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【続・記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(37)

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※このシリーズの一覧(人物名と国名)を作ってあります。
 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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1212-00PearlHarbor.jpg

 「外国人から見た日本と日本人」。第37弾です。

 「記憶せよ、12月8日。この日世界の歴史改まる。アングロサクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる……」
 (高村光太郎の詩より。全文はこちらを

 少し早いですが、12月8日(真珠湾攻撃の日)にふさわしいと思う言葉を集めました。

 過去に紹介したものも若干混じっています。新規は■、紹介済は○です。
 
S・S・ヤダヴ=インド人。元インド国民軍大尉。全インドINA事務局長。
日本会議DVD「自由アジアの栄光」より

 インドの独立には国民軍の国への忠誠心が大きな影響を与えました。しかし我々国民軍を助けてくれたのは日本軍でした。インパールの戦争で6万の日本兵士が我々のために犠牲となってくれたのです。
 我々インド人は子々孫々までこの日本軍の献身的行為を決して忘れてはいけないし、感謝しなければならないのです。

S・S・ヤダヴ=インド人。元インド国民軍大尉。全インドINA事務局長。
日本会議DVD「自由アジアの栄光」より

 私が最も日本人を好きになったのは、シンガポールが陥落した頃、捕虜となった我々を兄弟のように扱ってくれたことでした。
 イギリス人は我々を差別して、一緒に食事もしないし、同じ車にも乗りませんでした。ところが、日本人は喜んで我々と一緒に食事をしてくれました。
 このような人種や身分といった差別を抜きにして、同じ釜の飯を食べ、平等な取扱いを受けたことが、我々インド国民軍に大きな精神的な影響を及ぼしたのです。

グルモハン・シン=インド人。日米両軍の大激戦地の一つ、マニプール州2926高地近くに住む。
日本会議DVD「自由アジアの栄光」より

 日本の兵隊さんは命を張って私たちを戦場から逃がし、戦ってくれました。今こうして私たちが生きていられるのも、みんな日本の兵隊さんのおかげだと思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。一生この気持ちは忘れることはできません。

※このドキュメンタリーDVD「自由アジアの栄光」の制作に携わり、インパールを訪れた映像制作会社「Nビデオ企画」の納村道一氏は、現地の人々の親日ぶりにいたく感動したそうです。ある村では、「日本の兵隊さんを顕彰したい」として、日本兵の鉄兜や飯ごう、武器までも大切に保存している老人がいました。老人は目を潤ませながら「日本兵は戦闘が始まる前に集落の家を一軒一軒回って、『いまから戦争が始まるから皆逃げろ!』といってくれた。そのおかげで私たちは生き延びることができた」と語ったそうです(グルモハン・シン氏とは別の人です)。

モヘンドロ・シンハ=インド人。マニプール州2926高地の麓のロトパチン村の村長。
日本会議DVD「独立アジアの光」より

 日本の兵隊さんは飢えの中でも実に勇敢に戦いました。そしてこの村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動のすべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。
 私たちはいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています。そのためにここに兵隊さんへのお礼と供養のため慰霊塔を建て、独立インドのシンボルとしたのです。

※この村には現地の人々によって建てられた日本兵の慰霊塔があり、毎年日本兵の供養が行われています。シンハ村長はこの慰霊塔建立の推進役となりました。

ラース・ビハーリー・ボース=インド人。インド独立連盟総裁。1943年(昭和18年)7月、シンガポールで、その地位をチャンドラ・ボースに委譲し同連盟最高顧問に。スバス・チャンドラ・ボースと区別するため、「中村屋のボース」(新宿中村屋の相馬家の婿だったため)とも呼ばれる。
ビハリ・ボース著「印度(インド)侵略悲史」より
日本軍がシンガポールを陥落させたことについて


 イギリスの勢力を印度から完全に一掃しない限り、日本の理想とする大東亜共栄圏の確立は不可能なのである。東條(英機)首相は深くこの点に鑑みられ、去る2月16日シンガポール陥落報告の議会演説に於て、我々印度人に対し、一日も早くイギリスの束縛を脱却し、「印度人の印度」を建設することを要望された。

(中略)ここに東條首相の断乎たる印度援助の声明を聞くことを得て、実に天にも昇る悦びである。今こそアジヤの復興する時が来たのだ。今こそ印度を、三百年に亘るイギリスの暴圧から解放する時が来たのだ。

