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子供たちに教えたい森川清治郎と広枝音右衛門

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 今日は、台湾で神として祀られている2人の日本のお巡りさんを紹介します。

 森川清治郎巡査(左)と広枝音右衛門警部(右)です。

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 台湾南部にある嘉義県東石郷副瀬村の富安宮には、森川清治郎巡査が、「義愛公」という神として祀られています。

 森川巡査は1861年生まれ。横浜出身です。
 1897年に巡査となって台湾各地で勤務することになりました。

 1900年、現在祀られている副瀬村に赴任することとなり、その直前に妻子を日本から招きました。
 
 副瀬村は痩せた土地と浅瀬の海の厳しい生活環境にあり、村民は半農半漁でようやく何とか食べていけるという状況でした。

 そして当時の台湾全土がそうであったように副瀬村もまた、マラリア・コレラ・ペストなどの伝染病が猛威をふるう衛生環境の悪さや、匪賊が頻繁に出没するという治安の悪さにも悩まされていました。

 森川巡査は、これを滅私奉公の精神で着実に打開して行きました。

◆教育の普及
 富安宮内に寺小屋式の私塾を開きました。自費で教師を雇い、時には自らも教鞭を取りました。息子も台湾人と同じく机を並べさせました。優秀者には自費で紙・筆・墨などを贈呈し、息子が受賞した時は除外してその次の者を賞しました。

◆衛生の改善
 家の周りに排水溝を掘らせて汚水を流させました。各家庭における飲食物の扱い方などについても、こと懇切丁寧に細かく教えました。

◆農業の改善
 農地の改良や農耕技術の改善についても、自ら鍬を持って率先垂範で指導しました。勉学に励む子供だけでなく、良く働く優秀な大人にも自費で農機具を進呈するなどして奨励しました。

 本業の警察官の仕事も、いわゆる監視ではなく、慈愛に満ちた激励でした。

 病める者には薬を、貧しい者には物品を与え、落ち込む者にはねぎらいの言葉をかけ、村民の生活苦に心から同情し労わったのです。

 貧しい民への施しや頑張る者への奨励など惜しみなく自腹を切って出費する一方で、自らの身辺は清貧を貫いていた森川巡査。

 そのことが偲ばれる写真が残っています。
 1901年、巡査の同僚たちと撮影した写真です(前列左端が森川巡査)。

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 警察官は当時では珍しい皮のブーツを履くことが許されていたのですが、森川巡査だけは草鞋を履いています。

 こんな話も残されています。

 ある日、怪我をして海中で泣いている漁師を見付けた森川巡査は、海に飛び込みその漁師を救助し、そこから2キロほど離れた家まで背負い介抱しました。

 その後、救助された漁師よりも森川巡査の方が大怪我をしていたことを村民たちは知り、森川巡査の献身に涙したそうです。

 ところが、その後、悲劇が森川巡査と副瀬村を襲います。

 1901年から、台湾南部に大干ばつが発生。
 にもかかわらず、総督府は新たに漁業税を実施したのです。

 ただでさえ大干ばつで農業に大きな影響を与えていたところに、漁業にまで課税されては貧しい村民はとても生き延びていけません。

 村民たちの嘆願を受けた森川巡査は、台南州東石支庁まで出向き、必死に村民の実情を訴えました。

 ところが、当時の東石支庁長は激怒。
 この陳情を森川巡査が村民を扇動しているものと曲解して、逆に戒告処分に処してしまったのです。

 森川巡査は村民に向かって沈痛な面持ちで、陳情が届かなかったこと、それどころか誤解をされて戒告処分という扱いを受け、同僚や村民にまで迷惑をかけることになってしまったことを伝え、ひたすら自らの非力を詫びました。

 その2日後の朝のことです。

 宿舎兼派出所の西南にある慶福宮から一発の銃声が聞こえました。

 驚いた廟守が現場に駆け付けると森川巡査が倒れていました。
 森川巡査は自決したのです。

 後に東石庁長から駆け付けた警部が遺品を調べると、ポケットから一枚の名刺が出て来ました。
 そこには「疑われては弁解の術もない。覚悟する」と書かれていたそうです。

 慈父とも慕う森川巡査の悲報を聞き、村民たちは遺体にしがみついて嗚咽したそうです。

 享年42歳でした。

 森川巡査は、村民たちの手によって、村の共同墓地に埋葬されました。

 この事件により、総督府は大騒動になりました。

 森川巡査の訓戒処分は取り消されました。
 台南州知事は警察官の鑑として森川巡査を表彰しました。

 そして、税金については、査定に誤りがあったという名目で村民全員が再申告した結果、従来と同様の税額で落ち着くことになりました。

 森川巡査は文字通り身を賭して、重税の苦から村民たちを守ったのです。

 ……それから約20年の歳月が流れました。

 1923年2月5日、副瀬村の隣村で脳炎が発生します。

 2月7日夜、副瀬村のある村民の夢枕に、警官の制服に身をまとい制帽をかぶった森川巡査が現れました。

 手には提灯を灯し、家の玄関に立って、「全村の衛生と各家庭の飲食衛生に注意するように。そうすれば村は平穏無事になるだろう」と告げて消え去ったそうです。

 この村民はすぐに全村にこのことを伝え、副瀬村は脳炎の被害を防ぐことができました。

 村民たちは、自分たちの親や祖父母に心から尽くしてくれた森川巡査が、死後も自分たちを護ってくれていることに心から感謝しました。

 そして、直ちに協議して森川巡査のご神体を作ることにしたのです。

 村民の夢枕に立った姿と同じ警官の制服、制帽姿で帯剣した威厳のある座像です。

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 その後、これを知った森川巡査の息子ら親族により、二体の副像が寄贈されました。

