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長崎事件をご存知ですか?支那を憂う明治天皇と沿岸防備に寄附した国民

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【画像は中国海軍艦艇7隻が沖縄・先島諸島の接続水域内を航行した10月16日のニュース映像より。国有化以降、尖閣諸島周辺への中国公船の領海侵入は常態化しています】


 現在、日本にとって尖閣諸島を窺う支那は大きな脅威となっています。
 日本国民の尖閣防衛に対する関心も高まっています。

 実はこれと似たような状況が明治時代にもありました。
 あまり知られていない実話を今日はお届けします。
 
 明治維新以降、朝鮮の地位をめぐって日清両国は次第に対立を深めつつありました。
 朝鮮の宗主国たる清国は、日本を仮想敵国と見なして軍備増強に努めます。

 当時の清国北洋艦隊は「定遠(ていえん)」「鎮遠(ちんえん)」といった東洋一の鋼鉄製戦艦を擁し、海軍力において日本を圧倒していました。

 「定遠」「鎮遠」は共に排水量7000トン。
 一方、当時の日本海軍は、排水量4000トン級の巡洋艦「浪速(なにわ)」「高千穂」を擁するのみでした。

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【清国北洋艦隊の「鎮遠」(Wikipediaより)】


 1886年(明治19年)、長崎で事件が起きます。

 8月1日、丁汝昌(ていじょしょう)率いる清国北洋艦隊が「定遠」「鎮遠」以下4隻の軍艦を連ねて、艦艇修理のためと称して長崎に入港しました。

 しかし、その真の目的は、軍事的偵察と日本に対する威圧・恫喝のためでした。

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【明治期の長崎港(1893年)(Wikipediaより)】


 8月13日、数百人の清国水兵が長崎の町に上陸を開始します。

 その夜、数名の水兵が遊廓で登楼の順番をめぐる行き違いから、備品を壊したり暴行を働くなどのトラブルを起こしました。

 日本の巡査2名が現場に向かったところ、水兵らは彼らに暴行を加えました(通常の巡査は帯剣をしておらず警棒のみを所持)。
 巡査らはうち2名を逮捕したものの、他は逃亡してしまいました。

 その後、10数名の水兵が派出所前に現れます。
 その中に先の遊郭で巡査に暴行した者がいたので捕らえようとしたところ、日本刀で巡査を切りつけてきました。

 巡査は負傷しながらも、応援の巡査と共に刀を取り上げ、水兵を取り押さえました。
 そしてその水兵を警察署に送付、後に清国領事館に引き渡しました。

 この事件により、日本側と清国側で協定が結ばれます。
 清国側は集団での水兵の上陸を禁止し、また上陸を許す時は監督士官を付き添わせるというものでした。

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【清国北洋艦隊の水兵たち(きままに歴史資料集さまから拝借)】


 翌14日は何も起こりませんでしたが、15日になると、協定に反し、約300名の清国水兵が上陸してきました。
 その中には、刀や棍棒など武器を所持する者もいました。

 うち数人の水兵が、交番の前で巡査に嫌がらせを繰り返しました。
 巡査は耐えてこれを諭そうとしましたが、警棒を奪おうとしたのでこれを防いでいると、他の水兵が来てもみ合いとなりました。

 他の巡査2名が駆けつけると、水兵20数名が現れて乱闘となり、さらには水兵100名以上が駆けつけ、ついに巡査1名が殺害されてしまいます。もう1名も重傷を負いました(翌日死亡)。

 これをきっかけに双方は大乱闘になりました。

 当日は、コレラ病予防の為に巡査が各地に出払っていた等の事情もあり、人員がなかなか集まりませんでしたが、何とか追加の巡査が駆けつけて総勢30名ほどになりました。

 ところが、清国水兵はその時にはすでに200名ほどに膨れあがっていました。

 人数で見ると日本側は圧倒的に不利な状況でしたが、ほぼ全員の巡査が負傷しながらも水兵を捕らえ、あるいは防御に努め、あるいは逃げ惑う住民を助け、また清国商人を救護し、鎮圧に努めました。

 さらに、騒動を知り憤慨した付近住民も、手に手に武器を持ち多数駆けつけ、水兵らに反撃しました。
 この時、清国の士官1名が死亡しましたが、住民側にも20数名の負傷者が出ました。

