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ニッポン天才列伝「ビーバップ!ハイヒール」より

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■5月3日放送 ABC(朝日放送)「ビーバップ!ハイヒール」
 ~世界を揺るがした! ニッポン天才列伝~

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 木曜深夜11時台の放送にもかかわらず、2桁の視聴率をとる関西の人気番組です。

 この日は、日本人にはあまり知られていないが世界が認める発明をした、日本の天才たちが紹介されました。

 例によって、放送内容をまとめてみました。

 画像はテレビ画面をデジカメで撮影したものです。粗いですがご容赦下さい。
 あまりいらっしゃらないと思いますが、画像がご入り用の方は、直リンクでなく必ずお持ち帰り下さい。
 
【出演者】
ハイヒール(リンゴ・モモコ)
筒井康隆、江川達也、たむらけんじ
チュートリアル(徳井・福田)、夏川純
岡元昇(ABCアナウンサー)
上山明博(作家、科学ジャーナリスト。2012年から、国立天文台科学文化形成・科学プロデューサー。文学と科学の融合をめざし、徹底した文献収集と関係者への取材にもとづく執筆活動を展開。現在は、主に科学者や発明家の評伝小説に取り組む。「日本人の創造力」をテーマに数多くの著書を執筆)

この日の放送の大まかな内容は番組サイトのこちらのページを。


 内容紹介ここから____________________________
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 昨年、イギリスの大手科学技術サイトが発表した「過去50年間で最も偉大な発明」。

 第5位はiPad、第4位はWindows、第3位はiPod、第1位はiPhone。

 これらと肩を並べ堂々の第2位に入ったのが、1979年発売のウォークマン(WALKMAN)。
 世界初の携帯型音楽プレイヤー。
 「音楽を持ち歩く」ことを可能にした、iPodなどの最先端音楽プレーヤーの原点。

 その他、青色LED、光ファイバー、テレビアンテナ、インスタントコーヒーなど世界で愛され続けるメイドインジャパンがたくさんある。

 「日本人はオリジナリティに乏しい」と語られることがあるが、実は、日本人は画期的なアイデアで世界的に知られる数々のモノを生み出してきた。

 日本は世界有数の発明大国なのである。

 今回の番組ゲスト、作家で科学ジャーナリストの上山明博先生は言う。

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 日本人はオリジナリティーがないのではなく、正当に評価されていないだけ。当の日本人が日本人の成果を正当に評価していないケースが多い。世界に誇れるオリジナリティーを発揮している方がいっぱいいる」

 世界が認める発明をした日本の天才たち。
 その知られざる物語を紹介する。

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高峰譲吉(たかみね・じょうきち。1854年12月-1922年7月)

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 伝統的な日本の技術である清酒の醸造を研究していた科学者、高峰譲吉。

 1889年、酒を造る上で不可欠な麹の改良に取り組み、発酵能力を飛躍的に向上することに成功する。

 いち早くこの研究に目を付けたアメリカの大手ウイスキー会社「ウイスキートラスト社」が、高峰を呼び寄せる。

 ヘッドハンティングされ海を渡った高峰は、麹によるウイスキーの製造という全く新しい方法を生み出した。

 大量生産を可能にし、アメリカンドリームを手にした高峰。
 しかし地元の職人らの反感を買い、研究所を焼き払われてしまう。

 高峰は全てを失った。
 だが、情熱だけはなくさなかった。

 ある日、懐かしい故郷の味に思いを馳せている時のこと。
 高峰は、餅を大根おろしと食べれば、胃がもたれないことに気付いた。

 その理由を探し求めた結果、大根に含まれる酵素、ジアスターゼにたどり着いた。
 この酵素が消化を助けていたのだ。

 「このジアスターゼから特に消化作用の強い酵素を抽出すれば、胃腸のための薬になるはずだ!」

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 1894年、ジアスターゼから新薬の開発に成功する。
 これこそ世界初の胃腸薬「タカヂアスターゼ」である。

 この薬は瞬く間に大ヒット。
 世界各国で家庭の常備薬として愛されるようになった。

 1922年、高峰は長い研究人生に幕を下ろす。
 地元紙はその死をこう伝えた。

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 「ドクトル・タカミネの死によって、日本は偉大なる国民を失うとともに、アメリカは得がたい一友人を、そして世界は最高の科学者を失った」(ニューヨーク・ヘラルド紙)

