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日本よ、これがスーチーだ

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 先日、ミャンマー最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウン・サン・スーチー議長が来日しました。

 日本滞在中だけでなく、その前からメディア、特にテレビは彼女をすごく持ち上げてましたよね。
 私は、スーチー女史には良い印象を持ってませんから、テレビのこの騒ぎ方はかなり異様に映りました。
 
 
 スーチー女史は昨年4月に国会議員となって以降、あれほど激しく行っていた政権批判を封印するようになりました。

 少数民族(カチン族)武装勢力と政権側との対立について、少数民族側はスーチー女史からの支援を待ちましたが、彼女は「政府が対処する問題だ。私は議会の民族委員会のメンバーではなく、干渉すべきではない」と述べ、少数民族側をがっかりさせました。
 スーチー女史は議員就任の前後、「少数民族の権利擁護」を最優先課題の一つに掲げていたにも関わらず、そんな対応をしたわけですから、彼らが失望するのも無理からぬことです。
 カチン族の活動家は、「彼女の関心は少数民族の苦しみよりも、賞をかき集め大統領になることにある」と批判しました(産経新聞2013.1.31 19:16)。

 また、昨年11月、ミャンマー中部で、支那企業と軍系企業との合弁による銅山開発事業の中止を求める僧侶や住民らを警察が強制排除した問題でも、スーチー女史は彼らを失望させました。
 テイン・セイン政権(テイン・セイン大統領は華人)の要請により調査委員会の委員長を務めたスーチー女史は、政権と支那に配慮し、今年3月、「開発を続けるべきだ」との報告書を公表したのです毎日新聞2013年03月13日19時14分)。

 いずれも、“民主化運動指導者・スーチー女史”に対するミャンマー国民の期待が大きく裏切られた出来事でしたが、このあたりを突っ込んだ日本のテレビがどれほどあったでしょう?

 私はほとんど目にしませんでした。
 どこの局かは忘れてしまったのですが、現在日本に住んでいるカチン族の男性の、「もはやスーチーには全く期待していない」という短いインタビューを流したのを見かけただけでした。

 あとで調べたら、スーチー女史の来日中、一部新聞が、ミャンマーで深刻化する民族・宗教対立をスーチー女史が静観しているという批判があることに対し、本人が反論したという報道をしていましたが…(毎日新聞2013年04月17日20時37分)。

 スーチー女史が少数民族の人権保護に消極的であることに関しては、実は今年1月、NYに本部がある国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの年次報告の中でも、異例の批判がなされています(産経(共同)2013.1.31 19:38)。

 ついでに言うと、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理のロバートソン氏は、スーチー女史を「ノーベル平和賞受賞者というより二流政治家」と酷評しています(毎日新聞2013年03月13日19時14分)。


 スーチー女史について考える時、ミャンマーの民主化や少数民族の人権という視点で考えることもももちろん重要ですが、実はもっと根本的なことが見過ごされているのではないでしょうか。

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 その意味では、2012年「正論」2月号のコラム【折節の記】が参考になるかもしれません。

 2011年12月にクリントン米国務長官(当時)がミャンマーを訪問し、前年11月まで軟禁されていたヤンゴンのスーチー女史の自宅を訪れましたが、それを題材にしたものです。

 というわけで、その箇所を引用します。
 画像はこちらで追加したものです。
 

 起こしここから______________________________
 
 ヒラリーがアウンサン・スーチーの自宅を訪ね、裏庭で歓談する写真がロイター電で配信された。
 日本の大手新聞では12月3日付産経新聞だけが掲載していた。

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 裏庭には野球場が一面取れそうなほど広く、よく手入れされた芝生が美しい。
 二人が語り合う背景に白い二階建ての洋館が臨める。
 部屋数はざっとみて10室はあろうか。
 スーチーがお付きと住む自宅だ。

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 写真には写っていないが、庭の先はそのままインヤー湖につながる。
 対岸まで2キロもある湖のほとりにはスーチー邸のほか戦後ずっとこの国を支配してきたネ・ウインや政権のトップクラスの邸宅が建ち並び、対岸には米国大使館などがある。
 ミャンマー版の中南海と言える。

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 その湖を泳いで渡り、芝生をよぎってスーチー邸を訪れた米国人がいた。
 中年の白人男で彼は2度、湖を泳いで渡った。
 1度目は3年前の秋。
 スーチーの留守宅を訪ね、彼女が仏教徒とも知らずに聖書を置いていった。
 帰るとき、警備の警官に見咎められたが、別に捕まらなかった。

