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外国人から見た日本と日本人(34)

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※このシリーズの一覧を作ってあります。
 【一覧】外国人から見た日本と日本人

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 「外国人から見た日本と日本人」。第34弾です。

 今回も有名な人、さほど有名でない人、戦争に関連するもの、関連しないもの、新しいもの、古いもの、各種取り混ぜております(敬称略)。
 
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ=イタリア人。1539年(天文8年)〜1606年(慶長11年)。イエズス会日本巡察師。1579年(天正7年)に最初の来日。日本各地を訪れ、大友宗麟・高山右近・織田信長らと謁見した。1590年(天正18年)の2度目の来日。聚楽第で豊臣秀吉に謁見している。
「日本巡察記」(松田毅一・他訳、平凡社東洋文庫)より

 ヨーロッパ人と異なり、彼等(日本人)は悲歎や不平、あるいは窮状を語っても、感情に走らない。

 すなわち、人を訪ねた時に相手に不愉快なことを言うべきではないと心に期しているので、決して自分の苦労や不幸や悲歎を口にしない。

 その理由は、彼等はあらゆる苦しみに堪えることができるし、逆境にあっても大いなる勇気を示すことを信条としているので、苦悩を能(あた)うる限り胸中にしまっておくからである。

 誰かに逢ったり訪問したりする時、彼等は常に強い勇気と明快な表情を示し、自らの苦労については一言も触れないか、あるいは何も感ぜず、少しも気にかけていないかのような態度で、ただ一言それに触れて、あとは一笑に附してしまうだけである。

 一切の悪口を嫌悪するので、それを口にしないし、自分たちの主君や領主に対しては不満を抱かず、天候、その他のことを語り、訪問した先方を喜ばせると思われること以外には言及しない。

エルヴィン・フォン・ベルツ=ドイツ人。1849年(嘉永2年)〜1913年(大正2年)。1876年(明治9年)、東大医学部の前身である東京医学校に生理学兼内科医学教授として来日。明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。滞日は29年に及ぶ。
「ベルツの日記」(菅沼竜太郎訳、岩波文庫)より

 不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。

 「いや、なにもかもすべて野蛮でした」、「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」という日本人さえいる。このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。

 日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。

イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、朝鮮にも旅行している。
「イザベラ・バードの日本紀行(上)」より
日光、入町での記述


 これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり。子供たちがいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。父親も母親も子供を自慢にしています。

 毎朝六時に一二人から一四人の男が低い塀に腰をかけ、二歳以下の子供を抱いてあやしたり遊んでやったりして、その子の発育のよさと利口さを見せびらかしているのを見るのはとても愉快です。ようすから判断すると、この朝の集いの主な話題は子供のことのようです。

 夜、家が閉まってしまったあと、「一家団欒」の場でふんどし一丁の醜い顔をした父親がおとなしそうな赤ちゃんの顔をやさしくのぞき込み、母親はたいていキモノを肩まで脱いで裸の子供をふたり腕に抱いているのが、引き戸を隠す綱や籐(とう)ののれんの隙間から見られます。なぜか子供は男の子が好まれるとはいえ、女の子も同じようにかわいがられます。

 子供たちはわたしたちの抱いている概念からいえば、おとなしすぎるししゃちほこばってもいますが、外見や態度は非常に好感が持てます。とても素直で言うことをよく聞き、両親の手伝いをよくし、自分より年少の子供たちの面倒をみます。

 それにわたしは遊んでいるときの子供たちをずいぶん見ましたが、怒っていることばを耳にしたことはおろか、不機嫌な顔をしているのを見たことすら一度もありません。とはいえ、当地の子供たちは子供ではなく小さなおとななのです。それに子供たちがおとなびて見えるのは、前にも書いたように、おとなと同じものを着ているからというのも大いにあります。

