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【終戦の日2012】外国人から見た日本と日本人(35)

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※このシリーズの一覧を作ってあります。
 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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 8月13日、夫と二人で大阪護國神社に参拝してきました。

 本日は「外国人から見た日本と日本人」シリーズ第35弾です。

 1日早いですが、今年も終戦の日にちなみ、それにふさわしいと思うものを集めてみました。

※過去に紹介したものも若干混じっています。新規は■、紹介済は○です。
 
 
ラビア・カーディル=ウイグル人の人権運動家、実業家。新疆ウイグル自治区で実業家として成功し、中国人民政治協商会議委員を務めるなど、ウイグル人を代表する著名人として知られたが、民族問題に関する政権批判で失脚し、1999年に国家機密漏洩罪で逮捕、投獄。2005年に米国へ亡命後、「世界ウイグル会議」の代表として、中国におけるウイグル人の人権擁護を訴える活動を行っている。
2012年5月14日から17日まで、東京で「世界ウイグル会議」の代表大会が開催された。その初日、靖国神社に参拝した際に語った言葉。

 この神社に祀られている人達は、国を守るために戦った戦士であり、日本民族の英雄です。祖国のために命を落とした人々に敬意を払うのは、イスラム教徒の私達も変わりはありません。

 しかし、私達ウイグル人には、祖国のために殉じた人達を弔う慰霊碑を建立することも禁じられています。しかも、こうしている間にも、多くの同胞が中国政府によって不当に拘束され、生死も分からない状態です。死んでしまっても、私達は何もしてあげることができない。御魂が帰る場所がある日本人は幸せです。

黄文雄=台湾系日本人。1938年(昭和13年)生まれ。1964年(昭和39年)来日。早稲田大学商学部卒業。明治大学大学院西洋経済史学修士。「中国の没落」(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。拓殖大学日本文化研究所客員教授。主権回復を目指す会顧問、世界戦略総合研究所評議員。
「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」より

 明治維新後の日本帝国興起にともない、その精神的な支えとされる「国魂」、武士道精神は、清国留学生のなかで、維新派の梁啓超(りょうけいちょう)や革命派の秋瑾(しゅうきん)といった人びとを魅了し、日本に学ぶことが一大ブームとなった。

 18世紀から19世紀の世界風潮としては、富国強兵志向が一世を風靡した。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドは合邦して大英帝国となり、フランスもコルシカ、バスク、ブルターニュを統合してフランス帝国や共和国を創った。日本では樽井藤吉の「大東合邦論」が清国、韓国の知識人の共鳴を呼び、日本は英仏の後を追って、琉球、台湾、朝鮮合邦という、大日本帝国への国づくりに走った。

 時代において人類の夢も変わる。当時は日中韓においても、共同運命観が強かった時代であり、兄の韓国が「弟の日本」に憧れた時代でもあった。

 朝鮮半島においては、合同一進会の李容九(イ・ヨング)と宋秉●(ソン・ビョンジュン。●=田ヘンに俊のつくり)らが「日韓合邦」「大東合邦」「世界合邦」を理想としていたし、「二・八独立宣言」の起草者であり、「近代朝鮮文学の父」といあれる李光洙(イ・グアンス)も日本化を目指していた。また、「日本人以上の日本人」といわれ『朝鮮人の進むべき道』を書いた玄永燮(ヒョン・ヨンソプ)らも、日本をユートピアの世界として憧れ、日韓合邦を喜んでいたのである。
ロザリー・イソバック=マレーシア人。ケランタン州知事を務めた。
1991年(平成3年)12月、マレーシアのケランタン州コタバルで日本軍のマレーシア上陸50周年を記念する特別式典が行われ、さらに戦争博物館を設立した。その際の挨拶。

 ここコタバルは日本軍最初の上陸地です。
 私は戦争博物館の館長として記念行事を担当しましたが、多くの人々にこの貴重な出来事を長く記憶にとどめていただきたいと願っています。

