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教科書展示会に行ってきました(小6社会)

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 先日、教科書展示会に行ってきました。
 場所は、大阪市の某区役所。

 あまり人の来ない上の方の階に、特設コーナーがありました。
 部屋の中ではなく、エレベーター脇にひっそりと設置されていました。
 平日の午後に40分ほどいましたが、その間、私以外に誰も立ち寄る人はいませんでした。
 広報があまりされてないせいもあるのでしょう。

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 これはコーナーに置かれてあったチラシ。

 このチラシで、大阪市では今年度は小学校および特別支援学校の小学部で使用される教科書だけが採択されることを知りました。

 つまり、今回展示されていたのは小学校の教科書だけ。

 小6社会の、明治以降の戦争にまつわる記述を中心に見てきました。
 各教科書ごとに気になった記述をご紹介するとともに、私なりに解説というかツッコミを入れてみます。

 紹介順は以下の通り。

 (1)光村図書 (2)教育出版 (3)東京書籍

※以下、ご紹介する画像は一部を除き縮小表示しています。
 画像をクリックすると新規画面で拡大表示されます。


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(1)光村図書

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【本文】朝鮮の支配

 日露戦争の後、朝鮮半島に対する支配を強めた日本は、1910(明治43)年、韓国(大韓帝国)を併合して植民地とし、朝鮮とよびました(韓国併合)。
 植民地となった朝鮮の学校では、朝鮮の人々を日本の国民とするために、日本語や日本の歴史が教えられました。
 また、日本政府が土地を調査し、所属が明らかでないとされたものは取り上げ、多くの土地を日本人のものとしました。土地を失った朝鮮の人々は、日本人の地主の下で働いたり、仕事を求めて満州や日本に移住したりしなければなりませんでした。いっぽう、日本人の間には、朝鮮や中国の人々を差別する誤った見方が広がりました。
 このような中、朝鮮では、日本の支配に対して独立運動が起こりました。


 「併合」と「植民地」は違うのにごっちゃにされている(T_T)
 欧米の植民地支配とは全く違うことを教えるべき。

 それに、日本は「土地収奪」などしていません。

 そのことは韓国の李栄薫ソウル大教授も著書『大韓民国の物語』で指摘しています。
 なぜ李教授がそれを指摘できたのかというと、証拠、すなわち日本が行った土地調査資料が大量に残っていたからです。

 李教授は、韓国の土地台帳を実証的に調べた上で、日本が土地を収奪した事例は存在しなかったのみならず、むしろ朝鮮総督府は土地所有の制度化において「公正」であったという結論を導き出しました。

 そもそも李朝崩壊の大きな原因は、無秩序な伐採によって山林が荒廃し、土地の生産性がほぼ3分の1の水準にまで落ち込んだことでした。

 韓国の評論家で作家の金完燮氏も、「SAPIO」2002.7.24号でこう述べています。

 「日本による支配の“恩恵”を、例えば土地を例に見てみると、朝鮮を統治した日本は1911年から土地調査事業を始めて、農業基盤を整備し、所有権を確定した。
 それまでは土地は国や門中(一族)のものであったために所有者が特定できなかったが、この措置により農民や地主の名義での所有が認められた。
 すなわちこの調査事業により、朝鮮の自作農は自分の土地の主人となり、地主は余分な税金を納めることなく土地を所有できるようになったのである


 植民地研究の第一人者で英国人のアレン・アイルランドも、1926年の著書「THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき)」で、むしろ日本が行った土地制度は、貧しい小作農を援助することに眼目が置かれていたと強調しています。

 具体的には、朝鮮総督府は未耕作の国有地を少額の負担で小作農に貸し出し、開墾終了時には開拓した者に無料で所有権を移したこと、また、すでに開墾済みの国有地は、その土地を借りている小作農が10年の分割で地代を払えば所有権を持てるようにしたという指摘です。

 さて、教科書の記述に戻ると、「土地を失った朝鮮の人々は、日本人の地主の下で働いたり、仕事を求めて満州や日本に移住したりしなければなりませんでした」とありますが、この書き方も誤解を招きます。