ポール・クローデル=フランス人。1868年(慶応4年)生まれ。外交官。日本の芸術を熱烈に愛好していた姉のカミーユ・クローデル(ロダンの弟子)から葛飾北斎や喜多川歌麿を紹介されたのがきっかけで、日本に強く惹かれるようになった。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経た後、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで駐日大使を務め、日仏の経済交流や文化交流を積極的に進めた。
「朝日の中の黒鳥」より
1923年(大正12年)に発生した関東大震災を経験した際、市民の落ち着きぶりや冷静さを評して


 地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。

〈中略〉廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も「助けてくれ!こっちだ」というような差し迫った叫び声ではなかった。「お願いします」という慎ましい懇願の声だった。

ラルフ・タウンゼント=アメリカ人。1900年(明治33年)生まれ。コロンビア大学卒業後、新聞記者、母校の英文科教師を経て米国務省に。1931年(昭和8年)に上海副領事に。ここで満州事変に伴う第1次上海事変に遭遇。その後福建省福州副領事。1933年に外交官を辞し、帰国後はスタンフォード大学講師のかたわら、極東問題の講演・言論活動・出版に専念。1937年には来日している。「アメリカは極東に手を出さず、日本に任せよ」という持論はアメリカの極東政策への厳しい批判となり、真珠湾攻撃後には反米活動をした罪で1年間投獄された。
「暗黒大陸中国の真実」(1933年出版)より

 中国人はイタリア人と同じくおしゃべり好き。サンパン(小舟)だろうがどこだろうが大声で、うるさくて生きた心地がしない。少しでも英語ができると、舟だろうと汽車だろうと道端だろうと、近寄って話しかけてくる。こういうことは日本では起こらない。日本人は実に物静かである。下層階級はじっと見ているだけである。礼儀正しい上流階級はこれさえしない。ましてやあれこれ話しかけることは失礼になる。

 短い旅行でも違いがわかる。他人に対する態度が大きく違う。儲け話となると腰が低くなるのが中国人。日本は違う。自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。例えば、通りを歩いていて、何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。例えば、人力車同士がぶつかったとする。両方の車夫が「何やってんだ、この野郎」と怒鳴りあいになる。日本人はどうするか。アメリカ人の手本になるよう行動を示してくれるのである。

金完燮(キム・ワンソプ)=韓国人。1963年(昭和38年)、全羅南道光州生まれ。サレジオ高卒。高校時代の1980年(昭和55年)に起きた光州民主化運動に参加して全羅道庁に籠城、逮捕・投獄され、のちに「国会偉功者」として表彰される。ソウル大学物理学部を経て雑誌記者を経験。1992年(平成4年)よりフリーランサー。1995年に出版した「娼婦論」がベストセラーとなる。1996年より約2年間、オーストラリアに居住。帰国後、「コスタク新聞」を創刊。2002年(平成14年)に「親日派のための弁明」を発表するが、韓国では有害図書指定を受け、さまざまな妨害を受けた。
「親日派のための弁明2」より

 証拠の有無から離れて常識的に類推してみると、日本軍による慰安婦強制連行などお話にもならない。なぜならば、軍隊が多くの予算をかけて特種慰安所を設置し、軍人は高い料金を払ってここを利用したということ自体、外部に被害を与えないようにする意図があったからである。女たちを強制的に連れてきて性奴隷とする軍隊ならば、現地で拉致すればよいのであって、遠い朝鮮や台湾まで行って連行する理由はなかっただろう。そして、強制的に連れてきた女たちならば料金を払う必要もなかっただろう。

 日本軍は1894年の日清戦争と1899年の義和団事件による北京出兵などで、「民衆に被害を与えない歴史上初の軍隊」として世界各国の賞賛を受けている。50年経過後には以前にもまして秩序整然たる高水準のこうした軍隊が、昔でさえしなかった蛮行をしでかしたという話は信じがたい。よって、「挺身隊」と「従軍慰安婦」は存在したと考えられるが、「日本軍性奴隷」など存在しなかったことは明らかである。