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 2度目は翌09年5月。
 手製のフィンをつけて真夜中に泳ぎ出し、途中で警官に見つかり石をぶつけられた。
 それでも無事渡り切って庭をよぎって屋敷に入り、スーチーを驚かせた。
 飯を食わせてもらい、明け方再び湖を渡って帰るところを捕まった。

 ミャンマーでは無届で他人の家に泊まることも泊めることも犯罪になる。
 男はそれで捕まり、重労働刑7年を宣告されたが、米国の要求で3カ月後に放免され帰国した。

 ロイターの写真はまさに米国人の侵入経路を語る現場写真にもなるものだが、この光景はもう一つ、日本の外務省に伝わる「スーチーは悪者」説も裏付けた。
 彼女は公道での集会は禁止なのに、わざと自宅前の路上で集会を開いて騒ぎを起こしていたという説だ。

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 当時のミャンマーは国連を通して英国の植民地支配を糾弾していた。
 ビルマ王家から奪った財宝の一部が返還されもした。
 英国はそれをなんとか黙らせたい。
 それで滞英生活30年のスーチーを送り込んだ。
 彼女はわざと騒ぎを起こしてはミャンマー政府の悪評を世界に喧伝するのが任務だった。

 それを我が外務省が知っているのは彼女の家の向かいが日本大使公邸だったからだ。

 一度、公邸から彼女の家を見たことがあるが、裏の庭は見えなかった。
 あの広さなら何人でも入れ、合法的に集会が開けたろうに。

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 それに自宅軟禁という言葉の重みも消えた。
 2DKくらいの家にいるのかと思っていたら、庭でゴルフもでき、泳ぎも舟遊びもできる家だった。

 スーチーはこれで手の内を見せた。
 言い換えればミャンマー政府との対決は終わったということになる。
 事実、この春には国政の補欠選挙に立つことも明言している。

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 この変わり身は何か。
 ミャンマーは少し前まで支那の属領みたいだった。
 米英主導の経済制裁で痛めつけられ、つい支那にすがった。
 支那はすぐ発電所を作ったが、できた電気の9割は支那に送電し、ミャンマーは停電したまま。
 それでも国家破綻は免れた。
 支那はインド洋と結ぶパイプラインと鉄道もつくり、もはやこの国は支那のインド洋側の玄関になりつつあった。

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 そのミャンマーがイラワジ川に計画中の支那の巨大水力発電所に毅然と「待った」(11年9月3日)をかけた。
 今、支那の援助を断ったら野垂れ死にではないかと大方が思った。

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 今度ヒラリーが行って、ミャンマーがそこまで大胆に振る舞った理由がやっと分かった。
 支那をけん制するため、米国はとっくにミャンマーに接近し、ミャンマー側も英国植民地時代の遺恨を水に流し、支那と距離をもつことを約束していたのだ。

 スーチーの役目は終わった。
 それがあの庭のヒラリーとの会談だった。
 意味深い写真だった。

 ______________________________起こしここまで


 スーチー女史に対しては、実は西村眞悟さんも過去に何度か痛烈に批判をされています。
 このことは、ネット上のご友人であるリョクさんに教えてもらいました。

 西村眞悟さんのサイトから、主にスーチー女史について書かれた箇所を引用します。
 少し長くなりますが、とても大切なことが書かれてあるのでぜひ読んでみて下さい。

「西村眞悟の時事通信」平成19年10月21日付
 さて、「日本も今や軍政との間に太いパイプをもたない」という。これははっきり言うが、日本外交の怠慢である。日本外交が戦略眼をもたず、漫然とアメリカさんやスーチー女史になびいていたから、パイプがなくなったのである。つまり、東京の戦略なき怠慢が、ミャンマーを中国側に追いやり、現地でのパイプをなくしたといってよい。
 ミャンマーは心温まる親日国で、軍事政権も一貫して日本に熱いまなざしを向け、援助を期待していた。しかし日本は、「民主化」を要求して援助を打ち切って放置した。そして、援助再開の動きも、その都度アメリカ国務省のご意向に従って封印された。
 その間、日本は、正真正銘の軍事政権である北朝鮮や天安門事件以降の中国に対しては、巨額の援助を続けていたのである。

 なお、一口に「軍事政権」というが、北朝鮮や中国とミャンマーを一緒にできない。前者は民衆の生活よりも独裁者と共産党が核やミサイルを保有し巨大な軍隊を維持するための軍事政権である。これに対して、ミャンマーは、貧しさの中からの国造りのための軍事政権である。丁度日本の明治維新から自由民権運動と国会開設までの政権の雰囲気と思えばいいのではないか。
 また、治安は日本より良い。貧しいけれども、市場で働く子供が札束を持って歩いていても盗られない。仏教の穏やかな教えと喜捨の精神が生きている。親の子殺しも子の親殺しもない。