 これが長崎事件(長崎清国水兵事件)です。

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【長崎丸山ニテ支那水夫暴動ノ図「絵本近世太平記」明治21年6月24日出版 藤谷虎三著(きままに歴史資料集さまから拝借)】


 8月20日、天津にいた李鴻章(直隷総督兼北洋通商大臣)は、天津領事の波多野章五郎を呼び出し尋問します。

 李鴻章は、「わが水兵の死者は5名」と犠牲者を4名水増しした上、「我が国の水兵と貴国巡査との間で喧嘩があった」「武器を持たない我が水兵を殺傷した」と事実に全く反したことを並び立てました。

 その上で、李鴻章は波多野に対して、こう恫喝しました。

 「今又この事については帯兵営から電報を発して、開戦してもよいかどうかと問うて来たが、自分からはこれを差し止めた。しかし、今戦争を開かんとするのは難事ではない。貴国にある我が兵船は船体銃砲皆使用可能で、自由に開戦することができるからである

 2日後、李鴻章の態度はトーンダウンしますが(2日前は、長崎にいる丁汝昌提督らの電報を受けての対応だったため、内容の真偽をよく調べもせずに発言したようです)、巡査の行為を犯罪事件取締りの行為とは見ずに、あくまで巡査と水兵の「喧嘩」として通そうとしました。

 当時は清国、今は中華人民共和国と、国家の形態は変わりましたが、支那のこの尊大な態度、自分の落ち度を認めない姿勢は全く変わってませんよね(-.-#)

 その後、日清両国の調査委員会が発足、欧米各国の法律家なども巻き込んで何度も談判が行われますが、最終的には政治的決着が図られました。

 事件発生の翌1887年(明治20年)2月8日、井上馨外務大臣、徐承祖欽差全権大臣の両名によって条約が締結されましたが、その中身は日本にとって不利なものでした。

 日本は軍事的に清国に劣っていた上に、英独仏3国が清国を支援していて孤立状態だったからです。

 日本はやむなく清国に有利な条件、すなわち、暴動を起こし長崎市街を破壊した清国水兵を取り締まった巡査の行為を「喧嘩」として処理し、両国が慈善基金を出し合い、互いの死傷者に配分する案で妥協せざるをえませんでした。

 しかも、この妥協案では清国が死傷者を死亡8名、負傷42名と水増しされており(前年8月20日の李鴻章の発言より死者がさらに3名増えています)、日本から提供する金額の方が大きくなってしまいました。

 しかし、これはおかしなことです。
 そもそも日本と清との間には、1871年(明治4年)に調印した日清修好条規があります。

 「両国の人民、若し開港場に於て兇徒を語合い盗賊悪事をなし、或は内地に潜み入り、火を付け、人を殺し、劫奪を為す者有らば、各港にては地方官より厳く捕え直に其次第を理事官に知らすべし。若し兇器を用て手向いせば、何れに於ても格殺して論なかるべし(第十三条)」

 にもかかわらず、清国水兵が暴動を起こし長崎市街を破壊した行為を、しかもそれを取締った日本警察の行為を、「喧嘩」として処理し、双方の償却で済ましてしまったのは明らかに道理に合いません。

 2010年の尖閣沖衝突事件や、2012年夏に支那各地で発生した反日デモに対する、日本政府の弱腰な対応を想起した方もおられるでしょう。

 が、当時と今とでは、両国の状況は全く異なります。
 先述したように、当時の清国は日本に対して軍事力で圧倒的優位を保っていたのです。

 どの時代でも変わらないもの、それは「道理に合わない無理を言われても、軍事力の前には屈さざるを得ない」という国際社会の冷徹な原則です。

 逆に言えば、現在、海軍力で見れば海上自衛隊は中国海軍よりも実力は上とされているにも関わらず、全く弱腰な対応しかできない日本政府は何なんだ?ってことになりますね。
 もちろん、そこには欠陥だらけの現在の日本の法整備にも大きな原因があるのですが…。

 とにかく、当時の日本国民は、政府の不甲斐ない態度に切歯扼腕するしかありませんでした。

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【明治天皇。近代国家日本の指導者、象徴として国民から畏敬されました】


 こうしたことから、清国に対抗できる強力な海軍を持つことと、差し当たっては日本近海の沿岸警備を固めることが、明治中期の日本にとって、大きな国家的課題となりました。

 しかし、海軍の予算は全て軍艦の建造費に回され、沿岸警備まではとても手が回りません。

 その状況を見るに見かねた明治天皇は、長崎事件の翌年の1887年(明治20年)3月、「海防費補助金下賜の勅諭」を下し、沿岸防備のため、皇室費を節約して30万円を拠出されました。