※正確には「従軍慰安婦」という言葉自体、後世の造語で間違いなんですけれども。

モハメッド・ナチール=インドネシア人。大東亜戦争時にバンドン市教育部長。1950年(昭和25年)に首相に就任。
阿羅健一著「ジャカルタ夜明け前−インドネシア独立に賭けた人たち」より
日本軍政時にプリアンガン州の内政部長となりインドネシアの初代閣僚となる人々を教育した姉歯準平について、ナチールはこう語った


 姉歯さんは、インドネシア人はオランダ時代のやり方をすべて放棄しなければならないし、もっと能率的に仕事をしなければならないと度々話しました。インドネシア人は三百五十年間も植民地にされたせいで、怠慢のくせがついているからオランダ時代のやり方は全て放棄しなければならないというのです。

 やがていうだけでなく、私達に行動することを求めるようになりました。たとえば、私達が仕事を終えて家に帰っても、用事があると呼び出します。それまでいったん家に帰れば仕事をする習慣は無かったので、私たちにとってそれはとても疲れることでした。また、仕事をする上で遅刻は絶対しないことと、日の出と共に働かなければならないことをいって、ほかのインドネシア人と違い、私たちが遅刻でもすると厳しく叱るようになりました。

 姉歯さんの周りには日本人がいたにもかかわらず、そうやってほとんど私たち五人と相談し、私たちに仕事を命じましたので、私たちは次第にやる気を起こすようになりました。昼休みといってものんびり食事をすることはなくなり、二時にみんなが帰っても四時までは仕事をするようになりました。

 私たちと姉歯さんは英語で話し合っていたのですが、それからしばらくしたころ、姉歯さんは私たちにこういいました。

 「日本がインドネシアにやって来た目的は、インドネシアの独立を支援することで、日本人がここにいるのはあとわずかだろう。まずこれをしっかり頭に入れてほしい。
 次に、将来、インドネシアが独立したなら、インドネシア人の中から首相が選ばれるだろうが、私は皆さんの中から首相が出ることを期待している。
 しかし、これまで何度もいっているが、私が一番早く役所に来て、一番遅くまで仕事をしている。皆さんはどうか。間もなく去ろうとしている私が、これからもずっといるあなたたちより働いているのではないか。
 インドネシア人は独立、独立と叫んでいるようだが、熱心に仕事をする以外に独立を実現させる道はない。独立してもきちんと行政が出来るように今から準備すべきで、そうでなければ、独立国としてやっていけないだろう。ほかの人はどうあれ、まず皆さんが率先しなければならない」。

 日本軍が来てから、インドネシアの独立がどうなるのかははっきりしていませんでした。インドネシアに来る前、日本はインドネシアが独立すべきだといっていたのですが、いつのまにか私たちの周りでは独立については口にしてはならないというような雰囲気が生まれていました。日本軍の宣伝班はいろいろなスローガンを掲げますが、独立については何もいいません。ですから、姉歯さんのような高い地位にいる日本人からインドネシアの独立という言葉を聞いてびっくりしました。

 それと共に、仕事について厳しい指摘をされましたので、私たちは非常に恥ずかしい気持ちになりました。確かに姉歯さんのいう通りです。仕事が終わって私たちと集まりを持つときでも、姉歯さんが一番先に来て私たちが来るのを待っています。私たちは四時まで仕事をするようになったといっても、姉歯さんより早く帰ってしまいます。姉歯さんは身を以って公務員の生き方を示しており、それを私たちは目の当たりにしているのですから、言われる前に気づかなければなりません。国民がどうあれ、まず私たちがもっとしっかりしなくてはならないと思いました。

※こちらの記事は2007/07/11 11:39 PMに頂戴した「おれんじ」さんのコメントより転載させていただきました。

林茂生(りん・もせい)=台湾人。1887年(明治20年)〜1947年(昭和22年)。戦前に台湾から留学し、台湾人としてはじめて東京帝国大学の卒業生となる。その後、米コロンビア大学留学、米国で博士号を取得した初の台湾人となった。戦後は台湾大学文学院教授、新聞「民報」社長を務めるなど多方面で活躍していたが、中国大陸から台湾に乗り込んできた中国国民党軍が台湾民衆蜂起を鎮圧するため数万人の台湾人を虐殺した「2・28事件」の犠牲者となった。
1945年の日本敗戦時、台湾から日本人が粛々と引き揚げる様をこう詠んだ