スバス・チャンドラ・ボース=インドの独立運動家。インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。1943年(昭和18年)10月、日本を拠点に独立運動を行っていたラース・ビハーリー・ボースやA・M・ナーイルらと合流、日本の支援により日本統治下のシンガポールで「自由インド仮政府首班」に就任。同年11月の大東亜会議にオブザーバーとして参加した。1945年(昭和20年)8月18日、台湾の飛行場で搭乗していた飛行機が離陸に失敗した事故により死去。遺骨は東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺で眠っている。
1943年11月、重慶向けラジオ放送で蒋介石に対日和平を呼びかけた言葉

 これまでアジア諸民族の解放と結集の障害になっていたのは、一つは西欧帝国主義の存在、その二つはアジア弱小諸国へ援助の手を伸べるアジア勢力が欠如していたことであった。いま、後者の役割を演じるは、ひとり日本のみである。
 日本がその役割を果たすためには、西欧帝国主義と決別しない限り不可能であった。その待望の時期はついに1941年12月、日本が敢然、米英に対し決裂の運命的宣言をし、生か死かの闘争に突入した時に訪れたのである。

(中略)私は東亜に帰って、インド独立連盟の任務に入って以来、日本と密接な協力のもとに活動しているが、もし日本の誠意に疑わしい節があるなら、私のような民族主義者、革命家にとって日本との協力は絶対に不可能であったはずである。大東亜会議は日本の誠意と真実を確信させるものであった。
 しからば重慶の諸君は、今日、何者と戦っているのか。重慶の諸君は、敵と手を組み、味方と戦っているのではないか。 諸君はしばらく休息し、熟慮し、しかして、決意する用意はないか。

ジャワハルラール・ネルー=インド人。独立運動の指導者・社会主義者・著述家。1947年(昭和22年)のインドとパキスタンの分離独立後、インドの初代首相となった。
「岸信介の回想」(岸信介他)より
 1957年(昭和32年)、岸信介首相がインドを訪問した際の歓迎演説会での演説(大意。「正論」08年3月号掲載 福田和也「悪と、徳と」第40回より孫引き)


 今、ここに日本の総理を迎えている。
 諸君は、日本という国を知っているか、地図を開いてみろ、アジアの端っこにある小さい島国が日本である。
 しかし自分は今日インド独立の大望を達して、インドとして独立したけれど、自分が独立の志を固めたのは日本のおかげである。

 自分はインドを独立させようと思ったけれど、アジア人はヨーロッパにはかなわないという観念が底にあった。
 ところが、このアジアの小国日本が世界最大の陸軍国であり、強大なる軍事大国であるロシアと戦って、これをやっつけたのだ。
 われわれの決意と努力によってわれわれの望みは達せられる、自分は何度も投獄されたけれど、その度にそういう決意を固めたのだ。

パラバイ・デサイ=インド人。弁護士。インド法曹界の長老。
戦後、日本とともに英国と戦ったインド国民軍2万人が、戦勝国の英国によって軍事裁判にかけられ、大騒ぎになった時、主席弁護士を務めたバラバイ・デサイ博士は、無罪と即時釈放を主張するとともに、日本軍関係者についてこう語った

 インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年も早まった。
 インドだけではない。ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族は皆同じである。
 インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。

日本兵士を讃える歌=日英両軍が死闘を繰り広げたインパール(インド)の北方18キロのマパオの村で、地元のニイヘイラ女史によって作られた歌。いまも歌い継がれている。
日本会議DVD「独立アジアの光」より
(古田中勝彦氏・訳)動画


父祖(おや)の時代(とき)より 今日の日まで
美しきマパオの村よ
いい知れぬ喜びと平和(やすらぎ)
永遠(とわ)に忘れまじ

美しきマパオの丘に 日本兵来り 戦えり
インパールの街目指して
願い果たせず
空しく去れり

日本兵 マパオの丘に来る
それは4日の火曜日
1944年のことなりき
我は忘れじ4月のあの日

罪なき民も散り散りに
西に東に追いやられ
再び神の恵み受け
集り住まん この地マパオに

広島の悲報 勇者の胸をつらぬき
涙して去れる
日本の兵士よ
なべて無事なる帰国を
われ祈りてやまず

ロザリー・イソハック=マレーシア人。ケランタン州副知事、コタバル戦争博物館の館長を歴任。
日本会議DVD「独立アジアの光」より

 1991年、私たちは日本のコタバル上陸50周年を祝いました。これがケランタン、つまり当時のマラヤによって意義ある出来事であったからです。ここコタバルは、日本軍最初の上陸地です。
 私は戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人がこの重要な出来事を長く記憶に留めていただきたいと思います。