 「義愛公伝」は台湾各地域にも広がりを見せ、現在、新北市新荘北巡聖安宮には「義愛公」の分霊も祀られているとのことです。

 死後100年以上経った今でも、副瀬村では代々「義愛公」の遺徳が語り継がれており、富安宮に行けば、まるで本人に会ったことがあるかのように遺徳を語ってくれる人であふれているそうです。


※森川清治郎巡査について参考にさせていただいたサイトです。
LinkBizTAIWAN>日台絆のバトンリレー:第11回 義と愛に生き続ける日本人巡査(渡邊崇之氏)
愛国心を育てる名言>台湾で神様になった日本人(1)
大同高商郭長成老師網頁作品集>東石富安宮(画像ソース)

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 台湾で神として祀られているもう1人のお巡りさん。

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 広枝音右衛門警部です。
 苗栗県獅頭山の権化堂に祀られています。

 小田原出身の広枝音右衛門警部は、1930年に台湾の新竹に巡査として配属されました。

 その後、大東亜戦争の戦線拡大により、台湾人2000人による海軍巡査隊が結成されます。
 広枝警部はその総指揮官として、2000人とともにフィリピンのマニラに送られました。

 広枝警部は厳しいながらも優しい性格で、自ら率先して動き、各部隊員を励まし、勇気づけていたため、非常に慕われていました。

 ところが戦況は悪くなる一方。
 ついに司令部から玉砕覚悟の総攻撃命令が出ます。

 これを良しとしなかった広枝警部は、敵の米軍と秘かに交渉し、台湾人の生命の安全保証を取り付けます。

 そして部下に対し、「祖国台湾には君たちの帰りを待っている家族がいる。ここで犬死にすることはない。私は内地人(日本人)だ。責任は私がすべて取る」と訓示しました。

 2000人の部下たちは、声もなくすすり泣いたといいます。

 広枝警部にも家族がありましたが、彼はただひとり、敢然と自決したのです。
 享年40歳でした。

 台湾人2000人は無事に帰還することができました。

 そして戦後、広枝警部は神として祀られたのです。


※広枝音右衛門警部についての詳しいお話は、このサイトをご覧下さい。
酒たまねぎやさん>廣枝音右衛門(広枝音右衛門)

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 私が森川清治郎巡査と広枝音右衛門警部を知ったきっかけ、それは黄文雄さんの著書「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」でした。

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 この著書については、12/4/9付:「告日本國」ポール・リシャールが日本に託した“七つの大業”でも少し紹介しました。

 黄文雄さんはこの著書の中でこう述べておられます。

【20世紀の前半に至るまで、人類の理想の一つが夜警国家の建設だった。
 たとえば台湾では、日本統治の時代に入って警察制度が設置され、社会を支配してきた匪賊などの武装諸勢力は一掃された。
 警察が民衆の守り神になってから、近代社会が成立したのである。
 一方、日本以外の東アジア諸国における警察とは、民衆にとって治安維持どころか、ヤクザ以上に始末の悪いゆすりたかりの張本人であることが多い。
 台湾にとって、かつての日本人警察は民衆の守り神であり、今でも寺廟に祀られ神になっている。
 この事実を見逃してはならない。
 現在の日本でも、警察官は「お巡りさん」と呼ばれている。
 「お父さん」「お母さん」のような敬意や愛情のこもった呼び名といえるだろう。】


 また、黄文雄さんは、デイビッド・H・ベイリー(1933年〜。警察活動の国際比較研究で知られるアメリカ人)の、こんな言葉も紹介しています。

 「日本の警察官は単なる法執行者ではない。かれらは法の背後にある道徳の先生でもある」
 「かれらは『日本魂』を吹きこまれた新しいサムライたちである」

 残念ながら近年、日本の警察では不祥事がたびたび発生していますが、他国に比べれば質はまだまだ高いし、治安も良いと言えるのではないでしょうか。

 もちろん、日本の治安が良いのは警察が優秀だからというだけではありません。
 日本人特有の遵法精神や、倫理観なども大きく影響していますよね。

 東日本大震災で目立った略奪行為が起きず、世界の人々を驚嘆させたことは記憶に新しいところです。

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 さて、今日7月30日は、明治天皇が崩御されてちょうど100年にあたります。

 明治天皇を偲ぶことはもちろん、明治という時代が日本にもたらした意味などを考えた方も多かったのではないでしょうか。

 皇居の皇霊殿と明治天皇陵の伏見桃山陵(京都市伏見区)では、「明治天皇百年式年祭の儀」が行われました。

 宮内庁は今回、伏見桃山陵で営まれた命日祭「式年祭」の「山陵に奉幣の儀」について共同通信に取材と撮影を許可。
 天皇陵での祭祀の実態はよく知られていないが、儀式の詳細が明らかになった…とのことです(共同通信2012/07/30 12:03)。

 儀式の詳細は、共同通信の動画ニュースを。
明治天皇の百年式年祭

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※拙ブログ関連エントリー
【一覧】外国人から見た日本と日本人
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
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