  日僑(にっきょう)今や天地巡りて国に去る
  天を恨まず地に嘆かず
  黙々として整々と去る
  日本人 恐るべし

史明=台湾人。本名は施朝暉。独立運動家、歴史家。1918年(大正7年)台北市士林生まれ。1937年(昭和12年)に早稲田大学政経学部に入学。1942年、祖国台湾の独立のために命を捧げようと決意、単身上海へ渡り、中国共産党が率いる抗日運動に参加。しかし数年もしないうちに共産党の偽善性、非人間性に憤りを感じ、文化的も民族的にも中国人と台湾人の違いを痛感する。1949年(昭和24年)に台湾へ戻り、「台湾独立革命武装隊」を組織し、独立運動に身を投じる。1952年(昭和27年)、蒋介石の暗殺を謀るが事前に失敗、日本への亡命を余儀なくされる。日本では料理店を営む一方で、「独立台湾会」を創設。また「台湾人四百年史」を著す。台湾民主化後の1993年(平成5年)に帰国。「台北愛郷会」「高雄愛郷会」などの下部組織を作る一方、「独立台湾会」の理念と政治闘争路線を推進している。
「正論」2011年2月号「台湾密航“拠点”だった尖閣の真実」(平野久美子氏によるインタビュー)より

 (尖閣問題について)これはもうはっきりしています。先に兵隊を上陸させたほうが勝ちです。すぐにでも自衛隊を魚釣島に上陸させないと、中国に乗っ取られてしまいます。向こうの軍隊が上陸したらもうおしまいです。ボクは戦後、中国大陸でゲリラ戦をさんざんやってきたから中国の出方がよくわかっています。日本政府は、国会の手続きをしないと自衛隊は出動できないと言うだろうけど、それははき違えた民主主義だ。寸土と言えども、失うことを許さないのが国家であり民族だ。領土の保全には民族をあげて戦うのが筋なんですよ。

〈中略〉だらしない政府にはみんなで抗議の声をあげなくては駄目です。でもボクはね、日本に対しては楽観的です。日本は独自の文化を持っているから強いです。復元力がちゃんと働いている。家庭崩壊と騒いでも子供のために弁当を作る母親が大多数でしょう。台湾の母親はサンドイッチを買って平気で子供にもたせている。小さい頃の生活体験やしつけはほんとうに大事なのです。

 食事の時に迷い箸をするな、相手の立場に立ってものを考えろ、他人に対しては慎み深くなれ、文句を言う前に自分の行動を反省しろ…。みんなあたりまえのことですが、(両親から)耳にタコができるほど聞かされて育ちました。そうしたことがこの歳になるとどれだけ大切なのかひしひしとわかるようになる。だから自伝を書いているんです。台湾の若い世代に人間として大切なことを伝えるためにね。

石平=中国人。1962年(昭和37年)、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒業。1988年(昭和63年)に来日、神戸大学大学院文化学研究博士課程修了。文化大革命および天安門事件における中国共産党の党利党略ぶりへの憤怒と絶望感から祖国との決別に至り、2007年(平成19年)11月に日本に帰化。2008年(平成20年)4月から拓殖大学客員教授。
「正論」2011年2月号「堕落した日本人、もっと堕落した中国人」(加治伸行氏との対談)より

 私は二十二年前に日本に留学してきましたが、論語の精神が今も受け継がれていることに、本当に驚きました。大きな書店に行けば中国古典のコーナーがあり、孔子や孟子の書に親しむ教養人もたくさんいます。ところが、びっくりしている私に向かって「石平さん、あなたの国は論語の本場じゃないか」と言う人がいる。中国にはもう、孔孟の教えの欠片も残っていないことを知らないんです。