 満州や日本本土(内地)に移住した朝鮮人はほとんどが自由意思です。
 特に本土へ行きたがる朝鮮人が多かった。
 本土は朝鮮より賃金も高く、雇用機会も多かったからです。
 彼らが生活水準の高い日本本土を目指したのは、人間として自然な流れでした。

 しかし、朝鮮人の移入によって本土では大きな問題が発生しました。
 本土の治安や失業率が悪化したのです。

 このため、1934年10月、岡田内閣は「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定しました。
 これは朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発を行うとともに、密航の取り締まりを強化するというものでした。

 その結果、本土への朝鮮人の密航が頻繁に行われるようになりました。

 1938年12月26日には摘発された密航朝鮮人180人が強制送還。
 1939年1月には300人の密航朝鮮人が強制送還。
 その後も、多くの密航朝鮮人が逮捕・強制送還されています。

<参考資料>
13/6/15:三輪宗弘先生の「大韓民国の物語」書評で改めて見えた韓国の民族主義と李栄薫教授の苦悩
11/2/22:日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
賢者の説得力ホーム>日韓併合>土地の収奪
Wikipedia>在日韓国・朝鮮人>3.3.2 日本内地への移入・密航

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【コラム】ナンキン占領を伝える新聞

 日本では戦勝記念の祝いが行われていましたが、外国では、日本軍が子どもや女性などの民間人も殺した事件として報道されました。多くの日本人がこのことを知ったのは、戦争が終わってからでした。
 <日本軍に占領された中国の人たちは、どんな気持ちだったのだろう>


 「外国では、……報道されました」という記述は一歩引いたように見えますが、その後の「多くの日本人がこのことを知ったのは……」という書き方では、南京で「虐殺」があったと断定しているのと同じことではないでしょうか。

 「日本軍に占領された中国の人たちは、どんな気持ちだったのだろう」って、こんな気持ちだったんじゃないですか?

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style="font-size:11px">[カメラマン佐藤振寿氏が南京占領の2日後の昭和12(1937)年12月15日、南京安全区にて撮影した写真。佐藤氏曰く「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。日本兵や日本人を恐れていなかった」]

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[昭和12(1937)年12月17日撮影/「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より/わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民/撮影者、佐藤振壽(毎日新聞カメラマン)/ソースURL

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[昭和12(1937)年12月20日 南京住宅街にて撮影/「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より/支那事変写真全集(中)上海戦線 南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達/撮影者、朝日新聞林カメラマン/ソースURL

 当時の支那の庶民には「国」という意識は希薄で、生活や治安を良くしてくれる統治者であれば、日本でも国民党でも誰でも良かったのです。

<参考資料>
11/12/17:鈴木史朗さんが「南京大虐殺」は真実ではないと思う理由
12/2/27:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
13/3/30:支那人が支那人を殺す戦争!蒋介石の破壊と大虐殺

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【コラム】戦争中の朝鮮と中国

 植民地だった朝鮮で、日本は、朝鮮の人々の姓名を日本式の氏名に変えさせたり、徴兵を行って、日本軍の兵士として戦場に送ったりしました。また、朝鮮や占領した中国の人々を強制的に日本に連れてきて、各地の鉱山などで、厳しい条件のもとで働かせました。


 1940年(昭和15年)の大阪朝日新聞は、「氏の創設は自由 強制と誤解するな 総督から注意を促す」という記事を載せています。
 さらに「内地人式に変更 締切後も出来ます」という記事も。強制だったらこんな見出しにはなりません。
 創氏改名の手続きに殺到し、行列を作るソウル市民の写真もあります。

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[以上、2013年3月8日衆院予算委員会の中山成彬議員の質疑で使用されたパネルより]

 また、朝鮮人に徴兵制が施行されたのは1944年4月からです。
 入営は1945年1月から7月の間に限られた上に、朝鮮半島か日本内地における訓練中に終戦を迎えたため、戦場には派遣されませんでした。