(中略)

 とはいえ、日本政府はミャンマーへの援助を全面的に止めたのではなく、人道援助は遠慮がちに続けていた。しかし、スーチー女史は、日本の人道援助も軍事政権を喜ばすだけだと激しく非難していた。
(だいたい、こういう非難が出来ること自体、ミャンマーの「軍事政権」が、中国や北朝鮮と違い自由があるという証拠である)

 そこで十年ほど前に、私は、日本のポリオ生ワクチン援助が如何に行われているかミャンマーの田舎に見に行った。
 そこでは、若いお母さんが幼児を抱えて続々と集まってきていた。そして皆笑顔で我が子にワクチンを飲ませていた。その横では、お祭りのように人々が笛や太鼓で踊っていた。本当に、我が国は隣人に喜ばれるよい援助をしているものだと実感した。
 しかし、この援助をスーチー女史は非難していたのだ。そして、日本政府は遠慮がちに援助していたのである。

 なお、スーチー女史は、ヤンゴン以外のミャンマーを知らない。つまり、彼女はビルマ人の顔をしている英国人である。顔はビルマ、心は英国。実は、イギリスの植民地政策というものは、被支配地の上流階級をこのように作り上げるものなのだ。

「西村眞悟の時事通信」平成20年7月18日付
2、私とミャンマーとの関わり
 民社党(平成6年12月9日解党)の公式ミャンマー訪問団として、始めてミャンマーを訪れたのが平成6年5月。

(中略)

 始めてミャンマーに入国して歩き回って感じたことは、日本の報道は事実を伝えていないと言うこと。日本のマスコミは、同じ「軍事政権」でも北朝鮮は「地上の楽園」と伝えてきて非常に甘く、ミャンマーの「軍事政権」は悪の権化のように伝えていた。
 事実は全く逆で、ミャンマーの人々は信心深く穏和で親切、首都ヤンゴンはニューヨークやパリ、ロンドン、東京、大阪よりも安全で、浮浪者は皆無。
 「豊かさの中の貧困」と「貧しさの中の豊かさ」、ミャンマーは日本人が忘れたこの豊かさをたたえていた。
 そして、その「軍事政権」の親分のキン・ニュン第一書記は、禁欲的な威厳があり、明治の大久保利通とはこのような雰囲気の男だったのではないかと思うほど立派な陸軍中将であった。

 対して、アウン・サン・スーチーの言っていることは、英国流・米国流の民主主義を直ちに実現させない政権はすべて悪だと言うに等しくミャンマーの現実を無視していた。事実、彼女は英国で育ち、英国人の夫と子供の家族とともに長年英国に住んでいてミャンマーを知らなかった。
 私は、キン・ニュン第一書記に、スーチー女史の言っていることは空論である。自信を持ってミャンマーはミャンマーの民主化を着実に進めて欲しいと言った。
 すると彼は、まずはじめに、ミャンマーの英国からの独立は、日本軍のおかげであると日本への感謝の意を表明して、
 「我々四千五百万のミャンマー国民(その当時の人口)は、この大地で生まれこの大地で死ぬ。英国で育ち、英国に家を持つ人には分からない」と答えた。

 私は、ミャンマーが大好きになり、また、この親日的な国との友好を深めるのが日本の国益にかなうとの思いから、以後毎年一回から二回の割でミャンマーを訪れることになった。
 ある時は、スーチー女史が、日本のポリオ生ワクチンの援助を「軍事政権を利するだけだ」と非難したので、では、果たしてそうかと、首都を遠く離れたミャンマーの田舎のポリオ生ワクチン接種現場を見に行った。
 そこでは、多くの若いお母さんが村の学校に子供を抱えて集まっていた。楽隊が演奏して踊りも始まった。まるでお祭りのようであった。そして、お母さん達は幸せそうにニコニコ笑っていた。私には、この多くの子供達が日本の援助により小児麻痺の恐怖から解放されることが、何故「軍事政権を利するだけだ」と非難するのか、スーチーの言うことが馬鹿らしかった。そして、日本のマスコミは、何故スーチーの言うことだけを報道して、このようなすばらしい援助の場所を取材しないのかと思った。
 その後、平成17年の春には、多くの仲間とともにミャンマーを訪れ、日本で集まった浄財でヤンゴン郊外の村に小学校を寄付することができた。

(中略)