 これは当時の皇室費の1割以上に当たっていました。
 なお、30万円という額は現在に換算すると12億円に相当します。

 天皇ご自身によるこの重大なご決断は、朝野の日本人を奮い立たさずにはおれませんでした。

 伊藤博文首相から全国の地方長官にこのことが伝えられ、改めて全国民に海防費の献金を呼びかけられました。

 すると、たちまち200万円余り(現在に換算すると80億円相当)が集まったのです。

 東京都の尖閣諸島購入計画に対し、極めて短期間のうちに多くの国民から多額の寄附金が寄せられましたが、それと似てますよね。

 これにより、1892年(明治25年)までに、日本各地の沿岸の要所に212門もの大砲が備え付けられることになりました。

 日本が海洋国家である限り、隣国の脅威に対する沿岸防備の強化の重要性は、明治の昔も平成の今も、変わりません。

 ただ、時の政府の危機管理能力によって大きな差が出てしまう現実を、私たちはよく知っています。



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【画像は2チャンネルから】


 長崎事件のあと、日清戦争、戊戌維新、義和団事件(北清事変)と、支那は激動し続けます。

 特に、明治の末年に勃発した辛亥革命により、支那は上を下への大騒ぎになりました。

 1912年(明治45年)1月1日、孫文が中華民国樹立を宣言し、初代臨時大総統に就任。
 2月12日、ついに清朝の皇帝・宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し、その276年の歴史に幕を閉じます。
 3月10日、孫文に代わって袁世凱が中華民国臨時大総統に就任。

 以後、支那大陸は絶えざる内戦の時代に突入し、隣国日本も巻き込みながら麻のごとく乱れていきました。

 そして7月30日、明治天皇が崩御されます。
 これは、その年に明治天皇が詠まれた御製です。

 「おのづから おのがこころも やすからず 隋の国の さわがしき世は」

 1月か2月、中華民国樹立・清朝滅亡の報を受けた頃に詠まれたものとされていますが、まるで今の支那(中華人民共和国)のことを、詠んでおられるかのようです。

 「隣の国の騒がしき世」に「自ずから己が心も安からず」。
 最晩年の明治天皇にとって、隣国・支那はかくも憂いの種であったのです。

 (過ぎてしまいましたが、11月3日は明治天皇のお誕生日でした。現在は「文化の日」ですが、戦前は「明治節」でした。大正末期、民間から「明治節」の請願運動が起こり、議会に上げられたのち満場一致で可決されました。近代日本の礎を築いた明治天皇の功績を偲び、昭和2年に祝祭日に設定されました)

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【中国の海洋監視船の尖閣諸島周辺への領海侵入を伝える11月4日のニュース映像より。中国公船による領海侵入は3日連続で、尖閣国有化以降11回目。なお、5日には海洋監視船が尖閣諸島の久場島沖の接続水域を出入り。中国公船による同水域航行は17日連続です】


 皆さんご存知のとおり、現在、支那は尖閣諸島だけでなく沖縄県全域を狙っています。

 2010年9月19日付の中国紙「環球時報」は、琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載しました。

 筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏です。

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【唐淳風氏。「環球時報」傘下のテレビ局「環球網」の番組(動画こちら)にも出演し、「琉球独立運動」が起きていると嘘を垂れ流しました。拙エントリー12/3/31付参照


 今年7月12日には、中国国防大学戦略研究所所長の金一南少将がラジオでこのような発言をしています。

 「釣魚島(尖閣諸島)問題に関しては、必ず行動を取ることが必要だ。さらに大きな見地からみれば、今後(議論を)始めなければならないのは沖縄の帰属問題だ
 「沖縄は当時、独立国家として中国の属国で、中国との関係が非常に近かった」


 明治天皇は、今なお「さわがしき隋の国」を、そして今の日本の支那に対してのありようを、果たしてどのようにご覧になっているでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※参考文献
・正論2012年10月号【崩御百年 いま偲ぶ明治天皇の御遺徳「国靖かれ」御製が伝える百年越しのメッセージ】明星大学戦後教育史研究センター・勝岡寛次
きままに歴史資料集>日清戦争前夜の日本と朝鮮(14)
Wikipedia>長崎事件(長崎清国水平事件)