ヴィジャヤ・ラクシュミー・パンディット=インド人。独立インドの初代首相ネルーの妹であり、国連総長も務めた女性政治家。
 日本を辱めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで太平洋戦争がもたらしたアジアの民族主義への影響をことさら無視し続け、あるいは「過小評価」してきました。

バラバイ・デサイ=インド人。弁護士。インド法曹界の長老。
戦後、日本とともに英国と戦ったインド国民軍2万人が、戦勝国の英国によって軍事裁判にかけられ、大騒ぎになった時、主席弁護士を務めたバラバイ・デサイ博士は、無罪と即時釈放を主張するとともに、日本軍関係者についてこう語った。

 インドはまもなく独立する。
 この独立の機会を与えてくれたのは日本である。
 インドの独立は日本のおかげで30年も早まった。
 インドだけではない。
 ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族は皆同じである。
 インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう。

※1989年に昭和天皇が崩御した際、日本人は2日間の喪に服しましたが、インド人は3日間の喪に服しました。

モーリス・パンゲ=フランス人。日本文化研究者。1960年代に東京日仏学院院長も務めた。
「自死の日本史」より

 ヒットラーと阿南(惟幾)、いずれが高貴であるか、いうまでもない。責任を逃れない者こそ高貴なのだ。

 阿南の偉大な魂はヤヌスのごとく、過去と未来と、平和と戦争を、エラーと許しを切り結ぶ地点に立っている。
 ヒットラーはどうか、石油の煤(すす)で死体をわからなくした行為に表れた通り、亡霊として生きつづけ、永遠に歴史に祟(たた)ろうとしたのではないか。

 一方、日本軍は容易には敗北を認めなかったが、時至るや堂々とそれを受け入れ、逃げも隠れもしなかった。
 来るべき時代の到来を妨げず、完全に己を没しさった。
 多くの日本人が自ら命を断ち、残された人々は、沈黙と勤労のうちに耐える道を選んだのだ。

ジャーク・プズー・マサビュオー=フランス人。1930年(昭和5年)生まれ。人文地理学者。日本に活動基盤を置き、東京大学教養学部、中央大学、早稲田大学、奥羽大学などでも客員、非常勤として教鞭をとった。
「新朝鮮事情」より

 朝鮮は日本の植民地政策と、組織的な経済近代化改革の影響を受けた後、再び独立の機会を得て、1000年以上の間、農民の宿命であった不安定な境遇を改善することができたのである。

〈中略〉現代の朝鮮人の目には、日本植民地時代の悪い面が、伝統と孤立に対する純然たる侵害として非常に大きく映っているのであるが、その反面、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。日本は、約四十年ほどの間に厳しいやり方で、自然の脅威にさらされ大きな工学設備を持たないまずしかったこの農業国家を、科学的な農業とさまざまな工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和の取れた国へと変身させた。

モーヘン・ナオレム=インド人。映画監督。
産経新聞2012.6.24付【「気品ある日本兵の姿を」 インド人監督がインパール作戦題材にメガホン】より

 【ニューデリー=岩田智雄】インド人の映画監督が今秋、第2次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

 メガホンをとるのは、モーヘン・ナオレム氏(34)。「マイ・ジャパニーズ・ニース」(私の日本人のめい)と題された作品では、インパール作戦で戦った日本兵のめい「アサダ」が戦後、現地を訪れる。すると、おじが夢の中である村を訪ねるようアサダに呼びかける。そこでアサダは、日本兵らが残した数々のメモや日記を発見するというストーリーだ。

 インド人の手でこうした映画が制作されるのは初めてで、撮影は9〜10月ごろに始めるという。

 日本軍は1944年のインパール作戦で、連合国側の中国への補給路を断とうとしたが、無謀な計画のために敗れ、多くの戦死者を出した。

 現地で取材中のナオレム氏は産経新聞の取材に「マニプール州の人々には日本人とともに戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしてくれており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」と答えた。