ビン・モハマッド・ナラク=マレーシア人。近代史研究家。
日本会議DVD「独立アジアの光」より
 
 (上陸してきた日本人に対し)たいへん感銘を受けました。我々が学んだのは日本人の規律の良さでした。それを見た我々も独立の意欲が沸きました。日本軍が来るまでは、イギリス人または白人は神のように高い存在で、我々は話し掛けるのにも躊躇しました。

(中略)ところがよく見れば白人はそんなに高くはない、神でもない。彼らはアジアの軍隊に負けたのですから。こんな思いもあって、もうイギリスの保護を求める必要もない、独立は我々自らの力で要求できるのだと確信するようになったのです。

ウンク・アジス=マレーシア人。元マレー大学副学長。
日本会議DVD「独立アジアの光」より

 戦争という体験によって、我々は強くたくましくなりました。これを必要としない人もいるかもしれませんが、当時マレーシアでは、このようなはつらつとして強固な人間を育成するためには、非常に重要だったんです。日本軍がもたらした大和魂のような考え方を持つこともです。

 おそらく今の日本では、この考えは必要ないと思われているでしょうが、我が国では、独立のために、この精神がどうしても必要だったんです。
 これは、戦争の心理的インパクトです。このことがあって、我々の独立は早まりました。だから我々はこの点を、大変感謝しているのです。

ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。猪口力平・中島正著「神風特別攻撃隊」を読み、その生き様に感動し、1974年(昭和49年)、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。フィリピン・カミカゼ記念協会会長。
2001年(平成13年)8月16日フジテレビで放送されたドキュメンタリー「特攻・國破れても國は滅びず」より

 私たちは彼ら(神風特攻隊)の偉業を引き継いでいかなければならないと思います。戦争のためではなく、忠誠心、愛国心、祖国への愛のためです。
 東洋、いや全世界の人々がこの神風特攻隊の話から何か大きなことを学べると思います。神風特攻隊の隊員は、全世界そして次世代の全人類のために、彼らの人生を記録として残してくれたのです。

 彼らは、自分の命を生きている偉業として捧げ、人はどこまで自国を愛することができるのかを提示してくれました。そして、人はどのように自国の文化や論理へ忠誠でいられるかを実証したのです。

フェルナンド・サントス=フィリピン人。邸宅が戦争当時、日本海軍の航空隊司令部に貸与されていた。
2001年(平成13年)8月16日フジテレビで放送されたドキュメンタリー「特攻・國破れても國は滅びず」より

 日本人兵士と私は仲良くなり、親密になりました。終戦の2~3週間前、彼は私に日本の歌を教えてくれました。(中略)

 「戦争は終わります。もう、君と会うことがないでしょう。身体に気をつけて、僕は山に行きます」
 それが彼との最後でした。彼は二等兵でした。日本人もフィリピン人と同様にセンチメンタルなんだと分かりました。

 遠いアメリカを味方にして、隣国の日本と戦わなければならないフィリピンの思いが想像できますか。でも、それが人生です。失敗から学べます。

 死を覚悟していました。そんな彼が好きでした。彼がここから去って行く時、彼は二度と日本へ帰らない事、死んでいく事を知っていたのです。このような英雄的資質の武勇伝を現代の日本の若者は知るべきなのです。

 私からのメッセージは、もっと神風特別攻撃隊に関する本を読んでください。
 日独伊枢軸国やアメリカ同盟国の英雄として認められている人でも、神風特別攻撃隊員の勇気、決断、武勇に等しい人はいません。

 一つの大きな違いは、だれでも戦争に出征すれば死を覚悟します。死を覚悟して出征するのですから勇気があります。しかし、この勇気ある人々は、今死ぬということを知らない人達です。
 特攻隊員の場合は、離陸した時点で死んでいくことを知っているのです。事実、彼らは祖国のために自分を殺します。比類の無い存在ですから。