5、「民主化要求」とは何か・・・欧米のダブルスタンダード
 建国以来、ミャンマーは国内の少数民族の反政府ゲリラとの内戦が絶えず放置すれば分裂する危機が続いていた。
 その原因は、イギリスの少数民族により多数派のビルマ族を支配させるという伝統的な分割統治にある。イギリスからの独立とともに、少数者は支配の特権を失うわけで、その不満が内戦に発展するのは必至である。
 従って、この国家分裂の危機を克服してミャンマーを統治する政権として「軍事政権」が誕生するのは当然の帰結である。国民教育を奪われた英国による植民地支配の後で、知識のある人材を抱えた訓練された組織は軍隊しかなかったからである。
 そして、軍事政権のキン・ニュン第一書記の時代に、内戦はほぼ克服される。そして、キン・ニュンは、平成15年に民主化実現に向けたロードマップを発表する。

 しかし、この間、西側諸国は、ミャンマーが「軍事政権」であるが故に、援助を停止していたのだ。特にアメリカは「制裁」を実施していた。我が国も、この西側の動きに追随して独自の行動をとらず援助を停止した(但し、我が国は人道援助は実施していた)。
 この状況で特にミャンマーを苦しめ、また、腹に据えかねる思いにさせたのは、アメリカとイギリスの民主化要求と制裁だと思う。何故なら、独立後の内戦を必然的にする残酷で非民主的な植民地支配をしていたイギリスが民主化を要求する等は許されないではないか。また、アメリカの制裁はミャンマーの縫製業を中心とする国内産業に打撃を与え、失業の増加と外貨不足をもたらした。さらに、この英米に気に入られてミャンマー国民を苦しめる措置を歓迎し、日本からの人道援助も非難していたのが、イギリスで育ちイギリスに家族と家を持つスーチー女史であった。そして、ミャンマーは世界最貧国に低迷し続ける。

 ところで、英米は、苦しみながらも民主化のプロセスを歩もうとするミャンマーには制裁を課し、民主化など全く考えようともしない中共や北朝鮮には民主化要求などしていない。
 これを彼らのダブルスタンダードという。要するに、英米にとって、民主化要求は外交手段で相手を支配する方便に過ぎない。従って、英国や米国のミャンマーへの制裁をミャンマーは「第二植民地主義」(キン・ニュン第一書記)と受け止めた。
 当然である。
 そしてこの中で、馬鹿を見た見本が日本であった。我が国は、英米の民主化要求を額面通りに受け取って追随し援助停止を続けたものだから、アジアのもっとも親日的な国ミャンマーを中共の懐に追いやってしまったのだ。中共は今や、ミャンマーを経てインド洋に進出して、そこに海軍力を展開するところまできている。

 本当にミャンマーが民主化するのを望むのならば、最貧国にして内戦で苦しむミャンマーに惜しみなく援助を与えて励ますべきであった。英米にも我が国にもその力はあった。
 私には、西側の制裁と援助中止は、ミャンマーの国民を苦しめ民主化の歩みを停止させたとしか思えない。
 しかし、ミャンマーの「軍事政権」は、サイクロンの被害直後に予定通り新憲法採択のための国民投票を実施して国民から新憲法案の承認を受け、2010年には複数政党制による総選挙を実施して民政に移管すると発表している。つまり、現政権は、キン・ニュンなきキン・ニュンの民主化ロードマップを忠実に実行してきている。
 このような歩みを続けるミャンマーへの制裁は続けて、北朝鮮への制裁は解除するアメリカとは、如何にいい加減な国であるか明確に分かるであろう。

 西村眞悟さんの話を無理矢理3行にまとめると……

 ミャンマーは国造りのため軍事政権が必要だった。
 スーチー女史は顔はビルマ人だが中身はイギリス人。
 スーチー女史にとって英米流の民主化以外は「悪」であり、そのため日本の人道支援も非難した。

 ……あっ、4行になってしまった(^_^;

 皆さんご存知の通り、その後ミャンマー情勢は大きく動きました。

 支那との距離を取り、西側諸国との関係改善に動き出し、2010年11月の総選挙で民政移管を果たしました。
 また同月、ミャンマー政府は「スーチー女史は軟禁期限を迎える」と発表し、その後軟禁が解除されました。
 アメリカは2011年12月のクリントン国務長官のミャンマー訪問以降、対話路線を進めて関係の構築を図ってきました。
 今やミャンマーは経済面でも大きな注目を浴び、「アジア最後のフロンティア」とまで言われるようになっています。


 それにしても、スーチー女史の来日報道で改めて思ったのは、メディアというのは、物事を何かにつけ善と悪の単純な図式に当てはめようとするのだなぁと。

 すなわち、「スーチー女史=善」「軍事政権=悪」という図式です。

 が、ここまでお読みくださった皆さんはお分かりのように、事はもちろんそんなに単純ではありません。
 少なくとも、スーチー女史が日本で言われているような「悲劇のヒロイン」ではないことは確かです。