 ただ、「日本兵の記憶が徐々に人々から失われている」といい、「まだ知られていない話を集めて映画で伝えたかった」と撮影にかける思いを吐露した。

 また、「欧米では日本兵の残虐行為や犯罪に関する話が書き立てられているが、日本兵はもっとも気品があり親切な心を持った人々だったとしている。

 ナオレム氏は同州での公開後、日本での上映に向けて協力者を探している。アジア各地での発表も模索しているという。

 アサダ役には、大阪府箕面市のモデル、浅田結有(ゆう)さん(23)が挑み、今回がデビュー作。浅田さんは電話取材に「インパール作戦のことは何も知らず、今回勉強した。日本の若い人にも知ってもらえるきっかけになれば」と話した。

チョウゼヤ=ミャンマー人。1975年(昭和50年)生まれ。博多「華善」店長。日本滞在期間4年。ちなみにミャンマーに住むビルマ人は、男も女も名前だけで苗字を持たない。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!—特別版 親愛なる日本の友へ」より

 太平洋戦争中、日本軍がビルマに侵攻して三年間ほど占領した時期があります。その頃のことを知っているお年寄りに「日本人は嫌いですか?」と聞いても嫌いだという人は私の周りには一人もいません。

 当時九歳だった私のおばあちゃんが、マラリアにかかって死にそうになりました。そのとき、薬をくれて治してくれたのは、日本の軍人さんだったそうです。そのときおばあちゃんが死んでいたら、私は今ここにいません。だから私にとっても、日本人は恩人なんです。

 十年くらい前、戦没者の慰霊と遺骨収集のために、元日本軍の人たちがミャンマーに来たとき、現地の人と日本人が懐かしそうに抱き合って涙を流しているのを見て、私は本当に戦争があったのかなと思ったくらいです。

チャールズ・リンドバーグ=アメリカ人。1927年(昭和2年)、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。ナチスと親密になりすぎたとしてアメリカ陸軍航空隊での委任を解除され、第二次大戦では民間のコンサルタント会社を通じて、アメリカ政府の戦争努力を援助した。米豪軍による日本兵捕虜の虐殺・虐待をしばしば目撃し、その模様を日記に綴った。
「リンドバーグ第二次大戦日記」より
 1944年7月13日付の記述


 話が日本軍とわが軍が犯す残虐行為に及んだ。わが軍の一部兵士が日本人捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残虐な蛮行をやっていることも容認された。
 わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。

 われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。
 事実、この点に関するわれわれの成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

崔基鎬(チェ・ケイホ)=韓国人。1923年(大正12年)生まれ。明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶(かや)大学客員教授。民間レベルでの日韓関係改善に努め、サハリン在住韓国人の本国往来問題、原爆被爆者の治療援助、在日韓国人のために尽力。著書に「韓国堕落の2000年史」「これでは韓国は潰れる」など。
「歴史再検証 日韓併合」より

 1995年、江藤隆美総務庁長官のオフレコでの発言が記事となり、物議をかもすこととなった。その内容というのは「日本は朝鮮植民地支配でいいこともした」というものだったが、私は氏の発言はしごく正しい史実を語ったと考える。

 私は政治的な問題には関係したくないが、史実を正しく認識すべきだとの考えから、江藤長官の発言を歓迎した。日本と韓国で非難が起こり、氏は辞任したが、史実の認識は感情を除外しないといけない。日本の有力政治家がこの種の発言を行ない、結果内外の批判を浴びて閣僚を辞任するという事件がときおり起こるが、批判する側は「日本の朝鮮植民地支配=悪」という結論が先にありきで、歴史の事実にまったく目を向けようとしない。

 「あったこと」と「なかったこと」を混同すると「歴史の歪曲」になり、両国にとってためになることは何もない。それゆえに、日本・韓国双方ともに、正しい歴史に修正すべきである。それは可能なことであり、唯一、100%歴史を偽造したような国も存在するが(北朝鮮)、こういう国はやがて自滅の運命を招くしかないであろう。