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高柳健次郎(たかやなぎ・けんじろう。1899年1月-1990年7月)

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 「テレビの父」と言われる高柳健次郎。

 少年時代、勉強が苦手だったが、機械いじりだけは得意だった。
 そんな時、彼は恩師にこう声をかけられた。

 「今ある技術をやってもダメだ。将来の日本に役立つ技術を自分の手で作り上げるんだ」

 この言葉が人生を大きく変える。

 24歳の時、「未来のテレビジョン」と書かれた1枚のイラストに心を奪われる。
 「これはきっと日本の将来になくてはならないものになる」

 高柳のテレビへの挑戦が始まった。

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 1920年代当時、世界ではテレビの開発合戦が行われていた。
 簡単な画像は送れたが、鮮明な動画を送ることはまだできず、テレビの開発は行き詰まっていた。

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 高柳は誰も注目していなかったある機器に着目する。
 それはブラウン管。
 当時は電磁量と質量の比率を計るための実験器具に過ぎなかった。

 高柳はブラウン管にテレビの未来を託した。
 そしてついに1926年、世界初のブラウン管による電送に成功。

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 この時、画面に映し出されたのは、イロハの「イ」の字だった。

 ブラウン管による電送成功は、テレビ開発の歴史に大きな第一歩を記した。
 世界中の研究者がブラウン管に注目、本格的なテレビ開発競争の幕が上がった。

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 高柳は追い越されまいと、動く人物の映像の電送を目指す。
 しかし第二次世界大戦が勃発、行く手を阻む。

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 さらに戦後も、GHQはテレビの軍事転用を恐れて研究を一切認めなかった。
 高柳はどんどん諸外国に先を越されていった。

 しかし、今でも高柳の功績は色褪せていない。

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 2011年1月20日、高柳の誕生日に合わせて、グーグルが公開した特別バージョン。
 そこにはあの時の「イ」の文字が輝いていた。

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屋井先蔵(やい・さきぞう。1864年1月-1927年6月)

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 屋井先蔵は「乾電池の父」。

 電気大国ニッポンの始まりは、「電気を自由に持ち運ぶ」という画期的な発想からだった。
 
 幼い頃、時計屋に奉公していた屋井。
 どうしても科学者になる夢を捨てきれず、21歳に上京する。
 無謀にも新潟から歩いて。

 高校の入学試験を受けるためだった。
 当時は進学に年齢制限があったため、屋井にとってはラストチャンス。

 そしていよいよ試験当日。
 何と屋井は遅刻をして、試験場に入れてもらえなかった。
 時計が遅れていたのだ。

 当時の時計はネジ巻き式で不正確だった。
 奇しくも時計に人生を狂わされたのだ。

 「世の中の時計が全て正確に、同じ時刻を指していれば…」

 この日から屋井の戦いが始まった。

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 ネジ巻き式ではなく、電流によって動く全く新しい時計を開発。
 複数の時計を正確に連動させることを可能にした。

 連続電気時計というこの発明は、日本の電気に関する特許の第一号となった。

 しかし、実用化には大きな問題が。
 肝心の電池が使い物にならなかったのだ。

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 当時の電池は、ガラス容器に薬品を入れた液体電池。
 すぐに液漏れしたり、寒いと凍結した。

 そのため今度は、実用的な電池の開発を始めた。

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 不屈の努力で研究を続け、1889年、25歳の時、ついに世界初の乾電池を完成させた。

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 屋井の乾電池は、1893年のシカゴ万国博覧会で公開され、使いやすさと性能の高さに人々は驚き、世界の話題になった。

 電気を自由に持ち運べるこの画期的な発明は、世界中の産業の近代化に欠かせない「小さな巨人」となった。

 遅刻で夢を諦めた屋井は、いつしか時代の最先端を走っていたのだ。

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杉浦睦夫(すぎうら・むつお。1918年3月-1986年8月)

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 あらゆる物が小型化される現代、胃カメラは小型化された技術の先駆けである。