 スーチー女史が本気で大統領を目指す以上、彼女の本性は今後さらに露見していくでしょうし、そうなれば、当然、これまで多くの日本人が抱いてきたスーチー像は瓦解していくでしょう。

 実際、それはもう始まっているのではないでしょうか。
 たとえば、スーチー女史の来日の前後、日本のメディアではこのような報道もありました。

アウンサンスーチーさん:複雑な思い抱え来日(毎日新聞2013年04月13日23時19分)
 父アウンサン将軍は旧日本軍から独立運動支援をうけ、自身も1985年から1年間京都大で研究員として過ごすなど日本とのゆかりの深いスーチー氏だが、日本政府に対しては複雑な思いを抱いてきた。
 経済制裁を科し旧軍政と対立した米欧に対し、日本はミャンマーを国際社会で孤立させないよう、関係を保ちながら民主化を働きかけた。日本は80年代までミャンマーの最大援助国で、88年の軍事クーデター後もいち早く経済援助を再開した。スーチー氏は日本の姿勢を人権軽視だと非難し、「理解に苦しむ」(本紙連載「新ビルマからの手紙」)などと苦言を呈してきた。

大統領選見据え… スー・チー氏、帰国 日本との距離、縮まったのか(産経新聞2013.4.20 13:31)
 スー・チー氏の側近によると、彼女にとり日本という存在は「心中複雑な国」である。
 日本はまず、スー・チー氏が敬愛してやまない父、アウン・サン将軍が、英国からのビルマ(ミャンマー)の独立を目指し潜伏し一時、手を結んだ国であり、後に英国とともに駆逐した国だ。
 その父親は独立(1948年1月)を目前に、32歳の若さで暗殺され、このとき2歳のスー・チー氏には、父親の記憶も面影もほとんどない。彼女が85年から、京都大学の研究員として子連れで日本で暮らしたのは、「父親探しの旅」であった。当時の日本の印象を、スー・チー氏は次のように回想している。
 日本人は勤勉だ。だが、経済成長が最優先され、窮屈に生きている。他のアジア人に優越感を抱き、あらゆる機会を利用し金もうけをしようとしている。男性は女性を蔑視している-。
 何より、スー・チー氏には、弾圧された軍事政権時代から今日に至るまでの、日本政府の「政権寄り」に対する不満と不信感が内包されていると、側近は打ち明ける。それは日本政府が、民主化運動を弾圧した軍政と良好な関係を保ち、民政移管後も、民主化勢力を軽視していることにあるのだという。
 日本側の訪日招請にも一時は、消極的だった。結果として訪日は欧州、米国、インドなどへの外遊から、だいぶ遅れた。

 私は、もしスーチー女史が大統領になったら、ミャンマーは今までのような親日国ではなくなるのではないだろうかと危惧しています(国民レベルはともかく政治レベルで)。

 それどころか、ひょっとしたらいずれ「特定アジア」の一角に名を連ねる日が来るかもしれない……などというのは心配のしすぎでしょうか?
 だって、そうチラッと思えてしまった報道があったのです。

歴史問題で日本を批判 韓国でスー・チー氏(産経新聞2013.2.1 14:31)
 聯合ニュースによると、韓国訪問中のミャンマーの最大野党国民民主連盟(NLD)党首、アウン・サン・スー・チー氏は1日、太平洋戦争をめぐる日本の歴史問題に絡み「過ちは誰でもあるが、過ちを認めることをためらうことこそが本当の過ちだ」と述べ、日本の姿勢を批判した。
 ソウルで面会した宋永吉・仁川市長が「ドイツと違い日本は従軍慰安婦問題などを認めない。関心を持ってほしい」と述べたのに応じた。
 スー・チー氏はまた、ミャンマー独立の英雄、父アウン・サン将軍が生前「日本人の個人を憎んではいけない。誰でも長所と短所があるから短所を理由に憎むのはだめだ」と話していたとも述べた。アウン・サン将軍は第2次大戦中に旧日本軍の軍事訓練を受けたが、後に独立のため日本軍と戦った。(共同)

 もっともこれは聯合ニュースの引用ですから、韓国メディアにありがちな「我田引水」の記事の組み立てをしているだけ、という可能性も大いにあることを付記しておきます。



※拙ブログ関連エントリー(正論「折節の記」)
13/2/18付:日本よ、これが朝日だ
13/3/4付:[続]日本よ、これが朝日だ
13/3/23付:日本よ、これが韓国だ






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