 歴史は現在を映すもっとも重要な鏡であり、発展のための未来指向の科目であるのに、権力者たちの都合に合わせ、勝手に歪曲するのは、不幸を招くことになる。

金完燮(キム・ワンソプ)=韓国人。1963年(昭和38年)、全羅南道光州生まれ。サレジオ高卒。高校時代の1980年(昭和55年)に起きた光州民主化運動に参加して全羅道庁に籠城、逮捕・投獄され、のちに「国会偉功者」として表彰される。ソウル大学物理学部を経て雑誌記者を経験。1992年(平成4年)よりフリーランサー。1995年に出版した「娼婦論」がベストセラーとなる。1996年より約2年間、オーストラリアに居住。帰国後、「コスタク新聞」を創刊。2002年(平成14年)に「親日派のための弁明」を発表するが、韓国では有害図書指定を受け、さまざまな妨害を受けた。
「親日派のための弁明2」より

 第二次世界大戦で大日本帝国は公式に「敗戦国」となった。明治維新以来、血と汗を流して開拓した多くの領土を戦勝国に強奪され、日本列島(内地)までも主権を喪失して米国の支配を受けることになった。「日本帝国が戦争に負けた」ことは客観的な事実であり、日本人であれアメリカ人であれ、この事実自体に異議を唱える人はいないだろうが、「日本帝国は戦争犯罪国である」という戦勝国の主張には議論の余地が多いといえる。これは客観的な事実とはいえず、戦勝国の一方的な主張である。いつの日か、日本が自主憲法をもつ普通の国家になれば、この問題に関しても公式に論議を開くことになるだろう。

 1952年に再び独立して主権は取り戻したものの、「マッカーサー憲法」の支配を受けている限り、日本はどこからみてもまったく独立国とはいえず、相変わらず戦争犯罪国扱いされている。一体全体、「領土が攻撃されても抵抗してはならない」などという憲法をもった国が、どうして主権をもった独立国だといえよう。

 日本軍も全員が神でない以上、第二次世界大戦で人権蹂躙や強姦、窃盗、民間人殺害など「戦争犯罪」に分類されるような小さな過ちは犯しただろう。だが、こうした参戦軍人の犯罪行為はどの戦争にもつきもので、いったん戦争を始めた以上、この軍人犯罪を避けられる国家は今までもなかったし今後も存在しないだろう。その点では米軍や英国軍、ソ連軍も同じである。

 しかし、戦争を遂行した国家自体に「犯罪集団」という烙印を押すことはまったく問題が違い、ここには国際法とヒューマニズムに基づいて多くの論議がともなうと思われる。全体的にみて、日本が戦争犯罪国だという論理は「日本が朝鮮と台湾を侵略した」という言葉と同様、荒唐無稽なものだ。そのような論理で「太平洋戦争」を評価するならば、日本よりは米国やソ連、中国の方がずっと戦争犯罪国に近いといえる。

 戦時中のソ連、中国、米国による数えきれないほどの民間人虐殺が、許されない戦争犯罪であることは明確だ。特に、米国による大都市原爆投下や東京大空襲などは、戦争とは関係のない民間人虐殺だけを目的として行われた報復行為であり、反人類的な戦争犯罪であった。

朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926年(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より

 僕は子供のときから歯が悪くて、生涯歯医者さんにはずいぶん世話になった。

 僕の最初の歯医者さんは三品さんという姓の、年取った小柄な日本人だった。当時、(京城の)本町通りは、日本人の唯一の商店街で、一丁目から四丁目まで長々と続く。その入口、すなわち三越の手前に篠崎という文具屋があり、その二階が三品歯科だった。僕は父に連れられて、このお医者さんにかかった。小学校一年か二年のころだと思う。

 虫歯の治療は大人だって好きな人はなかろう。三品先生はすごく親切で、いろいろ気を遣われた。そして、いちいち「沁(し)みますか」と僕に聞くのだが、僕は最初「沁みる」という日本語がわからなかった。父の通訳で「はい」とか「いいえ」とか答えるのだが、僕の顔を覗きながら「沁みますか」と親切に聞いてくれた三品先生は忘れられない。朝鮮人は医者にしろ教師にしろ、子供にこんなに親切にしてくれた大人は滅多にいない。