 そもそも朝鮮人の志願者数は大変多く、1938年の志願倍率は7.3倍。
 その後も志願者は増え続け、1942年の倍率は何と62.4倍にも及んでいます。

 日本軍の将校を養成する陸軍士官学校や陸軍幼年学校では、朝鮮人へも門戸を開放していました。
 
 満州国軍の朝鮮人軍人も陸軍士官学校に派遣留学されることがあり、朴正煕・元韓国大統領(朴槿恵大統領のお父さん)は満州国軍の士官任官後、同校で教育を受け卒業しています。

 また、徴用については朝鮮では適用が控えられていましたが、1944年9月から1945年8月にかけて国民徴用令が実施されました。

 但し、日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡線の運航が止まるまでの7か月間であり、内地における、国民徴用令による朝鮮人の徴用労務者はごく少数でした。

 ちなみに、戦後、日本に残留した在日朝鮮人のうち、徴用で日本に来た人は245人だったことが分かっています(1959年、外務省調べ)。
 内地に渡航して来た朝鮮人の大半は、職を求めての個別渡航や、鉱工業、土木事業等の募集に応じてきた人でした。

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<参考資料>
Wikipedia>日本統治時代の朝鮮
Yahoo!知恵袋>在日の朝鮮総督府に土地を奪われ移民と強制連行の嘘
13/3/8:中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました
13/12/14:日本が残酷な統治をしていたのなら、なぜ朝鮮人に銃を持たせたのか

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(2)教育出版

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【本文】日清・日露の戦い

 この戦争で、日本は清に勝利し、台湾やリヤオトン(遼東)半島などを領土にしたほか、多額の賠償金を得ました。また、清に朝鮮の独立を認めさせました。


 清の冊封体制から李氏朝鮮の独立を認めさせたという日清戦争の意義に触れているのは、3社のうち教育出版のみ。

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【本文】日露戦争後の日本と世界

 日露戦争では、日清戦争のときの4倍以上の人々が戦争に動員されました。歌人の与謝野晶子は、戦地の弟を思い、戦争への疑問をうたに表しました。このように、戦争に反対する意見を述べる人もいましたが、国民の多くは、リュイシュン(旅順)や日本海海戦での勝利を喜びました。アジアの人々の中にも、日本が大国のロシアに勝利したことを喜ぶ声もありました。


 日露戦争がアジアの人々に希望を与えたことが、控えめながら記述されています。

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【本文】日露戦争後の日本と世界(つづき)

 1910(明治43)年、日本は、朝鮮(大韓帝国)の人々の強い反対をおしきって、朝鮮を併合し、植民地にしました。
 朝鮮では土地の変更が行われ、その結果、土地を失い、日本人の地主のもとで小作人として働いたり、日本や満州(中国の東北部)にわたって、鉱山などで厳しい労働についたりする人々も多くいました。一方、日本人の間には、朝鮮や中国の人々を軽視し、差別する考えが広まっていきました。
 この後、朝鮮の人々は、独立をめざして立ち上がり、日本の支配に反対する運動をねばり強く続けていきました。


 (1)の光村図書と同様、「併合」と「植民地」をごっちゃにされているし、「土地を奪われて(仕方なく)日本や満州にわたった」的な書き方がされています。

 「朝鮮の人々の強い反対をおしきって、朝鮮を併合」も間違いです。

 大韓帝国で当時最大の政治団体であった一進会(宮廷での権力闘争に幻滅し、外国の力を借りてでも韓国の近代化を目指す方向に進んだ、いわゆる開化派)は、日韓併合を推進しました。

 英米など列強も、日韓併合は東アジアの安定につながるとして歓迎していました。

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 日本統治時代の朝鮮半島が、多くの朝鮮人にとって生きやすい環境だったことは間違いありません。

○朴贊雄さん(1926年生まれ)
 「日本による植民地化は、朝鮮人の日常の生活になんら束縛や脅威を与えなかった」
 「独立運動をする親もなければ、子に独立運動をそそのかす親などはただの一人もいなかった」
 「朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下太平の時代が、かつてあっただろうか