 もっとも、日本人の中国に対する誤解と妄想は、ずっと昔から、江戸時代以前からあったのではないでしょうか。ある儒学者が日本橋から品川に引っ越して、「唐に二里近くなった」といって喜んだという江戸小咄がありますが、その頃からすでに、中国の実態を知らずに絶対視する風潮があったようですね。

宋静●(スン・チンウェン)(●=雨かんむりに文)=中国人。1981年(昭和56年)生まれ。2007年(平成19年)留学で来日し、3年間滞在。
加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!—外国人43人が深く語る」より

 教育を重視している日本は、人間の信頼関係を大切にする国だと私は考えています。

 ある日、靴下屋さんで靴下を買いました。翌日履いてみたら、片方の気づきにくい部分に穴が開いているのを発見しました。すぐに返品しようと思いましたが、もう履いてしまったことだし、商品のラベルも取ってしまいました。中国ではこんな場合、自分のせいで破れたわけではないということを説明して、お店の人に理解してもらうのはとても厄介なことです。自分のせいではないのに、返品できないこともよくあります。

 そうした中国での経験から、私はお店の人に説明しなければならないと思い、この穴がもともと開いていたのだということを日本語でどうやって説明したらよいか、とても悩みました。私は念のために、釈明に役に立つ日本語を調べたり、友達に相談をしたりして、日本ではどうなるのかと、ドキドキしながら靴下屋さんへもう一度行きました。

 お店に着いて、靴下を持ち出して店員さんに説明しようとしたら、店員さんが「あっ、お客様、これを買っていただきましたね。何かあったのでしょうか」と言いました。私は「はい、ちょっと、これ、穴が…」と話しかけたとたん、すると、説明するまでもなく、店員さんは「あっ、穴ですか、大変申し訳ございません。どうぞ、この辺で一つ選んでください。誠に申し訳ないです」と、すぐに事態を理解しました。私はわざわざ理由を説明しようと準備していましたが、それを駆使する必要がありませんでした。私はほっとしたと同時に、日本のサービスの良さを本当に実感しました。

 もう一つ、日本では信頼関係が生きていることを実感した体験があります。

 日本から中国に帰る直前に、私は不注意にも駅の階段から滑って転んでしまいました。痛くて立ち上がれなくなり、しゃがむことしかできませんでした。周りの他のお客さんたちが駅員さんを呼んできてくださって、駅員さんが車椅子で駅の係員室に運んでくれました。足首がとても腫れていたので包帯で巻いてもらい、外まで送ってもらいました。私は痛くてほとんどしゃべれず、最後まで、「ありがとうございました」としか言えませんでした。それから、病院に行って医師に診てもらい、骨折だと診断され、歩いてはいけないことが分かりました。医師は私が留学生だということを知ると、病院にある杖を貸してくれました。杖は完治するまでずっと使わせて頂きました。

 日本は先進国でさまざまな施設が完備しているとともに、人々も優しくて、何かあると、いつでも助けてくれます。特に、病院の医師に杖を借りた時、「杖をお借りするので、私の身分証明書とかが要りますか」と尋ねたら、すぐに「何もいらないよ」という返事が返ってきました。この体験も、現在人間の信頼関係を失っている中国から来た私にとっては、感動させられる出来事です。

アンナ・マリア・エンリカ・ボッシエ・バンジェリスタ=イタリア人。1955年(昭和30年)生まれ。1986年(昭和61年)夫が奨学生として東京に留学することになり、6歳だった息子を連れてミラノから初来日。1992年(平成4年)、夫がフェラガモ・ジャパンの代表取締役に就任し、再び東京に住むことに。滞在期間14年。
加藤恭子編「私は日本のここが好き!—外国人54人が語る」より