 うちの家族は三品歯科にはいちいち料金を支払わず、後で三品さんの事務員が集金にくる仕組みになっていた。

朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より

 日本政府は昭和13年(1938年)2月に、朝鮮人を対象とした陸軍志願兵制度を設定した。これに則って軍当局が昭和13年3月20日に、400名の朝鮮人志願兵募集を公告したところ、意外にも3500名の志願兵が殺到して、9対1の競争率を示した。3年目の昭和15年には志願者が8万4443名に、翌昭和16年には14万4734名に激増し、募集人員も5500名にまで増やしたという。それでも競争率は26対1になる。日本の軍当局がこれを、朝鮮青年の日本帝国に対する愛国心の発露として大いに喧伝賞賛したのは言うまでもない。

〈中略〉韓国における反日感情というのは、植民地後期においては上流下流の階層を問わず、全く見当たらなかったものである。この反日感情は終戦後、李承晩大統領が個人的偏見と政治的策略のもとに煽りに煽った結果である。

 もしその当時、韓国の一般民衆の間に反日感情が漂っていたとすれば、志願兵応募者の数が多かろうはずもなく、志願者らは周囲の目をおもんぱかったであろう。400名募集に15万名が殺到したとすれば、志願兵はそれこそ朝鮮人大衆の羨望の的であったに違いない。

 僕は中学4年生のころ(1944年)、級友ら7、8人と一緒に、野球道具をかついで汽車に乗って郊外の退渓院に遊びに行ったことがある。ところがそこの運動場に軍服姿の志願兵達が大勢遊びに来ているのに出くわしたので、即席の野球試合となって楽しいひと時を過ごすことができた。彼らの訓練所がその近くにあったのだ。彼らは大変な競争率を突破した秀才達であるが、見かけは何ら変哲もないハツラツとした青年達であった。

鄭●永(チョン・ギヨン。●は「王」ヘンに「其」)=韓国人。元学徒兵。30年の歳月をかけ、1999年(平成11年)、私財をなげうって大東亜戦争における韓国人戦没者の慰霊碑である「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」を釜山・永楽墓地に建立した。
 反抗的であれ従順的であれ、また逃避的であれ妥協的であれ、いずれにしてもその学徒兵生活を通じて一時なりとも民族を忘れたことがあろうか。

 私は学徒兵の同志にも話しているのですが、その当時、日本の気持ちとはちがいながらも、日本が金をかけて私達学徒兵を教育してくれたことが、韓国の建国に貢献したんです。日本が最後の土壇場でしてくれたことをありがたく思いましょうと。

 日本と韓国は、お互い良いところは認め合いながら、もっと過去を昇華したかたちで手をとらなければならない。

朴甲東(パク・カプトン)=韓国人。1919年(大正8年)、朝鮮慶尚南道生まれ、早大卒。朝鮮戦争後、北朝鮮へ入り、北朝鮮文化宣伝省ヨーロッパ部長に就任。1957年(昭和32年)、北朝鮮を脱出して日本へ。1992年、モスクワで朝鮮民主統一救国戦線(反金日成亡命政権)を結成、就任議長に就任。
「正論」2006年12月号【私が知っている東條英機の実像】より

 東條は昭和16年10月17日、大命を拝命し、敷かれた軌道に乗せられるようにして、12月8日、ついに対米、英戦争に突入したのです。

(中略)大東亜戦争の始まりは、日支事変、国際連盟脱退、日独伊3国同盟など、一連の流れの中で見ないといけません。決して、東條英機が首相になってからの昭和16年12月8日に始まったのではないのです。孫の由布子さんは、「戦争は長い歴史の中の1ページ。東條1人で濁流を押し戻そうとするのは無理だった」と話しています。