 多くの人の命を救うために開発に心血を注いだ「胃カメラの父」、それが杉浦睦夫。

 1949年、高千穂製作所(現OLYMPUS)で、杉浦は高性能の顕微鏡開発の第一人者として知られていた。

 研究を終えて帰ろうとする杉浦に、一人の男が声を掛けた。
 外科医の宇治達郎だった。

 「杉浦先生、突然で恐縮ですが、胃の中の写真を撮影できないですか?胃の中が分かれば、レントゲンで診断できない胃潰瘍や胃ガンを早期に発見できるんです!」

 宇治は杉浦の評判を聞いて、相談に訪れたのだ。

 杉浦は「何とかなるでしょう」と、宇治のとんでもない申し出をあっさり受け入れたが、研究所の所長は大反対。

 「それは駄目だよ、腹の中にカメラを入れるなんて不可能だよ。百歩譲ってカメラが入っても、胃の中じゃ光がないじゃないか」

 確かに無謀な話だった。
 平均的な人の食道は14mm。
 そこに入る大きさのカメラなど存在しなかった。
 ましてフラッシュなしで胃の中は写せない。

 肩を落として電車で帰路につく二人。

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 実はこの日は1949年8月31日。
 関東一円を「キティ台風」が直撃していた。
 電車は暴風のため緊急停車、立ち往生してしまう。

 止まった電車の中で、二人は長時間熱く語り合った。
 技術者と外科医、それぞれの立場からぶつけ合う斬新なアイデア。

 「杉浦先生、小さいカメラだけでも作ることはできませんかね?」
 「小さな豆電球も作りましょう!」
 「それはいい!」

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 まだ見ぬ胃カメラの骨組みは、この時一気に作り上げられた。

 その後誰もいない研究室で、杉浦は胃カメラの開発を進める。
 カメラを極限まで小型化し、さらに直径5mmの豆電球を開発。
 カメラと光を胃の中にまで持ち込めるようになった。

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 そして1950年、世界初の胃カメラが誕生する。
 不可能だと思われた、世界初の胃カメラをわずか1年で作り上げたのだ。

 杉浦は当時を振り返ってこう言っている。

 「宇治さんの『胃にカメラを入れる』という発想、研究所長の『不可能』という言葉、キティ台風による思わぬ長時間ディスカッション、この三つの出来事のうち一つが欠けても、今日の胃カメラは生まれなかったであろう」(「私の古い『研究MEMO』より)

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 「この胃カメラは日本人だからこそできたこと」と番組ゲストの上山明博先生。
 実は胃の中でフィルムを巻き上げるための糸には、三味線の弦が使われた。太さや強度が最適だったからだ。

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二宮忠八(にのみや・ちゅうはち。1866年7月-1936年4月)

 「飛行機を発明したのはライト兄弟」(1903年12月、人類初の有人飛行成功)と言われているが、実は、彼らに先駆けて、飛行機の原理を発見した日本人がいる。

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 その名は二宮忠八。

 幼い頃に両親を亡くした忠八は、薬屋に奉公する。
 そこで薬学を身につけ、衛生兵として陸軍に入隊。
 衛生兵とは医療活動を行う専門部隊のことである。

 1889年11月、大規模な野外演習でのこと。
 忠八はカラスを見ていて、あることに気付く。

 カラスは1、2回羽ばたいただけで飛んでいる。
 翼に受ける空気圧だけで飛翔していることに気付いたのだ。

 「これだったら、人でも飛べるかもしれん」

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 当時、飛行機の開発は各国で始まっていたが、どれも翼を上下に動かして飛ぼうとする仕組み。
 忠八のアイデアは、固定翼による飛行という画期的なものだった。

 この日から彼は研究に没頭する。
 翼を固定して飛ぶためのカギは揚力。
 風を受けることで自然に浮き上がることだと考えた。

 身を以てこの揚力を経験しようと、高さ5m以上の橋の上から大きな番傘を持って飛び降りた。
 傘の角度と空気抵抗の関係を導き出すまで何度も何度も。
 そして掴んだ。

 それからというもの忠八は、食費も削り、寝る間も惜しんで、飛行機の製作に打ち込んだ。
 そしてついに、全く新しいタイプの飛行機を作り上げる。

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 動力には聴診器のゴム管を使った。
 名付けて、カラス型模型飛行器。