 「伝統と新しさの共存」。これは私が日本の素晴らしいと思う点です。古い制度と慣習の持続と新しい要素の共存です。

 日本の民族衣装の着物が現在でも生きていることは、驚きであり、素晴らしいの一言です。今では、イタリアの都会でイタリア民族衣装を目にする機会は全くありません。ところが日本では、普段はイタリアンブランドの洋服をさっそうと着こなしているアクティブな女性が、パーティーではしとやかに美しい着物を着て登場したりするのです。加えて、着物は生活のなかの行事とも密接に結びついているようです。夏のお祭りでは、浴衣を着て楽しむ若者を多く見かけますし、大学の卒業シーズンには袴をはいている女子学生を沢山見かけます。

 そして今もなお、着物を着て行うお茶、お花、三味線、日本舞踊などの伝統文化が、人々の生活に根ざしていることには感銘を受けます。着物はやはり、日本人には一番よく似合うファッションだと思います。

〈中略〉日本は、豊かで安全な国です。そして全てが清潔で驚くほど秩序が保たれています。けれどイタリア人の私には、人間どうしの間や、他の様々なことにまで、あまりにも埃をたてないよう気を配りすぎ、距離を置きすぎているようにも感じてしまいます。これは日本人のファッションにも表れているように思います。フォーマルは得意だけど、カジュアルが苦手ということです。

 日本は、江戸時代の町人文化に見られるように、洗練されたファッションの自己表現の伝統を実は持っています。そしてその伝統文化が、姿勢や考え方が、たとえ僅かでも現在の生活の中に生き続けているのですから、これを今のファッションに、多いに活用しない手はないと思います。伝統から生まれた創造物は、外国人の眼には、偉大で、新鮮で、魅力的に映ります。

ジョダ・ムザファロバ=ウズベキスタン人。1981年(昭和56年)生まれ。2006年(平成18年)、日本の大学に留学していた夫と暮らすため、生後6カ月の娘と二人で来日。
加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!—外国人43人が深く語る」より

 ウズベキスタンのことは、日本ではあまり知られていませんが、私の国では、日本はとても有名な国、人気のある国の一つです。敗戦後のめざましい経済発展や世界に誇るハイテクノロジー製品、伝統的な独特の文化を今も残しているところ、また同じアジア人としての親近感からも、日本にいい印象を持っている人が多いと思います。

 私の国の言葉で“Yapon lar niki dek zor(ヤポン ラル ニキ デク ゾール)−日本のもののようにすばらしい”という表現があります。他と比べて、高品質で優れているモノや人に対して、また何かに一生懸命に努力をした結果、成功を収めた時などに使われる褒め言葉です。それが、私たちの国から見た日本の印象なのです。

 例えば私の夫が日本への留学が決まった時、「まさに、あなたはYapon lar niki dek zor!」と周囲の人たちに言われました。夫は幸運にも、八百人の候補からたった二十人だけが日本に留学できるという、高い倍率の中を通って日本に来ることができました。

 実際に来て、自分の目で見た日本は、来る前に想像していたとおりの国でした。経済的に発展した国、豊かな国。それでもまだ、ヒューマニズムが残っている国。世界で経済的に成功している国は、他にも幾つもあります。しかし、日本のように社会も平和で、なおかつ発展している国は珍しいと私は思っています。社会が平和だ、安全だと言うと、昔と比べたら、安全ではなくなった、不安な状態になったと日本の人たちは言いますが、外からの目で、改めて見直して欲しいと思います。日本は、まだここまでしか乱れていない、と言える状況ではないでしょうか。同様に、私はよく、“日本は日本らしさを失ってしまった”と言われているのも聞きますが、私の目から見たら、そんなことはありません。日本にはまだまだ、文化や生活様式、人々の性質などに日本らしさがたくさん残っています。今のこの時期を大切にして、まだ十分に残っている日本の特別なところ、素晴らしい面を守っていって欲しいというのが私の願い、日本の方たちへのアドバイスです。

氏名不詳=フランス人。某中国人ブロガーの友人。中国人と日本人の見分け方を考察。
レコードチャイナ2012年01月16日12時08分<レコチャ広場>中国人と日本人、外国人はどうやって見分ける?より
2012年1月13日、中国人ブロガーが「外国人は中国人と日本人をどうやって見分けるか?」と題した記事を中国のブログサイト・新浪博客に掲載した。以下はその内容。


