった)ものしずかに孫をさとすような調子で、ただいまのご放送の内容をご説明申し上げ、とくに戦争に負けて終戦となったが、日本国が滅びたのではない、日本はこの敗戦のあらゆる困難を克服して、再びその存立を確実にし、繁栄をとり戻さなければならないのである。この日本再建の時代に際会された殿下のご責任と、ご任務は、まことに重大である。どうかいたずらに悲嘆にくれることなく、専心ご勉学にはげまれて、きょうの悲壮なご決意を一生お持ち続けになり、明天子におなり遊ばしますようにお願い申し上げる、というような意味のことをお話しされた。

 殿下は黙って、いちいちうなずいておられたが、そのお顔色にははつらつたる生気をとりもどし、堅いご決意のほどがそのご様子にありありとうかがわれた。東園基文侍従の話によると、殿下はその日の日記に、堅いご決意のほどをしるされていたとのことである。

(月刊「WiLL」06年1月号「明仁天皇の大東亜戦争/高杉善治・小池松次」)】


 では、その日、殿下が書かれた日記とはどのようなものであったのでしょうか。

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 側近だった木下道雄さんが、殿下の日記を写していました。
 以下は、その一部です(「3。祖先神・氏神信仰の天皇中心神話と排他的絶対神崇拝のキリスト教・ユダヤ教との400年の攻防!」より引用)。

【昭和20年8月15日、この日、我が国3000年の歴史上初めての事が起きました。そしてこの日が日本人に永久に忘れられない日となりました。

(中略)今度の戦で我が忠勇な陸海軍が陸に海に空に勇戦奮闘し、殊に特攻隊は命を投げ出して陛下の御為笑って死んで行きました。又国民も度々の空襲で家を焼かれ、妻子を失っても歯をくいしばってがんばりました。この様に国民が忠義を尽くして一生懸命に戦った事は感心な事でした。けれども戦いは負けました。

(中略)今は日本のどん底です。それに敵がどんな事を言ってくるか解りません。これからは苦しい事辛い事どの位いあるか解りません。どんなに苦しくなってもこのどん底から這い上がらなければなりません。それには日本人が国體護持の精神を堅く守って一致して働かなければなりません。日本人一人とアメリカ人一人を比べれば、どんな点でも日本人の方が優れています。唯団体になると劣るのです。そこで此からは国體訓練をし科学を盛んにして、一生懸命に国民全体が今よりも立派に新日本を建設しなければなりません。殊に国が狭くなったので、此からは農業を一層盛んにしなければなりません。それが私達少国民の役目です。

 今までは、勝ち抜く為の勉強、運動をして来ましたが、今度からは皇后陛下の御歌の様に、次の世を背負って新日本建設に進まなければなりません。それも皆私の双肩にかかっているのです。それには先生方、傅育官の言う事をよく聞いて実行し、どんなに苦しさにも堪え忍んで行けるだけの粘り強さを養い、以て最としっかりして明治天皇の様に皆から仰がれるようになって、日本を導いて行かなければならないと思います。


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[殿下の日記は8月10日放送のBSジャパン「皇室の窓スペシャル~平和への祈り~」でも少し紹介されました]

 当時わずか11歳の少年であられた殿下が、終戦当日にすでにこのようなご決意をされていたのです。

 私はこれを初めて拝読した時、涙があふれてどうしようもありませんでした。・゚・(ノД`)・゚・。

 つまり、城山さんが学園祭で見た殿下は、単なる「素朴な少年」ではなかったのです。

 11歳にしてすでに祖国と国民への責任を自覚され、困難に耐えて行く覚悟を決められていた、「日本でたった一人の特別な少年」だったのです。

 だから、城山さんが「いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない」と感じたのは、実はごく自然なことだった。
 私にはそう思えてなりません。

 昭和20年8月15日、人知れず決意をなさった殿下(今上陛下)は、新日本建設への歩みを、国民とともに着々と進められてきました。

 そして時は流れ……。
 昨年、傘寿を迎えられた際、陛下はこう述べておられます。

「傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています」

 なんと畏れ多いお言葉でしょうか!


 陛下は、11歳の時に引き受けられた“責任”を、現在もなお一身に背負っておられます。

 一貫して先の大戦と向き合われ、皇后陛下と共に各地で戦没者の慰霊などに当たられてきました。

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 平成5年、陛下は歴代天皇初の沖縄ご訪問を果たされました。
 (昭和天皇は沖縄ご訪問を強く望まれていましたが、叶うことなく崩御されていました)

 戦後50年を迎えた平成7年には、「慰霊の旅」に出かけられ、まず、被爆地の広島と長崎で、原爆による犠牲者の霊を慰められました。

 続いて、住民を巻き込んで激しい地上戦が行われた沖縄を訪れられ、沖縄戦最後の激戦地、糸満市で戦没者の墓苑に拝礼されました。

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 この前年の平成6年には、硫黄島を訪れ、飢えや渇きに苦しんだ戦死者を思い、慰霊碑に水をかけ白菊を供えられました。

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 戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
 「バンザイ・クリフ」などを訪ねられ、遺族らが見守る中、黙祷を捧げられました。

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 今年6月26日には、沖縄から九州に向かう学童疎開船の対馬丸がアメリカ軍に撃沈されてから70年を迎えたのにあたり、犠牲者の慰霊などのため、沖縄県を訪問されました。

 対馬丸事件では、少なくとも1482人が亡くなっていますが、そこには学童ら780人も含まれていました。
 当時10歳であられた陛下と同世代だった子供たちです。

 そのため、対馬丸犠牲者の慰霊は陛下の宿願だったといわれています。

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 翌27日、両陛下は対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」で供花されました。
 そして生存者や遺族らとご懇談、いたわりのお言葉をかけられました。

 両陛下の今回の沖縄ご訪問は、皇太子同妃両殿下の時代から数えて10回目となりました。

 陛下は、戦後70年を迎える来年、先の戦争で激戦地となったパラオなど太平洋諸島の国々を、戦没者の慰霊のため訪問されたいと希望を示され、宮内庁が現在検討を進めています。

 ご高齢をおして慰霊の旅を続けられる両陛下。
 遺族でなくとも有り難さのあまり、身が震えます。

 どうか、どうかいつまでもご健勝であられますよう!!



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