 私は、東條英機に戦争責任がないとはいいません。ただ、大東亜戦争のすべての責任を彼だけに背負わせるような論調や風潮がおかしいと思うだけです。

相林(ソウ・リン)=中国人。「中国民主化運動海外連席会議」のアジア地域代表。天安門事件の後に日本に亡命。
 実は日本に来るまで、靖国神社は「戦後、A級戦犯を祀る目的で作られた軍国主義賛美の施設だ」と教えられてきました。

 ところが、実際に来てみると、明治維新で亡くなられた方をはじめとする国のための戦没者を祀っていることを知り、驚きました。私たち中国民主化運動に携わる者にとって、明治維新とは中国革命のモデルであり、維新の志士たちは尊敬の対象です。中国人からみれば、日露戦争はロシアの侵略から中国を守る戦いでした。ですから、私たちが尊敬する人々、そして中国を救ってくれた恩人が祀られているところ、それが靖国神社だとわかったのです。

 そこで、日本に来る中国民主化運動の同志たちを、私はたびたび靖国神社に連れてきます。そして、靖国神社は私たち民主化運動の恩人たちが祀られているところだと説明すると、みなびっくりして、丁重にお参りします。

〈中略〉本来なら無神論者の中国共産党政権は日本人の靖国参拝には関心がないはずです。その証拠に30年前の日中国交回復の時、中共は靖国神社のことに一言も触れませんでした。江沢民は3年前にイタリアを訪問した時に無名戦士のお墓に献花しました。数年前に米国を訪問した際にアーリントン国立墓苑で献花しています。このアーリントン墓地には、朝鮮戦争で中国人民解放軍と戦った兵士も祀っています。旧敵国兵士に敬意を表するのであるならば、江沢民は来日の際に靖国神社にも献花するべきなのです。

 そうしないのは、近年日本の中国に対する弱腰外交を見て、責めればODAや円借款等の多額の援助が取れるから、中国共産党は、靖国問題や教科書問題は日本との外交の切り札として使っているのです。

ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ=セイロン(現スリランカ)人。1906年(明治39年)生まれ。スリランカ建国に尽くした。蔵相をはじめとして、首相、大統領と要職を務めた。政治家時代も、政界引退後もたびたび訪日し、日本とスリランカの交流に尽力した。1989年、昭和天皇の大喪の礼に、本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列した。1996年没。
1951年のサンフランシスコ講和会議にセイロン代表として出席。『憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ』という仏陀の言葉を引用して日本に対する賠償請求を放棄する演説を行い、各国にそれに続くよう呼びかけた。インド、ラオス、カンボジアなどがこの呼びかけに答え、自発的に対日賠償請求権を放棄した。

 アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。

 往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。

鄭春河=1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年没。
「大東亜戦争聖戦論」より

 私は生を日本に享けて僅か二十六年の日本人なれど、あくまで祖国を愛します。
 特に自虐的罪悪感をもつ同胞に先づその反省を促したい。
 願わくば、一時も早く目覚めて大義名分を明らかにし、民族の誇りにかけて速やかに戦前の日本人——真の日本国民に戻って下さい。

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 産経新聞8月6日付「正論」は、作家の曾野綾子さんでした。
 タイトルは【日本に生まれて私は幸運だった】。

 「我が家では、毎年8月15日の早朝、夫婦で靖国神社に参拝する。靖国に参るのは、軍国主義だなどという人は、全く当時の人間の心を知らない人だ」で始まるその論説は、戦後生まれの私の目を新たに開かせてくれるものでした。