 (「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より)

○崔基鎬さん(1923年生まれ)
 「日韓併合時代は、私の生まれ故郷でも、韓国人と日本人が対立することなく、仲良く暮らしていた。終戦時はお互いに別れを惜しんで、涙を流しながら手を取り合っていたほどだ

 (「SAPIO」2006.6.14号【[ソウル発]韓国同胞に大真面目に訴える!今こそ現代版「日韓併合」が必要だ】より)

○崔三然さん(1928年生まれ)
 「私は日本統治時代の教育も受けました。当時、日本国内で行われていた学校教育と差がありませんでした。また日本の陸軍士官学校には朝鮮人の入学を認めていました」

 (産経新聞2010年8月28日付【[日韓併合談話]日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨】より)

 日本統治時代に肯定的な朝鮮人の証言は、日本の朝鮮搾取説を信じるアメリカ人学者の聞き取り調査にも表れています。

 サンフランシスコ地区に住む朝鮮生まれの人たちに統治時代について聞き取りを行ったヒルディ・カンという人がいます。韓国系アメリカ人の研究者を夫に持つ女性です。

 彼女は「日本は悪いことをした」という先入観を持って調査に当たりました。

 ところが、出会ったのは、ニコニコと笑いながら統治時代を語る人、「一番親しかったのは日本人でした」と懐かしげに語る人、なにより「私は辛いことは何も体験していません」と前置きして語り始める多くの人々でした。

 彼女は「私が聞けると期待していた残虐行為に関する話が聞けないのはなぜか」と自問したそうです。

 証言だけでなくデータもあります。

 朝鮮統治に最も厳しい見解を持っているワシントン大学の童元摸教授が報告する1936年の世論調査結果では、朝鮮の独立について問うた調査の中で、8.1%が「独立すべし」と回答しています。

 また、別の世論調査で日本政府への姿勢について聞くと、11.1%が「反日的」という結果だったそうです。

 これらのデータは、同時に、日本統治下で「朝鮮は独立すべし」と意見を言っても罰せられなかったことも示しています。

 教育出版の記述の、「朝鮮(大韓帝国)の人々の強い反対をおしきって、朝鮮を併合し……」から始まって「……日本の支配に反対する運動をねばり強く続けていきました」に至る流れは、まるで大多数の朝鮮人が独立を目指したかのように聞こえますが、事実に反しています。

<参考資料>
13/12/14:日本が残酷な統治をしていたのなら、なぜ朝鮮人に銃を持たせたのか

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【図】中国全土に広がる戦争

 日本軍は、首都ナンキンで、ほりょにした兵士や、多くの住民の命をうばいました。このことは、当時、日本の国民には知らされませんでした。


 南京の記述がないなぁと思っていたら、地図の下に小さく記載が。
 自宅に帰って画像をチェックしていて気づきました。

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【コラム】戦争の広がりとアジアの人々

・政府は、植民地であった朝鮮の人々に対して、名前を日本式に変えることをしいたり、日本軍兵士として徴兵し、戦地に送り出したりした。
・国内の労働力不足を補うために、朝鮮や中国から多くの人々を日本に連れてきて、鉱山などで厳しい労働にあたらせた。


 (1)の光村図書とほぼ同じ記述なので解説は省きます。

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(3)東京書籍

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【本文】中国やロシアと戦う

 日本とロシアの対立は深まっていき、1904年に日露戦争となり、日本は満州のロシア軍をせめました。日本は多くの戦死者を出しながらも、日本海での戦いでロシア艦隊を破った東郷平八郎らの活やくもあり、戦争に勝ちました。
 その結果、講和会議において、樺太(サハリン)の南部と満州の鉄道などを得て、韓国を日本の勢力のもとに置くことをロシアに認めさせました。しかし、戦争の費用負担などで苦しんだ国民の間には、不満が残りました。
 中国やロシアに対する日本の勝利は、欧米諸国に日本の力を認めさせ、欧米の支配に苦しむアジアの国々を勇気づけました。一方で日本人の間には、朝鮮人や中国人を下に見る態度がだんだんと広がっていきました。