※拙ブログ関連エントリー(尖閣諸島・沖縄)
10/10/4付:中国が尖閣諸島を日本の領土だと認識していたことを裏付ける史料
 1919年、尖閣諸島の魚釣島に漂着座礁した中国漁船の乗組員を救助した島民に対し、中華民国の在長崎領事の馮冕が送った感謝状をはじめ、4つの史料を紹介しています。
10/12/11付:櫻井よしこvs高野孟 11/26放送「朝まで生テレビ」より
 櫻井よしこさん曰く、「尖閣問題について、彼らが自分たちの島だというふうに、主張し始めたのは1971年ですよ。彼らも、だいたい40年かけてここまで来てるわけですよ。当時は日本の政府がほとんど気にしなかったことが、30年40年の中国の世論戦の積み重ねでここまで来てるわけですね。で、今から30年40年後に、沖縄がどうなってるかということについて、私たちはほんとに今のまま放っておいて、責任を持つことはできないと思いますね」。
12/3/31付:【拡散】中国の「沖縄占領憲法」彼らは本気で沖縄を狙っています
 中国共産党あるいはその影響下にある組織なり人なりが、沖縄を日本から奪うためのさまざまな工作を仕掛けています。

※拙ブログ関連エントリー(支那の民族性)
09/9/27付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
 1937年(昭和12年)、支那事変に強制徴用で駆り出された支那人青年の体験記。支那兵が自国人に掠奪や暴行を繰り返したり、便衣兵になって逃亡したりと、とにかく野蛮だったのが分かります。
10/9/27付:9月24日は国恥記念日 船長釈放でますます嵩にかかる中国
 元バレーボール日本代表の川合俊一さん曰く、「昨日まで普通だった中国の選手が、もう上から来るわけ。もう嵩(かさ)にかかってくるの。あ、こいつらには絶対負けちゃいけない、負けたらこんな目に遭うんだ。試合でも、えっ?そんなインチキまで勝ちたいの?っていうぐらいのインチキしたりするんですよ」
10/11/16付:尖閣問題を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
 ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」より、尖閣問題をはじめとする対中問題を考える上で役立ちそうな箇所を引用しています。
10/12/7付:支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ
 ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」より、支那人の民族性そのものを理解するために役立ちそうな箇所を引用しています。
10/12/20付:支那人にまつわる坂東忠信さんのインタビュー「正論」11月号より
 北京語の通訳捜査官として、中国人被疑者の逮捕現場や取り調べに立ち会ってきた坂東さん。「中国人の供述は嘘が多いので、3回程度の取り調べでは終わりません」「中国人に対するに当たっての日本側の問題点は、日本人の歴史認識の不足です」「彼らは共存よりも勝ち残ることを優先し、そのためには手段を選ばない」。
11/2/5付:支那五千年の殺戮の歴史の集大成「三十六計」
 支那では陰謀詭計は日常茶飯事であり、伝統的な闘争文化なのです。
11/7/25付:中国高速鉄道事故 車両隠蔽に朝日記者も驚愕!?
 中共には常識は通用しない。それを世界中に非常に分かりやすい形で教えてくれました。
12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
 「南京大虐殺には動かぬ証拠がある」というのは中共の決まり文句。「動かぬ証拠」があるなら見せて下さいよと思うんですが、見せてくれたためしがありません。
12/5/29付:中国書記官スパイ活動か&【動画紹介】中国による日本侵略工作の現状(対日工作機関暗躍の実態)
 中共のスパイ活動を“公”にした珍しい事件。巨大総領事館計画が進行中の新潟、名古屋、仙台、大阪、広島、福岡の皆さんに是非見ていただきたい動画紹介も。
12/6/11付:旧日本軍軍装品から尖閣地図まで!歴史改竄のため史料を買い漁る支那人
 歴史は日本では「ヒストリー」ですが、支那では「プロパガンダ」。自国発行の古地図や日本の軍装品をなりふり構わず買い漁り、歴史を改竄することとも厭わないのです。
12/7/23付:旧日本兵らが支那に寄贈した小学校が一般企業に払い下げられていた
 「遺骨詐欺」に遭った旧日本兵たち。「それでも支那の子供たちが喜んでくれるのなら…」。その思いすら裏切るのが支那なのです。



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