 尊敬されるべきであり、記憶されるべきなのです。日本国民は今の日本人の本質と粘り強さを受け継いだ象徴として彼らに感謝すべきです。
 長崎と広島に原爆が投下されたにもかかわらず、世界に対し大国になったのも神風特攻隊と同じように必死に頑張った人々がいたからです。

ケマル・イドリス=インドネシア人。ペタ(1943年10月、日本軍政下におかれたジャワで結成された郷土防衛義勇軍)出身。元中将。
日本会議DVD「独立アジアの光」より

 日本精神は我々にとって一番。なぜなら、日本精神で我々はオランダに向かったのです。我々はこの精神を独立戦争に持ち込み、その結果、独立を達成したのです。
 我々は武器はなく、たとえ竹槍で戦っても、勇敢でした。だから我々は独立戦争の基本となった軍事能力を与えてくれたことに大変感謝しているのです。

アブドル(アブドゥル)・ハリス・ナスチオン(ナスティオン)=インドネシア人。スカルノ内閣で国防相を務めた。スカルノからスハルトへの政権委譲の過程では、暫定最高国民協議会 (MPRS) で議長を務めた。
「明日への選択」平成17年9月号より

 独立できた要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。植民地体制の粉砕なくして独立はありえません。
 第二は日本軍の猛烈な軍事訓練です。オランダ軍はやってくれませんでしたし、我々自身がやろうと思ってもできるものではありません。
 日本軍時代の三年半でインドネシア人はすっかり変わったが、こんなに変わったことをイギリス軍やオランダ軍はわかっていませんでした。

モハメッド・ナチール=インドネシア人。元首相で、世界イスラム教徒会議副議長を務めた。
「明日への選択」平成17年9月号より

 大東亜戦争が起きるまでアジアは長い植民地体制下に苦悶していました。そのためアジアは衰えるばかりでした。アジアは愚かになるばかりでした。だからアジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
 大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

 日本軍は有言実行でした。
 その第一は植民地政治の粉砕です。第二は祖国防衛義勇軍を組織したことです。第三はインドネシア語の普及です。第四はイスラムの団結をはかったことです。第五はスカルノやハッタをはじめとした行政官の猛訓練です。第六は稲作及び工業技術の向上です。

サンパス=インドネシア人。日本軍の訓練を受け、祖国防衛義勇軍として独立戦争に参加。元陸軍少将。元復員軍人省長官。
「明日への選択」平成17年9月号より

 日本軍がやった基本的なことは、すなわち最も大きな貢献は、我々に独立心をかきたててくれたことだ。そして厳しい訓練を我々に課してくれたことだ。
 日本人はインドネシア人と同じ様に苦労し、同じ様に汗を流し、同じ様に笑いながら、我々に対して“独立とは何か”“どういう苦労をして勝ちとるものか”を教えてくれた。
 これはいかに感謝しても感謝しすぎることはない。これは祖国防衛義勇軍の訓練を受けた人が残らず感じていることだ。

ブルキフ・ルビス=インドネシア人。日本軍の訓練を受け、祖国防衛義勇軍として独立戦争に参加。元陸軍大佐。
「明日への選択」平成17年9月号より

 大東亜戦争が契機となってアジアからアフリカまで独立しました。
 日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思います。
 大東亜戦争中の日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。

ヴィセンテ・カマチョ=サイパン生まれ。2013年8月現在84歳。市議会議長も務めた。
産経新聞 2013年8月13日付より

 「サイパンでは日本人と(現地の)チャモロ人は仲良く暮らしていた」。サイパンで生まれ、市議会議長も務めたヴィセンテ・カマチョさん(84)は、流暢(りゅうちょう)な日本語でかつての日本統治時代を振り返った。

 サイパンの中心街ガラパンには当時、日本の商店が立ち並び、にぎわっていた。「多くの日本人が暮らしていた。みんな親切だった」。カマチョさんは小学校に入学すると、当時の現地の子供がみなそうだったように、日本語を学び、日本人の友達とよく遊んだ。