 反日で名高い東京書籍ですが、何と、日露戦争が欧米の支配に苦しむアジアの国々を勇気づけたことが記述されています。

 (2)の教育出版の「アジアの人々の中にも、日本が大国のロシアに勝利したことを喜ぶ声もありました」という表現よりも踏み込んだものになっています。

 そのうえ、東郷平八郎を、それも写真付きで載せてあるので二度びっくり。

 ちなみに、(1)の光村図書が日露戦争の意義についてどう書いてあったかは……、すみません、チェックし忘れました(^^ゞ

 それにしても、(1)光村図書(2)教育出版もそうでしたが、「日本人が朝鮮・支那の人たちを差別していた」という趣旨の記述を各社、必ず載せていますね。

 朝鮮・支那人への差別心、あるいは自分が日本人であることへの優越感、そういう感情を持っていた日本人が多くいたことは否定しません(夏目漱石も韓満所感という随筆の中で「支那人や朝鮮人に生まれなくって、まあ善かった」と書き残しています)。

 でも、小学生の教科書でことさら強調することなのだろうかと思ってしまいます。
 「人権教育」も兼ねているつもりなのでしょうか?

 そもそも、日本統治以前(李朝時代)の朝鮮は、人口の最大40%が奴婢で、奴婢に対するすさまじい差別が存在していました。
 日本統治時代に社会的解放がなされると、日本に協力する人たちが出たのも当然の流れだったのですが、これらのことは各教科書ともスルーです。

 そしてこの後は、やっぱり東京書籍だなあという記述が続きます。

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【本文】朝鮮の植民地化と世界へ進出する日本

 日露戦争に勝利した日本は、1910年に人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。
 植民地となった朝鮮の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、そして、土地の制度が変えられ、多くの朝鮮の人々が土地を失い、日本人の新しい地主の小作人になったり、仕事を求めて日本などへ移住したりしました。こうした状況に対して、朝鮮の人々は、独立運動をねばり強く続けていきました。


 (1)光村図書(2)教育出版とほぼ同じ記述なので解説は省きます。

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【コラム】

・首都ナンキン(南京)を占領したとき、武器を捨てた兵士や、女性や子どもをふくむ多くの中国人が殺害された。
・日本は、首都のナンキンを占領すれば、早く戦争が終わると考えていた。しかし、中国の人々は、日本の侵略に対して抵抗を強め、戦争は、日本の予想をこえて長く続いた。


 「南京事件」については3社ともこのように、日本軍が女性・子どもを含んだ多くの民間人を殺害したと記述しています。

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【本文】(撮影漏れにつきタイトル不明)

 1946年8月6日には広島、9日には長崎に、アメリカ軍が原子爆弾を落としました。1発の爆弾で、いっしゅんにして何万人もの命がうばわれ、まちはふき飛んでしまいました。また、満州にソビエト連邦(ソ連軍)がせめこみ、やがて樺太南部、千島列島にもせめこんできました。
 8月15日、日本はついに降伏し、アジア、太平洋の各地を戦場とした15年にもわたる戦争が、ようやく終わりました。同時に日本による台湾と朝鮮の植民地支配も終わりを告げました。


 ソ連軍は卑怯にも日本が降伏した8月15日以降も攻撃を続けていたのに、この書き方ではそれが全く分かりません。

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 ここからは人名の索引。

(1)光村図書

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 シャクシャイン(アイヌの首長)が載ってるのは光村図書だけ。

(2)教育出版

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 他の2社と違い、人名別の索引はなし。

(3)東京書籍

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 確かに東郷平八郎の名前があります(しつこい(^^ゞ)。

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 以上です。

 皆さんも、ご都合がつけば地元の教科書展示会に足をお運び下さい。
 市役所、区役所、図書館などで開催されています。

 自治体により違いますが、だいたい7月の第1週まではやっているようです。
 詳しいことは各自治体のサイトでご確認下さい。

 なお、自治体によっては写真撮影を禁じている所もあるようですので、ご注意下さい。


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