 フランス人の友人が「もしパリの街角でアジア人を見かけたら、その人が中国人か日本人なのかは見ただけでわかる」と私に言いきった。その見分け方には3つのポイントがあるという。

 1つは服装と印象。エレガントな印象なら日本人、だらしない印象なら中国人。日本人はたとえノーブランドの服を着ていても清潔で、肌も白く、ヘアスタイルも決まっている。中国人はスーツを好んで着用しているが、ピシッとした感じがしない。ヘアスタイルや身だしなみに全く無関心で、だらだらと疲れた感じで歩き、とにかくだらしない。

 礼儀正しく、謙虚で、話し声が小さいのが日本人。ところかまわず座り込み、歩きながらつばや痰を吐き、怒鳴り声で話すのが中国人。日本人はすすんで他人に道を譲り、信号を守り、礼儀正しく忍耐強い。目が合うと優しく微笑んでくれる。中国人は他人を押しのけて我先に歩き、マナーやエチケットなど完全に無視。目が合えば、にらみ返してくる。

 眼前にある芸術品をしっかり鑑賞し、写真撮影も遠慮がちに行い、その土地の文化や環境を尊重するのが日本人。芸術品の前で大騒ぎするだけで鑑賞もせず、写真を撮ったらすぐに去るのが中国人。日本人は芸術を理解しているが、中国人は「見た」事実だけが大事。芸術そのものには何の関心もない。

 国民のイメージは国や民族の価値を決定する重要なポイントだ。友人の話で私はそれを痛感した。西洋人にとって、かつて日本人が過去にアジアにもたらした厄災や、それをいまだに謝ろうとしないことなどは関係ないのだ。このままではわれわれ中国人は不利になるばかり。中国人のイメージアップを真剣に考えなければならない。

ロバート・イエリン=アメリカ人。1960年(昭和35年)ニュージャージー州生まれ。カリフォルニアの大学を卒業し、1984年来日。やきものを通して日本の美を国内外に発信している。現在、日本陶磁協会会員。
産経新聞2012年2月24日付【新・関西笑談】日本の陶芸の“伝道師”より

 −−日本が誇る伝統工芸のやきものですが、産地は厳しい状況です

 イエリン 先日、ある作家の窯出しを訪ねました。どんな作品があるのかなと思っていたら、とっくりばかりでした。今は、とっくりとかしか売れないからです。すごくいいとっくりでしたが、すぐに売れるものを作らないと、作家も生活ができなくなってしまっています。

 −−日本の経済状況が、やきものの産地に影響しているんですね

 イエリン 日本の文化そのものも結構変わりました。それは、いい変わりようじゃないと思っています。アメリカから入ってきた食文化をはじめ、早くて、便利といったものが、日本の中で増えています。それにつれて、若者が日本の良さからどんどん離れている。本来、日本の文化は複雑だから、深いんです。もともと簡単なものではないんですよ。

 −−簡単、便利な生活が日本の固有の文化を害している、と

 イエリン 日本の生活のバックボーンにあった「職人」という存在も弱まっていますね。建築でも衣服でも料理でも、何でも職人がいて支えていました。しかし、手作りのものが、日本人の生活から消えていっている。職人の心という日本のスピリット(精神)がなくなったら、日本がどうなるのか心配です。だから、便利という言葉には落とし穴があると思っています。

 −−落とし穴ですか

 イエリン 例えば、今は100円ショップがどこにでもある。そこで安いものを買うと、最初のうちは「いいな」と思います。しかし、安物だからと大事に使わないなら、実は自分の心までも安いものにすることになるんです。逆に、5千円払って、作家の湯飲みを買ったとしましょう。最初は高いと思うかもしれない。だけど、いいものは大事にするし、作家の気持ちを感じながら使える。そして自分だけでなく次の世代の人へ渡し、50年でも100年でも使うことができる。お金のことを含め、簡単、便利ということばかり考えていたら、心の中がおかしくなってしまいます。