 やがて島でも戦闘が始まり、家族と郊外に避難。米軍の雨のような砲撃に、生きた心地がしなかった。「何もかもなくなってしまった。戦争は本当に怖い」

 戦後、島から日本人はいなくなったが、今も「日の丸」の唱歌を歌える。「スギヤマ先生、ミヤオ先生、スガヌマ先生…」。当時の恩師との思い出も尽きない。特に「嘘をついてはいけない」という教えが強く印象に残っているという。

 カマチョさんは言う。「日本人は勤勉で実直だった。だからこそ、日本の先生に教えてもらったことは忘れられない」

タキン・オンサン(アウン・サン)=ビルマ(現ミャンマー)の独立運動家。「ビルマ建国の父」。日本の「南機関」のもとでビルマ独立戦争のための訓練を受けた。
日本会議DVD「独立アジアの光」より
※ビルマ独立運動を支援し、ビルマ独立義勇軍の誕生に貢献した「南機関」機関長の鈴木敬司大佐に対し、次のような感謝状を同志たちとともに送った。


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 我らは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。将軍のビルマ国への貢献は、いつまでも感謝される。たとえ世界が滅ぶとも、我らの感謝の気持ちが滅ぶことはない。

バー・モウ=1893年(明治26年)、当時イギリスの植民地だったビルマに生まれる。独立運動家、政治家。大東亜戦争開戦後、日本軍と共にイギリス軍と戦い、1943年(昭和18年)8月1日、ビルマ国の独立を宣言、国家元首に就任し、対連合国への宣戦布告を行う。1945年(昭和20年)8月に日本へ亡命したが、12月に自ら連合国の占領軍(イギリス軍)に出頭、翌年に特赦されビルマに帰国した。
横堀洋一訳「ビルマの夜明け」より

 日本の事例は本当に悲劇である。歴史的に眺めると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他には何処にもない。
 
にも拘わらず、解放を援助しまたは、いろいろな事例の手本を示したその人々から、これほどまでに誤解されている国もまた無い。

チョウゼヤ=ミャンマー人。1975年(昭和50年)生まれ。博多「華善」店長。日本滞在期間4年。ちなみにミャンマーに住むビルマ人は、男も女も名前だけで苗字を持たない。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!―特別版 親愛なる日本の友へ」より

 太平洋戦争中、日本軍がビルマに侵攻して三年間ほど占領した時期があります。その頃のことを知っているお年寄りに「日本人は嫌いですか?」と聞いても嫌いだという人は私の周りには一人もいません。

 当時九歳だった私のおばあちゃんが、マラリアにかかって死にそうになりました。そのとき、薬をくれて治してくれたのは、日本の軍人さんだったそうです。そのときおばあちゃんが死んでいたら、私は今ここにいません。だから私にとっても、日本人は恩人なんです。

 十年くらい前、戦没者の慰霊と遺骨収集のために、元日本軍の人たちがミャンマーに来たとき、現地の人と日本人が懐かしそうに抱き合って涙を流しているのを見て、私は本当に戦争があったのかなと思ったくらいです。

タナット・コーマン=タイ人。内閣副首相、外相などを歴任。アセアン設立に中心的役割を果たした。
1995年(平成7年)5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、参列した際の言葉

 五十年間を振り返ると先の戦争が残酷なものであったにも拘わらず、善なるものも生みました。あの戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破されました。
 そしてこれは日本が勇戦してくれたお陰です。新しい多くの独立国が火の中から不死鳥のように姿を現しましたが、誰に感謝を捧げるべきかばあまりにも明白です。

 これからは新しい国も古い国も互いに手をしっかりと結び合って平和を強化し暴力によってさいなまされている諸国民を苦しみから救おうと努めなければなりません。

許文龍=台湾人。1928年(昭和3年)生まれ。台湾の実業家、ヴァイオリニスト。奇美実業の創設者。
1999年(平成11年)5月22日、台南市社会教育館における、後藤新平・新渡戸稲造の業績を称えるシンポジウムにて

 私も日本人として生まれ、学徒兵として動員されました。大東亜戦争はいまでも間違っていないと思っているんです。唯一の間違いは、戦争に敗けたことです……。
 私はかつて日本人であったことに誇りを持っていますが、逆に日本の方々は誇りを持っていないんですね。どうか皆さん、過去に対して正当な評価と自信を持って下さい。