 忠八の信念が作り上げたこの飛行機は、果たして本当にカラスのように飛んでくれるのか。
 
 1891年4月29日。
 高度1m、距離30mの飛行に達成。
 それは日本初の動力飛行成功の瞬間だった。

 「あとはエンジンさえ開発すれば、人は飛べる!」

 忠八は間違っていなかった。
 夢のように思われていた有人飛行はもう目の前。
 ライト兄弟に先立つこと、13年も前だった。

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 しかし、1894年、日清戦争が起こる。
 忠八は研究中断を余儀なくされた。

 終戦後、忠八はまた夢の続きを追い始める。
 そしてついに人が乗ることができる飛行機を作り上げた。

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 全長5.4mの玉虫型飛行器。
 あとはガソリンエンジンを搭載すれば完成だった。

 そんな矢先、忠八の空への夢は奪われてしまう。
 ライト兄弟による飛行成功のニュースが飛び込んできたのだ。

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 「あの戦争さえなかったら……」
 自らの手で、全てを捧げて作り上げた飛行機を叩き壊した。
 もう夢は見ない……。

 それから33年後の1936年、忠八は亡くなった。

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 1964年、遠く離れた異国の地で、あの玉虫型飛行器の模型が展示された。
 英国王室航空協会の展示場である。

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 イギリスの航空協会は、忠八を「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」として、その功績とともに、世界中に紹介した。

 実は忠八は、生涯で一度だけ飛行機に乗ったことがある。

 「若いころ、毎晩、飛行機に乗る夢を見た。初めて空を飛んだ気持ちは、夢で見たのと少しも違わなかった」(「二宮忠八回想」より) 

 ライト兄弟は飛行機の実用化に成功したのだが、最初は安全性が非常に低く、航空事故が多発、命を落とす人が非常に多かった。

 そのことに心を痛めた忠八は、自ら神主になって「飛行神社」という神社を作った。
 京都の八幡市に今でもあり、航空関係者が空の安全を祈念するため訪れている。

 ____________________________内容紹介ここまで


 恥ずかしながら、私はこの日の番組で紹介された方々を一人も存じ上げませんでした。

 唯一、テレビ開発のお話で、ブラウン管に最初に映し出されたのが「イ」の文字だったということだけは知っていました。
 ずいぶん昔、テレビの歴史を振り返るといったような番組で、そういうエピソードが紹介されたのを覚えています。

 この日紹介された方々のプロフィールやエピソード等については、時間的な制約もあり、最低限まで削ぎ落とされているようです。

 もっと詳しく知りたいと思われた方は、是非ネットでそれぞれのお名前を検索してみて下さい。
 詳しく紹介しているHPがたくさん上がってきますよ!(^o^)

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 茨城県や栃木県などで6日午後に発生した竜巻被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 被災された方々の中には福島から避難されていた方々も含まれているとのことで、本当に何とお声をおかけしてよいのか分かりません……。
 札幌から名古屋までは10日の木曜日に同じような気象条件になる予想で、要注意だということです。皆様もどうかお気をつけ下さい。


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※拙ブログ関連エントリー/「ビーバップ!ハイヒール」より
09/5/9付:日本人の習慣の由来 「ビーバップ!ハイヒール」より
6/13付:京都裏ミステリー七不思議第2弾 「ビーバップ!ハイヒール」より
10/3付:国旗に秘められた物語第2弾「ビーバップ!ハイヒール」より
11/23付:京都の地名に潜むミステリー「ビーバップ!ハイヒール」より
12/20付:日本人の習慣第2弾 年末年始編「ビーバップ!ハイヒール」より
10/1/11付:城に隠された歴史ロマン「ビーバップ!ハイヒール」より
5/3付:したたかに生きる小国たち 「ビーバップ!ハイヒール」より
6/21付:世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
10/9付:ノーベル賞をもらえなかった北里柴三郎「ビーバップ!ハイヒール」
11/24付:物の数え方に見る日本の文化 「ビーバップ!ハイヒール」より
11/6/13付:今、武士道精神がニッポンを救う!「ビーバップ!ハイヒール」より
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※拙ブログ関連エントリー/ 「日本と日本人」カテゴリより
【一覧】外国人から見た日本と日本人
08/11/3付:「雷」工藤艦長の武士道精神とサー・フォールの報恩
09/5/23付:日本とトルコ 友好の歴史
12/2/4付:日本の精神を守った渡辺謙さん 産経「彼らの心が折れない理由」より
12/2/13付:子供たちに教えたい柴五郎

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