 曾野さんのある知人は、学徒動員で軍務に就いた人ですが、都心に出るたび、必ず靖国神社に立ち寄って来るそうです。

 「僕が生き残って、友達が死んでしまったということに、負い目がありますからね。せめてあそこに寄って、数分間、戦死した友達と喋ってくるんですよ

 戦争の酷さを知って靖国に参る人たちが、ほんとうに筋金入りで戦争を嫌っているのであると、曾野さんはおっしゃいます。

 曾野さんの夫の三浦朱門さんも、同級生をあちこちの戦場で亡くされているそうです。

 うち一人は小学校の同級生で、三浦さんが彼の家にお線香を上げに行かれたところ、そのお母さんは彼を家に入れず、玄関に立ったままこう言われたそうです。

 「あなたが生きていてね、うちの子が死んでしまったってことがどうしても納得できないんですよ」

 その言葉は三浦さんの胸を突き刺しました。そして再びそのお母さんを悲しませないために、自分がその家を訪ねるのは止めようと思われたそうです。

 他にもアンダマン諸島の上空で散ったお友達がいるものの、三浦さんはこの人の実家にも行かれたことがないそうです。

 このように、戦後、戦死した友達の家族を訪ねたくても訪ねることができない人が大勢いるのです。そういう人たちが戦死した友達と出会える場所は、靖国だけなのです。

 戦死を予期し、お互いにこれがこの世で会う最後かと思いつつ、「また会おうな」と曖昧な言葉を言い交わして別れた……、という光景が戦時下で多く見られました。

 その時、お互いの心には、再会の場所として靖国があった、あそこならお互いに「迷わずに会える」と思った、と戦前の人は言うそうです。

 元八重岳電波警戒隊通信兵・角田松雄さんの証言は、その代表的な例でしょう。

 「日本人ですからね、降伏ということは知らんから、もうこれは全員、もうここで戦死やなと、みな覚悟を決めましたよ。私もその一人ですがね。その時にね、何を言うたか、涙が出ますがね、みんなで靖國神社で会おうね、言うたもんですよ。靖國神社で会おうねと。靖國神社に代わるね、国営の戦没者墓地を造ろうなんて言うてましたがね、わたしゃあね、戦友たちが何と聞いたじゃろうて、涙が出ましたよ。みんな靖國神社で会おうねて、誓いおうて死んだんですよね。あの魂がね、靖國神社の中の魂が、日本の国を護っとるんですよ、今でも」(映画「凛として愛」より)

 戦後生まれの私(及び多くの読者様)にとって、戦争を知識としては知っていても、当時の人たちの心の機微といったものには、なかなか想像が及ばないものです。

 こういった視点で靖国を語れる方々(戦死した友を思い続けている方々)は当然ながら、年々、確実に減ってきています。

 私たちは戦争のことを、知識だけでなく、戦争で亡くなった方々と戦後を生きてこられた方々、両者の深い思いも包み込んだ上で、後世に語り継いでいくべきではないかと、曾野さんの論説を読んで強く感じました。
 それはとても想像力の要ることではありますが。

 閣僚による終戦記念日の靖国参拝は2009年、麻生内閣の野田聖子大臣が最後です。
 今年は、羽田国土交通大臣が参拝する意向を表明、松原仁拉致担当大臣も参拝の可能性を示唆しています。

 ところが、野田首相は自らが在任中は靖国神社を参拝しない考えを改めて示し、さらに閣僚に対しても参拝自粛を求めました。

 自衛官を父に持つ人の言葉とはとても思えません。
 国を守るために亡くなった方々への鎮魂を、感謝を、首相がしないのですか。
 それどころか、他の閣僚がそれをすることも許さないのですか。
 そんな国が他にありますか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※参考文献
・正論2012年8月号 大高未貴【世界ウイグル会議が日本人に突きつけた覚悟】
・黄文雄著「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」
・ジャーク・プズー・マサビュオー著「新朝鮮事情」
産経新聞2012.6.24付【「気品ある日本兵の姿を」 インド人監督がインパール作戦題材にメガホン】より
・加藤恭子編「私は日本のここが好き!—特別版 親愛なる日本の友へ」
・チャールズ・リンドバーグ著「リンドバーグ第二次大戦日記」
・崔基鎬著「歴史再検証 日韓併合」
・金完燮著「親日派のための弁明2」
・朴贊雄著「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」
・「SAPIO」2001.9.26号 井上和彦【日韓マスコミが無視し続ける「日本統治」を直視する静かなる「肉声」】
・「正論」2006年12月号 朴甲東【私が知っている東條英機の実像】
・「正論」2005年8月号 日本会議事務総局・江崎道朗【中韓のごたくに誤魔化されるな!世界は靖国をこうみている】
酒たまねぎやさんURAホームページ>スリランカ
・鄭春河著「大東亜戦争聖戦論」