鄭春河=1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年(平成17年)没。
「台湾人元志願兵と大東亜戦争」より

 現代では、帝国主義による拡張政策は侵略と呼ばれ、国家悪の元凶と考へられるやうになったが、それは大東亜戦争といふ試練を経て会得した人類の思考の進歩であり、多大の犠牲を払ったあげくに達し得た理念である。
 換言すれば、大東亜戦争といふ一大転機がなかつたならば、依然として帝国主義の時代が続いてをり、各国は領土拡張に鎬を削つてゐたであらう。

アーノルド・J・トインビー=イギリス人。歴史学者。
毎日新聞 昭和43年3月22日付より

 英国最新、最良の戦艦二隻が無謀にも航空部隊の援護なしに出撃して日本空軍(註:海軍航空隊)によって撃沈されたのち、カルタの家のように陥落した。
 東南アジアにおける英国の軍事的崩壊は、特別にセンセーションをまき起こす出来事であった。それはまた、永続的な歴史的重要性をもつ出来事でもあった。
 なぜならば、1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴してきていたからである。

 1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。
 この啓示がアジア人の“士気”に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。

ジョイス・C・レブラ=アメリカ人。コロラド大学歴史学部教授。
「東南アジアの開放と日本の遺産」より

 大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

 民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。

(中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。

ジョージ・フリードマン =アメリカ人。ディッキンソン大学教授。近著に「新・世界戦争論―アメリカは、なぜ戦うのか」(2005年出版)がある。
「VOICE」1991年12月号「パールハーバーを忘れるな」より

 まともで教育のある人びとがなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人びとなのだ。

 当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせずに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

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 皆さんご承知のとおり、現在、天皇皇后両陛下がインドをご訪問中です。
 到着された基地ではシン首相が両陛下を出迎えてくれましたが、外務省によれば、これは異例なことで、最大級の歓迎だそうです。
 インド国民の方々も両陛下を歓迎してくれています。
 (下の画像はご滞在2日目、ニューデリーの公園にて)

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 日本は白人国家の植民地となっていたアジア諸国の独立の礎を築きました。
 インドもそのひとつです。インドが長年、親日国である理由がよく分かりますよね(もちろん戦後、日印の友好関係が継続されてきたことも大きな理由ですが)。

 外務省によれば、例年、インド国会では、会期中の場合、8月6日に広島、長崎の原爆の犠牲者に対して黙祷を行われているそうです。
 また、昭和天皇崩御の際は、3日間、喪に服してくれました。
 ちなみに、日本の喪の期間はそれより短い2日間でした(しかも崩御が土曜だったため、その2日間というのは土日)。


 日本の歴史や領土について、他国の主張ばかり強調するような教科書の偏向記述が未だに後を絶ちません。
 そんな中、政府が11月15日に発表した「教科書改革実行プラン」では、教育基本法の目標にそった教科書づくりが強く打ち出されました。

 私(昭和39年生まれ)は学校で、先の戦争は侵略戦争でありアジアの国々に多大な迷惑をかけたと、それのみ教えられました。
 もうそんな偏った教育は終わりにすべきです。
 歴史には常に光と影があるのですから。
 今日はその光の部分を皆様にお伝えできたのではないかと思います。


 ……というわけで、第38弾につづく……!!




※参考文献(新規のみ)
井上和彦著「日本が戦ってくれて感謝しています―アジアが賞賛する日本とあの戦争」(産経新聞出版)
・DVD「自由アジアの栄光」(日本会議)
・DVD「独立アジアの光」(日本会議)
・2001年8月16日フジテレビ「特攻・國破れても國は滅びず」
・「WiLL」2013年12月号 三浦小太郎【チャンドラ・ボースは生きている】
日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦『明日への選択』平成17年9月号(「大切に思う心を綴ります」様)
産経新聞2013年8月13日>【戦後68年】「日本人は勤勉で実直。みんな親切だった」統治時代知る現地の男性証言
草莽全国地方議員の会>日本を評価する世界の著名人>ジョイス・C・レブラ博士

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06/8/26付:首相の靖国参拝反対派への反論
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13/4/10付:西川京子さんが衆院予算委で「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の虚構と自虐史観に侵された入試問題について語ってくれました(中山成彬さん質疑まとめ付き)
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