 −−どうすればいいでしょう

 イエリン 陶芸だけでなく漆芸などの工芸も厳しい状況です。私は日本の国民がまず、自分の地元を大事にしてほしいと思うのです。どこにでも工芸家はいます。湯飲み1つ、お皿1枚。彼らの手作り品を小さいものから、財布を開いて買ってください。そして使ってください。それが自分たちの文化のサポートになります。大事に使い、次世代に渡せるような地元の良いものを使うことで、環境も良くなるし、日本の国は良くなると思います。

 −−東日本大震災の発生以来、日本人には大きな喪失感があります。そうした中、日本文化の原点に立ち返ることは大事ですね

 イエリン やきものをはじめ、日本の文化には見事なものがたくさんあります。しかし、日本人はそれを忘れています。浮世絵や根付(印籠などのひもの先につけた小さな細工物)もそうでした。外国人に高く評価されてから、日本人が改めて見て、「これはいい」となりました。日本は島国ということもあって、日本の文化が日本の国にあることを当たり前と思っていますが、慣れすぎは実は危ないことと思います。失ってほしくないですね、手作りという日本の良さを。(聞き手 坂下芳樹)


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 メルマガ「台湾の声」から回ってきたお知らせを転載します。

【読者便り】雑誌FRAUが台湾情報を募集しています

 昨年「感謝台湾」特集してくれた雑誌FRAUがまた台湾の特集を組むようです。
 読者から台湾情報を募集しています。

 締め切りは6月30日で10名に1000円のクオカードが当たります。

 台湾に好意的だったのでもっといっぱい台湾を載せてもらえるとうれしいですね。
 私は日本語世代を知って欲しいと思いましたのでそのことをアンケートに書きました。

 日本時代の史跡も載せて欲しいと書いておきました。

 皆さんでアンケートに書き込めば買い物や食べ物以外の台湾のすばらしさを取材してくれるようにならないでしょうかね?

   FRAUなどを見てもっと多くの日本人が台湾を訪れ
   台湾は中国ではないことを認識してくれることを
   願ってやまない読者より】


 こちらは昨年の「FRAU」の台湾特集の表紙です。
 東日本大震災で多大な支援をしてくださった台湾への感謝の気持ちを込め、組まれた特集でした。

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 編集部の台湾取材にまつわるエピソードもあわせ、当時、拙ブログでも紹介しました。このエントリーの最後の方です。
11/8/6付:【東日本大震災-8】外国人から見た日本と日本人(29)

 その「FRAU」がまた台湾を取り上げてくれるとのこと。嬉しいですね。

 アンケートの応募要項などは現在発売中の号(6/12発売)に載っているのだろうと思いますが、すみません、こちらではまだ確認していません。

 次に本屋さんに行った時に確認してみるつもりですが、すみません、雑誌を買われた方、情報をお持ちでしたらよろしくお願いします<(_ _)>


 ……というわけで、第35弾につづく……!!


※参考文献
・黄文雄著「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」徳間書店
・イザベラ・バード著「イザベラ・バードの日本紀行(上)」(講談社学術文庫)
・ラルフ・タウンゼント著「暗黒大陸中国の真実」(普及版)(芙蓉書房出版)
・金完燮著「親日派のための弁明2」(扶桑社文庫)
拙ブログ07/07/10付コメント欄より「おれんじ」さんの投稿(阿羅健一著「ジャカルタ夜明け前−インドネシア独立に賭けた人たち」)
・「正論」2011年2月号「台湾密航“拠点”だった尖閣の真実」(平野久美子氏によるインタビュー)
・「正論」2011年2月号「堕落した日本人、もっと堕落した中国人」(石平×加治伸行の対談)
・加藤恭子編「私は日本のここが好き!—外国人54人が語る」より
・加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!—外国人43人が深く語る」より
レコードチャイナ2012年01月16日12時08分<レコチャ広場>中国人と日本人、外国人はどうやって見分ける?
・産経新聞2012年2月24日付【新・関西笑談】日本の陶芸の“伝道師”

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