※拙ブログ関連エントリー
【一覧】外国人から見た日本と日本人

※拙ブログ関連エントリー(戦争を考える)
06/8/26付:首相の靖国参拝反対派への反論
06/12/8付:【過去】開戦の日:小野田寛郎さん語録
 「日本人は亡くなった人に対してそれ以上の罪を憎まないという習慣がある。しかし、中国では死んだあとでも罪人のまま。その価値観をわれわれが受け入れなければならないのでしょうか。一度黙って静かにお参りしてみたらどうですか」
07/3/6付:「南京大虐殺」入門の入門
 渡部昇一さんの講演起こしより。
08/8/16付:【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
 昭和17年3月、駆逐艦「雷」工藤艦長による英海軍将兵救出劇。
09/8/23付:GHQ焚書「敗走千里」より支那軍の実態
 支那軍に拉致され兵隊にされ、やがて便衣兵となった支那の青年の体験談。
09/12/8付:【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)
10/2/6付:北方領土の日によせて【将兵万葉集】(1)シベリア抑留者
 シベリア抑留者は国際ルールを無視したソ連及びスターリンによる残虐な行為の犠牲者であることを、決して忘れてはいけません。
10/3/8付:中共が靖国を否定する理由【将兵万葉集】(2)特別攻撃隊・神風-1
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 特攻死を「犬死に」だと切って捨てる人たちは、特攻隊員にもそれぞれ「意思」があったことを無視しているのです。逆に人間扱いしていないのです。
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 杉原千畝、トルコのエルトゥールル号、ポーランドのシベリア孤児救済。
10/7/20付:勝者に裁かれ【将兵万葉集】(4)戦争裁判の犠牲者-1
 今の日本は彼らの「死体」を礎石として成り立っているのです。
10/8/2付:【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)
10/8/14付:国の行く末を案じ…【将兵万葉集】(5)戦争裁判の犠牲者-2
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11/2/22付:日本統治肯定で逮捕の韓国人作家『嘘の歴史で反日に』「SAPIO」02.7.24号
11/6/13付:今、武士道精神がニッポンを救う!「ビーバップ!ハイヒール」より
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11/12/12付:「従軍慰安婦」は朝日新聞の捏造です
12/1/3付:新日本建設に関する詔書
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12/2/13付:子供たちに教えたい柴五郎
 柴五郎の義和団の乱における見事な統率・指揮ぶり、くわえてその人格に各国の洋人らは信頼と感謝を寄せました。
12/2/27付:河村市長頑張れ&支那軍と支那人の特徴及び南京陥落前の大混乱
 事あるごとに中国共産党は「南京大虐殺は日本軍による残虐行為であり、動かぬ証拠がある」と言いますが、「動かぬ証拠」を見せてくれたためしがありません。
12/4/9付:「告日本國」ポール・リシャールが日本に託した“七つの大業”
 リシャールは、日本の「七つの名誉」とそれに対応する「七つの大業」を讃えています。
12/7/7付:昭和21年7月南京・元日本兵の証言&米国高校副読本「虐殺40万人」
 「私達の経験したこれらの事柄は、南京事件の最も悲惨な現場の南京埠頭近くで、しかも終戦後一年足らずの時の事です」
12/7/16付:映画「凛として愛」と東京裁判史観ムラ
 「あなたがもし日本人ならば、そして正義を愛するならば、かつての日本人も同じ日本人です。あなた方が誇れる、先人の方々です。あなたが自分を信じるならば、日本を護った先人を信じて下さい。英霊を、先人の愛を見つめて下さい」
12/7/30付:子供たちに教えたい森川清治郎と広枝音右衛門
 台湾で神として祀られている2人の日本のお巡りさん。

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